12.東海道コース

[東海道9次膝栗毛!]





律令時代、各道に派遣された官人が諸国を巡察する為に国府を駅路(幹線官道)で結んだのが東海道の起源です。律令時代の東海道の道幅は中世や江戸時代より広く、直線的に建設されました。中世に大半が廃れましたが、1601年に徳川家康によって「五街道整備」が制定され、日本橋から三条大橋に至る宿駅(当初は39宿、後に53宿となりました)と関所(箱根・新居)が設けられ、東海道松並木や一里塚も整備されました。明治政府は幹線道路の呼称に番号付きの国道を用いるようになり、東海道は現在の国道15号線と国道1号線に受け継がれました。時代によって部分的に異なる経路もありますが、関東地方と近畿地方を結ぶ機能は律令時代から同じであり、現在においても東海道の重要性は変わっていません。一般的に、「東海道」と云えば江戸時代の東海道の道筋を指します。

お散歩で京都まで歩くわけにはいきませんので、コースの終点は箱根湯本までとしました。

東海道コース(一日目:日本橋から神奈川通東公園まで)

相変わらず暑い日が続きますねぇ。せめて気温が30度を下回ってくれれば随分と凌ぎ易いのですが。天気予報では、今後1週間は晴天の暑い日が続くそうです。家でビールばかりも飲んでいられませんので、今日はお散歩に出かけすることにします。今回は街道の代表格である東海道を歩きます。といっても、お散歩ですから東京から日帰りできる範囲内ということになります。ネットで調べましたら、小田原辺りが限界のようです。東海道には53の宿場が設けられましたが、小田原は品川宿から数えて9番目の宿場町(品川宿・川崎宿・神奈川宿・程ヶ谷(保土ヶ谷)宿・戸塚宿・藤沢宿・平塚宿・大磯宿・小田原宿)になりますので、東海道9次膝栗毛(膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること)ということになりますかね。東海道の起点は日本橋になります。街道を歩くシリーズで日本橋から出発するのは6回目です。これまでの5回は全て北方向に歩きましたが、今回は初めて南方向に歩きます。日本橋は徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年に初めて架けられたと云われています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋としましたが、これは日本橋が重要な水路であった日本橋川と交差する場所にあり、江戸経済の中心であったということにも起因します。



日本橋から街道巡りに出発するのは今回で六度目です。日本橋は現在の石造りの橋に架け替えられて百周年になったのを記念して、橋面と側面の改修工事中でした。


日本橋から銀座に向かって国道15号線(中央通り)を進みます。中央通りには京橋・鍛冶橋・新橋など、「橋」の付く地名が目立ちます。京橋の地名は、京橋川に架けられた橋ということに由来するのだそうです(東海道を日本橋から京に向かって最初の橋という説もあります)。鍛冶橋は外堀に架かっていた橋、新橋は汐留川(新橋川)に架かっていた橋なのだとか。ついでに浜松町の由来を書きますと、遠江(静岡県)浜松出身の権兵衛という名主がこの地を治めたからなのだそうです。お散歩で目にした地名の由来を辿るのも面白いですね。



昨夜のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」では、木戸孝允(桂小五郎)と西郷隆盛の会見の場面がありましたが、西郷隆盛と勝海舟が江戸無血開城を巡って会見したのが田町の薩摩邸です。現在は跡地にビルが建っていますが、江戸時代にはこの裏手まで海岸が迫っていたのだそうです。波音を聞きながらの緊迫した会見だったのでしょう。



その先には「高輪大木戸跡」があります。江戸の南の入口として、道幅10mの旧東海道の両側に石垣を築き、夜間は通行止めにして治安の維持と交通規制の機能を果たしたのだそうです。京登り・東下り・伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ、茶店などもあったとか。



品川駅前の京品ホテルは遂に解体工事が始まったようです。昭和初期に建てられたレトロな建物は趣のある外観でしたが、次はどんな建物になるのでしょうか?5本のJR線路を跨ぐ八ツ山橋を渡って旧品川宿に入ります。京浜急行の踏切を越えた先から、旧東海道品川宿が続いています。両側は商店街になっていますが、道幅は当時と同じだそうです。あちこちに案内板があり、史跡を訪ねながら歩くのは楽しいですね。早速、「土蔵相模跡」の案内板を見つけます。旅籠屋を営んでいた相模屋は外壁が土蔵のようだったので「土蔵相模」と呼ばれていました。1862年、攘夷論者だった高杉晋作らはここで密議を凝らし、品川御殿山に建設中だった英国公使館の焼き討ちを決行したのだそうです。



品川宿は目黒川によって南宿・北宿に分かれ、それぞれに本陣が置かれました。北品川宿の本陣は、明治維新後に京都から江戸に向かった明治天皇の宿舎にもなったそうです。立会川に架かる浜川橋手前を川沿いに進みますと「浜川砲台跡」があります。「この先ペリー艦隊黒船が見える!!」という刺激的な文句に惹かれて行ってみますと、確かに巨大な黒船が見えます。砲台の警護に動員された坂本龍馬も立っていますね。工事用の塀に描かれているようですけど、工事が終わったらどうなるのでしょうか?



浜川橋は「涙橋」とも呼ばれています。橋を渡った先の鈴ヶ森刑場で処刑される罪人と、密かに見送りに来た親族たちがこの橋で共に涙しながら別れたのだとか。



鈴ヶ森刑場で八百屋お七は火炙りにされ、丸橋忠弥は磔にされたそうですが、土台の石に開けられた穴の形が違うのが気になっていました。火炙台は丸い穴、磔台は四角い穴になっています。思うに、火炙りでは丸い鉄柱に、磔では角柱に縛り付けたためにそうなったのだと気が付きました。どちらにしても私は御免こうむりたいものです。



再び国道15号線に合流しますが、平和島口交差点の先で美原通りに入ります。こちらも旧東海道で、当時の道幅をよく残しているのだとか。ちなみに、美原通りはもともと三原通りと呼ばれ、この地区の南原・中原・北原をまとめたのだそうです。900mほど続く商店街を歩いていますと、「東海道53次ウォーク」と書かれたTシャツを纏った男女のグループと出会いました。後で調べましたら、東京のある大学の学生イベントらしいです。全ルートを歩くわけではないようですが、夏休みのいい思い出になりますね。



多摩川を六郷橋で渡ります。橋を下りた先から川崎宿が始まります。道路の両側には史跡の案内板が多く建てられ、旧東海道にかける川崎市の意気込みが伝わってきます。川崎宿には62軒の旅籠があり、大層賑わったそうです。宿場入口にあった万年屋という茶屋は奈良茶飯で有名だったそうで、弥次さん・喜多さんも食べたのだとか。川崎宿には本陣が3つ置かれましたが、その中で一番大きかったのが田中本陣です。参勤交代の緩和によって江戸時代後期には衰えましたが、明治天皇の東幸の際には昼食を摂ったのだとか。それに対してアメリカ駐日総領事のハリスは田中本陣の荒廃ぶりに驚いて宿を万年屋に替えたのだそうです。国民性の違いですかね。



京急八丁畷駅手前に「麦の別れ」の案内板があります。1694年に松尾芭蕉が郷里の伊賀の国に帰る際に門人たちとお別れをした場所で、川崎宿の外れに当たります。「畷」とは田畑の中を真っすぐに延びる畦道という意味だそうです。畦道が八丁続いていたので「八丁畷」という地名になったのだとか。折しも時は麦の実る6月。芭蕉は「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と詠んだそうです。芭蕉はこの年の10月に大阪で亡くなりましたので、これが江戸の門人たちとの最後の別れになりました。



京急の八丁畷駅の次は鶴見市場駅になります。私はてっきり公営の市場があると思ったのですが、駅名は昔からある市場村という地名に由来するのだそうです。市場はありませんが、ここには「市場村一里塚」の記念碑があります。ここは江戸から五里目の塚に当たり、昭和初期まで榎の大木が繁茂していたのだそうです。



鶴見川を渡った先に「鶴見橋関門旧跡」の案内板があります。1859年の横浜開港と共に、外国人への危害を防止するために横浜に通じる主要道路の要所に関門や番所を設け、横浜に入る不審者を厳しく取り締まったのだとか。



京急鶴見駅のガード下を抜け、国道15号線と交差して生麦魚河岸通りを進みます。魚河岸は見当たらず、魚屋さんが何軒か目立つ程度で結構寂れた商店街です。とある民家の前に「生麦事件発生現場」の案内板が建っていました。でも、実際に事件が起きたのは、この先の国道15号線と合流する地点の方らしいです。事件の真実は今となっては分かりませんが、案内板には薩摩藩士に同情的な説明が書いてありました。



石碑の裏手にはキリンビールの広大な横浜工場があります。敷地面積17万平米だそうで、巨大な工場棟やタンクが遠望できます。元々は横浜の山手に開設されたビール醸造所が起源で、関東大震災後に生麦に移設したのだそうです。地名の生麦に惹かれたのかどうかは定かではありませんが。工場内には見学者用の施設もあります。無料で出来立てのビールが味わえるとのことで、私もお散歩を中断して入館したのですが、以前無料ビール目当ての人が多かったのか、現在は1時間程のツアーに参加しないとビールにはありつけないとのこと。今日のところは時間がないので見学は諦めます。残念!



再び国道15号線を歩き、浦島町という交差点先の路地に入ります。京急の神奈川新町駅に隣接して「神奈川通東公園」があります。ここには江戸時代から長延寺というお寺があり、横浜開港当時にはオランダ領事館に充てられたとのことです。昭和40年に区画整理で長延寺は移転し、跡地は公園になりましたが、ここから「神奈川宿歴史の道」が始まります。



神奈川宿に着いたところで今日のお散歩は終了とします。あまり期待していなかったのですが、旧東海道には結構見所が多いですね。これから先が楽しみです。






戻る