06.中山道コース

[中山道宿場巡り!]





江戸時代の五街道の一つである中山道は、江戸の日本橋を起点とし、本州中部の内陸側を経由して草津宿で東海道に合流しています。江戸から草津宿までは129里(506km)あり、67箇所の宿場が置かれました。東海道が本州の東海岸沿いの街道であるのに対し、中山道は中央部山脈の間を貫通する街道という意味でこの名称となっています。中山道は江戸時代に約30の大名が参勤交代に利用したといわれています。その中で最大の領地を持つ金沢藩は、江戸の上屋敷を中山道沿いの本郷に、下屋敷を第一の宿場町であった板橋宿に置きました。江戸上屋敷の敷地は現在の東京大学の本郷キャンパスとなり、このため東京大学のシンボルである旧金沢藩上屋敷の赤門が中山道(現在の本郷通り)に面しています。

お散歩で滋賀県の草津市まで歩くわけにはいきませんので、コースの終点は埼玉県鴻巣市の吹上駅前までとしました。

中山道コース(二日目:巣鴨地蔵通商店街入口から浦和駅西口交差点まで)

やっと梅雨らしいお天気になってきました。暑さも加わって、夜は寝苦しく、日中は蒸し暑く、クーラーのお世話になる日が続いています。今日は朝から雲間の間にちょっとだけ青空が見えたもので、先週の続きを歩くことにしました。中断地点の巣鴨地蔵通商店街の入口に来ますと、すがも朝顔祭りはすでに終了し、小屋の後片付けが行われていました。鉢植えの朝顔が沢山残っていましたが、祭りは盛況だったのでしょうか?



先日は塩大福に気をとられて目に入らなかったのですが、団子屋さんの店先に「中仙道一里塚」の木柱が立っていました。お江戸日本橋から本郷追分(中山道と日光御成街道の分岐点)までが一里、そこから巣鴨村139番地(巣鴨地蔵商店街入口付近)までが一里と書いてありました。先は長いですね。



巣鴨地蔵商店街から続く庚申塚通りに、おっそろしく古びた洋館風のお店があり、「亀の子束子西尾商店」の看板がかかっています。お店の前を通るたびにその外観に惹かれていたのですが、今まで「束子」の文字を「菓子」と思い込んでいたもので(似ているでしょう?)、「亀の子菓子」ってどんなお菓子だろうかと気になっていました。博多銘菓の「鶴の子」は独特の触感で大好きですが、「亀の子」はどんなお菓子だろうかと近づいてみますと、入口に束子(たわし)が束になってぶら下がっています。ん?お菓子屋さんではないようですねぇ。。。



JR板橋駅脇の踏切を渡りますと、日本橋から数えて旧中山道第一番目の板橋宿となります。東海道の品川宿、日光街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿と並んで、江戸の四宿のひとつに挙げられたのだそうです。



板橋宿は平尾宿・仲宿・上宿の3つの宿から構成されていて、平尾宿が置かれた通りには「板橋縁むすび通り」という名前が付いています。ここで縁をもらっても上宿の「縁切榎」で縁が切れてしまいますのであまり有難味がないですね。



首都高5号線の高架下を斜めに横切った先から仲宿商店街が延びています。旧中山道沿いには昔ながらの商店街が多く、お店を見ながら歩くのは楽しいですね。仲宿商店街の中ほどで高層マンションが建設中でしたが、ほぼ完成したようです。マンションの手前には広場が設けられ、板橋宿の真新しい案内板が立てられていました。当時の街道風景が描かれていましたが、人家が並んでいたのは板橋宿近辺だけで、それ以外は荒野のようでした。当時の旅人にとって、宿場は暗闇の中の灯に見えたことでしょう。



上宿のとあるマンションの前に「縁切榎」という史跡があります。縁切りといっても、男女の悪縁とか難病とかお酒とかの縁を切るのに効用があれば結構なことですが、お姫様の輿入れの際には迂回路を通ったり、榎に覆いを被せたりしたそうですから、悪縁も良縁も関係なく切ったみたいですね。平尾宿の縁むすび通りと使い分けたら宜しいかと思います。



旧中山道は、環七を越えた先の清水町で再び国道17号線と合流しますが、その手前のビルの屋上に巨大なキリンの像が建っています。三展機工というイベント会社の建物で、ビルの名前は「きりんびる」といいます。イベントで使ったお下がりを屋上に置いたらしいのですが、遊び心があっていいですね。



都営地下鉄三田線の志村坂上駅手前に「志村一里塚」が残っています。都内では、西ヶ原と志村だけに現存するのだそうです。一里塚は街道の両側に対で設置されるのが本来の姿で、西ヶ原の一里塚は1基だけでしたが、志村一里塚は中山道の両側に1基ずつ残っています。ほぼ完全な形で保存されているのは全国でも稀で、史跡としても貴重な存在です。



志村坂上交差点から国道17号線を外れ、斜め前方の道を進みます。ほどなく急な下り坂になります。清水坂という旧中山道最初の難所だったそうです。急な上に大きく湾曲した坂のため、街道で唯一富士山が遠望できたといいます。歩きならともかく、馬や荷車では下るにしても登るにしてもさぞや難儀したことでしょう。



坂の手前には富士・大山道の道標と庚申塔があります。ここは、中山道から富士・大山道が分かれる場所であったために道標と庚申塔が置かれたのだそうです。



志村三丁目交差点から志村坂下交差点までは工場の並んだ裏道を通ります。とある工場から甘たるい匂いが漂ってきます。「日本チョコレート工業協同組合」のプレートがかかっています。ここでカカオ豆から原料チョコレートを造り、組合員企業に卸しているのだそうです。毎年10月には、純粋なミルクチョコレートを工場窓口で期間・数量限定で販売しているのだそうです。チョコレート好きにはたまりませんね。



荒川を戸田橋で渡りますと埼玉県に入ります。土手の袂には「歴史のみち 中山道のご案内」の案内板が建っています。旧中山道は、戸田橋よりも川下に130mほど離れた戸田の渡しを使って荒川を渡っていました。土手沿いの道路の脇には、「中山道戸田渡船場跡」の石柱と「戸田の渡し」の案内板が建っています。幕府は荒川に橋を架けることを許さず、旅人は渡しに頼るしかなかったのだそうです。参勤交代の際には馬などをどのようにして運んだのでしょうか?



戸田市に入りますと、道路にカラフルな標識が目立ちます。通りの名前だけでなく、花の絵柄なんかも入っていてセンスがいいですね。



「中央通り」の標識にご注目下さい。


蕨市に入ったところで、国道17号線と分かれて旧中山道に入ります。中山道第二の蕨宿が置かれた町並みは当時の面影が復元され、江戸時代にタイムスリップしたかのようです。本陣跡には休息・宿泊した大名・公家・僧侶・姫君の一覧表が置かれ、皇女和宮の名前も含まれています。歩道には宿場の様子を描いたプレートも埋め込まれ、歩くだけでも楽しいです。



錦町三丁目交差点で国道17号線を横切り、住宅地の狭い道路を進みます。外環道の手前の小さな公園の中に「旧中山道一里塚の跡」の石碑が建っています。「辻一里塚」というのだそうですが、これは日本橋から4番目のもので、3番目の「戸田村一里塚」は現存していないのだそうです。



六辻水辺公園の緑道に突き当たったところで右折し、国道17号線を横断して浦和駅に続く住宅街の裏道を進みます。歩道がなく歩きにくいですが、交通量はそれほどではありません。今日はさいたま新都心まで歩こうかと思っていたのですが、浦和駅西口交差点に着いたところで雨粒が落ちてきました。今日はここで中断とします。余談ですが、浦和はうなぎの蒲焼発祥の地なんだそうです。中山道を旅する人たちに提供したのが始まりで、「浦和うなこちゃん」なるおむすびのような顔をしたキャラクターが観光大使として活躍しているとのこと。来週末の浦和まつりに行けば会えるかも。








戻る