17.五日市街道コース

[都心に残る旧道の痕跡!]





五日市街道は、徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材・炭などを江戸に運ぶために整備された街道です。五街道などの幹線道路ではなく、農産物の運搬や小金井桜の花見など、沿道の村々の生活道路の性格を持っていました。江戸時代の街道の呼び名は、伊奈道・砂川道・青梅街道脇道・青梅街道裏道・江戸道・小金井桜道・長新田道・五日市道など様々でしたが、明治以降になって五日市街道に定着しました。東京都杉並区梅里で青梅街道から分かれ、吉祥寺・砂川・牛浜の渡し・伊奈宿を経て五日市宿に達する全長約42kmの道です。善福寺川の七曲りや横田基地付近などの一部を除き、現在の五日市街道(東京都道7号杉並あきる野線)の道筋とほぼ一致しています。

五日市街道コース(一日目:杉並区梅里五日市街道入口から立川市砂川七番交差点まで)

10月半ばまでの暑さはどこへやら、今日から急に冷え込んできました。秋を飛ばして一気に冬になったような気分です。今日は特に北風が強く、体感温度は真冬の1月並み。午後になって曇ってきたこともあって、寒い一日となりました。季節外れの台風が近づいているとのことで、残念ながら週末のハロウィン仮装行列は中止せざるを得ませんね。先日の暗闇&山中&土砂降りの東金街道の悪夢が癒えぬまま、懲りもせず街道歩きを再開します。今日は都心部の歩きが中心ですので、万が一雨が降り出しても即退却できるでしょう。今回はちょっと地味ですが、五日市街道を歩きます。ということで、地下鉄丸ノ内線の新高円寺駅にやってきました。地上に出ますと、目の前は青梅街道です。駅出口の交差点に五日市街道入口の標識がありますが、これは現在の五日市街道を整備する際に造られたもので、実際はひとつ西側の信号のT字路が旧五日市街道の起点になります。何もそれらしき標識はありませんが、「ロングヒル高円寺ビル」の手前の道としておきましょう。



そこまで拘っても、100mほど南に進むと現在の五日市街道に突き当たります。正面に大法寺を見て右折します。地図の上では現在の五日市街道は善福寺川の先まで真っすぐに延びていますが、旧道は成田東3丁目信号の先の「やまだや」というお店の向かいで左斜め前の路地に入り、関東バスの五日市営業所手前まで、現在の五日市街道を筋違い気味に5回斜めに交差しています。この区間は「善福寺川の七曲り」と呼ばれています。



「ハセガワ理髪店」の脇から入る2番目の区間の曲がり角には、「民間信仰石塔」の案内板と共に、二体の地蔵塔と一体の馬頭観音塔が祀られています。地蔵菩薩は冥界と現実界の境に立って人々を守護することから村の安全を守る菩薩とされ、また馬頭観音は馬の守護神として、村の境や路傍・辻、あるいは馬捨場に建立されたのだそうです。



この石塔の南側の道路は五日市街道の旧道で通称「白幡の坂」、西側の道路は「馬橋みち」と呼ばれた古道で、共に急坂の難所区間だったそうです。七曲がり区間には、ここ以外に旧道の史跡はありませんが、緩やかな曲がり具合は今まで歩いてきたいろんな旧道と同じですね。



高井戸北陸橋で環八を越えた少し先にも「民間信仰石塔」の案内板が建っています。こちらは、「長生きするためには、六十日に一回巡ってくる庚申の夜は身を慎み、諸善を行い、夜通し眠らないで過ごすべきである」という中国の道教説に基づいた庚申塔を祀ってあります。石塔脇には藤の木が枝を広げ、「庚申の藤」と呼ばれる樹齢三百年の古木だそうです。今でも藤棚には青々とした枝葉が巻き付いています。



五日市街道沿線には欅の木が多く見られますが、とある民家の前に「大宮前の巨欅」という手書きの紙を貼った案内板がありました。当主の方が書かれたものらしく、個人で史跡の案内板を建てられるのは珍しいですね。それによりますと、この家の屋敷林に立っていた樹齢三百五十年の欅の大木は区道の整備や下水道工事によって根幹が切断され、排気ガスやスモッグの影響もあって、惜しまれつつ昭和五十六年に伐木されたのだそうです。巨欅に対する当主の愛着が感じられますね。



西荻に入って、道路脇に「西荻六地蔵」の旗と共に、小さな釘抜き地蔵が祀ってありました。苦しみを抜き取るという意味の「苦抜き地蔵」から、いつしか「釘抜地蔵」に変わったのだそうですが、お洒落な街の西荻に苦しみなんてあるんでしょうか?



環八の先から北西に真っ直ぐ延びていた五日市街道ですが、関前の武蔵野大学前で左に折れています。長い直線区間が多い五日市街道ですが、東金街道ほどは続いてはいないようですね。ここから境橋までは千川上水と並行しています。この区間の千川上水には今も水が流れ、樹木で覆われた歩道は恰好の散歩道になっています。ちなみに、千川上水は元禄九年(1696年)に将軍の立寄先である小石川御殿・湯島聖堂・東叡山・浅草寺御殿などに給水することを主な目的として造られたそうですが、江戸市中の飲料水や農地の灌漑用水としても大きな役割を果たしたとのことです。



境橋交差点で右折し、今度は玉川上水に沿って小平までほぼ真っ直ぐに進みます。玉川上水は承応三年(1654年)に玉川庄右衛門・清右衛門の玉川兄弟によって完成された江戸の飲料水供給のための上水路ですが、武蔵野台地の各地にも分水され、武蔵野の開発に大きな役割を果たしたとのことです。玉川上水は昭和40年の淀橋浄水場の廃止によって一旦は水流が途切れましたが、東京都の清流復活事業によって再び水流が戻ったのだそうです。玉川上水沿いの歩道は武蔵野の面影が色濃く感じられ、お散歩するには最高ですね。玉川上水は当初、上水路の清浄と美観を保つために両岸の堤に杉と松を植えて美化に努めましたが、八代将軍吉宗の時代に大岡越前守忠相の命により、古来から桜の名所であった大和の吉野山と常陸の桜川から桜の苗種を取り寄せ、現在の小金井橋を中心とした玉川上水の堤に6kmにわたって植栽したのだそうです。これが評判になって江戸市中から花見客が五日市街道を通って訪れるようになり、五日市街道が別名「小金井桜道」とも呼ばれるようになったのだそうです。



小平十小北三叉路を右手に進みますと、「いろりの里・四季亭」の大きな看板が現れます。長〜〜〜い塀沿いに進みますと、竹林の中に茅葺の離れが点在した懐石料亭の入口があります。ぼんぼりに明かりが灯り、琴の音も流れて高級感が漂います。10月末までの期間限定の松茸懐石コースもありますが、今夏の異常な暑さの影響で国産の松茸を入手するのは大変だろうなぁと心配になります(私には関係ないですが)。



玉川上水から離れ、現在の五日市街道に戻ります。国分寺市を経て、立川市に入ります。段々と夕暮れが近づいてきました。「砂川十番」という交差点がありますね。立川市には、砂川一番から砂川十番まで番号の付く地名がありますが、これは年貢を納める縦割りを西から順に一番から10個割り振ったことに由来するのだそうです。十番から順に七番まで来た交差点の脇に多摩モノレールの砂川七番駅がありました。



空も暗くなってきたし、今日はここでお散歩を終えることにします。ちょうど五日市街道の半分を歩いたことになりますが、後半には山沿いの区間があるみたいです。東金街道の二の舞にならなければいいのですが。。。






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