14.下妻街道コース
[下妻物語の舞台を訪ねて!]
下妻街道は、中川の自然堤防上に築かれた古道です。前九年の役(1051年〜1062年)と後三年の役(1083年1087年)の際、陸奥(青森県と岩手県の一部)の安部時頼の討伐に向かった源頼義・義家らが通ったとされ、鎌倉時代には鎌倉と常陸・陸奥各地とを結ぶ主要道路として重んじられていました。徳川幕府によって水戸街道が整備されるまでは、下総と常陸の国を江戸につなぐ主要路にもなっていました。江戸時代に入ると、日光街道と水戸街道の中間に位置したことから、茨城県下妻方面への脇往還として利用され、この名前がつきました。現在でも、埼玉県の柿木町には街道跡が残され、昔を偲ばせる風情があります。現在では地図上で下妻街道の名前を見かけることは殆どありませんが、足立区の綾瀬川近くを通る区間は別名「花畑街道」と呼ばれています。街道の起点は足立区の千住で、終点は奥州街道と合流する栃木県さくら市(旧喜連川町)の連城橋南詰です。尚、茨城県の下妻(しもつま)市は、深田恭子と土屋アンナの主演映画「下妻物語」の舞台となったところです。
お散歩で喜連川まで歩くわけにはいきませんので、コースの終点は築西市冨士美陸橋までとしました。
下妻街道コース(三日目:野田市愛宕神社前交差点から関東鉄道常総線三妻駅まで)
- 所要時間:8時間37分
- 歩数: 50、292歩
- 距離: 36.2km
ここのところ、はっきりしないお天気が続いています。昨日は夕方まで雨でしたが、今日は関東一円が晴れの予報です。日曜日に道に迷ってドローとなった下妻街道の歩きをやり直すことにします。改めて中断地点の愛宕神社前から先の距離を見積もってみますと、下妻までは50km弱あります。道に迷わなくても到底一日で辿りつける距離ではありません。もう一度計画を立て直します。愛宕神社前から小山の渡し跡を巡って利根川に架かる芽吹大橋までは11km、そこから下妻街道沿いで鉄道が利用できる北水海道までは20km、北水海道から下妻までは18km、下妻から下館までは15kmあります。つまり、愛宕神社前から64km歩く必要があるのです。今日は取り敢えず北水海道を目指すことにします。朝の8時過ぎに東武野田線の愛宕駅に降り立ち、愛宕神社前交差点に向かいます。下総野田の愛宕神社は古くから火伏せ・防火に霊験のあることで知られ、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと云われています。野田の開墾に伴い、野火・山火事・士豪による兵火などの火の災難を防ぐために、京都市右京区の愛宕の里から分霊した火伏の神を祀って氏神としたとのことです。「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕神社は月詣り」と看板に書かれていましたが、うまいキャッチコピーですね。
日曜日に道を間違えた悲劇の交差点までやってきました。今日は「成田山」の道標に惑わされることなく左にカーブして、県道17号線(流山街道)を進みます。次の信号は左T字路になっていますが、直ぐ先に右T字路があります。つまり、四つ角の交差点ではなく、鍵型にずれた形になっているんですね。標識は何もありませんが、そのまま進んでいきますと「船形 142」の標識が現れます。船形南の交差点で国道16号線を渡り、ようやっと県道142号線に入りました。ここから小山の渡し跡までは一直線の道のりです。
少し進んだところで、道路脇に古い道標を見付けました。天明二年と読み取れますので、天明の大飢饉に見舞われた江戸時代中期の1782年に建てられたものと思われます。「右 む??? つくば道」とありますので、下妻街道の道標だったのかもしれません。
万里の長城のように聳える利根川の堤に近づくにつれて、道路の両側には見渡す限り田んぼが広がっています。稲刈りは殆ど終わったようですが、切り取った茎からは青々とした芽が伸び、田植え後のような緑に覆われています。私の好きな茨城のコシヒカリもここで収穫されたのでしょうか?小山の渡し跡に近づくにつれて、道幅はどんどん狭くなっていきます。舗装はしてあるのですが、農道のような感じです。驚くことに、こんなところにもバスが通っているんですね。「野田市まめバス」という名称で、運賃は全線100円のようです。ちょうどやってきたバスはマイクロバスのような小型の車体でした。乗客は誰もいませんね。利根川の堤下に「小山(おやま)」という折り返し所があり、一日5本のバスが運行されているようです。小山の渡し跡の案内板でも建てればもっと乗客が増えるでしょうに。
利根川の土手上に登りましたが、渡しの跡を窺わせるようなものは何もありません。茫洋と流れる利根川と広大な河川敷が見渡せるのみです。昔はここから船に乗って対岸まで渡ったのでしょうけど、現在はもちろんそんな渡し船はありません。でも、対岸には船着き場がありますね。ひょとして!と思ったのですが、川魚を獲る小舟の係留場のようでした。川の水は結構濁っていましたが、獲った魚は食用になるのでしょうか?ちなみに、ここは海から107kmの地点だという標識が立っていました。
川を渡る手段がありませんので、ここから南下して芽吹大橋を渡り、対岸の渡し跡まで大きく迂回します。これがおおよそ6kmあり、1時間半ほど余計にかかるのが辛いところです。芽吹大橋は50年ほど前に架けられたとかで、かなり老朽化が進んでいます。下流側に歩道橋が併設されていますので、歩行者や自転車は安心して通れます。橋の中ほどが千葉県と茨城県の県境になります。
利根川は坂東太郎と呼ばれますが、橋を渡ると坂東市になります。千葉県側の土手上には舗装されたサイクリングロードがありましたが、茨城県側は途中から舗装されているものの、橋の近くは砂利道になっています。ちょうど小山の対岸と思しきところから道路は土手を離れ、集落の中に入っていきます。こちら側にも渡しの跡らしいものは見当たりません。でも、地名が同じ「小山」になっていますので、昔は千葉県側と一体になっていたのかもしれません。
利根川で一旦途切れた(千葉)県道142号線が茨城県側でも再び現れます。(茨城)県道142号線は茨城県と千葉県を結ぶ県道ですが、1958年以前の渡し船時代のルートが元になっているからなのだそうです。むむっつ?してみれば、1958年までは小山の渡しが存続していたということなのでしょうか?更に調べてみますと、芽吹大橋は1958年に完成したそうですから、これが渡しの廃止につながったのでしょう。せめて下妻街道と小山の渡しの案内板でも設けて頂きたいものです。
県道142号線を北上します。下妻街道はこの先の坂東市内で国道354号線となりますが、どこで合流するのか分かりません。最短となる大利根カントリークラブに沿った道路を進みます。沿道のところどころには、「日本女子オープン ギャラリー駐車場」と書かれたノボリが立っています。私はゴルフに詳しくはないのですが、日本女子オープンといえば有名女子プロの殆どが出場するビッグタイトルみたいです。大利根カントリークラブって、そんなに名門のゴルフ場なんですかね?
坂東消防署前の交差点で右折し、国道354号線をひたすら東に進みます。郊外の幹線道路といった感じで、下妻街道の痕跡は全く見かけません。「将門蕎麦」なる看板がありましたが、坂東市は平将門と縁の深いところです。今回は時間がなくて行きませんでしたが、市の北方には将門を祀った国王神社があります。将門は天皇の地位を僭称し、自らを新皇として即位して関東八州を制圧しましたが、坂東市の岩井というところで討たれて戦士し、将門の三女であった如蔵尼によって国王神社が創建されたのだそうです。蕎麦とどういう関係があるのでしょうか?
坂東市は利根川と鬼怒川に挟まれていて、市内には鉄道路線がありません。水海道までバスで出れば関東鉄道の常総線を利用できますが、何かと不便ですね。ところが、国道354号線には東京日本橋行きの直通バスが走っているのです。1時間に1本と本数は少ないですが、お散歩で行き倒れになっても東京に帰れるとは有り難いことです。
常総市に入りました。稲刈りの終わった田んぼには水が張られ、沢山の鶴が餌をついばんでいます。北関東の冬の風物詩というにはあまりにも季節が早いですが。常総市は水海道市が石下町を編入合併して誕生したそうですが、今でも水海道の地名は至る所で見かけます。ちなみに、読み方は「みなかいどう」ではなく、「みつかいどう」です。「千姫となごみの街」がキャッチフレーズで、徳川秀忠の長女千姫が当地の弘経寺に本堂を寄進し、遺言により分骨されたのだそうです。千姫コロッケなるものも売られていますが、千姫とコロッケには何か関係があるのでしょうか?
鬼怒川を豊水橋で渡ります。初めて鬼怒川を目にしましたが、利根川にも劣らぬ大河ですね。ちなみに、鬼怒川は野田市の北で利根川に合流します。
橋を渡って諏訪町交差点で左折し、御城橋を渡ります。橋を渡った先の左手に御城公園があり、かっての水海道城の跡と云われています。鬼怒川を防御線にした水城だったそうですが、城の存在を示す何の案内板もありませんでした。
下妻街道は水海道二高の先の森下町交差点で県道357号線と合流し、石下まで鬼怒川に沿って北上します。今日は北水海道駅でお散歩を終了する予定でしたが、まだ夕暮れまで時間がありますので、もう少し先まで行くことにします。中妻駅の入口を見落とし、更に北上します。次の三妻駅までは3kmほどあります。三妻とは妙な地名ですが、単に三坂村と中妻村の両地名から合成されたのだそうです。この辺りには妻の付く地名が多いですね。長妻議員もこの地方の出身なのでしょうか?
さて、三妻駅まで1kmほどになったところで道路から歩道がなくなりました。道路の両側は土手になっていて、転落防止のガードレールが続いています。直ぐに歩道が現れるだろうと高を括って、車の途切れる瞬間を待って少しずつ進みます。大型トラックが通りますと、ガードレールに張り付けとなります。進むのも引き返すのも危ないし、生きた心地がしません。ふと見ますと、土手下に降りる階段がありました。天の助けと県道を降り、土手下の道路を伝って何とか三妻駅に辿りつきました。県道357号線がこの先どうなっているか分かりませんが、下館はおろか下妻まで行くのも無理かなぁ?
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