07.大山道コース

[江戸庶民の息抜きともなった大山詣!]





相模国大山は雨降山(あふりやま)とも呼ばれ、そこにある大山阿夫利神社は農民から五穀豊穣や雨乞いの神として古来から信仰を受けていました。江戸時代中期以後は庶民の大山詣りが盛んになり、関東各地から大山阿夫利神社への道が多く存在しました。中でも、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る矢倉沢往還は、途中で大山付近を通ることから大山道または大山街道とも呼ばれていました。大山道は 西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれ、現在の国道246号線が近似したルートを辿っています。東海道と甲州街道の中間に位置するこの街道は、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る道でもあり、沿道には伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などの人馬継ぎ立場が置かれました。

大山道コース(一日目:赤坂御門跡から溝口駅入口交差点まで)

関東地方は今週末にも梅雨明けが宣言されるとのことです。今日は曇りの予報でしたが、朝から青空が広がってきましたので久しぶりにお出かけすることにします。中山道の次はどこにしようかとネットでいろいろ探していましたら、「大山道」という江戸時代の古道に興味を惹かれました。以前にもお散歩の途中で大山道の道標を見たことはあったのですが、どのような道かは知りませんでした。というわけで、東京メトロ南北線永田町駅傍にある大山道の始点の赤坂御門跡にやってきました。ここは何回も通ったところでしたが、大山道とのかかわりは全く気が付きませんでした。赤坂御門は江戸城外郭門のひとつで、敵の侵入を発見する施設が「見附」と呼ばれたことから、現在でも赤坂見附という地名が残っています。江戸時代、赤坂御門は神奈川県の大山に参拝する大山道の始点でもありました。



弁慶橋手前の横断歩道を渡って、国道246号線(青山通り)を進みます。鹿島本社前で一旦青山通りから外れ、「牛鳴坂」に入ります。昔はこちらが厚木通りとなっていて、急坂で路面が悪く、車を引く牛が苦しんだことから「牛鳴坂」と名付けられたのだそうです。このあたりは起伏が激しく、再び青山通りと合流する地点には「薬研坂(やげんざか)」という擂鉢状の坂もあります。形状が薬を砕く薬研に似ていることから名付けられたのだそうです。



ちょっと進んだ先の左手に小さな公園があります。「高橋是清翁記念公園」という名前で、2.26事件で暗殺された高橋是清の自宅跡なんだそうです。公園の奥に銅像が置かれている他は庭園となっていて、中華風の石像が幾つも置かれています。手にガイド本を持った外人観光客が訪れていましたが、最近はこういった地味な史跡でも外人さんをよく見かけます。ガイド本にはどんな風に紹介されているのでしょうか?



宮益坂からJR線の高架をくぐって道玄坂に進みます。大山道には多くの坂がありましたが、旧山手通りを越えた先の「大坂」は、厚木街道にあった四十八坂の中で一番大きく、また最も急勾配だったといわれています。人間はともかく、荷車を引く馬や牛にとっては地獄の苦しみだったことでしょう。



上目黒氷川神社の入口に、古い大山道の道標があります。右側に「せたがや通」、左側に「玉川通」とありますので、三軒茶屋の道標とも関係があるのかもしれません。



今春に供用開始となった首都高の大橋ジャンクションを過ぎ、池尻大橋駅の先から左手の住宅街の裏道に入っていきますと、「大山街道」の名前と旅人のイラストが入った赤いポスターがあちこちの柱に巻きつけてあります。稲荷神社の入口には「旧大山道」の真新しい石柱が建っていました。



脇には「涸れずの井戸」があり、どんなに日照りが続いても決して井戸の水が涸れることはなく、大山詣での旅人に大変喜ばれたのだそうです。



大山道は三軒茶屋で旧道(世田谷通り)と新道(玉川通り)の二手に分かれます。今回は旧道を進みます。分岐点には年代物の立派な道標が置かれ、案内板も立っています。



世田谷通りからボロ市通りに進んだところに、「大場家住宅」と「世田谷代官屋敷」の史跡があります。



茅葺の家屋と正門が残されていて、資料館も併設されています。資料館の前には大山道の道標とか庚申塔とか馬頭観音がずらりと並び、一見の価値があります。



桜小交差点から住宅地の道路に入った先の公園に大山詣での途中で一服する商人風の像が置かれています。江戸時代も後期になると、大山詣では次第に信仰は口実になり、帰り道に東海道に出て江の島や鎌倉への物見遊山の旅になってきたのだそうです。



用賀四丁目交差点を渡って用賀駅につながる「ようが商店街」には、「大山通り」という名前が付いています。大山道の名残りでしょうか?



二子玉川駅前から二子橋を渡って神奈川県に入ります。二子橋から先の道路を歩くのは初めてですが、街路灯には「大山街道」の標識が貼られています。それだけではなく、大山街道の案内板までありました。このあたりには二子宿や溝口宿が置かれ、大山詣での旅人で大いに賑わったのだそうです。道路脇には大山燈籠が置かれ、夜間に通る旅人の道標にもなりましたが、先日歩いた鮮魚街道の常夜灯を思い出します。



とある金物屋さんの店先に巨大な炊飯窯が置いてありました。NHKの大河ドラマ「黄金の日々」で、根津甚八さん扮する石川五右衛門を釜茹にしたものだそうです。何斗炊きか分かりませんが、クレーンで釣り上げて撮影所に運んだのでしょうか?



府中街道を越えた先に川崎市の「大山街道ふるさと館」があります。大山街道は既に歴史に埋もれてしまった存在だと思っていましたが、資料館まであるとは知りませんでした。



大山街道はこの先も続きますが、持参した地図が溝口までしか載っていませんので、今日は溝口駅入口交差点で中断することにします。これから先のルートが分かり辛いのでどこまで行けるか分かりませんが、歩いてみて大山道への興味が増してきました。神奈川県内のこれからの歩きが楽しみです。






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