17.五日市街道コース

[都心に残る旧道の痕跡!]





五日市街道は、徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材・炭などを江戸に運ぶために整備された街道です。五街道などの幹線道路ではなく、農産物の運搬や小金井桜の花見など、沿道の村々の生活道路の性格を持っていました。江戸時代の街道の呼び名は、伊奈道・砂川道・青梅街道脇道・青梅街道裏道・江戸道・小金井桜道・長新田道・五日市道など様々でしたが、明治以降になって五日市街道に定着しました。東京都杉並区梅里で青梅街道から分かれ、吉祥寺・砂川・牛浜の渡し・伊奈宿を経て五日市宿に達する全長約42kmの道です。善福寺川の七曲りや横田基地付近などの一部を除き、現在の五日市街道(東京都道7号杉並あきる野線)の道筋とほぼ一致しています。

五日市街道コース(二日目:立川市砂川七番交差点から武蔵五日市駅前まで)

今日は久しぶりの秋晴れでした。ほぼ一日中富士山が拝めましたが、頂上には白いものが。最初は雲がかかっているのかと思っていましたが、既に2−3合目まで冠雪しているんですね。11月に入ったので当然と云えば当然なのでしょうけど、季節の移り変わりを感じます。今日は五日市街道の残り区間を歩きます。私が持ち歩いている多摩地方の地図は、あきる野市の西半分が10万分の一の縮尺になっています。つまり、五日市街道の終点である武蔵五日市駅までの最後の4km程の区間が地図に頼れないのです。東金街道の恐怖の記憶が蘇ってきますが、今日は雨の心配はなさそうなので大丈夫でしょう。という訳で、早朝の通勤時間帯に中央線で立川を目指します。東京から立川方面へは下りなので車内は空いているだろうと思ったのですが、最近は通勤事情が様変わりしているようで、車内は満員状態で、立川で下車するのに一苦労したくらいです。職場や学校が郊外に移転しているのでしょうか?立川駅から多摩モノレールに乗って砂川七番駅を目指します。モノレールは高架を走っているので、車窓からは間近に迫った山並みがよく見えます。富士山もきれいに見えますね。気のせいか、都心から見るよりもかなり雄大さを感じます。多摩モノレールは旧立川基地の東側に沿って延びていますが、旧立川基地の跡地は東半分が官庁や学校の敷地に、西半分が昭和記念公園になっています。そのせいか、下りでも結構乗客は多いですね。先日の中断地点である砂川七番の交差点に降り立ったのは8時半でした。今日は20kmほどを歩く予定なのですが、東金街道の恐怖の暗闇がトラウマになっているのか、早朝の出立となりました。



砂川七番の次の交差点は砂川五番になります。水戸街道や東金街道でも見かけたのですが、都内の立川にも立派な長屋門がありました。建物はそんなに古くはありませんので、旧家の名残りというわけでもなさそうです。邸内には、巨大な柚子が鈴なりに実っていました。最初はザボン(文旦)かと思ったのですが、それにしては皮が皺くちゃですね。



砂川三番交差点の手前の道路脇に小さな井戸があり、「砂川地区と井戸」の案内板がありました。それによりますと、砂川地区は江戸時代の新田開発によって誕生したのだそうです。新田開発には、農業用水と生活用水の確保が何よりも重要ですが、農業用水は玉川上水から引いた砂川分水で、生活用水は井戸を掘って確保したのだそうです。この辺りでは、「マイマイズ井戸」と呼ばれる、スリバチのように掘って螺旋状に通路を付けた大規模な井戸があったと云われています。砂川地区は水脈が深かったため、何軒かが集まって掘り、共同で使っていたのだとか。昔の人の苦労が偲ばれますね。



砂川三番交差点の先に流泉寺というお寺があります。砂川の新田開発のために移り住んだ人々の菩提寺として建てられたお寺ですが、明治時代にはここが村の教育の中心になり、現在の立川市立第九小学校の前身に当たる学校があったそうです。境内には、「砂川の教育ここに始まる」の石碑が鎮座しています。



道路に面した真新しい門柱の裏には、「壇頭総代 砂川XX」の名前が掘られていましたが、この方はお寺の斜め前に大豪邸を構える旧砂川村の名主さんの子孫のようです。旧家が散在する砂川地区ですが、この方のお住まいは桁外れの豪邸です。道路から門に至る通路脇には手入れの行き届いた植木が茂り、邸宅内はうかがい知れませんが相当な広さに思えます。維持費だけでも大変なお金がかかるのではないかと、他人事ながら気になります。



砂川一番バス停の先の残堀川を渡ります。ここの100mほど北で玉川上水と残堀川が交差しますが、両方の水が混じらないようにするためにサイフォンの原理を応用した立体交差の仕組みになっているのだそうです。明治時代になって残堀川の汚れが激しくなり、玉川上水の水質を守るために考えられた方法だそうですが、川の立体交差とは驚くべきアイデアですね。



天王橋で再び玉川上水に出会います。砂川分水はこの天王橋の北詰から引かれていたそうです。雨上がりのせいか、玉川上水の流れは白濁して水量も豊富でした。西砂郵便局前で現在の五日市街道は二股路の左側に折れますが、旧道は西砂川街道となって米軍横田基地まで真っすぐに延びています。旧道は西砂中里交差点の先で横田基地のフェンスに突き当たり、そこで一旦途切れます。基地内には入れませんのでフェンスに沿って基地の南側をぐるりと迂回することになります。横田基地は沖縄以外では日本で最大のアメリカ空軍の基地なのだそうです。残念ながら軍用機の離発着は見られませんでしたが、滑走路に続く導入灯が一斉に点滅する光景はなかなかの見ものです。



旧道は西砂中里交差点の先から反対側の第五ゲート前まで消滅し、第五ゲート前交差点から再び五日市街道となります。



八高線と青梅線の踏切を越え、牛浜橋で玉川上水を渡ります。江戸時代の牛浜橋は木橋だったために壊れやすく、明治10年に眼鏡橋と呼ばれた石橋に代わったそうです。現在の牛浜橋は昭和52年に架け替えられましたが、橋脚が眼鏡の形をしているかどうかは確かめられませんでした。ちなみに、橋の下を流れる玉川上水は、ここから3kmほど上流に設けられた多摩川からの取水口の羽村堰が起点となっています。



「大坂」と呼ばれた長い坂を下って奥多摩街道を歩道橋で渡り、多摩川中央公園まで進みます。ここから西の方角には高い建物がないため、奥多摩の山並みが一望できます。特に今日は空気が澄んでいるのか、山々の峰が鮮明に見えます。「眺望案内板」にはパノラマ写真が添えられていて、峰ごとに山の名前が記してあります。特徴のある峰が多いので、どの峰が何という山なのか簡単に識別できます。一番奥の山には鷹の巣山という名前が添えられていました。1985年に日航ジャンボ機が墜落した山の名前を連想させますが、そうではありません(日航機が墜落したのは群馬県の御鷹巣山です)。



多摩川の土手を歩いていましたら、河川敷に何やら石碑が見えました。そばに近よってみますと、「史蹟 石濱渡津跡」と彫ってあります。この近くに、多摩川を渡る五日市街道で唯一の石浜渡船場があったのだそうです。石浜にはもうひとつ歴史があります。武蔵野の合戦と呼ばれていますが、足利尊氏が観応三年(1352年)に武蔵国人見原(現在の府中市)・金井原(現在の小金井市)で新田義興・義宗(新田義貞の子)勢と対戦した際、尊氏方は苦戦を強いられてここ石浜に逃れましたが、その後、尊氏は窮地を脱して新田勢を打ち破ったのだそうです。もっとも、石碑の裏には、「勇ましいかな新田の最少郎(新田義興)、差原(小手差原)に賊(足利尊氏軍)を駆れば皆な奔狂す」と記してありました。関東の人は新田贔屓だったんですね。ちなみに、「石浜」という地名は、現在の「牛浜」に相当するのではないかという説が有力だそうです。渡し場の名前に「石濱」と「牛浜」の二種類があるのもこのためと思われます。



多摩橋で多摩川を渡りますと、あきる野市に入ります。五日市街道には珍しく道路がカーブした先に二宮本宿という交差点があります。今は何の面影も残っていませんが、ここには二宮宿という宿場があったのだそうです。



更に進みますと、都立秋留台公園があります。山里に近いためか、紅葉が始まった木々が散見されます。あきる野市役所の先で滝山街道と交差し、JR五日市線の秋川駅北口を経て、圏央道の高架下をくぐります。遠くに大観覧車が見えますが、東京サマーランドでしょうか?渕上バス停の先から旧道に入ります。別に何の史跡が残っている訳でもなく、直ぐに阿伎留病院入口という交差点で五日市街道に合流します。五日市まで4kmの標識が現れました。未だ午後の1時過ぎですので、東金街道の悪夢は再来しないでしょう。ここから先は手書きの地図が頼りですが、ラッキーなことに武蔵増戸というところに五日市駅までのお散歩マップがありました。この先2ケ所で旧道を通るのですが、分岐点が確認できて助かりました。



山田という交差点手前から最初の旧道に入ります。地域には不釣り合いなほど巨大な校舎の増戸小学校と中学校の前を通り、五日市街道に合流しますが、史跡らしきものは何も見当たりません。合流地点に「塩地蔵尊 千日堂跡」の碑が建っていますが、何も解説がないので由来は分かりません。



新秋川橋の手前から二番目の旧道に入ります。秋川を見下ろす高台の道路で、さきほどのマップには「ながめのよい坂道」となっていました。三内橋というところで五日市街道に合流しますが、その交差点を横断して幻の旧道に入ります。武蔵五日市駅の手前で五日市街道に戻りますが、これが旧道かどうかは定かではありません。ま、とにかく終点の武蔵五日市駅に着きました。



午後2時前で、予想したよりかは早かったですね。駅の高架のホームには電車が停まっています。東金駅で寒さに震えて電車を待った悪夢が思い起こされ、駅前を探索することなく改札を走り抜けます。エスカレータを駆け上がって発車直前の電車に飛び乗りました。ヤレヤレです。五日市街道にはそんなに史跡はありませんが、割と歩道が整備されていますので、お散歩感覚で歩くにはちょうどいいですね。






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