古川コース  

コース 踏破記  

渋谷川に引き続き、古川を歩きます。古川は渋谷川の下流にあたり、天現寺橋下の笄川(こうがいがわ)合流点から海岸通りに架かる浜崎橋先の河口までの4.4kmの河川です。古川は江戸時代から昭和初期頃までは新堀川、金杉川とも言われていましたが、現在はその名称は使われていません。



天現寺橋で合流する笄川には青山から麻布にかけて大小の水源が存在しましたが、今では根津美術館内の池と有栖川宮記念公園内の池のみが水源の名残を留めています。現在は全ての区間が暗渠化され、天現寺橋下に開口部が見られるだけです。

手前が渋谷川で左手から合流するのが笄川の開口部になります
正面が渋谷川、右手が笄川になります


名前のせいではありませんが、この辺りの古川の護岸は石垣造りになっています。川面を見てもお世辞にも綺麗とはいえないようです。また、左岸には住宅、右岸には慶応義塾幼稚舎の敷地が迫っていて、側道を通す余地は全くありません。



狸橋の先から古川の上に首都高2号目黒線が通っています。首都高速道路は東京オリンピックに合わせて建設されましたが、用地買収を極力減らすために河川の上に造られました。地下に造れば東京の河川の景観を損ねることはなかったでしょうね。古川には、亀屋橋の辺りから一之橋まで首都高2号線、一之橋から浜崎橋の手前まで都心環状線が通っています。側道は殆どなく、ほぼ平行して通る明治通りとかの一般道を歩かざるを得ません。


右手の川岸のテラスは白金公園内に設けられたものです


古川橋手前の白金一丁目には、白金ザ・スカイという2棟合わせて1247戸の超高層マンションが建設中です。古川沿いの細長い敷地に建つためか、護岸は鋼管でがっちりと補強されています。古川の氾濫時にムサコのような事態が起きなければいいのですが。



古川橋の先で古川の流れは北向きに変わります。この辺りの護岸は古く、川底には砂利も堆積しています。



二之橋近くの道路の歩道脇に「にのはし」と彫られた橋の石柱が置かれていました。橋の架け替えに際してモニュメントとして保存したものでしょうか?



麻布十番近くのテラスに大きな箱が置いてありました。港区の災害用ボート収納箱だそうです。川の氾濫時には真っ先に水没してしまいそうですが。



赤羽橋で国道1号線(桜田通り)と交差します。ここから眺める東京タワーは美しいですね。何度見ても飽きることはありません。



国道15号(第一京浜)と古川が交差する場所に架けられているのが金杉橋です。橋の袂に立てられている芝地区旧町名由来板には、大正10年の地図に、湊町・土手跡町・新網町が存在したと説明が書かれていました。どれも海岸が近くにあったことを連想させる町名ですね。



金杉橋は江戸時代に東海道の公儀橋として架橋されており、近くにあったセンダンの木が光って見えるようであったことから名づけられたといわれています。日本橋からは4km(一里)の距離があり、街道を行き交う旅人の目安にもなっていました。当時は、橋の下流はすぐ河口であり、安藤広重が描いた浮世絵の「名所江戸百景」の一枚「金杉橋芝浦」では、橋を渡る池上本門寺帰りの参拝者一行と江戸湾の風景が描かれています。橋の下は付近で営業を行う屋形船の係留場所となっていて、一面に様々な船が浮かぶ光景が見られます。



金杉橋から細い裏通りを進みますと、東海道本線・京浜東北線・山手線・東海道新幹線の線路下に歩行者用の地下道の入口が見えます。これだけの数の線路が並んでいますので、地下道の長さも結構なものです。それにしても支えとなる支柱の造りが貧弱で、地震があったら潰れてしまいそうです。



地下道を抜けると、左手に旧芝離宮恩賜庭園に隣接した東京ガスの本社敷地が広がっています。浜松町駅から近いとはいえ、周辺はちょっと殺風景な気がします。その一角に古風な石垣が残されていました。江戸時代の遺物か何かと思って案内板を見てみましたら、次のように説明がありました。

江戸時代の石垣

ここに復原されている石垣は、海岸一丁目特定街区建設工事の際に発堀された石垣を保存のために移築したものです。石垣が発堀されたこの地は、旧芝離宮恩賜庭園に南接し、江戸時代前半(17世紀の後半)に埋立てられた築地で、永井佐渡守や丹波左京太夫の屋敷あるいは松平越前守陣屋として用いられたものです。保存された築地石は、築地の北側と東側の護岸用に使われていました。


案内板に「復原」と書いてあったので、「復元」の間違いかなと思って調べてみましたら、これで正しいようです。

「復元」と「復原」はどちらも「もとの姿に戻すこと」です。文化財の世界では、「復元」は遺跡で発掘される建物の痕跡(遺構)から、上部構造を考えることを意味します。各地の遺跡で竪穴建物や古代建築が建てられ、近世城郭の天守や御殿なども「復元」されています。いわば、新築の建物に「ふくげん」するのです。これに対して「復原」は、文化財建造物の修理の際に用いる言葉です。多くの場合、建物は長い年月の間に増改築や改造が行われています。「復原」は建物の改造の痕跡をもとに、改造前の姿に戻すことを意味します。例えば、屋根が瓦葺きから後世に銅板葺きに変わっていたものを、元の姿に「ふくげん」するといった具合です。同じ読みでも、古建築の修理現場では両者を細かく使い分けているのです。



東京ガス本社の先で古川は海岸通りと交差します。そこに架けられたのが浜崎橋です。この河口が古川の終点になります。正確には浜崎橋の隣りに架けられた新浜崎橋の方が本当の終点のように見えますが。



新浜崎橋から南の方角を眺めますと、レインボーブリッジが見えます。また、正面には来年(?)の東京オリンピックで選手村になる晴海フラッグのマンション群が見えます。晴海には最近行っていないのですが、ちょっと見ない間にこんな大規模な施設が完成していたんですね。



渋谷川と古川を合わせて2時間半で歩ききりました。今日は早めに帰って渡辺明棋聖と藤井聡太七段の棋聖戦第4局を観ることにしましょう。今日、決着がつくかな?




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