09.川越街道コース

[川越の芋は、栗(九里)より(四里)うまい十三里!]





川越街道は、江戸日本橋より中山道を進み、江戸四宿のひとつ板橋宿の平尾追分で分岐し、川越城下に至る江戸時代の街道です。室町時代、太田道灌が江戸城(千代田城)と川越城(河越城)を築いた際、下総国古河を本拠とした関東足利氏(古河公方)に対抗するために、既存の古道を繋いで2つの城を結ぶ道を造ったのが始まりです。江戸時代に入って、川越藩主になった松平信綱と嫡男の松平輝綱が中山道の脇往還としてさらに整備し、川越街道(川越往還)と呼ばれるようになりました。街道には、上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の6つの宿が設置され、中山道よりも行程距離がかなり短かったために多くの通行者があり、五街道に準じる存在でした。江戸で焼き芋が流行すると、川越産の芋を使った焼き芋屋の宣伝文句として、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」という言い回しが生まれました。

川越街道コース(一日目:日本橋から地下鉄成増駅まで)

今日は暑かったですねぇ。東京は33度まで気温が上がったそうですが、陽射しが強かったこともあって、体感的にはそれ以上でした。そんなら家で。。。の誘惑に打ち勝ってお散歩に出かけます。中原街道の次はどこにしようかと思案したのですが、前々から興味のあった川越街道を歩くことにしました。街道そのものよりも、小江戸とも呼ばれる川越市内を歩いてみたかったのです。川越は江戸情緒を色濃く残す蔵の街といわれていますが、可能であれば小江戸川越七福神にも詣でてみたいものです。川越街道の都内部分は「鉄道沿線を歩く」などで成増駅までの殆どの区間を歩いているのですが、和光市より先は全く未知の道(?!)です。実際に川越街道を歩いた殆どの人は、中山道との重複区間を除いた板橋駅からスタートしているようです。でも私は厳密に日本橋からスタートすることにします。半蔵門線の三越前駅から地上に出ますと、あまりの暑さに頭はクラクラ、熱気で窒息しそうになります。歩きだす前に定番のガリガリ君と冷凍ジュースを買い求めようかと思ったのですが、さすがに天下の日本橋!コンビニが三越周辺に見当たりません。しょうがない、神田駅を目指して中央通りを進みます。ニュースで知ったのですが、連日の猛暑でガリガリ君が品薄になり、メーカーがお詫びの社告を出したのだそうです。私の買い過ぎが影響したのでしょうか?



この写真、何枚撮ったことか。。。


川越街道は板橋までは中山道と同じルートなので、今回は道路の反対側を歩くことにします。室町四丁目交差点辺りに、「石町(こくちょう)時の鐘」という史跡の案内板があります。江戸時代、幕府は人々に時刻を知らせるために「時の鐘」を本石町に設置したのだそうです。鐘つき役は代々受け継がれたそうですが、先日NHKでこんな話が紹介されました。鐘つき役は何人かで交代しながら決まった時刻に鐘をつくのですが、その中の一人が夜盲症にかかって鐘をつく時刻を間違え城下の噂になったんだそうです。本人は薄給の身で、お役御免となるのを恐れて夜盲症のことを隠していたのですが、上役に問い詰められて本当のことを話しました。仲間の窮状を知った同僚はお金を出し合い、高価な時計を買って目が見えなくても鐘がつけるようにしたのですが、時計は不良品で動きませんでした。すると同僚の一人が火縄に香料を織り込むことで匂いで時刻が分かるような仕掛けを工夫し、その鐘つき役はその後も役を勤められたのだそうです。目出度し、目出度し。。。



川越街道は板橋宿平尾の追分(正確には板橋郵便局前の交差点)で旧中山道と分かれます。首都高の高架に沿って進み、山手通りを渡って遊座大山商店街に入ります。東武東上線の大山駅の踏切を渡って、「ハッピーロード大山商店街」を進みます。相変わらずの賑わいですが、お目当ての達磨市場は定休日なのか閉まっていました。国道254号線に出て直ぐに、日大病院入口交差点から右斜め前方の旧街道に入ります。ここは下頭(げとう)橋通商店街と云うのだそうですが、江戸時代はこの辺り一帯が上板橋宿となっていたのだそうです。



ちなみに、下頭橋は石神井川に架かる石橋です。橋の名の由来は幾つかありますが、川越城主が江戸に出府の際に江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げて出迎えたというのがもっともらしいです。



下頭橋から左斜め前方に進み、板橋中央陸橋交差点に出て、再び国道254号線に合流します。上板橋一丁目の交差点から右斜め前方の旧道に入ります。練馬北町陸橋で環状八号線と交差しますが、環八は最近地下化工事が完了し、今では地下トンネルになっています。地上部分は整備され、植え込みに囲まれて「下練馬の大山道道標」が移設されています。大山道は先日歩きましたが、ここは川越街道とふじ大山道の分岐点に当たったのだそうです。道標は大小2つあって、小さい方は「左 東高野山道」、大きい方は「従是大山道」と読めます。東高野山とは板橋中央陸橋交差点脇にある長命寺のことです。阿夫利神社には参拝を成就した人達の沢山の石碑が残されていて、関東各地の講名が見受けられました。ここを通って大山まで詣でた人も多かったのでしょう。



東武練馬駅手前に「北町観音堂」があります。案内板によりますと、ここには下練馬宿が置かれたそうです。参勤交代でこの道を使ったのは川越藩主のみであったため、宿泊の必要が少なく、庶民相手の休み茶屋が数軒あっただけだとか。



赤塚壱番街という小さな通りの入口に「鎌倉古道」のプレートが入った石柱が置いてありました。何の変哲もない路地ですが、ここにも鎌倉街道が通っていたのでしょうか?



成増駅手前に、「本郷から14km 日本橋から17.2km」の表示がありました。小数点以下の表示は初めて見ました。本郷までの距離を表示する意味があるのでしょうか?



地下鉄成増駅まで来たところで今日のお散歩を終了することにします。終点の川越城まで残り20km程ですが、小江戸川越七福神巡りは叶うのでしょうか?






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