島原・ともなが酒店







17時間もの長いバスの旅を終えてなんとか島原の町に辿り着いたのですが、さすがに疲れました。島原は7年前に普賢岳の噴火で全国的に有名になりましたが、それ以前にも天草の乱を引き起こした板倉藩の領地として、また『島原の子守り歌』の舞台としても知られていました。今回の旅の目的は、お盆の伝統行事として長崎県地方に昔から伝わる精霊船を担ぐためにやって来たのです。『精霊船』は、長崎出身のさだまさしさんが若かりし頃歌ってヒットしましたが、初盆を迎える家々が、竹と藁で造られた船を海に流し、親族一同で最後のお別れをする行事です。見た目は華やかで幻想的ですらあるのですが、肉親にしてみれば故人をお見送りする最後の行事になります。

実際に精霊船を海に流すのは8月15日の夜なのですが、その前に船を造らねばなりません。竹と藁で出来ているとはいってもオモチャではありません。今年の船は、初盆の家が3軒あるというので『2間半』の長さと決まりました。何が船の長さを決める要因かといいますと、船に付ける提灯の数なのです。提灯は、初盆の家に親類縁者・友人知人が送り届けたものを、お盆の期間中に仏間のある部屋に吊るしておき、15日に精霊船にのせて海に流します。有力な家が精霊船を出すとなると、その提灯の数も半端な数ではなく、1軒一艘ということもあります。何軒の家が初盆を迎え、それぞれの家にどれ位の数の提灯が集まるかによって提灯を吊るす竹の数と長さが割り出されます。計算器では無理です。長年の経験と勘が全ての世界です。

従って、船の大きさとか材料となる竹や藁や縄の必要量の見積もり、それに組み立てる際の作業指示などは町の長老の独壇場です。今年は71歳になる町内会の長老が最後の船造りの指揮をとることになりました。昔は大農家の大黒柱として馬をも担ぐ位の力持ちだったそうですが、さすがにお年を召してこれ以上の力仕事は無理とのことで、町内会の若い衆へ精霊船造りの技術を継承する最後の機会とおっしゃっていました。日本では高齢化が進んできていますが、この地でも例に漏れず20−40代の青年・壮年層が極端に少ないのです。従って精霊船の技術を受け継ぐ若い人といっても、50歳代のいいおじさん達になります。2間半の大きさになりますと庭では造れません。道路脇の歩道で船造り開始です。皆さんお仕事を持っていますので、作業開始は夕方6時となります。未だ少し明るい時間帯です。先ず、道端にムシロを敷きます。これが船底になるのです。次に太い青竹を3本並べます。これで船底を形作る訳です。



手前の後ろ向きになっているおじいさんが今回の船造りの総監督兼設計者兼作業主任です。


次に短めの太い青竹を横に渡します。これが船の枠になります。青竹と青竹を糊でくっ付ける訳にはいきません。縄で丁寧に縛っていきます。縛るといっても単に結わえるだけではダメです。結び方があるのですが、これは稲束を結わえるやり方に似ています。稲刈りをしたことのない私にはサッパリ分かりません。おじいさんは一回だけ実演してくれますが、それ以上聞いたら怒鳴り飛ばされてしまいますので見よう見真似でやるしかありません。おじいさんがおっしゃるには、今回の最大の誤算は結わえる縄が足りなくなってしまったことだそうです。下手な結び手が多かったせいか、随分縄を無駄にしてしまったのが原因とか。。。



立って眺めている人は、ボケッとしているのではなく縄の結び方を勉強しているのです。


驚いたことに、おじいさんはいきなりムシロの外に出ている青竹部分をハンマーで叩きにかかります。餅つきの杵以上の力が要る筈ですが、おじいさんは次々と青竹を砕いていきます。まわりの人達はただおじいさんを呆然と眺めるだけです。



皆さん大分結び方が会得できてきたようです。今度は更にムシロを被せ、青竹にしっかりと結び付けます。



相変わらず見ているだけの人がいますねぇ。。。


次に、砕かれて柔らかくなった部分の青竹をエイヤッと折り曲げて縦に並べます。これが船の骨組みとなります。



オヤ、何か不都合が見つかったかしら?


青竹を縦に折り曲げた状態で船を横に寝かせ、今度は提灯を下げる細めの竹を横に渡し、骨組みの青竹にしっかりと結わえます。提灯は3段になりますので、てっぺんは3m以上の高さになります。この上に人が登って蝋燭に火を点けますので、人間の体重を支えるだけの強度が必要です。縄を結わえる手にも力が入ります。



全部骨組みの竹を結わえ終わったら再び船を起こします。この頃になるとあたりは夕闇につつまれます。



ここで要所要所に釘を打ち込み更に固定します。竹に釘を打ち込むのは結構難しい作業です。下手な人がやると、折角組み立てた骨組みが壊れてしまいます。おや、隣では何をやっているのでしょうか?



技術のない人達は、船造りの隣で巨大な縄を編んでいます。神社に奉納するしめ縄のような大きさです。真ん中に青竹を置いて、そのまわりに藁を束ね、その上を縄で結わえていくのです。横綱のしめ縄を作るのと似ています。ヨイショ、ヨイショと掛け声をかけながら藁を縄で縛っていくのですが、皆の力が揃わないとデコボコになってしまいます。そうなったらまた縄を巻き戻してやり直しです。4本のしめ縄を作るのにたっぷり1時間はかかってしまいました。このしめ縄を船の胴体にするのです。



ライトまで持ち出しての作業になります。電源はどこからとるのでしょう?


最後に舳先の部分にムシロを被せ、木の枝で飾ります。このムシロを竹に結わえ付けるのがまた一苦労です。。。



舳先に3つの線香立てを付けるとやっと完成です。総監督は未だやり残した個所があるとのことですが、もう夜の10時になりました。今日の作業はおしまいです。完成した精霊船を台車に乗せて近所の家の庭に保管します。勿論、船造りで藁屑の散乱した歩道は皆さんできれいにお掃除します。



そこでハイ・サヨウナラと終わらないところが都会と違います。共同作業の後には宴会がつきものです。地べたの上に座り込んで、町内会差し入れのビールとお酒、おつまみで思い思い疲れを癒します。こういうところがまた町内のコミュニケーションの場となる訳です。



それにしても皆さんよく飲まれますねぇ。。。


さて、13日に精霊船が出来上がったら14日は中休みです。あれから普賢岳がどうなったのか見に行きましょう。島原市は有明海に面し、市の後方には直ぐ眉山が迫っています。300年振りの噴火で有名になった普賢岳は眉山の後ろに位置します。あの当時、もし眉山がなかったら今の島原市は存在しなかったでしょう。眉山が丁度普賢岳と市街地の間にあって堰の役割を果たしたおかげで、近隣の町村は大きな被害を受けましたが、島原市街地は何とかあの火砕流から逃れられたのです。



写真左手の恐竜が寝たような山が眉山です(実際に顔の部分まで含めて恐竜にそっくりです)。眉山の背後に土砂が堆積しているのが見て取れます。


未だ工事中ですが、現在この眉山の背後を迂回する道路が建設されています。途中まで完成していて車で行くこともできます。丁度道路が途切れるところに展望台があり、普賢岳から押し寄せた土砂が谷を埋め尽くしている様子が目の前に迫って凄い迫力です。まわりの木々は未だに立ち枯れていて、凄まじかったであろう火砕流が偲ばれます。



案内板の前は噴火前は大きな谷だったところです。如何に凄まじい量の土砂が流れ出たか想像だに出来ません。


市街地に隣接する最も被害のひどかった地域は今大規模な治山工事が行われています。聞くところによりますと、2000軒以上もの家屋が火砕流による焼失、土石流による倒壊、もしくは土砂に埋まってしまったそうです。そういった家々を集めて記念館が作られています。噴火に関する資料と併せ、一度は訪れてみたいところです。



新築の家も多数土砂に押し潰されたそうです。


島原では復興に向けたいろんな試みがなされていますが、この『ガマダスビール』もその一つです。GAMADASというのは、『元気を出す・頑張る』という意味の島原地方の方言ですが、名前はともかく、なかなか変わった味をしています。かなり濃い色(黒褐色)をしていてギネスビールのような風味です。そのうち東京でも物産展にお目見えするかもしれません。



さて、15日になりました。夕方になると保管されていた精霊船が道路に引き出されます。この時点ではまだ竹の骨組みだけです。昨年までは伝統にのっとって、最初から最後まで人が精霊船を担いでいましたが、寄る年波には勝てず長老の一声で台車に乗せて運ぶことになったのだそうです。町内会でもかなり反対意見が出たそうですが、なにしろ若い人がいないもので仕方ありません。都会の御神輿と違って、藁で出来た精霊船はずっしりと重く、しかも突き出た藁がチクチクと顔面とか首筋を刺すので担ぎ手も大変なのですぅ。。。



台車に引かれた精霊船は初盆の最初の家に向かいます。庭に置きますと、2間半といっても相当な大きさです。先ず、家から提灯を運び出します。結構な数ですねぇ。運び出された提灯は下の方から順番に竹に吊るされます。これもひとつひとつ縄で結び付ける訳ですから大変です。運ぶ人、渡す人、結わえる人と流れるように作業が進んでいきます。全部提灯が下がったら、そこの家で用意されたお酒とおつまみを頂きます。単にお礼をするという意味だけでなく、元気をつけるという意味もあります。昔は亡くなった方への供養として、精霊船同士が激しく練り合い毎年必ずケガ人が出たそうですから、お酒でも飲まないととてもそんな危ない練りまわしは出来なかったことでしょう。



3軒の家を回って提灯を全部付けたら、ナント全ての竹にピッタリ収まったのです!これにはビックリしました。まさに神業としかいいようがありません。その後、海岸に向かいます。台車を引きながら、『ナマイドー!ナマイドー!』と声を揃えます。例年と違って、引っ張るだけで担いでいないのでイマイチ掛け声にも迫力がありません。100m進んでは給油と称してビールにお酒、それにおにぎりやら焼き鳥やら、やたらと飲み食いするのでお腹はパンパンに膨らんでしまいます。背広姿に復帰できるのかと不安は募りますが、それでも飲むわ食べるわ。。。海に近づいたところで、一斉に灯篭に火を入れます。何しろこの小さな精霊船でさえ、100個以上の提灯を付けているのですから船全体が暗闇に浮き上がる程の明かるさになります。電気の光と違って、提灯の明かりは何か幻想的な美しさです。



たった4km程の道のりでしたが、海岸に到着するまでに4時間以上を要しました。昔は町内によっては船を流す順番待ちで明け方まで待たされることもしばしばあったようですが、最近は流す場所を分散したためかあまり待ち時間はありません。台車に乗せたまま精霊船を砂浜まで運びます。

と、指揮官がここで精霊船を降ろして練りまわすとのお触れを出します。えっ、そんなの聞いてないよ!と皆はザワつきます。でも、やはり精霊船は盛大に練りまわさないと故人は浮かばれません。50代の青年も一斉に船にかかります。掛け声と共にあの精霊船が担ぎ手の肩の上に持ち上がりました。私もへっぴり腰で担ぎ手に加わります。練りまわすといっても結構激しい動きです。前後に進むのならともかく、船を回す時が大変です。端っこを担いだ人は引きづられてしまいます。そうなっても手を抜く訳にはいかないのです。誰かが手を放した瞬間に船は傾いてしまいます。下手をすれば横倒しになってしまうのです。何しろ船の上には100個以上の火の点いた提灯がぶら下がっていますので、少しだけ傾いても提灯に火がついて燃え上がってしまいます。砂浜では特に動き辛く、足を石ころに滑らすともう大変!石にぶつかろうが滑りそうになろうが必死で船にすがりつきます。なんとか無事練りまわしも終わりました。これで亡くなった方も心置きなくあの世に行かれることでしょう。沢山の見物の人からも盛大な拍手が沸きあがります。



最後に、精霊船は一艘の小さな漁船に引かれて海に出ます。有明海のあちこちでも何隻もの精霊船が流されていきます。あのおじいさんの造った精霊船は完璧でした。海に浮かんでも姿勢を保ったまま沖合いに出ていきます。名残惜しそうにこちらを何度も振り返っているようです。亡くなった方が最後のお別れをするように。。。



海水に浸かりながらも、船が自力で引けるようになるまで海に入って精霊船を押していく人が真の担ぎ手です。誰ですか、砂浜から写真を撮っている人は!


私のお勧めのワインは次の通りです(説明文はラベルから転記しました)。

(白) ドイツ: ZELLER SCHWARZE KATZ (1998)

ドイツで最も伝統ある醸造元の一つ
GUSTAV ADOLF SCHMITT (グスタフ・アドルフ・シュミット)社


『ツェラー・シュワルツ・カッツ』は、モーゼル河流域、ツェル村で造られたワインです。シュワルツ・カッツとは、『黒猫』の意味ですが、ソフトな口当たりとフレッシュな香りがすがすがしく、ファンの多いワインです。ビギナーから飲みなれた方まで幅広く楽しめます。やや甘口のQbA格付け白ワインで、10℃位が飲み頃です。

お馴染みの黒猫ヤマト。。。でなく、シュワルツ・カッツのワインです。ドイツ風には『シュヴァルツ・カッツ』と言った方がいいかもしれません。

いつもの甘く、やや果実っぽい酸味のある味です。誰にとっても美味しいのですが、飲んだ後は更に赤ワインを飲みたくなるから不思議です。



(赤) 南アフリカ: LANDSKROON (1996)

1692年の創業以来、南アフリカを代表するワイン産地であるパール地方の南西斜面に栽培条件の良い葡萄園を持ち、ワインを造り続けているデ・ヴィリエ家5世代にわたるワイン造りに注がれた情熱の結実がランドスクルーン社のワインです。このワインはカベルネ・ソーヴィニヨン種の葡萄から造られた辛口の赤ワインです。

パール地方のワインを飲んだかどうか覚えていませんが、地図によりますとケープタウンからちょっと内陸部に入ったところに位置するようです。南アフリカは南半球にありますが、南西斜面でも日当たりがいいのでしょうか?

この赤ワインは、ちょっとドライ過ぎて赤ワインの風味があまり感じられませんでした。久しぶりに南アフリカのワインを飲んだのですが、いろいろな味があるものですね。











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