07.大山道コース
[江戸庶民の息抜きともなった大山詣!]
相模国大山は雨降山(あふりやま)とも呼ばれ、そこにある大山阿夫利神社は農民から五穀豊穣や雨乞いの神として古来から信仰を受けていました。江戸時代中期以後は庶民の大山詣りが盛んになり、関東各地から大山阿夫利神社への道が多く存在しました。中でも、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る矢倉沢往還は、途中で大山付近を通ることから大山道または大山街道とも呼ばれていました。大山道は 西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれ、現在の国道246号線が近似したルートを辿っています。東海道と甲州街道の中間に位置するこの街道は、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る道でもあり、沿道には伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などの人馬継ぎ立場が置かれました。
大山道コース(三日目:青葉台駅前から愛甲石田駅まで)
- 所要時間:8時間35分
- 歩数: 42、412歩
- 距離: 30.5km
梅雨が明けた途端に猛暑が始まりました。今日は快晴で、夏の日差しが朝から強烈に降り注いでいます。久しく見なかった富士山ですが、いつの間にか山肌の雪は消え、真っ青な空に褐色の地肌がむき出しになっています。夕立の心配はなさそうですので、大山道の続きを歩くことにします。先日の中断地点である青葉台駅前に降り立ちますと、日曜日の早朝ということもあって駅前の道路は閑散としています。駅前から青葉台交差点まで進み、右折して西に向かいます。私の地図では、もえぎ野公園手前までは大山街道の表示がありましたが、そこから先のルートが判然としません。道なりに歩いて青葉台駅まで来たのですが、本当はもえぎ野公園交差点から国道246号線に出るのが正解なようです。青葉台交差点から緩やかな弧を描くようにして、こどもの国通りに突き当たる下恩田まで進みます。歩道がよく整備されていますので、とても歩きやすいですね。下恩田で国道246号線に入ります。2車線の道路は車が数珠つなぎになっています。皆さん、行楽地に向かっているのでしょうか?排気ガスを浴びながら狭い歩道を歩いてみますと、三宅坂まで29kmの標識が立っています。
JR横浜線の高架手前の片町交差点で、国道246号線から離れて斜め右方向に進みます。最近整備されたのか、真新しくてきれいな道路です。ふと見ますと、カラータイルが敷き詰められた広い歩道の一画に、小さなお堂と古ぼけた石碑が並んでいます。石灯籠とお地蔵様もありますね。近づいてみますと、「長津田宿常夜燈二基−下宿」と書かれた木柱が立っていました。案内板には、「(神奈川県の)県北を通る公道矢倉沢往環[大山街道]は大山参詣の道で、長津田は江戸初期から荏田とともに宿駅に指定されていました。現在、上宿と下宿に常夜燈が残され・・・」と書かれています。道路の整備に併せて、当時の庚申塔とか道祖神とか道標と共に下宿の常夜燈を移築したのだそうです。大山道の史跡はあちこちで大事に保存されているのが見て取れます。
もうひとつの上宿の常夜燈は、長津田駅南口交差点先の大石神社の境内に残っています。
長津田交差点で再び国道246号線と合流します。すずかけ台駅手前の高台は「馬の背」と呼ばれ、眺望が素晴らしいところです。遠くの山並みの中に大山が見えるそうですが、私にはどの山か見分けられませんでした。
町田市辻交差点で左斜めの道路に入り、旧道を進みます。再び国道246号線と交差する目黒交差点角に、「五貫目道祖神」の石柱があります。石柱の表面は剥げ落ちて読み取れませんが、台座には「右 大山道」の文字が見て取れます。
国道246号線を横断した先の境川を渡って大和市に入ります。観音寺前の交差点を左折し、細い裏道に入ります。日差しはいよいよ強くなり、暑さが堪えます。たまらずコンビニに入り、定番となったガリガリ君を買い求めます。ふと冷凍棚を見ますと、ペットボトルが並んでいます。最近はペットボトルのまま凍らせたジュースが売られているんですね。ついでに買い求めます。今日のような酷暑の日には冷凍のペットボトルは喉を潤すと共に体温を下げてくれますので重宝なのですが、溶ける速さが喉の乾きに追いつけません。結局はジュースと併用することになります。それはそれとして、この道路は道幅が狭い上に歩道がなく、しかも車が多くてとても歩きにくいですね。暫く進みますと、右手に「大山阿夫利神社分霊社」があります。道路の脇には、「是より東 江戸十里、是より西 大山七里」の道標が置かれています。大山街道の案内板でもあるかなと思って境内に入ってみましたが、新田義貞に縁のある神社らしく、鎌倉進撃の解説ばかりで大山街道の案内はどこにもありませんでした。
更に進みますと、道路のあちこちに案内板が立っています。江戸時代に掟を板書して街道筋などに掲示した高札場とか、旧下鶴間宿の写真付き案内板とか、当時の様子がうかがいしれて面白いです。下鶴間宿には、染物屋・居酒屋・餅屋・質屋・旅籠が並び、幕末には大いに賑わったそうです。明治初期に撮られた写真には街道に沿って建つ数軒の藁ぶき屋根の家が写っているだけで、周囲には雑木林が広がり寂しい限りです。東海道の脇街道といわれた矢倉沢往環といえども、山の中の獣道と変わりませんね。
大和市は古道の紹介に熱心なようで、あちこちに標識を兼ねた石碑が建てられています。これらの石碑は、全国の「大和」の付く市町村で構成された「まほろば連邦」の加盟国である茨城県大和村産の御影石を使っているそうです(注記:「まほろば連邦」は当初12市町村で発足しましたが、平成の大合併により多くの自治体が廃止され、2004年に連邦は崩壊しました)。
海老名市の赤坂というバス停先に、幕末の画家として知られる渡辺崋山の案内板が立っています。崋山は弟子を伴って江戸から大山街道を下りましたが、その崋山が少年期に世話になったお銀様を訪ねた際に通った案内板脇の坂道が古東海道との言い伝えがあるそうです。先日、多摩市の馬引沢で断念した古代東海道がこんなところを通っていたのですね。
海老名駅手前の目久尻川を渡った先の二股路を右手に進みますと、相模国分寺跡が公園になって保存されています。現在でも近くに国分寺というお寺はありますが、元々は公園のある場所に建てられたのだそうです。七層の塔が建っていたそうで、敷地の広さと敷石の大きさからもその規模が推し量れます。諸国に建てられた国分寺の中でも、武蔵・陸奥と並んで全国最大規模を誇ったそうです。
海老名駅から陸橋で小田急線を越え、あゆみ橋で相模川を渡ります。この辺りは水がきれいなようで、河原は家族連れで一杯です。子供たちは水遊び、大人たちはバーベキューで盛り上がっています。上流に少し戻ったところに「厚木村渡船場跡」の案内板が立っています。矢倉沢往環だけでなく、藤沢道や八王子道の旅人も利用したと書かれています。厚木はこれらの街道が交差した場所にあったために厚木宿と呼ばれ、江戸にも劣らぬ賑わいを見せていたのだそうです。
大山街道は、東名高速の厚木インター先まで真っすぐに南下していますが、途中から西に向かう旧道が延びています。大山道にもいろいろルートがあって迷います。岡田というところで西に向かい、東名高速の下をくぐって愛甲石田駅を目指します。あちこちで大山道の道標を見かけますが、古い庚申塔に混じって真新しい石柱が建てられているのを見ますと、大山道が今なお地域の人達に大切に受け継がれていることが実感できます。
愛甲石田駅から先はルートがよく分からない上に、私の地図では五万分の一の縮尺になっています。ここまで来たら大山道の終点である阿夫利神社まで行きたいところですが、どうしましょうかね?
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