- 玉川上水コース(1)
- コース 踏破記
- 谷端川を歩いて次はどこにしようかと考えていました。玉川上水は自然の河川ではないのですが、一度歩いてみたいなとは以前から思っていました。ただ、源流(多摩川取水口)から歩くには距離があり過ぎ、また一部の区間ではルートも不明のため今まで歩くのは躊躇していました。先日、笹塚駅から先の玉川上水緑道を散歩していた折に、環七から甲州街道に抜けるルートを発見し、初台から杉並区の玉川上水公園までの道順が確定しました。初台から四谷大木戸までのルートは依然として不明ですが、これは実際に歩いてみて確かめるしかありません。ということで、いつものお散歩のつもりで初台から四谷大木戸まで歩いてみることにします。山手通りと甲州街道が交差する初台交差点の横に玉川上水緑道が通っているのは知っていました。今回、初めてその緑道に入ってみます。緑道は西参道を経て文化服装学院の前を通って西新宿一丁目交差点脇まで続いています。そこから先は新宿駅の構内で分断され、四谷大木戸までのルートは分かりません。それらしき痕跡を求めてバスタの先に回ってみます。路地を巡って新宿高校の前まで探したのですが、玉川上水の跡を見つけることはできませんでした。諦めて新宿御苑に沿って四谷大木戸まで延びる新宿通りの裏道路を歩いて行きます。ふと見ると、入園は有料の筈の新宿御苑のフェンスの一カ所が開いています。通行人が出入りしているところをみますと、自由に入れそうです。無料なら何でも試す性格なので中に入ってみます。有料の園内とはフェンスで隔たれていますが、外周にそって大木戸門まで歩行者用の通路が延びています。でも、単なる通路ではなく、通路の脇に小川が造られていて、チョロチョロ水も流れています。案内板が幾つか立てられていて、ここは新たに開設された玉川上水・内藤新宿(新宿御苑)分水散歩道であることが分かりました。玉川上水跡ではありませんが、これは大きな発見です。
玉川上水・内藤新宿分水散歩道
玉川上水の新しい分水路の誕生
新宿区では、「まちの記憶」として次世代に受け継ぐべき財産である「玉川上水」の流れを偲ぶため、環境省をはじめとした多くの関係者の協力のもと、新宿御苑内に玉川上水・内藤新宿分水散歩道を整備いたしました。分水散歩道の延長は約540m「旧新宿門」「大銀杏」「大木戸」の3区間から成り、水源には国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に湧出した地下水を利用しています。水路底には、粘土を使用し、自然な流れを再現しました。また、既存の樹木を生かしながら林床には、武蔵野の雑林で生育する草木類を中心に植栽しています。新宿御苑の雄大な自然と四季折々の変化とあわせて散策をお楽しみください。
案内板の地図を見ますと、玉川上水は新宿駅南口付近を経て新宿御苑に沿った現在の道路をなぞるように四谷大木戸まで延びていたようです。なるほど、これで四谷大木戸から杉並区の玉川上水公園までのルートが繋がりました。これなら羽村堤とはいかないまでも、玉川上水の歩きに挑戦してみることはできそうです。別の案内板には、玉川上水の生い立ちとか四谷大木戸の水番屋についても説明してありました。
玉川上水の生い立ちと新宿
玉川上水の歴史
玉川上水は、江戸の飲料水を確保するために、玉川兄弟の手により承応3年(1654年)に開設されました。取水口である多摩川の羽村堰(羽村市)から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43kmの区間は、土を掘り抜いただけの開渠(かいきょ)で造られていました。四谷大木戸から市中へは、石や木で造られた水道管を通じて水を供給し、淀橋浄水場の完成した明治31年(1898年)頃まで、江戸・東京の人々にとって貴重な水資源でした。新宿区には、四谷大木戸に水番屋があり上水の管理を行っていました。また、四谷見付付近には、江戸城本丸、吹上御殿、市中の武家や町人の屋敷へ供給する分水の分岐点となっていました。これらの地域は上水管理の上で、大変重要な役割を持っていたことがわかります。
新宿における玉川上水
新宿区内での上水の利用は、四谷などごく一部でした。四谷は下町と違い、水にめぐまれた地域であったことから、掘り抜きの井戸を多く使っていたためと思われます。水の確保のためにつくられた上水ですが、内藤新宿界隈では、桜並木が続く江戸の名所を生み出し、多くの行楽客でにぎわいました。明治になると、通船が行き交っていた時期もありました。
玉川上水の水番屋
玉川上水を管理する水番屋
江戸の貴重な水資源を守るため、玉川上水は、厳重に管理されていました。上水で魚を獲ることや水浴びをすること、洗いものをすることを禁じていました。このため、流域の村々の利用は厳しく制限され、羽村、代田村(現杉並区)、四谷大木戸には、水番屋が設置され、水質、水量や異物の監視を行っていました。四谷大木戸の水番屋は、構内の総坪数が630坪(約2082平方メートル)余りあり、流れてきたごみを止める「芥留」、満水時に渋谷川へ水を排出する「吐水門」、暗渠へ入る「水門」がありました。「水門」では、水量を測定する「歩板」が設けられ、この板から水面までの感覚から市雨量の増減を調べました。
水道碑記
四谷大木戸の水番屋は、現在の四谷地域センター内にあり、これを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。石碑は、高さ4.6mにおよび、篆額は徳川家達が書き、書は金井之恭が書いています。碑文には、漢文で玉川上水建設の理由や、工事を請け負った玉川兄弟の功績をたたえた内容が書かれています。
玉川上水の貴重な情報が得られ、大満足で新宿御苑を出ます。大木土門横に、大きな石に埋め込まれたプレートの記念碑が置かれていました。内藤とは、天正十八年(一五九〇年)に徳川家康が関東に入国したときに、この地に広大な屋敷地を拝領した内藤清成の姓です。現在の新宿御苑は内藤家の屋敷の一部ですが、その北側に甲州街道に沿って造成された宿場が内藤新宿でした。
内藤新宿開設三百年記念碑
元禄十一年(一六九八年)六月、浅草阿部川町の名手・高松喜兵衛(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約一kmに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。この宿場は、享保三年(一七一八年)に一旦廃止されたが、五十四年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する交通の要衡として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(一九九八年)、開設三百年を迎えることとなった。新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、ここに記念碑を建立する。
玉川上水の前半のルートが判明しましたので、お昼過ぎになりましたが玉川上水の歩きを始めたいと思います。その前に玉川上水についてまとめてみます。
玉川上水
玉川上水(たまがわじょうすい)は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つである。多摩の羽村から四谷までの全長43kmが1653年に築かれた。また、一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。羽村取水堰で多摩川から取水し、武蔵野台地を東流し、現在の四谷四丁目交差点付近の四谷大木戸に付設された「水番所」(水番屋)を経て市中へと分配されていた。羽村から大木戸までの約43キロメートルはすべて露天掘りで、水番所以下は木樋や石樋を用いた地下水道である。羽村から四谷大木戸までの本線は武蔵野台地の尾根筋を選んで引かれているほか、大規模な分水路もおおむね武蔵野台地内の河川の分水嶺を選んで引かれている。1722年(享保7年)以降の新田開発によって、野火止用水や千川上水など多くの分水(用水路)が開削されて武蔵野の農地へも水を供給し、農業生産にも大いに貢献した。
歩き始めは四谷大木戸です。新宿御苑に沿った裏道路と新宿通りが合流する手前の三角形の敷地に記念碑と案内板が立てられています。新宿通りを歩く時に見慣れた光景ですが、案内板の内容を注意して読んだのは初めてです。
玉川上水水番所跡
所在地:東京都新宿区内藤町87番地 四谷地域センター敷地内
玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
一、此上水道において魚を取水をあびちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷竝両側三間通に在来候並木下草其外草刈取申間敷候事右之通相背輩あらば可為曲事者也
元文四巳未年十二月 奉行
水道碑記 東京都指定有形文化財(古文書)
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ460cm、幅260cm。上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、題字は井亀泉によるもので、表面に780字、裏面に130字が陰刻されている。碑の表面には明治48年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治28年(1895年)に完成したものである(裏面銘文)。
四谷大木戸跡碑 [東京都指定旧跡]
昭和34年11月地下鉄丸の内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。実際の大木戸の位置は、ここより約80m東の四谷4丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。大木戸とは1616年に江戸から地方に向かう主要街道に設けられた江戸市街地に出入する際の検問所のひとつ。1616年に甲州街道の大木戸として設けられ1792年に廃止された。
記念碑のある四谷地域センター敷地の中に細いカーブした通路があります。私有地みたいですが入ってみます。ビルの脇を通って出た先が新宿御苑の大木戸門の出口付近になります。手前に玉川上水の案内板が立っていました。この先、同じような内容の案内板がイヤというほど出てきますが、ご容赦の程を。
玉川上水
玉川上水は幕府が江戸市中の拡大発展と人口の増加にともなう水不足を解消するために、承応二年(一六五三年)から翌三年(一六五四年)にかけて開削(かいさく)した水路である。上水は多摩川の羽村(はむら)に堰(せき)を設けて取水(しゅすい)し、ここ内藤新宿の水番所までの四十三キロメートルは掘割で、ここより江戸市中へは地下に石樋(せきひ)、木樋(もくひ)といった水道管を埋設して給水した。また途中三十余ヶ所で分水され、武蔵野台地の新田開発に利用された。工事は江戸の町人である庄右衛門(しょうえもん)、清右衛門(せいえもん)が請負い、川越藩主松平信綱(まつだいらのぶつな)が総奉行を、関東郡代伊奈忠治(かんとうぐんだいいなただはる)が水道奉行を命ぜられ、これを監督した。玉川上水の工事は、途中幾多の困難に遭遇したが、川越藩士、安松金右衛門(やすまつきんえもん)の協力もあり、一年五ヶ月程という、短期間で完成した。掘削りによってでた土砂は掘割の両側に堤として積み上げ、桜並木などをつくり(小金井など)、当時の江戸の人々の行楽の場所となった。
四谷大木戸から新宿御苑の外周に沿って新宿高校まで延びる道路を進みます。新宿通りの裏にあたりますが、ところどころにこじゃれたお店やレストランがあります。裏通りの割には結構お客さんが入っていますね。かなり密な店内ですが、コロナは大丈夫でしょうか?新宿駅南口の甲州街道を通って西新宿一丁目交差点に向かいます。
西新宿一丁目交差点から代々木駅方向にひとつ入った路地から玉川上水緑道が始まります。緑道といっても、この区間は一般道になっています。入口には玉川上水に架かっていた葵橋の親柱が残されています。玉川上水には現存する橋(親柱のみになってしまったものも含めて)が146ありますが、その四谷大木戸寄りの最初の橋がこの葵橋です。もっとも、架けられた当時のものではなく、真新しい親柱で再現されていますが。
葵橋から続いた一般道は千駄ヶ谷橋から歩行者専用の緑道になります。道幅は広く、舗装もされた都会のオアシスです。
緑道はその先で甲州街道の歩道に合流し、文化服装学院の前を通ります。ビルの前には赤いレンガで造られたアーチが置かれ、その横に案内板が立っていました。
玉川上水の記
かつてこの地には、玉川上水 が流れていました。玉川上水は、江戸城下の急激な発展に伴う水不足を解消するため、江戸幕府により承応3年(1654年)に開削された人工の水路です。全長は、多摩川上流の羽村取水口から四谷大木戸に至る約43キロメートルです。この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的のほか、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水、かんがい用水、水車の動力等に幅広く利用されました。明治31年、東京の近代水道創設に伴い、杉並区和泉町から淀橋浄水場の間に新水路が開削されたため、和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としてこの役割を終え、余水路として使用されることとなりました。その後大部分が暗渠化され、現在では公園や道路として使われています。東京都水道局では、このゆかりの地にモニュメントを建立し、玉川上水に携わった先人の偉業を末永く後世に伝えるものです。このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。
文化服装学院の先で甲州街道から離れ、緑道は山手通りに向かいます。この区間は、玉川上水旧水路代々木緑道という名前になっています。
山手通りで緑道は分断されますが、山手通りを渡った先からは玉川上水旧水路緑道(初台地区)となります。緑道は甲州街道と付かず離れずと延びていて、初台地区から西原地区に入ります。歩き始めの時点では青空だったのですが、空がだんだん暗くなり雨雲が広がってきました。今日は2時過ぎには雨になるとの予報だったので、切りの良いところで玉川上水の歩きを終えたいと思っています。
幡ヶ谷駅から延びるNISHIHARA STREETという商店街の外れに二字橋(ふたあざはし)があります。橋の袂に案内板が立っていました。
玉川上水跡
ここに、玉川上水が流れていました。現在は暗渠となり、緑ゆたかな公園になっていますが、よく注意して見ると各所に橋の欄干や、橋の名が残っています。玉川上水は、承応二年(一六五三年)四月に、庄右衛門・清右衛門兄弟が幕府の命を受けて着工しました。この大工事は、玉川の羽村に取水口を設け、同年十一月には四谷大木戸までおよそ四十三キロメートルの堀り割りが完成しました。翌年六月には、虎ノ門外まで地下を石鎚・木槌で通水しました。この上水は、江戸の生活用水として使われましたが、その余水は田畑の灌漑用水にも使われました。また、渋谷川などでは、その落水を利用して水車を動かし、この渋谷にも限りない恩恵を与えました。
と、ここで雨粒がポツリ。この先は笹塚駅までの歩きになりますので、今日の玉川上水の歩きはここで中断することにします。
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