01.日光街道コース

[芭蕉の足跡を辿って奥の細道を歩く!]



日光街道は江戸時代に設けられた五街道のひとつです。日本橋を起点として、日光坊中(日光東照宮)に至る143kmの街道です。道中には21の宿場が置かれました。日本橋から宇都宮までの区間は奥州街道と重なっているため、奥州街道と呼ばれるのは宇都宮から陸奥白川(福島県白河市)までとなっています。

お散歩で日光まで歩くわけにはいきませんので、コースの終点は埼玉県久喜市の利根川橋南詰までとしました。



日光街道コース(二日目:埼玉県草加市谷塚交差点から埼玉県久喜市利根川橋南詰まで)

6月に入ってからも晴れの日が続いていますが、今日はとりわけ良いお天気でした。朝から晴れ渡り、気温も上がって暑かったですねぇ。関東地方もそろそろ梅雨入り間近かと云われていますので、今日が最後の晴天になるのかもしれません。先日、日本橋から埼玉県草加市の谷塚交差点まで歩きましたので、今日はその続きを歩きます。旧街道を主に歩いたもので、都内部分は車の排気ガスと騒音にそれ程悩まされることはありませんでした。今日のルートも旧街道中心ですが、未知の区間なのでこの先どうなのか一抹の不安があります。谷塚から一日でどこまで行けそうか、事前に調べてみます。折角なら、埼玉県と茨城県の境を流れる利根川まで歩こうと思い、利根川橋南詰を目指すことにします。旧日光街道は、利根川橋南詰に一番近い栗橋駅まで東武線とほぼ平行に走っていますので、東武鉄道のHPで谷塚駅から栗橋駅までの距離を調べてみますと39kmとなっています。歩きだと、少なくとも10時間は必要です。ということで、早朝の谷塚駅に降り立ちます。駅から今日の再開ポイントである旧日光街道の谷塚交差点までは歩いて5分です。



日曜日の早朝ということもあって、さすがに車は少ないですが、ジョギングとか朝のお散歩を楽しむ方は多いですね。谷塚から草加に入りますと、煎餅屋さんが目立ちます。草加煎餅の名前は知っていたのですが、こんなに沢山のお店が軒を連ねているとは思いませんでした。この辺りを「せんべい街道」と命名することにします。



街道脇にある三峰神社は、草加七福神のひとつである寿老人を祀ってあるのだそうです。来年の七福神巡りの候補に入れておきましょう。



私の地図には特に表記されてはいないのですが、谷塚から延びる旧日光街道には、埼玉県の県道49号線「足立越谷線」との標識がありました。ついでに「旧日光街道」と付記してもらえると有難味が増すのですけど。



千住付近には芭蕉の奥の細道の案内板があちこちで見られたのですが、埼玉県に入りますと全く見かけなくなりました。本当にこの道でいいのかなと心配になりましたが、草加駅先に小さな公園があり、奥の細道の石碑が建っていました。



公園の石柵には、日本橋を起点として、「千住宿」から「鉢石宿」を経て東照宮に至る日光街道の全ての宿場町の名前が彫られていました。ここは2番目の宿場町である「草加宿」の跡のようです。



この公園には「草加煎餅発祥の地」という石碑も建てられています。「おせん公園」という名前は、草加煎餅の元祖とされる「おせんさん」に因んで命名されたのだそうです。おせんさんは日光街道の草加松原にあった茶屋で旅人相手に団子を作って売っていたのですが、売れ残った団子は川に捨てていたのだそうです。それを見た侍が「団子を捨てるとはもったいない、その団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売っては?」と教え、おせんさんが早速売り出したところ大評判になり、日光街道の名物になったということです。草加煎餅のルーツが日光街道だったとは知りませんでした。



旧日光街道は、この先新田まで綾瀬川と平行に走っています。綾瀬川沿いは「丸場河岸公園」となっていて、江戸時代から続く松並木が延々と(1.5kmに600本以上も!)続いています。何故松の木なのかといいますと、常緑の松は、旅人や参勤交代の行列から夏には強い日差しを遮り、冬には防風の役目を果たすからだそうです。桜並木は冬は枯れ木になりますもんね。



公園の入り口に大きな望楼が建っているのは、草加が2度の大火によって完全に燃え尽きた歴史があるからなのでしょう。草加の地名の由来は、昔の日光街道の千住と越谷の間に沼が多く、大きく迂回して通らなければならなかったために、沢山の草を使って沼を埋め立てて道を真っ直ぐにしたということからきているそうです。



道路と交差するところには長大な木製(のような)の太鼓橋が2本架けられています。奥の細道に因んだ矢立橋と百代橋という名前で、なかなかに風情があります。芭蕉は旅の最初の夜に草加宿に泊ったとされていて(粕壁宿:春日部宿に泊ったという説もありますが)、結構不安な気持ちだったとのことです。こんなところで芭蕉の気持ちに触れるとは思ってもみませんでした。



JR武蔵野線の高架を抜け、元荒川を渡り、草加バイパス(国道4号線)を越えて春日部市に入ります。東武野田線を抜けたところで、「日本橋から35km」の標識を見つけました。先は長いですね。古河までは30kmほどですから、芭蕉は一日に約30kmを歩いた計算になります。舗装もされていないような道を草鞋ばきで歩いたことを考えれば、驚くべきペースです。



旧日光街道は大落古利根川に沿って大きくカーブし、杉戸に入ります。ここは日光街道5番目の杉戸宿があったところですが、街道と並行して「みなみがわ散策道」が延びています。今日のような暑い日には心地よい木陰が続いています。



杉戸町役場の先で再び旧日光街道に戻ります。幸手市に入りますと、街道沿いの駐車場の中に茨島の一里塚があります。一里塚は、徳川家康が五街道を始めとする主要街道に1里(約4km)毎に道のりを表す印として築かせたものです。



幸手駅手前には、ジョイフル本田という巨大なショッピングセンターがあります。広大な敷地に倉庫のような建物があり、駐車場は車で溢れています。ホームセンターとのことですが、ペットショップや食品も扱っているようです。中を見てみたい気もしますが、時間がないのでパスします。



「幸手駅まで500m」の標識がある交差点に来ました。時刻は3時前です。さて、どうしようかと一思案です。ここから南栗橋までは4.6km、利根川橋南詰までは3.5kmです。帰りの電車を考えると、ここが潮時かなぁと弱気の虫が囁きますが、イケイケドンドンの強気の虫が勝利します。幸手市街方面への道路から分かれ、古河・小山方面に進みます。やがて中川を超えますと、右手に広大な権現堂公園の緑が広がっています。と同時に、旧日光街道の歩道がなくなりました!あれぇ〜〜〜、こんなところで歩くのを止めては幸手駅に戻るにしても南栗橋駅に行くにしても大変です。バスも走ってないし、タクシーの姿も見えません。と、旧日光街道下に細い路地が通っているのを発見しました。行けるところまで行こうと、旧日光街道を降りて路地を進みます。狭い道ですが、車が殆ど通らないので却って歩きやすいですね。暫く歩きますと、屋根が剥げかかったボロボロの弁財天堂と一里塚の案内板があります。小右衛門一里塚というのだそうです。これだけ昔の面影を残した一里塚は珍しいそうで、これも旧日光街道を外れたおかげです。人生、何が幸いするか分かりませんね。



東北新幹線の高架をくぐって再び旧日光街道に戻ります。歩道は狭く、あちこちに草が生えています。「日本橋から55km」の標識の先では歩道は完全に途切れ、利根川の土手下を進みます。



階段がありましたので土手の上に上がろうとしましたら、「マムシに注意!」の立て看板が!ひ〜〜〜っつ、また土手下の道に戻ります。道は土手上の遊歩道に続き、ようやっと利根川が一望できるところに出ました。さすが坂東太郎、茫洋たる風景です(坂東太郎とは利根川の異名で、坂東(関東)にある長男格(日本で一番大きい)の川」という意味だそうです)。梅雨前で水量はさほどではありませんが、広大な河川敷は草木で緑に覆われています。苦労して来た甲斐があるというものです。



利根川橋の南詰まで行ってひとしきり眺めた後、栗橋駅の方に進もうかと思いましたら、ナント旧日光街道は茨城県に向かってまっしぐら!つまり、栗橋方向に向かう道路がないんですな。利根川橋に出口はなく、橋を渡っても歩いて埼玉県側に戻れるかどうか分かりません。夏至近くとは云え、夕日は心細い限りです。河川敷から栗橋に繋がる道路に回れないかと思ったのですが、それには土手を降りなければなりません。蛇は嫌いですが、マムシはもっと嫌いです。暫く考え、元に戻ることにしました。



結局、栗橋駅に辿り着くまでに30分もかかってしまいました。おまけに、半蔵門線直通の始発駅である南栗橋に行く電車は30分に1本しかありません。万歩計の数字は6万歩を越えていました。いやぁ、「街道を歩く」は都内限定にすべきですな。。。








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