グラナダ・フラメンコショー
ロス・タラントス
アルバイシンへと通じるチャピス坂の東側一帯がサクロモンテの丘になります。ヒターノ(ジプシー)の人達は丘の斜面に穴を穿ち、そこで暮らします。この洞窟住居では、冬は暖かく夏は涼しく過ごせます。また、サクロモンテにある洞窟住居内のタブラオでは、ジプシーの迫力あるフラメンコショーが楽しめます。フラメンコショーが夜遅く始まる(21時30分と23時の2回)のと、サクロモンテがフリーの観光客には行きづらいところにあるため、市内のホテルにはフラメンコショーと送迎バスによる夜のアルバイシン散策ツアーの付いたチケットが用意されています。フリーの観光客はこのチケットを利用すると何かと便利です。(そうでない場合もありますが。。。)
アルハンブラ宮殿の見物(見学)が午前中に終わってしまいましたので、午後どうやって時間を潰すか思案します。今夜は、夜9時30分に送迎バスに乗ってフラメンコショーを観に行く予定にしています。パラドールでディナーを食べる時間的な余裕はありませんので、昼間グラナダ市内を見物ついでに地元の名物料理でも食べてみようと思います。ゴメレス坂をぶらぶらと下りて行きますと、グラナダスの門を過ぎたあたりから坂の両側に土産物屋さんが軒を連ねています。ここには、寄木細工で作られた家具やコースターなどの小物を扱うお店が何軒かあり、グラナダの手頃なお土産物として人気があります。
ゴメレス坂を下りた先がヌエバ広場になります。ここにはバス停が幾つもあり、アルハンブラバスとか市内循環バスの起点ともなっています。近くにはホテルも沢山あるのですが、何となく建物がくすんだ感じもします。とりあえず、大通りを南の方に歩いて行きます。どうでもいいですけど、このあたりは昼間というのにやけに寂しいですね。大通りの両側に並ぶお店は軒なみにシャッターを下ろしています。あれ、もしや。。。と思いましたら、どうやらシエスタに時間帯に入ったようです。ちょっと裏道に行こうものなら、人間はおろか猫の子一匹見かけません。さすがに、裏道を歩くのはちょっと不安ですね。急いで少しは人通りのある道にでます。お腹空いたぴー。。。
シエスタの時間帯もさることながら、昼下がりのグラナダは気が遠くなるような猛烈な暑さです。せっかくですからお馴染みのパエリアを食べたいな。。。と、あちこちのレストランをチェックしましたが、なかなかそれらしいお店は見つかりません。ようやくカテドラル近くのビブランブラ広場にあるテント張りのレストランにパエリアの看板を見つけました。まあ外観はイマイチな感じですが、水分。。。いや、セルベッソを補給するためにちょっと一休みしていきましょう。どっこいしょ。。。
テントの中には幾つもテーブル席があって結構広いのですが、他に誰もお客さんの姿は見えません。お店はオープンしているとのことですので、セルベッソとから揚げとイカスミのパエリアを注文します。とりあえず、から揚げをつまみながらセルベッソで喉を潤します。から揚げには山のようなポテトフライが付いています。ふーーーむ、何だかマクドナルドでビールを飲んでいるようでイマイチですね。
暫くしてパエリアが運ばれて来ました。でも出来たて!という風ではありません。ちょっと干乾びた感じで期待外れですが、お客さんに合わせていちいちお米から炊き上げるのは大変ですからね。大した量ではなかったのですが、お腹は一杯になります。テントとは云っても日除けのようなものですから、風でも入らないと涼しい訳はありません。あまりの暑さにどこか冷房の効いた建物に入ることにします。
ビブランブラ広場の直ぐ近くに、土産物屋さんが立ち並ぶ裏道があります。ビルとビルの間に挟まれた細い裏通りですが、ワゴン車などに積み込まれたお土産用の小物が溢れています。取り立てて買うものもないので、カテドラルに入ります。
イサベル女帝の眠る王室礼拝堂
グラナダをキリスト教徒の手に取り戻し、レコンキスタに終止符を打ったイサベル女帝は深くグラナダを愛しました。彼女はこの地に墓所を定め、1504年9月13日にメディナ・デル・カンポで勅令を発し、エンリケ・エガスの設計・指揮の下、建立に着手しました。同年イサベル女帝は亡くなり、夫のフェルナンドも1516年に完成を見ずに亡くなりますが、1521年の落成と共に両王の遺体はここに安置され、今も永い眠りについています。グラン・ビア・デ・コロンからカテドラルの脇を入りますと、土産物屋さんが建ち並ぶ通りの右側に入口があります。現在、建物としてはカテドラルの一部のようになっていますが、カテドラルよりも古く、歴史的・美術的な価値は大きいと評価されています。
礼拝堂
礼拝堂の正面は、カルトゥハ修道院の正面玄関に見られるものと同じくプラテレスコ様式で、控えめながらここが王の墓所であることを厳かに示しています。礼拝堂はゴシックの流れを汲むトルダノ様式で、キリスト教両王時代の16世紀の様子を今に伝えています。金細工で飾られた鉄格子の向こうには、カレラの大理石に彫刻された王の墓が見えます。右側に両王のイサベルとフェルナンド、左側に娘フワナと夫フェリペが眠っています。スペインという統一国家の複雑さを暗示するように、それぞれ別の方角を向いて横たわり、その遺体は地下の棺に安置されています。祭壇には、数代のローマ法王により王に捧げられた聖遺骨が保存されていて、この種のものとしては第一級の価値があります。また、ビガルニー作のプラテレスコ様式の装飾衝立には、キリスト教を物語る数々の彫刻がはめ込まれています。その精緻なまでの造形にスペイン・カトリシズムの一端を垣間見ることができます。
カテドラル
グラナダ陥落の後、モスク跡に1518年より建設が開始されました。当初はトレド大聖堂のゴシック様式を範として基礎工事が進められましたが、1528年以降はディエゴ・デ・シロエが担当し、プラテレスコ様式最大の建物になりました。この様式はイタリア・ルネッサンスに触発されながら、構造的にはゴシックで、装飾にはアラブ的なムデハル様式を用いるなど、折衷的なものでした。その後ルネッサンス風に意匠の統一が進み、カテドラルの受禄僧となったグラナダ生まれの悲劇の画家アロンソ・カーノが工事に参画しました。彼は正面入口や聖堂内の装飾を担当し、1704年まで工事は続けられたが、塔の部分は未だに未完成です。聖堂内はステンドグラスの光に彩られてとても明るく、シロエの手になる黄金の礼拝堂は見事な出来です。また、内陣に飾られた聖歌の楽譜は遠くからでも見えるようにと、音符一個の直径が2cmもあります。
なにしろ、暑さしのぎにカテドラルに入ったものですから、どこに何があったのか定かには思い出せません。カテドラルでは何かの展示会が行われていたようで、建物の内部にはキリスト受難の絵や彫刻が数限りなく展示されていました。どれも非常にリアルな描写で、なかなかまともには正視できないようなものばかりです。絵や彫刻ばかりでなく、15−16世紀の古文書も展示されていました。大半は手書きの書物ですが、その細かさ、本の厚さは大変なものです。見ているうちに頭がボーーーッとしてきました。ホテルに帰って暫し午睡をすることにしましょう。。。
フラメンコショーへの送迎バスは、パラドールから10分位歩いたところに21時30分に来ることになっています。パラドールのレストランは20時30分にオープンしますから、ディナーを食べてから出掛ける余裕はありません。冴えないパエリアを食べたためか、既にお腹が減り始めています。今夜の夕食は抜きでしょうか。。。乗り遅れたら大変ですので、到着予定時刻よりも30分も早く送迎場所に行ってバスを待ちます。夜の9時過ぎですが、あたりは未だ夕暮れ時です。。。何時まで待ってもそれらしいバスは来ませんね。行ったり来たり未だか未だかとバスを待ちますが、一向にバスは来ません。予定時刻を30分過ぎてもバスは来ません。とうとう痺れを切らして電話で確かめてみます(実際は近くのホテルの方にやって頂いたのですけど)。どうも、手配がうまくついていなかったようです。ディナーをカットして1時間も待ったのは一体何だったのでしょうか。結局、タクシーでフラメンコショーの場所に行ったのですが、乗っている時間はものの10分とはかかりませんでした。海外での観光には時間を節約するのが一番です。こういう時はちょっと高くてもタクシーを利用するに限ります。それにしても無駄な時間と労力を費やしてしまいました。こんなことなら送迎バスなど当てにせずに、どこかで腹ごしらえをしてからタクシーで行くんだった。。。わたちのディナーを返して!
という訳で、フラメンコショーが行われるロス・タラントスに着いたのは22時を大分過ぎた頃でした。さすがにあたりは真っ暗で、周辺の様子はよく分かりません。ただ、急な坂の途中であったことは確かです。恐らく道の片方は崖になっていて、そこを穿って洞窟住居になっていたのではないかと思います。あせってタクシーで乗りつけたものですから、珍しい洞窟住居の様子を見逃してしまいました。残念!
既に第一回目のショーが始まっていましたので、店内は観光客で一杯です。事情を話して途中から席に座らせて頂きました。洞窟住居内のタブラオは狭く、小さな椅子とテーブルがぎっしり並べられています。そこに大柄な外人さんと一緒に座るのですから窮屈さこの上なしです。フラメンコショーを見たのは初めてですが、想像していたものとは随分違います。ここだけかもしれないのですが、家族だけでショーを構成するのです。お父さんが詩吟のようにアラブ風の節まわしで朗々と歌い、長男はギターで伴奏をし、娘2人と次男は狂おしくフラメンコを踊り、最後にお母さんがド迫力の踊りと歌を披露する。。。といった風に進行します。日本では年季の入った(概ね女性の)ダンサーが一人でショーを構成しますが、本場スペインではジプシーの家族が一緒になってフラメンコを構成するようです。それに、フラメンコにつきもののカスタネットが見当たりません。その代わりを務めるのが手拍子です。手拍子といってもリズムをとるといったような生やさしいものではありません。手の皮が破けるのではないかと思えるような激しさです。これをショーの間中バチバチやっているのですから、手の皮はキャッチャーのグローブ並に厚くなっているのではないかと思います。
ステージは洞窟の奥に設えてありますが、3畳ほどの狭い空間です。最初に長男だけステージに上がってギターを演奏します。ジャラジャラとメロディーはよく分かりませんが、弾き手は既に陶酔の世界に入り込んでいます。宗教的な儀式のような感じですね。
その後、家族全員がステージに上がります。最初はステージの上でガヤガヤと話をしていますが、そのうちにギターの演奏に合わせて手拍子が始まり、段々と手拍子のリズムが激しくなったところで、年少者がすっくと立ち上がり踊り始めます。お父さんも哀愁を帯びつつ、高らかに歌い上げます。娘さんが最初に踊りましたが、さすがに本場ジプシーのフラメンコだけあって激しくまた狂おしい感じです。タップも精密機械のように踏み鳴らします。
続いてお姉さんでしょうか、もう一人の娘さんが手拍子に促されて踊り始めます。さきほどの踊りは未だ可憐さが残っていたのですが、今回は悲壮さに満ち満ちています。眉を寄せ、遠くをきっと見つめてタップを踏みます。それにしても、この激しさは一体どこから来ているのでしょうか?日本人には到底真似の出来ない動きです。これが本当のフラメンコかぁ。。。と、暫しジプシーの世界に浸ってしまいます。
娘さんの踊りの後は次男の出番です。いかにジプシーの踊りが激しいとは云っても、娘さんと息子さんでは力強さが違います。動きが速く、しかも型が決まっています。最後はお母さんの出番です。お母さんは何の曲かわかりませんが、ベサメムーチョのような西洋的な歌を歌うことがあります。何せ、ボリューム満点の体つきですから、歌にしろ踊りにしろ娘さん・息子さんとは迫力が違います。ド迫力と云った方がいいかもしれません。タップを踏むたびに、床が抜け落ちるのではないかと心配になってきます。ドスン、ドスン。。。
ロス・タラントスでは、2つの家族が交代でショーをやっています。本当は1回目で帰りたかったのですが、私がどのグループに属しているのか分からず、そのまま居残ってしまい2回目のショーも見るハメになってしまいました。ショーの構成は全く同じですが、今回の家族は年齢が多少若いせいか、娘さんは未だ小学生のようでした。それでもジプシーの血を継いでいるのか、踊りはしっかりとしていて動きも一応決まっています。このお子さんもあと何年かしたらお母さんと同じようにド迫力の踊りをするのか。。。と思いますと、何か複雑な気持ちです。
眩しく輝くおじさんの後頭部が消えたのは1回目のショーの後で帰られたからです。
ステージが終わりますと家族全員が建物内のBARに行ってセルベッソをグビグビ飲みます。激しいフラメンコの踊りはそれだけ緊張感が高まるのでしょう、皆さんリラックスして暫しの休息を楽しみます。この雰囲気をそのままステージに持ち込んで次のショーが始まるのです。ステージ上でお喋りが盛り上がるのは当然ですよね。
次男さん、飲み過ぎでは?
結局、最後のステージが終わったのは夜中の1時近くになっていました。この晩は幾つかのツアーが来ていたのですが、さてどのバスに乗ったらいいのでしょうか?『パラドール、パラドールゥ。。。』と叫んでいましたら、あちこちにたらい回しにされた挙句にどこかのツアーと一緒にバスに押し込められてしまいました。そこからが大変!バスはアルバイシンの散策どころか、グラナダの市内をぐるぐる回って少しずつお客さんを降ろしていきます。どうも、アルバイシン散策ツアーはフラメンコショーの前に終わっていたようです。バスがいつまでもパラドールに向かわないので、とうとう痺れを切らしタクシーを拾おうと町中で降ろしてもらいました。もう夜中の1時過ぎだというのに、町は人で溢れ返っています。三社祭の賑わいを夜中に持ってきたような感じです。日本人からすると異様とも思えるのでしょうか、スペインっ子にとっては当たり前の週末の過ごし方なのでしょう。それにしても老若男女飲みっぷりの凄いこと。。。
楽しみにしていたアルハンブラ宮殿のライトアップは諦めようと思ったのですが、どういう訳かタクシーに乗り込みますと運転手さんに『アルバイシンのサン・ニコラス展望台に寄ってパラドールまで行って下さい!』と言ってしまいます。そこからサン・ニコラス展望台までのドライブは一生忘れ得ぬ恐怖のドライブとなりました。タクシーは、人で溢れ返った町中の小道や展望台までの曲がりくねった狭い急な坂道をすっ飛ばして行くのです。路上駐車も何のその、F1もかくやと思うほどの超テクニックです。普通のドライバーには到底マネは出来ません。サン・ニコラス展望台に着いた時には、固く握り締めた手にビッショリと汗をかいていました。。。
暗闇にボンヤリと浮かんでいるのがライトアップされたアルハンブラ宮殿です。本当はもっと明るく見えたのですが。。。
真夜中の展望台は若い人達で一杯です。格好のデートスポットといった感じですね。
結局、夜中の2時過ぎにパラドールに戻り、そのまま何も食べないで眠ってしまいました。そういう訳でパラドール最後の朝食をお腹一杯頂こうと思います。思えば、トルデシージャスのパラドールで初めて見た豪華な朝食を今は当たり前のような感じで頂いています。でも、それも今日が最後だと思うと、お皿に取るお料理も量が多くなります。生ハムは何時もは2枚のところを今日は4枚、ハムもソーセージもチーズも卵も。。。それにパンまでも。。。オレンジジュースだけでは足りなくて、トマトジュースも。。。サラダも果物も。。。緑に包まれたアルハンブラ宮殿の素晴らしい景色を眺めながら2皿。。。3皿。。。
そろそろ出発の時刻ですね。帰りに屋内のレストランを覗いていきます。ここの一画にお料理が並んでいるのですが、レストラン自体は冬の季節とかお天気が悪いときに使われるようです。それにしても内装の豪華なこと!調度品も超一流です。あーーーあ、ここでディナーを食べれたらなぁ。。。
パラドールからグラナダ空港までは15km位の距離ですが、A92に戻る道がよく分かりません。殆どは高速道路を走りますが、一般の道路を通ることもあって気が抜けません。今日は日曜日の上に、パラドールを9時過ぎに出ましたので道路はそんなに込んではいないようです。イスラム最後の王であるボアブディルがシエラ・ネバダに差し掛かる『嘆きの丘』でアルハンブラ宮殿に惜別の涙を流したようなゆとりはありません。空港でレンタカーを返却するのは確かに楽ではあるのですが、道に迷ったり事故を起こしたりしたら大変なことになります。そうでなくても、私のように事故を起こしたばかりの人間にとっては空港までの道は大変なプレッシャーがかかります。幸いに道に迷うこともなく、飛行機の出発予定時刻の2時間も前に空港に着くことができました。Hertzの係りの方に無事に車を返した瞬間に、安堵というか緊張感が一気に崩れます。これでもうスペインでは車を運転することはありません。心置きなくセルベッソにワインを飲むことが出来ます。ヤッターヤッターヤッターマン!状態です。先ずは空港のカフェテリアで『Granada』のマークの入ったセルベッソを頂きましょう。キューーーーーーーーーーーーーーッ!おいぴい。。。
続いて小瓶ですがワインを一杯。。。これが何と云うこともない安い赤なのですが、その奥行きの深さ、コクの豊かさで驚くべき美味しささのです。リオハには違いないのですが、このフルボトルがあったら是非買い込みたいものです。
2時間も待ち時間がありましたので、本当は何かつまもうかな。。。と思ったのですが、グラナダで気前良く現金を使いすぎてしまい、こんなときに限って手元には小銭しか残っていません。しょうがないですね。飛行機に乗り込みましょう。グラナダ空港では、離発着を合わせて一日10便チョットしかフライトがありません。空港はとても広くきれいなのですが、飛行機までは搭乗口から出て歩いて行きます。雨でも降ったら大変ですね。
グラナダからバロセロナまでは約1000kmありますが、飛行機では1時間チョットしかかかりません。機内ではワインでも飲んで過ごそうかと思いましたら、どうも国内線ではお酒は出ないようです。スナックのような丸パンとジュースが出ましたが、どうもサマになりません。隣に座ったポーランドのお嬢さんが結構な日本通で、暫しの間会話を楽しめたのがせめてもの慰めでしたが。。。
飛行機の窓の外には再び地中海が見えてきます。海岸線の先には街並みが。。。どうやらバロセロナに近づいてきたようです。バロセロナでは、ガウディに闘牛、それにBARにレストランが私を待っています。いや、待っているはずです。待ってて下さーーーい!直ぐ行きますからね!
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