02.千葉街道コース
[赤穂浪士も通った歴史街道!]
千葉街道は、日本橋を起点にして、現在の千葉市中央区の広小路交差点に至る39.7kmの古街道です。船橋までは、江戸と佐倉藩城下をむすぶ佐倉道(江戸時代後期に成田詣が盛んになるにつれて佐倉道は成田街道と呼ばれるようになりました)と重なり、船橋から千葉までが千葉街道とか江戸道などと呼ばれていました。佐倉道は小岩までのルートが年代によって異なっています。日光街道を浅草橋で分岐し、両国橋を渡って竪川の北岸沿いに東進し、旧中川の逆井の渡しから四股・五分一・八蔵橋・菅原橋を経て小岩に至るのが古い「元佐倉道」です。千住宿が公認された以降は、千住で日光街道から分かれて水戸街道に入り、新宿(にいじゅく)から小岩に至るルートが「佐倉道」となりました。今回は元佐倉道を辿るルートを歩くことにします。
千葉街道コース(一日目:日本橋から亀戸緑道公園まで)
- 所要時間:1時間45分
- 歩数: 9、094歩
- 距離: 6.5km
そろそろ空模様が怪しくなってきました。例年だと、関東甲信地方では今日が梅雨入りの日なんだそうです。週末は晴れそうなので、今年の梅雨入りは来週後半になるのかもしれません。ほどほどに降って、水不足にならないように願いたいものです。先週の土曜日の夜7時からテレビ東京で「街道歩きの旅」という番組がありました。非定期の特番で、4人のタレントさんが2日間ずつ歩いて目的地に辿り着くという設定です。沿道の名所旧跡なども紹介されますので、私もよく観ています。今回は、日本橋から千葉県銚子市の犬吠埼まで136kmを歩くという内容でした。番組では、船橋から成田街道に入りましたが、船橋で成田街道と分岐して千葉に向かうのが千葉街道です。現在では、都内から千葉市に行く場合は国道14号線(京葉道路)を使うのが一般的です。でも、これとは別に東小松川から分岐している千葉街道も存在します。その一部には、江戸時代から続く旧千葉街道も含まれています。ということで、今回は千葉街道を歩いてみようと思います。千葉街道の起点には諸説ありますが、両国橋というのが一般的なようです。日本橋を起点とする説もありますので、折角ですから今回はこちらをとることにします。という訳で、またまた起点の日本橋にやってきました。
「元標の広場」にある里程表を見ますと、千葉市まで37kmとあります。2回に分けて歩けばちょうどよい距離です。
「日光街道を歩く」では、三井タワーの角で右折しましたが、今日は三越本店の角で右折します。千葉街道がこのルートでいいかどうか分かりませんが、直進すると両国橋の手前に出ますのでよしとしましょう。何の変哲もないビル街の路地ですが、御幸通りという名前が付いています。関東大震災の後、昭和天皇が震災復興視察で通られたのが由来だとか。通りの脇には椙森神社があります。日本橋七福神の恵比寿様が祀ってありますので、お正月に来た筈ですが記憶に残っていません(七福神の詣で過ぎ!)。江戸に多かった火災による寺社の再建のために富籤を発行したことで知られ、境内には富塚が建てられています。そうかぁ、富塚に祈願しなかったからグリーンジャンボに当たらなかったんだと思いつつ、今回もお参りし忘れたのでドリームジャンボとミリオンドリームはどちらも外れですな。
通りを歩いていましたら、見たことのある猪像を見つけました。ここはフィレンツェかと一瞬錯覚します。ピジョンという会社の玄関脇に置かれた「幸運を招く猪:ポルチェリーノ」はフィレンツェの猪広場にある像のレプリカとのことです。像全体は緑青に覆われていますが、鼻の頭だけはピカピカに輝いています。願い事をすれば叶うのでしょうか?でも、ジャンボ祈願をするのをまた忘れてしまいました。
両国橋を渡り、京葉道路ではなく首都高7号(小松川線)の手前の道を進みます。これが今も残る旧千葉街道です。道幅は広いのですが、どういう訳か車は殆ど通りません。本所と呼ばれるこの辺りは低湿地だったため、江戸幕府は排水路を碁盤目状に開削し、掘りだした土で地盤を補強したのだそうです。首都高の下を流れる(一部埋められていますが)堅川も排水路のひとつで、隅田川から数えて一つ目の橋が一之橋となりました。本所には吉良上野介の屋敷があり、一之橋は赤穂浪士が吉良邸に討ち入り後、泉岳寺に引き揚げる際に最初に渡った橋だそうです。ということは、赤穂浪士が通ったのは千葉街道のほんの一部で、千葉街道を「通った」というよりは一之橋の手前で「横断した」というのが当たっているようです。
両国には相撲部屋が沢山ありますが、一之橋の先に名門出羽の海部屋があります。松本明子さんのように心臓は強くないのでアポなし訪問はしませんが。部屋の前には沢山の自転車が並んでいました。たまたま力士さんが乗っているのを見かけたのですが、近くの塩原橋の急な登りではさすがにスイスイとは前に進んでいかなかったようです。ちなみに、塩原橋は、本所に住み、薪炭商人として財を成した塩原太助に因んで名付けられたとのことです。
旧千葉街道は大横川と横十間川で回り道しますが、その他の区間では堅川北岸に沿って真っ直ぐに延びています。亀戸に入りますと、旧千葉街道の標識が何ケ所かに建っています。
五の橋の袂には石碑があり、「旧千葉街道は両国橋から堅川の北岸沿いに東へ通じ、千葉方面に至り、江戸時代から佐倉道と称し、江戸と千葉方面を結ぶ・・・」と書かれていました。やはり、旧千葉街道はこの道で間違いないようです。
ちょっと歩いた先に、堅川人道橋の説明板が建っていました。昔、ここに路面電車が通っていたとのことで、今でもレールの跡が残り、電車の車輪(複製)が展示されています。現在では亀戸緑道公園となっていて、緑深い遊歩道が延びています。
と、ここで雨粒がポツリ。大事をとって今日はここまでにしましょう。
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