09.川越街道コース
[川越の芋は、栗(九里)より(四里)うまい十三里!]
川越街道は、江戸日本橋より中山道を進み、江戸四宿のひとつ板橋宿の平尾追分で分岐し、川越城下に至る江戸時代の街道です。室町時代、太田道灌が江戸城(千代田城)と川越城(河越城)を築いた際、下総国古河を本拠とした関東足利氏(古河公方)に対抗するために、既存の古道を繋いで2つの城を結ぶ道を造ったのが始まりです。江戸時代に入って、川越藩主になった松平信綱と嫡男の松平輝綱が中山道の脇往還としてさらに整備し、川越街道(川越往還)と呼ばれるようになりました。街道には、上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の6つの宿が設置され、中山道よりも行程距離がかなり短かったために多くの通行者があり、五街道に準じる存在でした。江戸で焼き芋が流行すると、川越産の芋を使った焼き芋屋の宣伝文句として、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」という言い回しが生まれました。
川越街道コース(二日目:地下鉄成増駅から川越城本丸御殿まで)
- 所要時間:6時間59分
- 歩数: 36、569歩
- 距離: 26.3km
今日も暑かったですねぇ。朝方は少し風があって過ごしやすかったのですが、午後は陽射しが強くて肌が焼けそうでした。今日は川越街道の続きを歩きます。一昨日の中断地点である地下鉄成増駅に行こうと思って有楽町線に乗ったのですが、ふと気が付くと電車は地上(高架ですが)を走っています。変だなぁ、この前成増駅から帰るときは地上に出なかったのになぁと思って練馬駅に着いたところで電車を降りて確認してみますと、有楽町線には和光市方面に行く電車と西武池袋線に行く西武有楽町線の電車が混在していたんですね。どうも西武有楽町線の電車に乗ってしまったようです。しょうがない、小竹向原駅まで戻って電車を乗り換えます。今日は出足が遅かったので、結局成増駅に着いたのは11時過ぎでした。川越まで20km以上はある筈なのですが、夕方までに辿りつけるのでしょうか?
成増駅を出て国道254号線を進みます。国道254号線はこの先切通しの坂を下っていきますが、埼玉県との県境になる少し手前で右手に分かれる旧道に進みます。ほどなく急勾配の坂道が現れます。新田(しんでん)坂というのだそうです。坂の途中には、新田坂周辺に置かれていた道祖神とか地蔵様とか常夜灯が集められた小さな広場があります。常夜灯は文政13年(1830年)に建立されたとかで、道標も兼ねていたそうです(大山の地名が入っているとのことですが、私には判読できませんでした)。
新田坂の少し先に白子川が流れています。川に架かる白子橋には、「くつが鳴る」の歌詞が書かれたプレートがはめ込まれています。作詞の清水かつら(男性ですぞ!)は「叱られて」なども作詞しましたが、関東大震災後にこの白子に移り住み、生涯を送ったのだそうです。
川を渡った先は白子宿が置かれたところで、白子宿通りという名前が今でも残っています。この辺りの地形は武蔵野台地の末端にあたるとのことで、かなり起伏があります。大坂通りを上っていきますと、左手に鬱蒼とした木々が茂った「白子・大坂ふれあいの森」という緑地が広がっています。道路も木陰になって風が通り、歩いていて気持ちがいいですね。笹目通りを渡った先には、「くらやみ坂」が緩やかに続いています。昔はどうだったか分かりませんが、今は燦々と陽が降り注ぐフツーの坂です。
坂の下に茅葺屋根をトタンで覆った巨大な屋根の民家があります。先祖は旗本の代官を勤めた豪農だったそうです。隣の地中海風の瀟洒なアパートとは奇妙なコントラストをしています。
巨大な東京外環道を越え、国道254号線と並行して延びる旧道を進みます。暑さは徐々に増し、途中のコンビニで定番となったガリガリ君と冷凍ジュースを買い求めます。品薄になっているとのニュースの通り、ソーダ味のガリガリ君は売り場に見当たりません。やむなくチョコ味にしますが、これも結構いけますね。朝霞警察署前のバス停で道路は二手に分かれています。右手の細い裏道が旧道になります。私は見落として左側の道を進んだのですが、緩やかな下り坂が続いて膝折坂下というところに出たところで間違いに気が付きました。今更戻るのも大変なので、一乗院参道から逆向きに膝折坂に行ってみました。町名に膝折が付くほど定着した坂ですが、1423年に常陸の国を追われた判官の馬の膝が折れたほどの急坂ということに由来するのだそうです。坂の上から見ますと、西日暮里の富士見坂と眺望が似ていますね。この辺りは膝折宿が置かれたところで、どっしりとした古民家の軒先には「村田屋 旧膝折宿脇本陣」の碑が建っています。
左側の写真が膝折坂で、右側の写真が旧膝折宿脇本陣村田屋です。
黒目川に架かる大橋を渡り、庚申塔のある二股の分岐点で左側の急な坂を上ります。取りたてて見るべきものもなく、野火止下交差点で再びふたつの道路は合流します。JR武蔵野線の高架下を通って大和田地区に入ります。ここは大和田宿が置かれたところですが、道路脇の一段高くなったところに「鬼鹿毛の馬頭観音」があります。案内板によりますと、昔秩父の小栗という人が江戸に急用があり、愛馬の鬼鹿毛に乗って道を急ぎました。大和田宿に入るとさすがの鬼鹿毛も疲れが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れました。しかし、ただちに起きあがり主人を目的地まで届けたのだそうです。所用を終えた主人が馬を留めたところまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えません。不思議に思いましたが仕方なく家路を急ぎました。やがて大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡きがらを見つけました。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたというのが鬼鹿毛の伝説です。
柳瀬川を英橋で渡った先に浦和所沢バイパスのインターがあります。ここから旧道は国道254号線に合流するのですが、車は格段に増え、排気ガスと排気熱が容赦なく降り注いできます。道路も狭く、とても歩きにくいですね。三芳町に入りますと、石垣の土台に整然と植えられた欅の大木が中央分離帯となって延びています。先頭には「川越街道」と書かれた大きな石碑が置かれています。こんな素晴らしい並木道が残っているのは、今まで歩いた中では川越街道だけです。並木道は少し間を置いて2区間あります。2番目の区間は松が主ですが、背が高く枝ぶりが見事なので見ごたえがあります。
三芳町の先は大井宿が置かれたふじみ野市となります。暑さで注意力が散漫になたのか、「大井宿と本陣跡」の標柱を見落としてしまいました。本陣といっても、川越藩主の参勤交代は江戸に近いため宿泊することはなく、休憩と人馬継ぎ立てのみ行われていたのだそうです。旭というところの二股路で左側の旧道に入ります。旧川越街道と地蔵街道が交わる地点を「角(カド)」と呼ぶそうですが、ここに「角の常夜燈」が建っています。大山阿夫利神社に参拝する際に、亀久保村から最初の曲り角に建っていたことからこの名が付いたのだそうです。
いよいよ川越市内に入ります。ここから国道254号線とは別れ、真っ直ぐに川越市内に向かいます。日は傾きましたが、夕日が眩しいですね。もう一度ガリガリ君をかじって最後の区間を歩きます。今回は梨味にしたのですが、こちらは私の好みの味ではなかったです。東光寺の先に「開明地蔵大菩薩」が祀ってあります。近くに刑場があったので「首切り地蔵」と呼ばれているそうですが、地蔵様の首はちゃんとつながっていました。
国道16号線の手前に鳥頭(うとう)坂があります。新河岸川舟運が盛んだった頃は荷揚げされた荷物を市内の問屋街に運ぶ時に必ず通らなければならず、難所として知られていたのだそうです。
現在は石段になっていますが、当時は杉並木がうっそうと茂った坂道だったそうです。
国道16号線の歩道橋を越えますと、いよいよ川越の町中に入ります。川越市役所まで真っ直ぐに北上するのですが、途中に城下町特有の枡形に曲がったカーブがあります。敵の侵入をここで食い止めるためだそうです。古い造りの民家も多く、街並みは昔とあまり変わっていないようです。
市役所前交差点を右折して、川越街道の終点の川越城本丸御殿に向かいます。夕暮れが近づいて、辺りは薄暗くなりかかっています。「川越城中ノ門堀跡」の史跡もありましたが、既に閉門していました。ようやっと本丸御殿に辿りつきます。
私は城ということで、三層とか五層の天守閣をイメージしていたのですが、何と本当に御殿のような建物なんですね。残念ながら現在は改修中で中には入れませんが、宮殿のような独特の外観にはある種の感動を覚えました。来年3月には改修工事が終わって再公開されるそうですから、是非また来てみたいものです。
左側の写真が現在工事中の本丸御殿で、右側の写真が工事前の本丸御殿です。
本丸御殿の向かいには三芳野神社があります。童謡の「とおりゃんせ」は三芳野神社の参道が舞台になっていると云われています。神社が川越城内の天神曲輪に位置したことから、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるために帰りの参詣客が警護の者によって厳しく調べられ、「行きはよいよい 帰りは怖い」となったんだそうです。何で行きの段階で調べなかったのでしょうか?
川越の街を代表する風景に「川越の時の鐘」があります。環境庁が「残したい日本の音風景百選」として認定しましたが、下から見上げると驚くほど巨大な造りになっています。蔵の続く街並みも川越の名物です。古い建物を活かしながら、現在でも生活の場として大切に使われています。
すっかり夕暮れになったので楽しみにしていた小江戸川越七福神は回れませんでしたが、帰り道の「蔵づくり一番街」を歩いていた時に蓮馨寺の福禄寿神の案内板を見つけました。川越城本丸の改修が終わったら、七福神詣でを兼ねてまた川越を訪れたいものです。
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