06.中山道コース
[中山道宿場巡り!]
江戸時代の五街道の一つである中山道は、江戸の日本橋を起点とし、本州中部の内陸側を経由して草津宿で東海道に合流しています。江戸から草津宿までは129里(506km)あり、67箇所の宿場が置かれました。東海道が本州の東海岸沿いの街道であるのに対し、中山道は中央部山脈の間を貫通する街道という意味でこの名称となっています。中山道は江戸時代に約30の大名が参勤交代に利用したといわれています。その中で最大の領地を持つ金沢藩は、江戸の上屋敷を中山道沿いの本郷に、下屋敷を第一の宿場町であった板橋宿に置きました。江戸上屋敷の敷地は現在の東京大学の本郷キャンパスとなり、このため東京大学のシンボルである旧金沢藩上屋敷の赤門が中山道(現在の本郷通り)に面しています。
お散歩で滋賀県の草津市まで歩くわけにはいきませんので、コースの終点は埼玉県鴻巣市の吹上駅前までとしました。
中山道コース(四日目:上尾駅東口交差点から吹上駅前まで)
- 所要時間:5時間38分
- 歩数: 28、598歩
- 距離: 20.6km
占い蛸のパウルくん、凄いですねぇ。アルゼンチン戦での勝利予言が的中したとのテレビの報道で初めてその存在を知りましたが、今日のスペイン戦でのドイツの敗戦を予言したとかで、結果が気になりました。試合開始は8日の午前3時半開始なので、とても起きていられません。気になりつつ、そのまま寝てしまいました。目が覚めたのは5時。寝ぼけ眼でテレビを点けてみますと、パウルくんの予言通りスペインが勝っていました。凄い!パウルくんにはキリスト様が宿っているのかっ!と朝から興奮して完全に目が覚めてしまいました。外を見ますと、久しぶりに青空が広がっています。早起きしたついでに、昨日豪雨で中断した中山道の歩きを続けようと思い立ちました。8時過ぎに、昨日の中断地点の上尾駅東口交差点に到着します。ちょうど通勤時で、勤め先とか学校に急ぐ人たちが足早に駅に向かっています。皆さん、今日も一日頑張ってください!
上尾は中山道第5番目の宿場が置かれたところですが、規模は小さかったようです。何か中山道にまつわる史跡はないかなと歩いていきますと、右側に立派な竹林で囲まれた大きな建物が見えました。窓がなく倉庫のようです。「酒造 文楽」とありますので、造り酒屋さんのようです。正面エントランスには大きな菰樽(こもだる)が鎮座しています。文楽は荒川水系の豊富な伏流水を使って明治時代に創業した老舗で、社名には「義太夫・三味線・人形遣い」の三位一体の精神を、「米・水・麹」で造り出す日本酒に活かしたいとの思いが込められているそうです。
とある交差点の脇に、「中山道 上尾宿」の石柱が建っていました。横に上尾宿の歴史が書かれた案内板があり、「上尾宿は日本橋から九里十六町のところにあり、・・・、江戸後期には紅花の産地として有名になりました」と書いてあります。紅花って見たことはありませんが、どんな花なんでしょうか?
更に北上して、中山道第6番目の宿場が置かれた桶川市に入ります。市の境界を越えた先に、桶川宿の案内図がありました。街道沿いに幾つも史跡が残っているようで期待できます。早速、案内板の先に「木戸址」の石碑を見つけました。「木戸」とは、江戸時代に街道の治安を維持するために宿場の入口と出口に設けられた関所のようなものです。
町中に入りますと、「武村旅館」と大書きされた古ぼけた木造の家屋がありました。今時、こんな年代物の和風旅館に泊まる旅人はいるのかしらと思って軒先の案内板を見ますと、「中山道 旅籠」と題して解説がありました。宿場には、大名や公家などが宿泊する本陣や脇本陣が設けられていましたが、一般庶民は旅籠に泊まったのだそうです。桶川宿は日本橋から10里(40kmくらい)余りの距離にあり、江戸を出立した旅人が夕刻に到着することが多かったため、江戸末期には36軒もの旅籠があったそうです。武村旅館は宿場町当時の旅籠の姿を今にとどめ、江戸末期の間取が現在も引き継がれているのだそうです。神棚とか土間もあって面白そうですが、実際に泊まる人はいるのでしょうか?
桶川には、史跡だけでなく、案内所や休息所も設けられています。「島村家住宅土蔵」は1836年に建てられたといわれていますが、重厚な窓と分厚い壁は銀行の大金庫を思わせます。
現在は、江戸時代の生活用具の資料館として、毎月第一土曜日の午後に公開されているとのことです。
桶川には年代物の家屋が多く保存され、街道の雰囲気が色濃く残っています。「桶川宿本陣遺構」は、一部ですが、埼玉県内に残る唯一の本陣遺構だそうです。
「中山道宿場館」には桶川宿のいろんな資料が置かれています。外からパチパチと写真を撮りまくっていたら、案内所の方が中に招き入れてくださいました。開館直後でお客さんがいなかったこともありますが、あれこれ親切に話しかけてこられます。どこから来たのだとか、どこまで行くのだとか。「日本橋から歩いているんですぅ」とか答えますと、「へぇ〜〜〜っつ?」とか反応されます。よほどのヒマ人にみられたのでしょう。最後には「往来手形」なる書面まで頂きました。それに紅花の種が入った袋も。家庭菜園でも借りないといけませんな。
桶川には一里塚も設けられました。中山道の両側に塚が造られ、その上には杉が植えられ、根元には妙見菩薩が祀られていたそうです。また、宿場の出入口には木戸が設けられ、文久元年に皇女和宮の通行を迎える前に木戸を立て直したのだとか。
桶川を過ぎて北本市に入ります。緑が多くなり、道路沿いの農園では葡萄の実が大きくなっています。北本ワインは造られていないのでしょうか?北本は宿場ではありませんでしたが、「立場」と呼ばれた茶屋が置かれていました。現在でも「三軒茶屋通り」という名前が残っています。
「北本宿」との表示がありますが、江戸時代の初期に宿駅はあったものの、その後現在の鴻巣の地に移されたそうです。
北本市を後にして、中山道第7番目の宿場が置かれた鴻巣市に入ります。中山道に沿って賑やかな商店街が続きます。鴻巣市は雛人形と花の街なんだそうですが、確かに人形店が多いですね。もうひとつ、麺好きの人にはたまらないのですが、うどんや蕎麦のお店も目立ちます。鴻巣は武州ですが、上州に近いのでその影響かも。
鴻巣市の加美二丁目というところで、二股の交差点の斜め左に進みます。石柱の標識があり、「熊谷宿へ三里三十二町、京三条大橋へ百二十三里六町」と書いてありました。ちょうど12時ですので、今日は熊谷宿を目指したいですね。ちなみに、ここは日本橋から十二里十八町の距離ですから、50km弱歩いたことになります。
高崎線の「第三中仙道踏切」を越えますと、中山道は歩道のない田舎道になります。交通量はさほどではありませんが、大型車が通る時には道路脇に避難しなければなりません。今日は朝から真夏の日差しで超暑く、車を気にしながら歩くのは疲れます。その上、地図が5万分の一の縮尺になったもので、幾ら歩いても地図上の距離は縮まりません。北鴻巣駅近くの蓑田追分は立場(茶屋)があったそうですが、一服したい気分にかられます。今は案内板だけが立ち、日陰もありませんのでそのまま歩き続けます。
道路の両側には青々とした田んぼが広がり、稲が力強く伸びています。鴻巣から先には目立った史跡はありませんが、たまたま「吹上町指定文化財 史跡 一里塚」というペンキの薄れた木柱を見つけました。吹上町は2005年の平成町村大合併で鴻巣市に編入されましたが、宿場は置かれなかったものの、熊谷宿と鴻巣宿の間があまりにも遠距離であったために、中間地点の地の利を活かして「間の宿(あいのしゅく)」として賑わったのだそうです。
中山道はこの先、行田を経由して熊谷宿に至りますが、空を見上げますといつの間にか青空は消え、黒い雨雲が広がってきています。昨日のような豪雨に遭うのはコリゴリなので、安全のために今日のお散歩はここまでとします。吹上駅で料金表を見ますと、帰りの電車代は千円近くになるとのこと。おまけに上野駅まで1時間もかかります。
中山道は鴻巣宿までは歩道が整備されていて歩きやすく、途中にも商店街や史跡があって面白かったのですが、ここで中山道の歩きを終えることにします。いやぁ、歴史街道の宿場巡りは楽しいですね。次はどこを歩きましょうかね?
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