08.中原街道コース

[徳川将軍縁の街道!]





中原街道は、武蔵国と相模国を結ぶ中世以前から続く古道です。小田原北条氏の時代に本格的に整備が行われ、工事の際に狼煙(のろし)をあげてそれを目印に道を切り開いたため、比較的直線区間が多くなっています。1590年に徳川家康が関東移封によって江戸入りした際もこの街道を利用したといわれ、その後東海道が整備されるまでは江戸に向かう主要な街道でした。当初は江戸城桜田門が起点でしたが、江戸城の拡張により虎ノ門が起点となりました。東海道の整備に伴って、終点も平塚市中原の中原御殿から現在の大磯町化粧坂一里塚に変わりました。徳川家康が駿府との往復や鷹狩の際の宿泊施設として小杉と平塚中原に本陣(御殿)を置いたことから、平塚の「中原」御殿に因んで中原街道と呼ばれるようになりました。中原街道は、相州街道(相州は相模国の別称)・お酢街道(中原の酢を江戸に運んだ)・こやし街道(江戸から肥しを運んだ)などとも呼ばれています。東海道の脇街道としての役割を担ったことから、東海道での大名行列の煩わしさを嫌う庶民や商人に好まれ、赤穂浪士が江戸入りした際にも利用されました。

中原街道コース(一日目:桜田門から横浜市都筑区向原交差点まで)

ここ数日、テレビのニュースではまず最初に全国の猛暑の様子が映し出されています。最高気温が38度まで上がったとか、熱中症で病院に搬送されたとか、などなど。そんなら家でクーラーをガンガンかけ、冷たいビールでも飲んでいればいいじゃんとおっしゃる方がいるかもしれませんが、電気代を節約し、ダイエットに励むためには外出するしかありません。昨日は外にいるだけで頭がクラクラするような暑さでしたが、今日も熱中症危険の予報が出ています。心頭滅却すれば火もまた涼し。。。とまではいきませんが、熱中症に用心しつつお散歩に出かけることにします。先日歩いた大山道がとても面白かったので似たような道はないかと探していましたら、馴染みのある中原街道が思い浮かびました。お散歩の途中で中原街道の標識は何度か見かけましたが、全長60kmもある歴史街道だとは思ってもみませんでした。中原街道の元々の始点となる桜田門にやってきました。桜田門は大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変で知られていますが、正式には「外桜田門」と云うのだそうです(「内桜田門」は本丸に近い桔梗門です)。外枡形をした二重構造をしているため、普段内堀通りから見えるのは外側の高麗門で、内側の渡櫓門と併せて外桜田門となります。



前置きはこれくらいにして、中原街道のお散歩に出発します。桜田門から官庁街の間を一直線に延びる国道一号線(桜田通り)に沿って進みます。左手の古風な赤レンガの建物は、米沢藩上杉家江戸藩邸跡に建つ法務省です。霞が関の官庁街でも旧文部省の建物と並んで格式を誇っています。



中原街道の始点とされる虎の門交差点の角に、小さなブロンズの虎像を冠した記念碑が建っています。虎の門はかって江戸城の城門があったところで、古代中国四神の一つ「白虎」が守る門だったのだとか。門にはタテジマの模様が入っていたのでしょうか?



三田の慶応義塾大学先の交差点で桜田通りを離れ、聖坂を進みます。この道は古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開いたことから聖坂と呼ばれるようになったそうです。「竹芝の坂」と呼ばれたという説もありますが、これは途中の亀塚公園が平安時代に菅原孝標女が書いた更級日記で紹介された竹芝皇女の遺跡とも云われていることに由来します。江戸開府以前は古奥州街道の一部だったとも云われ、歴史を感じさせる道です。



都営高輪アパートの植え込み内には、「大石良雄等自刃ノ跡」という石碑が建っています。高輪は赤穂浪士縁の地ですが、江戸入りの際に通った中原街道の傍で切腹することになるとは夢にも思わなかったことでしょう。ちなみに、高輪の地名は高台の縄手道(縄のように曲がりくねった道)に由来すると云われています。



日が高くなるにつれ、暑さが厳しさを増してきました。とあるお店に温度計がかけられていましたが、赤い針が40度を指しています。いくらなんでもそんなに高くはないでしょうに。高輪台交差点から再び桜田通りに合流します。緩やかな坂を下って行きますと、「東京オイスターバー」の青い看板が目に入ります。ナポリっぽいタイルの絵柄が目を引きますが、未だ中に入ったことはありません。こんな暑い日には、夏牡蠣によく冷えた白ワインといきたいところです。その先には五反田の歓楽街として有名な有楽街が広がっています。五反田駅東口広場を横切って、東急ストア前から中原街道に入ります。東京卸売センター(TOC)の先の中原口で道路は二手に分かれ、左側は国道一号線(第二京浜)、右側は都道二号線(中原街道)となっています。



中原街道には所々に旧道が残っていますが、首都高二号線(目黒線)高架に面したルートインというビジネスホテルの脇から入る全長1km弱の旧道は昔の街道の面影を残していると云われています。武蔵小山パルム商店街入口手前の平塚橋には道路脇に小さな地蔵堂があり、中には旧戸越村地内の旧中原街道沿道に建っていた供養塔群が並んでいます。地蔵堂にはお地蔵様や庚申塔、それに馬頭観音なども祭られています。明治初期の写真も展示されていて、品川用水路に架けられた平塚橋袂の茶屋では中原街道を往来する旅人が休息したのだそうです。



二番目の旧道は、昭和大病院前交差点から左斜め前の商店街を進み、旗の台交差点に出る短い区間ですが、特に標識はありません。環状八号線と交差する田園調布警察署前の交差点から斜め前の道に入りますが、これが三番目の旧道となります。



ちょっと進んだところが、福山龍馬、ではなく、福山雅治さんの代表曲として知られる「桜坂」です。「・・・揺れる木漏れ日 薫る桜坂・・・」という歌詞ですが、確かに、急な坂の両側には桜の大木が枝を広げ、地面には木漏れ日が射しています。赤い歩道橋と相まって、なかなかロマンチックな風景です。でも清掃車が列を成して走っているのはちょっとそぐわないですね。



余談ですが、警察署隣の弁当屋さんでは「龍馬弁」が売られていました。期間数量限定で600円とのことですが、鯨の竜田揚げとか豚の角煮でも入っているのでしょうか?



東急多摩川線の沼部駅を越えて多摩川沿いの道路を進みます。道路脇には大田区の清掃事務所がありました。桜坂で見かけた清掃車はここに出入りしているんですね。多摩川に架かる丸子橋は昔は渋滞が激しかったのですが、架け替えられて片道二車線となり、車もスムーズに走っています。橋の両側にはタイル張りの広い歩道が設けられ、多摩川を眺めながらゆったりと歩けます。



丸子橋を渡った先は二差路になっていて、左は横浜方面に向かう綱島街道、右は茅ヶ崎方面に向かう中原街道となります。



ここからは初めて通る道となりますが、途中には中原街道や史跡の案内板が多く見られます。旧原家母屋跡の記念碑によりますと、明治時代に22年の歳月をかけて完成させた総ケヤキ造りの原家の母屋は、後世のために川崎市の日本民家園に移築されたのだそうです。記念碑の脇には中原街道の道標もありました。「右 東京 10粁、左 平塚 50粁」とあります。4時間半も歩いたのに、まだ10kmしか進んでいないのかな?



中原街道は西明寺の前で直角に折れています。ここは徳川将軍の小杉御殿が置かれたことから、防御のために道筋を曲げたのだそうです。地図を眺めていて不思議に思ったのですが、それなりの理由があるんですね。



JR南武線の武蔵中原駅を過ぎますと、街道の面影はなくなり、交通量の多い普通の道路になります。歩道もあまり整備されていないため、対向する車を避けながらの歩きを強いられます。野川交差点を越えますと歩道が復活しますが、見どころのない単調な道が続きます。川崎市から横浜市都筑区に入りますと、周囲には農地が目立ちます。第三京浜の高架下をくぐった先の向坂という交差点から右斜め前の細い道に入ります。ここも中原街道の旧道になりますが、剥げかけた標識以外には何も街道の存在をうかがわせるものは見当たりません。勝田橋で早渕川を渡り、少し進んだ右手の丘に周囲とは似つかわしくない大邸宅があります。国指定の重要文化財ともなっている「関家住宅」で、江戸時代には代々名主を勤めた旧家の屋敷なのだそうです。



夕暮れが近づいてきました。この先には鉄道の駅が見当たりませんので、今日のお散歩は横浜市営地下鉄ブルーラインの仲町台駅近くの向原交差点で中断とします。それにしても今日は暑かったです。熱中症にならなかったのは、ガリガリ君3本とジュース10本位飲んだからかな?






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