02.千葉街道コース

[赤穂浪士も通った歴史街道!]





千葉街道は、日本橋を起点にして、現在の千葉市中央区の広小路交差点に至る39.7kmの古街道です。船橋までは、江戸と佐倉藩城下をむすぶ佐倉道(江戸時代後期に成田詣が盛んになるにつれて佐倉道は成田街道と呼ばれるようになりました)と重なり、船橋から千葉までが千葉街道とか江戸道などと呼ばれていました。佐倉道は小岩までのルートが年代によって異なっています。日光街道を浅草橋で分岐し、両国橋を渡って竪川の北岸沿いに東進し、旧中川の逆井の渡しから四股・五分一・八蔵橋・菅原橋を経て小岩に至るのが古い「元佐倉道」です。千住宿が公認された以降は、千住で日光街道から分かれて水戸街道に入り、新宿(にいじゅく)から小岩に至るルートが「佐倉道」となりました。今回は元佐倉道を辿るルートを歩くことにします。

千葉街道コース(二日目:亀戸緑道公園から千葉市中央区中央二丁目広小路交差点まで)

今日は梅雨を通り越して真夏のお天気でした。日差しは強かったのですが、カラッとして気持ちが良かったです。先日、千葉街道を歩いていて雨に逢い、予定より随分短い距離で中断してしまいました。千葉街道は日本橋から37kmとのことですが、亀戸で中断しましたので、残りは30kmほどあります。ま、気楽に歩きましょう。亀戸緑道公園を出発し、堅川の2つ手前の道を進みます。そのまま進んで丸八通りを越え、突き当たりで左折し、京葉道路に出て、旧中川を中川新橋で渡ります。後で知ったのですが、昔の千葉街道はそのまま直進し、旧中川を逆井の渡しで渡ったのだそうです。両国から続く堅川のひとつ手前の道をそのまま進んでいれば良かったのですが、五の橋のところで間違えたようです。尚、逆井の渡し跡は現在史跡となっているとのことですが、逆井橋という名前に名残が感じられます。私は京葉道路を進んで、荒川・中川を小松川橋で渡りましたが、荒川・中川が開削される前は、小松川の四ツ又(四股)というところで、元佐倉道(現在の千葉街道)につながっていたということです。荒川・中川の開削によって四ツ又はなくなってしまいましたので、現在はその道を辿ることはできなくなりました。



この「逆井の渡し跡」の案内板は、首都高7号線高架下の逆井橋袂で後日見付けました。


小松川橋を渡っていますと、反対側の新小松川橋の歩道を沢山の小学生が歩いていました。全員がリュックを背負っていましたので、遠足か何かでしょうか?それとも千葉街道踏破を目指しているのでしょうか?



小松川橋を降りたところに「日本橋から9km」の標識がありました。先は長いですね。ふと見上げますと、低い塀の向こうに、枇杷の実がすずなりになっています。お店では結構いいお値段なのですが、食用に供されるのでしょうか?



東小松川交差点で、京葉道路と千葉街道が分離します。どちらも国道14号線なので分かりにくいですが、直進するのが京葉道路、左折して北上するのが千葉街道です。右折すると船堀街道になります。こちらも後日歩いてみようと思います。



江戸川区役所先の八蔵橋を右折し、江戸川の手前まで真っ直ぐに進みます(ちなみに、八蔵橋以西が旧千葉街道、以東が千葉街道になります)。道路が真っ直ぐに延びているのには訳があります。現在の千葉街道は江戸時代に元佐倉道と呼ばれ、房総の諸大名の参勤交代路であると同時に江戸中期以降は庶民の往来で賑わいました。本道は徳川将軍の鷹狩りの道として交通の便を最優先させ、村落や耕地を無視して造ったために直線道路となったのだそうです。江戸川区総合文化センターの植え込みに千葉街道の案内板がありました。非常に分かりやすい説明で、千葉街道の全容が判明しました。それによりますと、起点は日本橋で、両国橋を渡った後で堅川北岸を進み、逆井の渡しで旧中川を越え、そこから今歩いている道を進み、市川橋で江戸川を渡り、後は元佐倉道を進んで千葉に至るとのことです(元佐倉道が千葉街道と改称されたのは明治に入ってからです)。多少間違いはありましたが、ほぼ千葉街道には沿って進んでいるようです。



市川橋で江戸川を渡りますが、橋のすぐ先の江戸川河川敷には小岩菖蒲園があります。「小岩菖蒲園祭り」の立て看板があり、菖蒲園には見物客らしき人たちが見えました。今日は時間がないのでパスします。市川橋を渡りますと、「ようこそ千葉へ」の看板が見えます。埼玉県に続いて、ついに千葉県にまで足を踏み入れてしまいました。市川市に入りますと、急に松の木が目立つようになります。昔はこの辺りが海岸線だったのでしょうか?立派な松の並木が続く諏訪神社の境内ですが、周囲には空き地が目立ちます。東京外環道の工事をしているようです。完成予想図では、高速道が半地下にもぐり、緑地帯を配した構造になるとのこと。それにしてもケタ違いの規模です。この地区では昔から建設反対運動が報じられていたのですが、これからどうなるのでしょうか?



街道の右手に鬱蒼とした藪があります。「不知八幡森」、通称「八幡の藪知らず」という史跡なんだそうですが、昔から入ってはならないところ、入れば祟りがあると言い伝えられています。でも、天下の副将軍水戸黄門様が藪に入り、神の怒りに触れたのだとか。さすがの黄門さまも「この印籠が目に入らぬかっ!」とまではいかなかったようです。



真間川(ままがわ)を境橋で渡り、下総中山に入ります。中山には2つの名所があります。法華経時・中山鬼子母神と中山競馬場です。どちらも訪れたことはありませんが、またの機会にします。このあたりは高台になっていて、南欧風の豪邸が建ち並んでいます。中山競馬で大穴を当てられた幸運な方達のお住まいでしょうか?その中に「吉澤野球博物館」なる建物があります。吉澤善吉氏という方が私財を投じて建てられたとかで、六大学野球の資料を収集・展示しているのだそうです。ここも面白そうですが、今日はパスします。



さらに進みますと、「二子浦の池」という看板が目に入りました。ドブ池のようでもありますし、溜池のようでもあります。昔、この辺りは二子浦と呼ばれる海に面しており、日蓮上人が鎌倉との行き来のために船出したという言い伝えから二子浦の池になったそうです。やはり千葉街道は昔は海岸線に沿っていたのでしょうか?



千葉街道は船橋市街は通らず、海沿いを通っています。東京湾に面した浅瀬は三番瀬といわれ、魚貝類の宝庫であったためにかろうじて埋め立てを免れたとのことです。京成電鉄の船橋競馬場駅の先で、千葉街道から成田街道への分岐点があります。こちらもいつか歩いてみたいのですが、どんな感じなのでしょうか?千葉街道は幕張インターで京葉道路と交差します。街道で唯一直進できない個所です。袖ヶ浦の住宅地を回ってなんとか京葉道路の高架をくぐれたのですが、えらく遠回りをしてしまいました。幕張陸橋を越えた先で京葉道路と分かれ、千葉鎌ヶ谷松戸線を進みます。千葉街道の一部ですが、交通量は京葉道路とは比較にならないほど少ないですね。何十年か昔にタイムトリップしたかのような長閑な雰囲気です。通りに面した魚屋さんの店頭には、ボウルで塩抜き中でしょうか、アサリ貝が無造作に置かれていました。



花見川を渡り、東関東自動車道の高架下を進みますと、千葉西署交差点で再び京葉道路と合流します。中央分離帯がやけに広い道路で、交通量も半端ではありません。ここから千葉市の登戸交差点まで、京葉道路を延々と歩きます。歩道は広くてきれいなんですが、単調で街道の雰囲気もありません。



登戸交差点で京葉道路に別れを告げ、そごうの前を通って京成千原線のガード下をくぐります。この先はブロックが敷かれた商店街を通ります。小型車は通行可なようですが、どうみても街道の雰囲気はありません。タウンライナー(懸垂式モノレール)が上空を走るドブ川を渡りますと、終点の広小路交差点は直ぐです。



千葉街道はここで終点となり、この先は成田に続く国道51号線(佐倉街道)になっています。交差するのは国道126号線(東金街道)です。



日光街道には及びませんでしたが、今日は約5万7千歩、10時間近くの行程となりました。せっかくなら、千葉の新鮮なお魚と貝を堪能して帰りたいところですが、そこが「街道歩きの旅」との違い。サミシ(さしみ)イ。。。  







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