善福寺川コース  

コース 踏破記  

今日はどんよりとした梅雨空ですが、日中に雨が降る心配はなさそうです。今日は善福寺川を歩いてみたいと思います。杉並区のHPには次のように紹介されています。

善福寺川は善福寺池を源とし、杉並区の中央を蛇行して流れ、中野区に入って神田川に合流する区内最長の川で、区内での延長は約10キロメートル(全長は11.3km)です。この川の流域には、区内における最大級の複合遺跡として知られる松ノ木遺跡(先土器時代〜奈良・平安時代)を始めとして、光明院南遺跡・川南遺跡・谷戸遺跡・大宮遺跡・済美台遺跡などがあり、こうした遺跡や包蔵地の所在は、かつての水量豊かな善福寺川の流れを古くから人々が活用していたことをうかがわせます。徳川家康は天正18年(1590年)に江戸に入国すると、ただちに善福寺川・神田川・妙正寺川を給水源とする最初の上水といわれる小石川上水(のちの神田上水)を造り江戸に給水しました。そして明治34年に飲料水給水を廃止するまで善福寺川は東京における最古の水道源のひとつとして人々を潤わせてきたのです。善福寺川は、かんがい用水としてもひろく利用され、流域の農村・農民にとって農耕上・生活上重要な価値を持っていました。また、子供達の水遊びやつりの場でもありました。



善福寺川の源流(湧水)は、善福寺公園にある上池に注ぐ遅野井の滝です。これには次のような謂れがあります。

善福寺池の湧水のひとつが遅野井の滝です。その起源は古く、言い伝えによると文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐に向かう途中でこの地で飲料水を求めるために土を掘りました。しかし折からの干ばつでなかなか水が出ず、自ら弓の筈(はず)で土を7か所掘ると、しばらくしてその7か所に水が湧き出たといわれています。水の出を「今や遅し」と待ったところから「遅の井」と命名されたというわけです。現在は泉が涸れてしまったので、新たに井戸を掘り、ポンプで汲みあげて遅の井の滝として復元しています。



このような経緯で、遅野井の湧水を水源としていた善福寺川はかって「遅野井川」と呼ばれていたこともあります。



さて、遅野井の滝を起点として歩き出します。この辺りは都の水道施設があり、立ち入り禁止になっている場所もあるのですが、フェンスで囲われた敷地の隣りに巨大な銅像が建っています。余程の功績のあった人のようです。近づいて見てみましたら、石碑に次のようなことが書いてありました。

内田秀五郎翁は人格高潔資性温厚天賦の才能自ら備わり有能達識の偉人地方自治開拓の慈父にして文化開発の大恩人なり明治九年十一月内田家に生る年二十一厳父を喪い独力克く父祖の業を継ぐ年三十にして衆望を担って全国一の年少村長となる爾来多年一日の如く終始渝らす説意自治の為めに生き文化の為めに生涯を捧ぐ人悉く其の徳を仰ぎ其の思恵による常に百年の計を樹て千年の後を慮る翁の雄図は大正十年電灯の布設となり昭和七年井荻水道の完成又同十年には拾ヶ年の苦節実って全国唯一の大区画整理を完遂する等社會福祉の為めの功績挙けて数うべからす又幾度か府政都政にも参与時に議長となって其の令名を讃われ今尚全国農業委員会協議會長として活躍せらる昭和十九年二月宦其の功を賞して藍綬褒章を賜う今や喜寿を祝するに方り円満玲瓏玉の如き翁の人格と徳望とは翁を敬慕する人々により地を此処に卜し寿像を建て辞を刻して永遠に伝う千載不磨の名は日月と輝き天地と倶に遣らん
東京都知事 安井誠一郎




善福寺川とはあまり関係なかったですね。善福寺公園は北側と南側が道路で分断されています。この道路はバスが走っていて、荻窪駅北口発の萩36南善福寺行きに乗ると公園の前で下車できます。道路を渡って公園の南側に入ります。こちらには下池という、上池よりはちょっと小さいですが美しい池があります。ここは野鳥の宝庫だそうで、カメラを構えた愛好家の姿もみられます。下池の東端から善福寺川が始まります。流れ出した池の水は美濃山橋からコンクリートの護岸に守られて下流に流れて行きます。普段は川底をチョロチョロ流れる程度ですが、キ市河川ですので大雨の時は一気に水かさがますのでしょうね。



川沿いの側道に沿って歩いて行きますと、ところどころに善福寺川流域案内板が設置されています。全部は確認できなかったのですが、1から10まであるみたいです。その地点地点の見所を解説してありますので、馴染みのない人には有り難い情報です。



善福寺川の殆どの区間には側道が設けられているのですが、まれに川の両側が建物でふさがれている箇所があります。寺分橋と耕整橋の区間は井荻小学校と民有地が川岸まで張り出していて、側道はありません。仕方がないので回り道をします。でも江古田川のように迷路ではありませんので、直ぐに復帰できます。



源流から離れるに従って、川沿いの風景は普通の住宅地の雰囲気になります。そんな中で、今では珍しい手こぎの井戸ポンプが残っている空き地がありました。飲料には適さないとのことですが、災害時には何かの役にたつのかも。



善福寺川は荻窪橋で環八と交差します。下流では環七と交差するのですが、両方と交差する河川は他にあるのかな?



善福寺川の普段の水位はあまり高くないためか、流域の至る所に鴨がみられます。水草は繁茂しているものの、餌となる小魚はいるのでしょうか?とある橋の袂に鶴のような大きな鳥がたたずんでいました。今の時季、北の国から渡来したとは思えませんが、居心地の良い都心の川が気に入ったのでしょうか?



善福寺川は善福寺川公園に沿って大きく蛇行します。この辺りは桜の名所になっていますが、今年はコロナ渦でお花見は殆ど楽しめませんでした。今は深緑に覆われていますが、来年の春はお花見が復活できたらいいですね。



善福寺公園の先には和田堀公園が続いています。以前は何の障害もなく通れたのですが、現在はあちこちで工事が行われていて、その都度迂回しなければなりません。護岸工事だけでなく、洪水時の調整池も新設されているようで、迂回も大回りになります。和田堀公園内には和田堀池があります。中央に噴水が設置されていて絵のような風景です。



善福寺川の区間の一部は昔歩いた「東京歴史と文化の散歩道」のコースと重なっています。もう15年位前になりますから記憶には残っていないのですけど、きっとこの標識も見たのでしょうね。お散歩の文化遺産としていつまでも残して頂きたいものです。



神田川との合流地点の前で善福寺川は環七と交差します。その手前に東京都の善福寺川取水施設があります。近くには神田川の取水施設もありますが、大雨時に川が溢れる前に川の水を環七の地下に造った地下空間に一時的に溜めておこうという壮大な規模の施設です。

東京都下水道局では神田川及び善福寺川沿いの中野区本町から杉並区堀ノ内付近の浸水被害を軽減するため、平成3年度から和田弥生幹線事業として、豪雨時の雨水を一時的に貯留する下水道管(貯留管、集水管)と、貯留した雨水を晴天時に下水道管に排水するポンプ施設を整備してきました。和田ポンプ施設は平成19年3月に完成しました。

確かに、昨年秋の集中豪雨では都心の浸水は殆どありませんでした。洪水が起きなければ何とも思わないのでしょうけど、こうした陰の努力を忘れてはいけませんね。



環七を渡って、立正佼成会の敷地の横を通って神田川との合流地点に向かいます。善福寺川は和田廣橋の直ぐ先で神田川と合流します。水量もほぼ同じで対等に合流しているように見えますが、ここから先は神田川となります。



標識によりますと、公式には川の全長は11.3kmとなっています。あちこち寄り道や回り道をしたせいか、歩行距離は大幅に超過しました。幸いにも雨には遭いませんでしたが、かなり蒸し暑くてペットボトルを3本空けました。そろそろガリガリ君が恋しくなってきます。。。





 




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