呑川コース  

コース 踏破記  

今日は、呑川を歩いてみたいと思います。呑川という名前にはあまり馴染みがありません。池上辺りを散歩していた折、池上本門寺近くで川辺に立てられていた案内板を見てその川が呑川だと知ったくらいです。でも、実際は呑川の名前は意識しないものの、あちこちで呑川の一部を歩いていたのです。また、呑川やその支流上に作られた緑道も随分と歩いていました。それも今回呑川を歩くに際していろいろ調べてみて分かったことです。さて、呑川の源泉(水源)はどこなのでしょうか?ネットで調べてみても、世田谷区の桜新町付近としか情報がありません。呑川の存在が明確に認識できるのは、桜新町のお隣の新町(ややこしい)二丁目31番地から始まる緑道です。でも、他の情報ではもっと上流があるそうです。これは現地で確かめるしかありません。地図を片手に、田園都市線の桜新町駅に降り立ちます。  

呑川

呑川(のみかわ・のみがわ)は、東京都を流れる二級河川で、呑川水系の本流です。世田谷区桜新町の東急田園都市線桜新町駅付近を水源とし、世田谷区深沢・目黒区八雲・東横線都立大学駅付近(目黒区中根付近)・大井町線緑が丘駅及び目黒線大岡山駅付近(東京工業大学付近)・大田区石川町・雪ヶ谷・久が原・池上・蒲田(JR蒲田駅・東京工科大学・日本工学院専門学校・京急蒲田駅付近)を流れ、糀谷を抜けて東京湾に注いでいます。支流として、世田谷区上馬付近を水源として目黒区東が丘・柿の木坂を経て都立大学駅付近で本流と合流する柿の木坂支流、駒沢オリンピック公園付近を起点とする駒沢支流、世田谷区奥沢の浄真寺(九品仏)付近を水源として東横線自由が丘駅南口付近を通り大井町線緑が丘駅・大岡山駅付近(東京工業大学付近)で合流する九品仏川があります。 各支流、および本流上流部(世田谷区深沢から目黒区大岡山の東京工業大学付近まで)は全て暗渠化され、下水道として利用されています。下水道は本流暗渠部の終端やや上手で呑川から離れる形になっていますが、大雨が降って処理しきれなくなると呑川(開渠部)にも越流させるため、悪臭がひどいです。川の水は常にヘドロにまみれて汚れていますので、周辺住民も「呑川は汚れているもの」という考えが根付いていて、川に対する環境感情が希薄になりがちで、ごみなどの廃棄物が多数投げ込まれています。柿の木坂支流・駒沢支流・九品仏川の3つの支流の暗渠上には緑道が設置されています。現在開渠部に見られる流水はおもに、「城南3河川清流復活事業」による高度処理水で、暗渠の終端近い東京工業大学付近から放流されています。ほかに、大田区清水窪を水源のひとつとする洗足池から流れ出る洗足流れも注ぎ込んでいて、川底や川壁から無数の湧水、大田区久が原や上池台周辺の数本の小さな支流からも水が注ぎ込んでいます。水源近くの国道246号(玉川通り)から駒沢通りまでの1km程の区間は親水公園として整備され、循環水が流されています。川に沿って桜並木になっていて、川にはカルガモも見られます。下流は、大田区東蒲田付近で旧呑川と新呑川に分流しますが、いまの流路(本流)は新呑川になっています。洪水や氾濫を防ぐために直線化した新呑川(呑川)は、羽田空港との間の海老取川に注ぎ込んでいます。世田谷区深沢付近から目黒区中根、緑が丘付近の緑道(遊歩道)も桜並木となっていて、春になるとお花見で賑わいます。また子供たちなどの遊び場になっている他、都立大学駅付近など一部が目黒区の自転車置き場としても利用されています。呑川という名称の語源として、その昔牛が誤って川に落ち水を飲んでしまうことがあったからなどといった説があります。呑川にはコイ・フナ・ボラなどの魚が生息していて、近年はウナギが見つかったこともあります。しかし、最近はミシシッピアカミミガメやガーなどの日本に居るはずの無い外来生物が見つかっています。このうち、前者の繁殖は明らかですが、後者の繁殖は確認されていません。


桜新町といえば、サザエさんですね。街中至る所にサザエさん一家のモニュメントが溢れています。道路沿いは勿論、脇道の植え込みの中にもさりげなくカツオ君とワカメちゃんの絵が立てられています。サザエさん一家が街の中に溶け込んでいるようです。



それはさておき、呑川の源泉を探します。一説では、桜新町駅から用賀駅に向かう道路沿いのコンビニ横が最も源泉らしいとのことです。駅から三つ目の信号のところにコンビニがありました。隣のマンションとの間に細い通路が延びています。フェンスで立ち入りはできませんが、東京下水道と刻印されたマンホールが顔を出しているところを見ると、通路の地下に暗渠が存在すると思われます。道路の反対側にはそれらしき川の跡は見られませんので、ここを呑川の源泉としましょう。場所は桜新町一丁目41番地です。



フェンスの先が見通せませんので、出口と思われるところを探すために次の信号を左折して住宅街の中に入ります。あちこち探し回りましたがそれらしき印は見つかりません。またコンビニまで戻って、今度はきさらぎ亭という食堂の手前の路地に入ります。すると、路地の先にフェンスで閉じられた細い通路が見えます。方向的にも、この通路がコンビニ横の通路に繋がっているように思えます。通路の延長上は住宅に挟まれた細い路地になっていますが、ところどころにマンホールが顔をだしていますので、やはり地下には下水道の暗渠があるのでしょう。



その先もマンホールが顔を出した路地が住宅街の中をずっと貫いています。世田谷には未だところどころに農地が散在していますが、昔は呑川の水は農業にも貴重な恵みとなっていたのでしょう。



路地を伝って桜新町交番の前の広い道路に出ましたが、ここは二股路になっています。通ってきた路地の延長線と思われる右側の道路を進みますと、左手に赤茶色のレンガで覆われた角張った大きな建物が見えます。近づいてみますと、「長谷川町子美術館」という看板が立っていました。未だ開館の準備中のようです。美術館ということですが、どんな展示がされているのでしょうか?



美術館の隣には「世田谷区立桜新町一丁目緑地 通称名サザエさん公園」なる広場があります。園内にサザエさん一家の像がありますが、何かヘンですね。ノリスケさん一家がいないのはいいとして、マスオさんがいない!それにフネさんもいないですね。像の制作費が足りなかったのでしょうか?



地図で確かめると、どうも二股路で道を間違えたようです。桜新町交番の前に戻って、今度は二股路の左側の道に進みます。サザエさん通りという標識が見えます。そのまま進みますと、国道246号と交差する交差点に出ます。道路の反対側にはジョエリーパスタのお店が見えます。でも国道246号の向こう側から始まっている筈の呑川緑道は見当たりません。また道を間違えたようです。再び桜新町交番の前に戻って周囲をよく見ますと、二股路の手前から路地が延びています。所々にマンホールが顔を出していますので、こちらが可能性があります。路地を進みますと、突き当たりから植え込みに植樹された歩道が始まっています。どうやら、ここから明確な呑川本流が始まっているようです。



そのまま進んで国道246号を渡りますと、その先から呑川緑道が本格的に始まります。立派なアーケードの先には水の流れていない呑川が現れます。川の中には草が生い茂っていますので、普段から水は流れていないようです。



緑道には呑川に架かっていた橋の石造りのモニュメントが置かれています。川の両側には300本ほどの桜の木が植えられていて、春には川に沿って桜のトンネルが続き、遊歩道をのんびりと散策しながらお花見ができるそうです。



桜並木と呑川緑道公園は世田谷百景の89番目に登録されています。公式紹介文には次のように書かれています。「呑川の下水道化のために川の上をふさぎ緑道化したが、駒沢通りから上流はまだ川の流れが見える。川の流れに沿って桜並木があり、玉川通りまで続いている。遊歩道になった神明橋から下山橋にも桜並木が見られるが、これは川の土手の両側に植えられた桜がそのまま残ったもの。川の土手沿いの桜はかつて世田谷の春の風物詩だったが、今は区内各所で緑道沿いの桜と変わって世田谷に春の訪れを告げる。」ん?最後の部分が意味不明。

せたがや百景

「せたがや百景」は、昭和59年に世田谷区が選定した価値ある景観の100選です。選定にあたっては、まず百景の候補となる風景の中から200景が選出され、次に区民による投票を実施しました。その中から上位100位までを「せたがや百景」として区が認定しています。選定後には100ページの冊子が作成され、区の機関で閲覧ができるよう配慮されています。関連事業として、区は平成11年に「風景づくり条例」を制定しました。地域に残すべき風景を「地域風景資産」に選定し、その現存を推進する活動も行われています。一般に世田谷というと高級住宅街というイメージがありますが、当百景では身近な町並みやどこか懐かしい風景も紹介されています。




緑道を歩いていましたら、懐かしい案内板に出逢いました。10年ほど前にのめり込んだ「歴史と文化の散歩道」の立派な解説付きの案内板です。東京都の文化事業としては最高傑作だと私は思っているのですが、今年の2月に事業の終了と標識等の撤去が告知されました。私が生活習慣病一歩手前から健康を取り戻したのも、歴史と文化の散歩道で紹介されたコースを歩きまくったからと思っています。まことに残念ですが、この案内板も見納めになるかもしれません。

呑川と衾村

呑川は、世田谷区桜新町の湧水を合わせた呑川源流と、奥沢浄真寺(九品仏)境内の湧水池を水源とする九品仏川が合流し、次に大田区池上で洗足池を水源とする小川を合わせて蒲田方面へと流れ、東京湾に注ぎます。江戸時代より農業用水として利用されてきました。当時川流がつくる地形は起伏に富み、谷地は水田に、台地上は畑地に利用されました。このあたり一帯は衾村といい、大根・芋・筍などが特産品だったようです。衾の名の由来については定かではありません。村の地形が衾をひろげた形に似ているからという説、牧場が多く、馬の肥料であるフスマの産地であったからという説、また病気の伏馬から付けたという説などがあります。




目黒区の八雲二丁目で、呑川の支流のひとつである駒沢支流と合流します。呑川の柿の木坂支流と九品仏川もそうですが、全て呑川本流に直角に合流しているのは不思議です。



呑川は都立大学駅手前で目黒通りと交差します。目黒通りを渡りますと、駅前通りの隣りに木々に覆われた緑道が続きます。



緑道に入ったすぐ先の肉のハナマサの横で柿の木坂支流と合流します。といっても、中央の植え込み以外は緑道を感じさせるものは見当たらず、自転車置き場として使われているようなので、注意していないと見落としてしまいます。案内板のひとつでもあればいいのですけど。



緑道は東横線の高架下を通っています。壁に「目黒区みどりの散歩道」と題して、呑川・柿の木坂コースと呑川・自由が丘コースの紹介がありました。都立大学駅は昭和初期には柿の木坂駅という名前だったのですね。

目黒区みどりの散歩道

公園都市「めぐろ区」を歩く、散歩道。身近な公園や、神社、お寺などを結んだ9コースがあります。四季の自然や小さな歴史にふれながら、お好きなコースをお歩きください。




呑川は都立大学駅脇を通って大岡山に向かいます。緑道は東京工業大学の敷地を分断するように通っていますが、大学の敷地は高台になっていますので、一般の人達の通行は緑道を、大学関係者は歩道橋を使って両者の独立性が保たれています。緑道脇に「東工大とひょうたん池」という小さな案内板が立っていました。面白そうなので、ついでに見てみようと思います。
東工大とひょうたん池

東京工業大学は理工系の国立大学であり、広く明るいキャンパスの中に桜の老木が多い。呑川のそばにあるひょうたん池には、コイ・カルガモ・セキレイがいる。林には野鳥も多い。




ちょっとお邪魔して大学の敷地の中に入れてもらいます。歩道橋を渡った先の校舎の奥に木々に覆われ、一部がフェンスで囲まれた緑の広場が見えます。近づいてみますと、フェンス越しに小さな池というか沼みたいな水たまりが見えます。木々で覆われて見えずらいのですが、その先にもうひとつの池があります。よく見ると両者は真ん中で繋がっていて、ひょうたんの形をした双子の池になっています。何かいわれでもあるのかと探してみましたが、どこにも案内板はありませんでした。学生さんに「ひょうたんからこまをだすような斬新な研究をしろ」と伝えたいのでしょうか?



緑道は緑が丘駅の手前で終わります。大井町線を地下道でくぐり、更に目黒線を踏切で越えた先で呑川は暗渠区間から解放され、この先東京湾まで水面の見える川となって流れます。最近まで呑川の水質は最悪で、生活ゴミなども投げ込まれていたようですが、東京都の清流復活事業によって、清流とまではいかないものの、水質は随分と改善されてきています。

清流の復活 ―呑川−

呑川は世田谷区新町を源として、大田区大森南で東京湾にそそいでいます。呑川上流は極めて局地的にかんがいの水源として、下流は小舟の船運に利用されていましたが、都市化の進展や陸上交通の発展とともに、その利用状況が大きく変化し、水質の悪化や水量の減少がみられました。そこで、平成7年(1995年)3月より東京都では清流復活事業を実施し、呑川で清流の復活を行ないました。この呑川に流れている清流は、新宿区上落合にある落合水再生センターで高度処理した再生水を利用しています。東京都では、都民が水辺に親しむことができるとともに、水辺に多様な生物が生息できるよう、水質の向上や水量の回復により、心のやすらぐ水辺環境づくりをめざしています。




呑川の開口部分の手前には九品仏川が合流しています。これで三大支流は全て呑川本流に合流し、ここから先は名実ともに呑川になります。



開口部には仕切りカーテンが吊されていますが、どういう目的なのでしょうね。ここから先は両岸と川底がコンクリートで固められ、ちょっと味気なくなります。



呑川は、世田谷区と目黒区を経て、この先は大田区を流れます。大田区には「てくてく緑道」なる事業があって、呑川を軸とした様々なプログラムが行なわれているようです。区によって違いはありますが、このような事業はどんどん進めていただきたいものです。

てくてく緑道 呑川

昔の呑川は、田や畑をうるおし、緑をはぐくみ、大田区の人々にとってはなくてはならない水源でした。その後急激なキ市化にともない、水害に苦しむ時代もありました。そのため河川改修や護岸の整備、下水道の整備等により、災害に対しては強い川となりました。しかし、現在の呑川は維持用水の不足や河畔の緑の減少等により、味気のない水辺空間となっています。そこで大田区では、呑川とその周辺に川のもつ本来の役割である治水と心のやすらぎをとりもどすため「呑川緑道軸構想」をつくり”てくてく緑道・呑川”として、区民をはじめ多くの人たちに親しまれる川に育てていきたいと考えています。




住宅街を抜けて中原街道に突き当たります。ここに架かる橋は柳橋といいますが、その名の通り橋の袂には大きな柳の木が立っています。その脇には石柱があり、横に案内板がありました。呑川の歴史を感じさせられます。

石橋供養塔

安永三年(1774年)に、雪ヶ谷村の浄心ら六名の者が本願主となって、石橋の安泰を祈って建てられた供養塔である。石橋は現存しないが、呑川を渡って中原街道を通るため、当時すでに石橋がかけられていたことがわかる。正面に「南無妙法蓮華経」と題目が刻まれ、側面に村内の日蓮宗円長寺の住職日善の署名と花押が刻まれている。このように日蓮宗の色彩を帯びているのは、雪ヶ谷村の寺院がいずれも同宗であったという地域的な特色によるものである。石橋供養塔は、他の民間信仰供養塔と兼ねたものが多いが、この塔は石橋の無事と通行人の安全という交通安全だけを目的として建てられたものであり、貴重である。




中原街道を渡り、池上線の高架下を潜り、東海道新幹線と横須賀線の高架下を抜け、ほぼ真っ直ぐに延びる呑川の側道を進みます。国道1号線を渡った先で、呑川は緩やかに東に向きを変えます。ここは池上本門寺の正面にあたります。参道の奥に見える総門から続く96段の石段は、加藤清正による築造寄進(1600年前後)と伝えられています。96という数字にも特別な意味があるそうです。



池上通りに突き当たる手前に六郷用水と呑川のつながりを示す案内板がありました。六郷用水もいつか歩いてみたいですね。

六郷用水と呑川

六郷用水北堀は、南北引き分けから東進してくると呑川に突き当たります。そこで呑川を横断させ、新井宿(現在の中央一帯)方面へ流すため、「八寸」と呼ばれる堰が設けられました。この堰で分流された流れは、北上して旧池上道の山下橋(現存しない)をくぐり、養源寺橋の上流で呑川と一旦合流しました。ここは、少し下流に設けられた堰によって、呑川からの水量を確保し分流された分水路の跡です。




池上通りを渡った先にも六郷用水の案内板がありました。

中土手

堤方の八寸から直流した六郷用水は、このあたりで呑川と合流し、現在の上堰橋下流(池上第二小学校付近)から双流橋付近までの呑川の中央に築かれていた「中土手」と呼ばれた分水堤で分流され、東側は大森方面へ、西側は蒲田方面へ南下していました。この中土手はしばしば上流部の溢水の原因となっており、農業用水としての利用が減少した昭和六年に撤去されています。




下流に行くに従って、周辺からの下水が加わって呑川の水量は増しますが、汚れも目立ってきます。さすがにゴミの投げ込みはなくなったようですが、キ市河川の宿命でしょうか。



蒲田に近づいてきました。これまで南下してきた呑川の流れは日本工学院専門学校付近から東方向に向きを変えます。JRの鉄橋下を潜って京急の高架下の弾正橋を渡り、国道15号線(第一京浜)を渡ります。その先に夫婦橋親水公園があります。公園内の案内板には、呑川河口まで2.5kmと書いてあります。まだそんなにあるんだ。。。



とある橋の欄干に、海苔採りをモチーフにした銅板の彫刻がかけてありました。足下には、「海苔採り −冬− 生育した海苔を採集する作業を海苔採り、あるいはテイレ(手入れ)といいます」との解説がありました。



河口に向かって右岸を歩いてきましたが、緑道はとっくに終わり、呑川と平行して通る殺風景な工場街の道路になっています。反対側はどうかなと思って左岸に回りましたら、河口に向かって細い道が続いています。河口までもう一歩という場所に懐かしい「武蔵野の路 大井・羽田コース」の案内板が立っています。歴史と文化の散歩道同様、武蔵野の路も廃止され、この案内板も撤去されてしまうのでしょうか?東京都の文化遺産がまたひとつ失われてしまうのはまことに残念なことです。

武蔵野の路 大井・羽田コース

羽田空港付近の多摩川河口から大田区城南島の海上バス発着場までの湾岸埋立地を結ぶ約10.6kmの平坦なコースです。大井、京浜島、昭和島、城南島の各埋立地には各種レクリエーション施設が整備されています。羽田空港に離着陸する航空機のダイナミックな姿と、東京港野鳥公園に集まる数多くの野鳥の観察が楽しめます。




長かった呑川の歩きもフィナーレを迎えました。大きくカーブした先の岸壁に立つと、右手にかろうじて呑川の河口が眺められます。河口が面しているのは海老取川です。海老取川は、多摩川下流の大田区羽田六丁目から分流し、河口付近で新呑川と合流する総延長僅か2kmほどの河川です。海老取というからには、昔は海老が沢山採れたのでしょう。



ということで、14km余りの呑川を歩き終えました。世田谷の住宅地から出発し、都心の緑道、下町の工場街など、変化に富んだ景色が楽しめました。でも、結構疲れましたね。次はもう少し短距離の川を歩きたいものです。




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