井草川コース  

コース 踏破記  

先日妙正寺川を歩いた際、案内板に井草川のことが書いてありました。井草川って初めて聞いたのですが、かつて杉並区内の北西部を流れ、地域の生活を支えた小河川だったそうです。「かつて」というのは、昭和56年(1981年)までに全ての流路が暗渠化され、今では川としての機能を果たしていないからです。今日は朝からどんよりとした梅雨空で、いつ雨が降ってくるか分からない生憎のお天気ですが、距離も短いことだし歩いてみることにします。井草川の源は、井草八幡宮近くの切通し公園だそうです。井草八幡宮は荻窪駅から青梅街道をひたすら進み、練馬区との区境に近いところに広大な敷地を占める神社です。この地域一帯は遅野井とも称されていたことから、明治時代までは遅野井八幡宮とも呼ばれていたそうです。今日は時間に余裕がないので参拝はパスします。



井草川の源とされる切通し公園は、早稲田通りが青梅街道に合流する井草八幡前交差点の直ぐ手前にあります。「切通し公園」とは妙な名前ですが、これにはかっての井草川の主要な2つの水源が関係しているものと思われます。井草川の元々の水源は、武蔵野礫層を流れる伏流水が地表に姿を現した湧水でした。長い時を経て武蔵野ロームが堆積しますが、湧水や流れのあるところには積もらず、今日の谷地形が形成されて井草川の水路が定まりました。宝永4年(1707年)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道沿いに六ヶ村分水が開削されました。その水を取水口(切り通し口)から取り入れ、元々の湧水と一緒に流したのが井草川です。切通しのあった地点に公園が作られたので、「切通し公園」という名前が付けられたということです。



井草川流域には旧石器時代や縄文時代の遺跡があり、太古の昔から人びとに利用されていたことが発掘調査などから分かっています。公園の片隅に次のような案内板がありました。

井草川の源流に位置する本地域一帯は、縄文時代の遺跡があることで知られ、本公園も今から七千年程前の遺跡の上にあります。当時の人々は、絵のような生活をしておりました。



公園に入って直ぐのところにコンクリートで造られた構造物が設置されています。そこを起点にして(今は流れていませんが)川の跡らしき流路が下っています。恐らく、ここが井草川の水源となった湧き水が噴出していた場所と思われます。



流路は傾斜を下って公園の外に続いています。ここは谷頭(こくとう:谷の最上流部)と呼ばれていたそうですが、なるほどと思わせる地形です。



流路に沿って公園の外に出ましたら、道路を挟んだ反対側は杉並工業高等学校の裏手になっています。ここは昔水田が広がっていたとのことですが、所有者の名前からとった「西山田んぼ」を都が買い取って杉並工業高等学校を建てたのだそうです。敷地のフェンス前に井草遺跡の案内板がありました。

井草遺跡

井草遺跡は、上井草四丁目を中心に広がり、井草川(現在は暗渠)流域の台地上に位置している、旧石器時代から江戸時代までの複合遺跡です。昭和15(1940)年、初めての発掘調査が行われました。この時、後に地名を冠し「井草式土器」と命名された縄文土器群や石鏃(せきぞく)・石斧(せきふ)が発見されました。この土器群は関東ローム層(赤土)と上層(黒土)との境目付近で発見され、当時は最古の土器として注目されました。井草式土器は、口縁部が外に反った丸底の深鉢土器です。撚った紐を巻き付けた棒状の道具を使い、転がし押し付けた「撚糸文(よりいともん)」を、土器の縁(ふち)から全面に付けるのが大きな特徴です。このような特徴を持つ井草式土器は、縄文時代早期前半(約9千年前)を代表する土器型式として広く知られるようになりました。土器型式命名の契機となった遺跡を考古学では「標式遺跡」と呼びますが、井草遺跡は、考古学史に残る区内で唯一の標式遺跡です。




井草川はその田んぼの真ん中を流れていたらしく、暗渠化された今でも流路が杉並工業高等学校の敷地内を通っているそうです。高校の敷地には入れませんので、隣接する民家との間の細い路地を進むことにします。すると、路地にはところどころに下水口のマンホールが見えます。ここに暗渠化された井草川が通っているのかなと思ったのですが、途中で行き止まりになって確かめられませんでした。



仕方がないので迂回して高校の正門前に出ましたら、道路を挟んだ反対側に三谷(さんや)公園が見えました。三谷公園は切通し公園からの2本の流れと、井草川最上流部とされる原窪支流を合わせた3本の流れが合流し、井草川として1本にまとまって妙正寺池目指して流れてゆく、いわば井草川源流部の結節点とも言える場所です。切り通し公園と三谷公園は、間に杉並工業高校を挟み直線距離で200メートル強で、この僅かなエリアに源流部3本の支流がが絡み合っています。とすると、先ほど行き止まりになった路地は3本の支流の中のひとつの流路だったのかもしれません。



三谷公園を出た先から本格的な井草川緑道(遊歩道)が始まります。

井草川遊歩道

旧井草川 を整備した遊歩道です。かつて、上井草四丁目の切通し公園を水源とし、妙正寺公園 内で妙正寺川に合流する「井草川」という川がありました。現在、井草川は暗渠化され、川の流れを見ることはできませんが、穏やかに蛇行した緑豊かな遊歩道を散歩してみてはいかがでしょうか。




遊歩道ですから車の乗り入れはできません(自転車の通行も禁止です)。杉並区では、このような遊歩道の入口に車の進入禁止を表す金太郎の標識を設置しています。今では金太郎の標識の数が少なくなっているとのことですので、見つけたらラッキーと思っていいでしょう。



井草川には道路との交差地点に橋が架けられていましたが、緑道となった今でも当時の橋跡に欄干を模した旧橋名を示すモニュメントが置かれています。井草川の遺構としてこれからも大事に保存しておいて欲しいですね。



緑道のところどころに小さな休息スペースが設けられています。案内板が設置されているところもありますので、お散歩がてら井草川の歴史に触れてみるのもいいですね。

井草川

足元の遊歩道は、昔は井草川と呼ばれる川の流路となっていました。井草川は、上井草4丁目付近を谷頭とし、流路の北限となる井草4丁目の矢頭公園付近まで北東へ向かい、そこから東南へと流れを変え、清水3丁目で妙正寺川に注いでいました。水源から妙正寺川との合流地点まで、約3.5キロメートルの小河川でしたが、地域の生活を支える河川でもありました。宝永4年(1707年)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道沿いに用水が開削されました。その水を谷頭口から取り入れた井草川は田方用水として積極的に利用されるようになり、明治期まで両岸には水田が広がっていました。右の写真は昭和30年代の様子です。井草川は、魚を捕るなど子どもたちの恰好の遊び場ともなっていました。このような井草川ですが、周辺の宅地化に伴い、暗渠化が進み、昭和56年(1981年)には全ての流路が暗渠となりました。井草川には更に古い歴史もあります。井草川流域には旧石器時代や縄文時代など、26か所もの遺跡があり、往時から人びとに利用されていたことがわかっています。このなかで、井草川上流から中流部にかけては、これまでに7遺跡で発掘調査が実施されています。調査では、旧石器時代(32,000年前頃〜15,000年前頃)から縄文時代草創期・早期(15,000年前頃〜8,000年前頃)の資料が多く発見され、特に古い時代の遺跡が集中していることは、この地域の特色といえます。このように、井草川は先史時代から現代に至るまで、生活の舞台となっており、地域に恵みをもたらす川として多くの人びとに受け継がれてきました。台地に刻まれた井草川の流れは、地域に刻んだ歴史とともに、現在は公園や遊歩道として親しまれています。




井草川は源流から北東方向に流れ、その後大きくカーブして南下します。川の水は低いところから高いところには流れませんので、地形的には傾斜のある台地の周囲をぐるっと巡っていたのではないかと思われます。そのカーブした頂点あたりの2ケ所で西武新宿線と交差します。最初に交差するのは上井草駅と井荻駅のほぼ中間地点です。線路の手前と向こう側はフェンスで仕切られた空き地になっていて近づけません。暗渠化される前は当然川を跨ぐ鉄橋が架かっていた筈です。一説によれば、橋の名前は「第5妙正寺川橋梁」と「第6妙正寺川橋梁」となっていたらしいです。本来は妙正寺川全体も含んで井草川と呼ばれていたそうですが、逆のこともあったのかもしれません。



西武新宿線を越えた先で井草川の流路はカーブの頂点に達し、300mほど線路と平行して流れた後、井荻駅手前で再び線路と交差します。こちらも線路の手前と向こう側はフェンスで仕切られた空き地になっていて近づけません。



井草川は井荻駅前で環八と交差します。陸橋の反対側に回りますと、再び緑道が再開します。緑道の何カ所かに案内板と玉子を載せた石柱のモニュメントが置かれています。案内板には次のように書かれていました。

科学と自然の散歩みち

杉並区に名誉区民という制度ができて、その第一号となったのはニュートリノの観測に成功してノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士でした。その授賞式は、杉並公会堂で毎年行われる杉並区の新年賀詞交換会の場で執り行なわれました。杉並名誉区民の授与は毎年続いていて、今年で10人目となっています。小柴博士の授賞式の折、博士の喜びの挨拶がありました。その中で、まったく予期しない提案があり、「私は、住まいの近所にある妙正寺池公園の周辺をよく散歩します。とても自然を感じさせるよいところで、どうだろう、その辺を区民が安心して楽しく散歩のできる道にできたらよいと思うのだが・・・」というものでした。これを受けて山田宏杉並区長は「すぐ、整備します」とその場で応じ、これが「科学と自然の散歩道」ができるきっかけとなりました。名称は初めは「小柴博士の散歩道」と名前を冠したものをと区は提案しましたが、博士は硬く辞退され、現在の散歩道名称に落ち着きました。整備された遊歩道には区分けされて各「こみち」が名づけられています。博士の言葉「やればできる」が刻まれたタマゴのモニュメントもあります。




石柱には「やればできる」の他、別の言葉も書かれていて、単に「夢」とだけ書かれたものや「夢の卵」とか「夢を大切に」と書かれたものもあります。中には「宇宙・人間・素粒子」というのもあり、全て小柴博士に因んだ言葉らしいです。



緑道は早稲田通りを越えると一直線に妙正寺公園内に向かいます。



井草川が妙正寺池排水口先の妙正寺川のどこかに合流していたのか、妙正寺池に直接注いでいたかは不明です。私が見た感じでは、妙正寺池の排水口の先あたりに突き当たっていましたので、井草川に妙正寺池からの水が合流し、本流の妙正寺川になったのではないかと思います。



井草川を歩き終えてホッとしたのも束の間、空から雨粒が落ちてきました。一目散に環八のバス停に向かって走り出します。井草川緑道はとても歩きやすく、また緑道の両側に植えられた植樹も綺麗です。また気候が良い秋の日に再訪したいものです。




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