呑川・柿の木坂支流コース  

コース 踏破記  

今日は、呑川の支流のひとつである柿の木坂支流を歩いてみたいと思います。ネットでいろいろ調べてみましたが、柿の木坂支流の源泉(水源)がどこかについてはイマイチはっきりしません。柿の木坂支流の存在が明確に認識できるのは、目黒区東ヶ丘一丁目から始まる緑道です。柿の木坂支流は今では完全に暗渠化され、緑道になっていますので、この緑道の下を流れていたのは間違いありません。柿の木坂支流の源泉について諸説ある中で私が最もそれらしく思えたのは、田園都市線の駒澤大学駅近くの上馬三丁目付近が水源であろうという説です。ただ、この辺りは今では住宅地となっていて、柿の木坂支流がかって流れていたとしても、その痕跡を辿ることは困難です。これは現地に赴いて調べるしかありません。駒澤大学駅で下車して宗円寺横の住宅街の道路を南下します。どこにもそれらしき川の痕跡は見つかりません。仕方がないので、マンホールが何個か連なった路地の入口辺りの上馬三丁目10番地の標識がある地点を独断で柿の木坂支流の源泉と決めます。  

柿の木坂支流

かつて、この川は世田谷区の住宅街を縫って流れ、東が丘一丁目35番先で目黒区に入り、柿の木坂三丁目からニ丁目・一丁目を経て目黒通りの下をくぐり、中根一丁目3番先で呑川(のみかわ)本流に注いでいました。昭和47年より、合流点から順次上・下流に向かって暗きょ化され、昭和55年には全長2キロメートル余りの緑道に変身しました。上流の東が丘一丁目辺りは、昭和39年に新住居表示が施行されるまで芳窪という地名でした。ヨシが生い茂った窪地があったというのがその名の由来といわれています。今では、町会名にその名を残すだけとなりましたが、緑道沿いの静かな住宅街も昭和ひとけたのころまでは武蔵野の面影を残した郊外地だったのです。




住宅街の一軒家の玄関先に江戸時代のものと思われる道標が立っていました。民家の敷地内に道標が置かれているとは珍しいですね。残念ながら道標の文字は読み取れませんでしたが、左〜右〜とありましたので、この道標は昔の道筋の分岐点に置かれていたのかもしれません。



そのまま進みますと、東ヶ丘一丁目36番地の先で道路は二股に分岐し、一方は東根公園通りになり、もう一方は中央に分離帯のように造られた柿の木坂緑道のある道路になります。



緑道の開始地点には、「目黒区立 呑川柿の木坂支流緑道」というプレートが埋め込まれた大きな岩が置かれています。昭和55年3月完成と書かれています。緑道の幅は狭いのですが、所々に暗渠を思わせる大きなマンホールが顔を出しています。



緑道のところどころに区が設置した案内板が立てられています。目黒区には「根」の付いた地名が見かけられますが、それには次のような理由があるみたいです。

「根」のつく地名

「根」とは、台地の縁とか、谷のひだの意味で、呑川の浸食で複雑な谷をつくっていたこのあたりに、東根・曽根・平根(たいらね)などの小字名がありました。東根は公園や小学校の名に残っています。




緑道は環七の駒沢陸橋近くで駒沢通りと交差します。その後、環七と付かず離れずでほぼ平行して都立大学駅方向に延びています。



都立大学駅手前で緑道は終わり、その先は目黒通りと交差します。目黒通りを越えた先には緑道の続きと思われる路地が繋がっています。



路地に入りますと、中央にグリーンベルトのように造られた花壇があります。とはいっても、ここは自転車置き場になっているようです。駅前通りを渡った先の路地も同じように自転車置き場になっています。奥まったところに肉のハナマサがあります。



肉のハナマサの横手には呑川本流跡に造られた緑道が延びています。つまり、ここで柿の木坂支流が呑川本流に合流していたことになります。合流地点の緑道は少し幅が広くなっていますが、柿の木坂支流との合流点であるという証はどこにも見かけられませんでした。ちょっと残念。






戻る