- 石神井川コース(1)
- コース 踏破記
- 連日猛暑続きだった8月が終わり、今度は一転して雨の日が多くなりました。夏の名残りで日中でも急な雷雨があり、なかなか長距離の歩きは難しい今日この頃です。久しぶりにお天気になったので、残暑は厳しいですけど今日は念願だった石神井川を歩いてみようと思います。石神井川は一部区間ではありますが、歴史と文化の散歩道や武蔵野の路でコースに組み込まれていることもあって、何度も歩いたことがあります。でも、源泉がどこにあり、どんな流路をとっているのか考えたことはありませんでした。先ずはネットで下調べをします。
石神井川
石神井川(しゃくじいがわ)は東京都を流れる一級河川で、荒川水系の支流です。流路延長は25.2kmにも及びます。小平市花小金井南町に源を発し、小平市・西東京市・練馬区・板橋区・北区を経て北区堀船三丁目で隅田川に合流します。小平市花小金井南町の小金井カントリー倶楽部西側付近に源を発していますが、かつての源流はさらに西に遡っていました。小金井カントリー倶楽部敷地内は大部分が暗渠で流れ、嘉悦大学の南側で開渠の川になります。嘉悦大学裏門から小金井公園通りまで蓋がけされた後、小金井公園沿いは柵渠となります。西東京市の南を流れ、練馬区に入ります。西東京市では、1980年に芝久保調整池と南町調整池、1983年に向台調整池が設けられ、増水時に川の水を貯留するようになりました。小平市・西東京市に含まれる上流部は湧水のみによって涵養される小河川であるため、流量は少ないです。練馬区に入ると、武蔵関公園の富士見池、石神井公園の三宝寺池、豊島園池などの湧水や河床からの湧水を合わせ、流量を増してきます。現在、富士見池や三宝寺池は湧水が減少し、地下水の揚水などによって池の水が維持されています。三宝寺池と石神井池は石神井川に接続していませんが、富士見池はわずかな溢水が石神井川に流入しています。また、富士見池は調整池の役割も果たしています。水害防止のため、富士見池調整池(練馬区関町北三丁目)が1973年に建設されました。城北中央公園で板橋区に入り、桜川一丁目で田柄川を合わせ、川越街道・東武東上線・中山道を横断し、JR埼京線を潜って北区に入ります。その後、王子駅の下を抜けて北区堀船三丁目で隅田川に注いでいます。石神井川は金沢橋付近(埼京線の上流約200m)から音無橋にかけて音無渓谷と呼ばれる深い谷となっていました。現在、渓谷部分はほとんどがコンクリートの垂直護岸となっていて、屈曲部の直線化や飛鳥山隧道建設などの改修によって流路も大きく変わっています。直線化の結果残った旧流路の一部は、氷川町つりぼり公園や音無もみじ緑地や音無さくら緑地などとして整備されています。
石神井川はよく知られていますので、ネットには沢山の情報で溢れています。源泉については、かっては小平市にある鈴木小学校の敷地内にあったとのことです。現在では政財界の要人がプレーし、メンバープレー料金が日本一高いといわれる小金井カントリー倶楽部の敷地内の湧水とされています。ただ、小金井カントリー倶楽部の敷地内では暗渠化されており、河川として姿を現すのは小金井公園の小平口横の公園北橋です。完璧を目指して元々の源泉である鈴木小学校に向います。鈴木小学校は新小金井街道に面していて、公共交通の便はバスしかありません。武蔵小金井駅北口から西武バスに乗って日立国際電気前に向います(国分寺駅から立川バスで直接鈴木小学校に行くこともできます)。日立国際電気前に降り立ちますと、校外の住宅地には不釣り合いな大きなビルが並んでいます。無線通信機器や放送・映像機器の製造販売を手がける大手企業なのだそうです。新小金井街道までは歩いて10分位です。鈴木小学校までは更に新小金井街道に沿って10分ほど歩きます。周囲は平坦な土地で、住宅や農地が広がっています。おんや、突然崖というか窪地が現れます。下を見下ろしますと、校庭と校舎が見えます。ここが鈴木小学校のようです。体育の授業中でしょうか、何人かの児童が集まって座り込んでいます。改めて周囲を見渡しますと小学校の敷地全体が窪地の中にあるように見えます。校庭に降りる階段は閉ざされていますので、回り込んで正門の方に向います。
新小金井街道の反対側には鈴木遺跡資料館が建っています。未だ午前10時前だからでしょうか、入口は閉ざされています(今日は休館日だったようです)。新小金井街道から坂を下って鈴木小学校の正門に行こうとしましたら、角に案内板が立っていました。小平市には幾つか古墳があるようで、ここ鈴木小学校の建設中に発見された鈴木遺跡は代表的なものです。
鈴木遺跡
石神井川の水源部の谷頭部を取り巻くように分布する遺跡で、都内有数の規模をもっています。昭和49年(1974年)、鈴木小学校の建設に伴って江戸時代の水車の水路跡などが見つかったことがきっかけで確認されました。この遺跡からは、今からおよそ3万数千年前から1万5千年前の後期旧石器時代の遺物が数多く、また何層にもわたって発見され、わが国の後期旧石器時代を代表する遺跡となりました。中でも刃の部分を磨いて尖らせる局部磨製や打製の斧形石器は、この遺跡を代表する遺物のひとつです。
鈴木小学校の正門前にやってきました。敷地内には入れませんが、源泉はどこだろうと探します。一説には、校長室あたりがそうだとか、体育館の建っている場所がそうだとかいわれていますが、敷地全体が崖下にあるので、どこでも可能性はあります。この崖は関東ローム層が段差となったので、地下の水が湧水として出てきたのでしょう。石神井川の源泉としては至極納得できる話です。
小学校の正門前からなだらかな下り坂が続いています。今は道路になっていますが、石神井川もこの勾配に従って流れていたのでしょう。住宅街の中に昔懐かしい赤ポストが立っています。小平市には丸型ポストが都内最多の37本も残っているのだそうです。ちなみに、23区内にはたったの5本しか設置されていないそうです。ならば、その5本を探すのも一興かもしれません。
下り坂はフェンスで囲まれた広大なゴルフ場に突き当たります。T字路になっていますので、右(南)に行くか左(北)に行くか迷います。石神井川は小金井公園の北側を流れているとのことですので、左に進みます。
左に進んだ直ぐ先にまた小学校があります。小平第八小学校だそうです。鈴木小学校と大して離れていませんが、小平市には小学生が多いのでしょうか?道路に面した校庭のフェンス際に案内板が立っていました。小平市の小学校は遺跡と縁がありそうです。
小平市八小遺跡
昭和44年(1969年)1月、当時八小の職員だった鱒渕清之さんが発見した竪穴住居址です。同年3月、当時東京都武蔵野郷土館の考古学担当主事だった吉田格さんの指導のもと、東京学芸大学の考古学研究部によって発掘調査が行われ、土師器(素焼きの土器)の甑(穀物を蒸すための底のない器)や坏(皿形の土器)、甕や砥石の破片などが発見されました。これらの遺物から、遺跡は奈良時代に属する建物の跡と思われ、昭和49年(1974年)に発見された鈴木遺跡とともに郷土の歴史を知る貴重な資料です。住居址は上屋が復元されていましたが、老朽化したため平成17年(2005年)に埋め戻され、約40cm盛られた覆土の上に石列で住居址の位置が表示されています。
ゴルフ場のフェンスに沿って北に向います。ようやくフェンスが途切れ、住宅地の中を進みますと、何やら掘割のような溝が一直線に延びています。ひょっとして、これが石神井川の流路の跡なのでしょうか?掘割には側道がありませんので、その先を確かめるには更に北に進んで回り道をするしかありません。
随分歩いて、やっと小金井公園の方向に向う道路に出ました。道幅は狭いですけど、路線バスも通っています。後で知ったのですが、この道路は鈴木街道というのだそうです。小学校の名前も道路の名前も町の名前も鈴木だらけで、ここに鈴木さんが住んでいたらややこしいですね。
鈴木町交差点(またぁ!)で鈴木街道は小金井街道と交差します。ここで地図をよく確かめればよかったのですが、鈴木街道を直進しないで小金井街道を南に進んでしまいました。大ロスの始まりです。右側も左側も壁が連なり、行けども行けども小金井公園に入る入口が見当たりません。後で気が付いたのですが、小金井カントリー倶楽部は小金井街道の西側だけでなく、東側にも繋がっていたんですね。道路の上に人道橋が架かっていて、プレイヤーは両サイドのコースを行き来できるみたいです。このまま五日市街道まで行ってしまうのかなぁと思っていたら、ゴルフ場と小金井公園の間に細い抜け道があります。途中で行き止まりになりはしないかと不安になりましたが、向こうから人がやってきていますのでその心配はなさそうです。両側が木々で覆われた道を進みます。右手の柵の内側は江戸東京たてもの園になっていて、昔の建物などが移築・展示されているようです。
それにしても小金井カントリー倶楽部の敷地は広いですね。ようやくフェンスが途切れた先に小金井公園の入口がありました。小平口とのことです。
案内板の先に石神井川の立て札が見えます。どうやら、石神井川はここで姿を現しているようです。確かに水が流れています。
開口部には公園北橋が架かっていて、反対側を見ますと暗渠らしきコンクリートの蓋が続いています。
コンクリートの蓋はゴルフ場の壁に沿って続いており、更に辿っていきますとフェンスで行く手を阻まれます。フェンスの先には木々で覆われた川筋と思われる窪地が延びています。現在の石神井川の源泉はゴルフ場の湧水とされており、常に水が流れている訳ではないそうです。ということで今は干上がった状態なのでしょうか?
フェンスの右手に行きますと、そこも柵で閉じられています。表札には嘉悦大学と書かれています。この大学の敷地内からわき出た湧水も石神井川の水源になっているとかで、開口部で流れていた水は嘉悦大学から流れ出たものかもしれません。何はともあれ、一応石神井川の源が確かめられて満足です。
改めて公園北橋から石神井川の流路を確認します。どうやら小金井公園の北側に沿って東方向に流れているように見えます。手持ちの地図では、この辺りまでは5万分の1の縮尺で、この先は2万分の1の縮尺に変わっています。なのでよ〜〜〜く見れば石神井川の流路がこの先は北上しているのが分かった筈ですが、思い込みというのは恐ろしいもので、この先も小金井公園の北端に沿って東に流れているものと信じて疑いませんでした。小平口から出て、すぐ先の鈴木街道に出れば何ということもなかったのですが。
開口部から先の石神井川には側道がありませんので、公園の中の歩道に沿って東口を目指します。直ぐの左手に池があります。ふたつあって、東工大にあるひょうたん池を思い起こさせますが、こちらは単に二つ池というのだそうです。
小金井公園は桜の名所として知られていて、園内にはヤマザクラ・ソメイヨシノ・サトザクラなど50種類、約1,700本の桜の木が植えられています。珍しい品種も多く、それらには桜の木の傍に解説板も添えられています。
神代曙
原木が東京都の神代植物園にあり、西田尚道氏が発見し命名された品種です。各部にエドヒガンの特徴が見られ、エドヒガンと他種との雑種と考えられます。花は淡紅色で、ソメイヨシノに比べやや色が濃いです。・・・
公園の東口が近づいてきました。それにしても小金井公園の広いこと。小平口から随分と歩いてきたような感じです。公園の北側には木の植わっていない草地が真っ直ぐに延びています。ひょっとして石神井川が暗渠になって流れているのでしょうか?
東口に出ました。ちょっと広めの道路が五日市街道に向って延びています。石神井川はどこを流れているのかな?と辺りを探しますが見当たりません。ここで初めて地図を確認します。ナ、ナ、ナント!石神井川の流路は二つ池の先で急に向きを変え、北上しているではありませんか!何のことはない、最初から鈴木街道を真っ直ぐに進んでいれば余計な道草はしなくて済んだものを。と後悔しても始まりません。鈴木街道を小平口まで戻ることにします。暑さと疲労でどっと疲れがでます。それにしても、鈴木街道の道幅の狭いこと。バスと対向車とのすれ違いも一苦労のようで、その間歩行者は道端で立ち尽くしてしまいます。
ようやっと小金井公園の小平口の手前まで戻ってきました。地図の通り、石神井川は小金井公園から鈴木街道に向って真っ直ぐに流れています。
鈴木街道と交差した石神井川の流路はそのまま北に向っていて、小高く盛り土された土手の下のトンネルに流れ込んでいます。地図を見ますと、土手は多摩湖自転車道となっています。随分前に歩いた道ですが、まさかこんなところで再会するとは夢にも思いませんでした。この先の石神井川には側道も見当たらないし、多摩湖自転車道を横断するすべもないので、回り道をして先に進むしかありません。
緩やかな上り勾配の坂道を進み、おふろの王様という入浴施設の先で多摩湖自転車道を横断します。細い道がくねくねと延びていて、なかなか石神井川の姿を見ることはできません。ようやっと川岸に辿り着いたと思ったら、直ぐに側道は途切れます。また回り道をしなければなりません。
橋が架かっているところでは川筋は見えるのですが、両側は民家や木々が生い茂っていて川沿いには歩けません。また回り道です。
また回り道。。。
ようやっとまともな側道が現れました。川の両側に立てられた防護柵もちょっとお洒落な感じです。
電車が走っていますね。西武新宿線みたいです。石神井川と線路の間に広い窪地があります。石神井川の水かさが増した時に一時的に川の水を溜めるための調節池だそうです。
石神井川南町調節池概要
調節池の目的(多目的利用の洪水調節池です)
大雨が降って石神井川の水位が上昇した時には、一時的に川の水を貯留して石神井川の水位を下げ、洪水になるのを防ぎます。平常時は、西東京市の「柳沢児童広場」として有効利用します。
石神井川は西武柳沢駅の南で青梅街道と交差します。その先暫く側道はなくなり、青梅街道と平行して流れます。
目の前に朱色も鮮やかな巨大な鳥居が立っています。東伏見稲荷神社です。昭和4年(1929年)に京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して創建されたとのことで、京都より東に位置するので東伏見稲荷神社と呼ばれ、その後地名も近くの駅名も東伏見に改名されたそうです。石神井川に架かる橋の名前も東伏見橋となっていますが、これはどうなんでしょうか?
綺麗に整備された遊歩道を歩いていましたら、対岸に野球のユニホームを着た若者がランニングをしています。川沿いに早稲田大学の東伏見運動場がありますので、野球部の学生さんでしょうか?空を見上げると、西半分にどんよりとした雨雲が広がってきています。先を急ぎます。石神井川は運動場の先で北に向きを変えて公園の中に流れ込んでいます。入口のプレートには練馬区立武蔵関公園と表示されています。石神井川は公園の中を流れているんだと、ちょっと不思議な感じがします。公園に入って驚きました。ナント、石神井川が池というか湖になっているのです。湖の中には小島もあります。どういうこと?
湖の北端に行って謎が解けました。石神井川は湖で行き止まりになっているのではなく、北端にある水門から水が流れ出ているのです。水門の先は再び石神井川になります。
更によく見ますと、水門の先で公園の外周を巡ってきた別の流れと合流しています。地図で見ると、石神井川は公園の入口で湖に流れ込む流路と公園の外周に沿って流れる流路の二手に分かれているのです。湖が調節池の役割を果たしているのかもしれません。
武蔵関公園を出ますと、武蔵関駅は目の前です。既に空は雨雲で覆われ、何時雨が降ってくるか分かりません。今日はここまでにしようかなと弱気の虫がささやきますが、強気の虫がそれを拒絶します。ここから先、西武新宿線から離れていきますので帰宅するには不便です。ま、何とかなるでしょう。川の左手に工事用の塀で囲まれた団地らしき建物群があります。都営上石神井アパートというのだそうです。平成21年から建て替え工事が始まっていて、未だ進行中のようです。子だくさんの時代のお祭りの写真なんかが塀に貼ってあって、往時を偲ばせています。
と、ここで雨粒が落ちてきました。仕方がありません、傘の出番です。石神井川は新青梅街道と交差しますが、その先は大規模な護岸工事が行なわれていて遊歩道は閉鎖されています。傘を差して歩きにくいのに回り道を余儀なくされます。その先も工事中の箇所があって、随分と時間を食ってしまいます。いつの間にか雨は上がり、青空が広がってきました。ようやく井草通りに架かる蛍橋までやって来ました。ここからは荻窪方面へのバス便があり、今日の歩きを終えようかと暫し思案します。でももうちょっと先まで行こうと決めます。
蛍橋の横にJA東京あおばの「とれたて村石神井」の建物があります。遊歩道に面した敷地内に黒光りするお墓のようなツルツルの石のオブジェが鎮座しています。甘藍と書いてあったので、甘藷(さつまいも)と見間違えましたが、キャベツの別名なんだそうです。練馬の大根は有名ですが、キャベツも特産なんですね。
練馬の甘藍
キャベツが練馬大根に代わり練馬区の特産物になったのは、多年の連作障害により練馬大根の栽培が困難になった昭和八年頃からである。キャベツ生産者は幾多の障害を、栽培技術の向上・優良系統の選抜などたゆまぬ努力で克服し、練馬区は全国でも有数の生産地となり、都市農業の礎を築いてきた。昭和四十八年高騰する消費者物価を抑制し、都民に新鮮で安全な野菜を安定供給することを目的に、東京都は「東京ふるさと野菜供給事業」を練馬区石神井・大泉の各農業協同組合との間で締結した。その後、この事業は東京都全体に広がって生産量も増加し、初夏産・秋冬産の年二回の東京キャベツは、東京都中央卸売市場で不動の地位を得て、今日まで都民の食生活に大きく貢献してきた。ここに、東京ふるさと野菜供給事業二十五周年を記念して、練馬区の特産物「キャベツ」を後世に伝え、生産者の労を称えるため、甘藍の碑を建立するものである。
平成十年十月吉日
キャベツの碑建立実行委員会
もちょっと、もちょっとと歩いてきて旧早稲田通りに架かる豊島橋までやってきました。午後3時過ぎになりましたので、今日の歩きはここまでにしましょう。小平でのルート選択の拙さで思ったほどの距離は歩けませんでした。でも、いろんな発見があって面白かったです。また明日、続きを歩くことにしましょう。
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