- 西武バス 萩14コース
- コース 踏破記
- 阿50を歩き終えて、時刻は2時前です。このまま帰宅するか、お散歩を続けるか悩ましいところです。ま、途中まででもいいかと思い、萩14を歩くことにします。石神井公園駅から帰宅に便利な荻窪駅に向かう路線には萩14と萩11があります。萩11の方が多少距離が短いようですが、萩14の方が面白そうなのでこちらを選びました。石神井公園駅南口の5番乗り場から出発します。阿50と逆の道順を進み、豊島橋交差点を越えて旧早稲田通りを進みます。石神井図書館の前で左折して井草通りに入るのですが、交差点脇に石柱の道標が立っていました。道標には「所澤道」と彫られ、隣りに案内板がありました。それによりますと、所澤道と現在の旧早稲田通りはほぼ重なっているとのことです。井草通りに入って直ぐに石神井川を渡ります。新青梅街道と交差した後で井草通りは西武新宿線の踏切と交差しますが、その手前に中途半端に途切れた千川通りが東の方に延びています。千川通りはここで行き止まりになるのではなく、踏切の先で骨折してずれた骨の如く再び西方向に繋がっています。踏切手前で左折して千川通りに入り、上井草駅入口で右折して駅前で西武新宿線を越えます。その先の上井草二丁目付近に「旧井草川 瀬戸原橋」と書かれた石柱が立てられ、その先には遊歩道が続いています。かっては妙正寺川の支流だったそうですが、今では全ての区間が暗渠化され遊歩道になっているとのことです。民営バス路線歩きの次は東京の河川歩きをやりましょうかね。上井草三丁目交差点で早稲田通りと交差しますが、その先の今川二丁目に長〜〜〜い塀に囲われた観泉寺というお寺があります。なにやらいわれがありそうですが、今川焼き発祥のお寺ではありません。解説によりますと、
戦国時代、桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元の子孫は江戸時代には高家として幕府に仕えました。今川家は知行所として上・下井草、鷺宮、中村などを給され、幕府の儀式典礼を司り、将軍の名代として京都への使者や日光、伊勢などの代参を勤めました。義元から三代目となる直房はこの観泉寺を今川家の菩提所とし、今川氏の始祖国氏や義元など今川一族の供養を行うようになりました。墓碑が残るのは義元の子氏眞以降の当主や一族出身の女性や子供などなど多岐にわたっています。また、観泉寺は今川氏の所領支配の中心でもあり、年貢の徴収や裁判の拠点となっていました。この周辺の今川という地名も今川家と観泉寺とのかかわりに因むものです。
とのことです。そんなら境内を見物いや見学すればよかった。荻窪病院の先に桃井中央公園の芝生広場が広がっています。5ヘクタールもの広大な敷地ですが、ここは幾多の変遷があったとのことです。戦前には零戦のエンジンを設計・制作した中島飛行機荻窪工場がありました。戦後は国産発のペンシルロケットの初飛行に成功した富士精密工業が続き、その商号を受け継いだプリンス自動車、更に合併吸収した日産自動車の荻窪工場となりました。現在はURの団地と子供達の遊び場に変わりましたが、日本の航空機・ロケット・自動車の発展に尽くした功績は多大なものがあります。荻窪警察署前で左折し、青梅街道に入ります。四面道交差点で環八と立体交差し、荻窪駅に向かいます。荻窪駅には多数のバス便があり、駅前のバス停広場だけでは膨大な数のバスを発着させることはできません。それで青梅街道のあちこちにバス停が設けられています。萩14は駅からちょっと離れた6番乗り場から発着します。時刻は3時半を回りました。お散歩を終えるにはちょうど良い時間です。タウンセブンの食品売場に立ち寄ってワインのおつまみでも買って帰りましょうかね。
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