江古田川コース  

コース 踏破記  

今日は夏至。一年中で最も昼間が長い一日ですが、生憎と雨雲が立ちこめていて今にも雨が降りそうです。予報でも午後3時位に雨が降りだすとのことです。昨日22kmも歩いたもので、今日は近距離のお散歩にしようと思います。日差しは出ないだろうと思い、いつもは必需品の帽子は被らないで出掛けます。そういえば、今日の夕方、関東地方でも部分日食が見られるそうです。ま、この空模様では観測は望み薄ですけど。今日は江古田川を歩きます。地元の人を除けば、そんな川があったのか?と思われる方も多いでしょう。私も妙正寺川を歩いた時に初めて目にした名前でした。ネットで調べましたら、江古田川の源流は練馬区の豊玉三丁目にある学田公園の溜め池とのことです。「学田」は「がくでん」と読みます。練馬区役所のHPによりますと、

「学田」の名のいわれは、明治の頃、当時の中新井村が村営の豊玉小学校の費用に充てるために荒れた官有沼地を開墾して農地とし、そこから収益を得ていたのでこの田を「学田(まなびた)」と呼んでいたものが、後に「がくでん」に変わったものだということです。

とのことです。学田公園は駅から離れた場所にあるので、「東京の民営バス路線を歩く」で慣れ親しんだ中野駅北口発の中25に乗って行きたいと思います。予め学田公園に一番近いバス停を調べておけば良かったのですが、地図で見て近所にある南蔵院で降りれば良いだろうと思って漫然とバスの停留所を案内するアナウンスを聞いていました。南蔵院通りというアナウンスを聞いて反射的にバスを降りたのですが、住宅地の中で方向感覚がありません。行きつ戻りつを繰り返してやっと学田公園入口の交差点にたどり着きました。後で調べてみたら、学田公園の向かいにある中村南スポーツ交流センターというバス停で降りればなんということもなかったのですけど。学田公園はそんなに広い敷地ではありませんが、その6−7割のスペースはフェンスに囲まれた野球場になっています。江古田川の源流とされる溜め池を探してみますが、どこにも見当たりません。後で知ったのですが、学田公園の付近は西新井川ほかの川が集まってくる大きな沼地になっていたとのことです。源流が単なる溜め池でなく、沼地だったとすれば江古田川もそれなりの水量はあったのでしょう。その沼地が埋立てられて野球場になったのであれば水源はもはや存在しないことになります。そこで公園内にあった震災対策用応急給水施設の建物を江古田川の源流とします。



学田公園の中には暗渠をうかがわせるようなものはありませんが、公園入口交差点に戻る道路の中央には植樹された中央分離帯が設けられています。この下に暗渠化された江古田川が流れているのかもしれません。



学田公園入口交差点の向こう側は公園になっています。中新井川児童遊園という名称で、公園の中には緑道らしきカラーの違うレンガが敷かれています。先ほどの中央分離帯の延長線上にあることから、この下が暗渠になっているものと思われます。



公園を出て振り返ってみますと、学田橋という交差点の標識が見えます。ここにも江古田川に架かる橋があったんですね。



その先で環七に突き当たります。環七はここで二股に分かれ、本線は板橋方向に、もうひとつは練馬駅方向に向かいます。環七を豊玉南歩道橋で渡ります。そこから先も中央分離帯の植樹は変わりませんが、植樹はもはや巨木と化しています。緑道ではありませんが、歩道を歩いていても生い茂った木々の枝葉は無帽の頭には日よけとなっています。そうなんです、雨雲はいつか晴れ、夏至の日差しは容赦なく頭に照りつけ始めていたのです。中野江古田病院のところで一瞬だけ緑道が現れます。アーチのようなモニュメントが緑道に架けられていますが、説明がなく何を表しているのかよく分かりません。



緑道はすぐ先の下徳田橋交差点で途切れてしまいます。交差点を渡って下徳殿橋の下を覗いてみましたら、川が流れています。源流から一度も顔を見せなかった江古田川です。ところが川の両側は建物で塞がれていて、側道あるいは緑道がありません。左手の住宅地に回るか、右手の総合東京病院の方に回るか判断に迷います。



直ぐ先から川に沿って歩道が始まるだろうと思って住宅地の方に向かいます。住宅地の中にはカトリック徳田教会があり、敷地内には幼稚園とかナザレットの家という乳児院があります。周囲には住宅が密集していて、路地を巡っても行き止まりばかりで江古田川にはたどり着けません。結局、豊中通りに出て江古田の森公園の北の端にある豊中橋でようやく江古田川に再会しました。豊中橋から見てみますと、江古田川の住宅地側には川岸まで軒先が突き出ていて川沿いの歩道は全くありません。ところが川の左手に広がる江古田の森公園を見てみましたら、川に沿って遊歩道が延びています。どこまで続いているのだろうと確かめてみましたら、下徳殿橋の右手にあった総合東京病院の脇に出ました。とんだ無駄足でした。



江古田の森公園は、旧北江古田公園が区域と名称を変更して平成19年に開園した新しい公園です。江戸時代には将軍の鷹狩り場として使われ、明治時代にはお茶や桑の生産地になり、大正時代には自然環境のよさから結核療養所が置かれたそうです。その跡地の豊かな既存樹林を活かし、保健福祉施設とも調和した中野区北部の防災公園となっています。



療養所が移転した際には標本用の臓器が不法投棄されたのだとか。公園内には森のように木々が生い茂り、昼なお薄暗い場所もあります。歩くと何となく寒気がしますが、都内でも有名な心霊スポットにもなっているのも何となく納得が。。。



足早に公園を抜け出し、江古田通りを渡って住宅地の中を進みます。ところが、川沿いの歩道は直ぐに行き止まりになり、迂回を余儀なくされます。回り道をして戻った江古田川に架かる不動橋の袂に小さな案内板がありました。

橋詰には垢離取(こりとり)不動尊が祀られており、大正期までは万垢離(まんごり)という祭事がありました。不動尊の前に五色の幣束を飾り付けた梵天が立ち、大山や富士山に代参する村人達が川に入り、体や3mほどの木の太刀を洗い清めました。水ごりの後、梵天を先頭に洗い清めた太刀をかつぎ、かけ念仏も賑やかに行列をして氷川神社に向かい、五穀豊穣と家内安全を祈願しました。




新青梅街道に架かる江古田大橋で妙正寺川に合流し、江古田川は終点となります。妙正寺川との合流点を見ますと、いかに江古田川の川幅が細いかが分かります。コンクリートで固められた川底には50cm幅くらいの細い流路が造られていますが、それでも流れている水流はチョロチョロ程度です。でも、豪雨時には濁流となるそうですからキ市河川としての重要性は高いのでしょう。



ということで江古田川を歩き終えましたが、途中で無駄足を踏んだので意外と時間がかかりました。歩きやすいとはいえないコースでしたが、いろいろな発見があって面白かったです。江古田大橋の隣に関東バスの営業所がありますので、バスで帰宅することにしましょう。今夜のワインのおつまみは中野ブロードウエイで調達しようかな?

 




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