10.日光御成街道コース
[将軍様の御成りぃ〜〜〜!]
日光御成街道は中世以来の鎌倉街道を前身とし、将軍が徳川家康公の命日(四月十七日)に日光東照宮へ社参する際に利用した日光街道の脇街道として江戸時代に整備されました。本郷追分(文京区弥生一丁目)で中山道から分岐し、幸手宿で日光街道と合流します。大手門から幸手宿までの距離は13里30町(約51km)で、岩淵宿・川口宿・鳩ヶ谷宿・大門宿・岩槻宿・幸手宿の6宿がおかれました。岩槻藩の参勤交代に使われたことから「岩槻街道」とも呼ばれています。
日光御成街道コース(一日目:皇居大手門から鳩ヶ谷市昭和橋交差点まで)
- 所要時間:6時間2分
- 歩数: 30、189歩
- 距離: 21.7km
立秋を過ぎて、心なしか暑さが和らいできました。空には鱗雲が広がり、先週までの力強い入道雲とは明らかに違います。とは云っても、残暑の厳しさはこれからが本番です。今日は曇りがちで陽射しは凌げたのですが、暑いことには変わりありません。川越街道の次はどこを歩きましょうか?いろいろネットで調べ、似たような感じはありますが、日光御成街道を歩くことにします。日光御成街道は本郷追分で中山道と分かれますが、御成街道と云うくらいですから、やはり将軍と同じように大手門から出発することにします。夏の時季、埼玉県北部地方は午後になると雷雨に遭うことが多いので、早朝から歩き始めることにします。大手町駅の長〜〜〜い地下通路を歩いて、大手門にやってきました。日曜日の早朝で門は閉まっていましたが、皇居のお堀に沿った歩道はジョギングに取り憑かれた大勢のランナーで一杯です。心は先日募集が始まった来年の東京マラソンに飛んでいるのでしょうか?
将軍は大手門を出て直進し、大手町交差点を左折して本郷通りを北上したそうです。私はちょっと寄り道して、今まで行く機会のなかった将門首塚を訪れることにします。三井物産ビルの脇にあるとのことでしたが、人工池の方に行ったためか見つかりませんでした(この人工池はカルガモ親子が内堀通りを渡って皇居のお堀に引っ越すことで話題になりました)。大回りしてようやっと将門塚を見つけますと、年配のグループが塚の清掃をしておられました。平将門は武士の先駆けとして坂東八ケ国を平定し、治世の改革を行いましたが天慶の乱で敗れ、首級は京都で獄門に架けられました。三日後、首級は白光を放って東方に飛び去り、この地に落ちたのだそうです。このような伝説が残っているためか、東京のパワースポットのひとつとしても知られています。将門は弱きを助け強きを挫く性格から民衆の篤い信望を受け、今でも将門塚保存会によって塚の清掃が行われているのだそうです。さきほどのグループも保存会の方々なのでしょうか?
小川町交差点を右折し、須田町交差点を左折すると中山道に合流します。現在は神田川を昌平橋で渡りますが、昔は50m程下流に架けられていた見附橋を渡ったのだそうです。本郷追分で旧中山道と分かれます。ここには江戸時代に一里塚が置かれたそうですが、今はその痕跡すら残っていません。二股路を右に進みますと、道路脇に「将軍御成道 岩槻街道」の案内板が立っています。将軍は江戸城を発って岩槻城に一泊し、古河城・宇都宮城に泊まって日光に入ったそうです。大手門から岩槻城まで35km程ですから、一日で歩くには相当な距離です。昔の人は健脚だったんですねぇ。
本郷通りをひたすら進みます。この界隈には見どころが多く、正行寺のとうがらし地蔵、浄心寺の布袋像、駒込土物店(つちものだな)跡、南谷寺の目赤不動、八百屋お七縁の吉祥寺、芥川賞作家三浦哲郎の名作「忍ぶ川」縁の鮨店「思い川」、六義園、旧古河庭園などなど、時間があれば立ち寄ってみたいものです。西ヶ原一里塚は旧中山道の志村一里塚と並んで、一対の完全な形で現存する都内では数少ない史跡です。
現在の本郷通りは飛鳥山の前を真っすぐに通っていますが、御成街道のルートは王子駅をぐるっと回り込むように迂回していました。音無川(石神井川の別名)を渡るためでしょうか?十条富士塚を過ぎ、環七を歩道橋で渡って清水坂を下ります。赤羽駅の高架下を通って、直ぐに高架沿いに進みます。突き当たりのT字路に寶幢院というお寺があります。門前に江戸時代中期に造立された古めかしい道標があり、「東 川口善光寺道・日光岩付(槻?)道 西 西国冨士道・板橋道 南 江戸道」とあります。
右折して東に向かいますと、北本通りに入ります。ここには岩淵宿が置かれたそうですが、現在では殆ど痕跡は残っていません。その先で新荒川橋を渡ります。新河岸川と荒川の2つの川を跨ぐ長大な橋ですが、手前の川は新岩淵水門の先で隅田川になっています。荒川を渡りますと埼玉県になります。荒川大橋交差点を左折し、細い坂道を下りますと小さな緑地があります。奥には「鎌倉橋の碑」があります。それによりますと、鎌倉橋はかつて荒川のかたわら舟戸が原を流れる小川に架かる橋だったそうです。ここから奥州へ向かう枢要な鎌倉街道が延びていたことから鎌倉橋と呼ばれるようになり、源義経も平泉から挙兵した際に通ったのだそうです。
昔は鋳物の町、今は高層マンションが林立する川口市を北上します。ここは川口宿が置かれたところですが、御成街道にかかわる案内板はどこにも見当たらず、単調な歩きが続きます。鳩ヶ谷市に入りますと、急に鳩ヶ谷宿の案内板が目につきます。江戸時代、この辺りは鷹狩が盛んで、鳩ヶ谷宿以南は将軍家、以北は紀伊徳川家の鷹場になっていたそうです。境界には「紀伊殿鷹場定坑」という杭が建てられていました。同じ徳川家でも縄張り意識があったのでしょうか?
鳩ヶ谷は日光街道と中山道の中間にあったため、千住道・草加道・越谷道や戸田道・蕨道などが放射状に延びていました。
今日は浦和美園辺りまで歩こうかと思っていたのですが、昭和橋交差点に差し掛かったところで雨粒がポツリと落ちてきました。見上げますと、朝方青空に浮かんでいた鱗雲は真っ黒な雨雲に隠され、怪しい空模様になっています。天気予報では埼玉県は晴れとのことでしたが、鳩ヶ谷駅も近いことだし、今日のお散歩はここで中断とします。
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