野川コース(2)  

コース 踏破記  

ちょっと日にちが空きましたが、今日は野川コースの後半区間を歩きたいと思います。ここのところ秋の長雨なのか、はっきりしないお天気が続いています。今日も朝から曇天で、今にも雨が降ってきそうなお天気です。予報では午後晴れるとか言っていますが、どうなるでしょうか?ま、途中で降られたら傘差してでも完歩するつもりで早めに出掛けます。それでも昨日の中断地点である馬橋に着いたのは午前11時でした。今日は4連休中の中日ということで、お散歩する人とかファミリーでサイクリングする人とかなど、遊歩道はそこそこ人出があります。ということで、野川の下流を目指して歩き始めます。  



歩き始めて直ぐに京王線の下をくぐります。交差する道路では大抵迂回して横断歩道を渡りますが、野川の遊歩道は線路の下をくぐる地下道が設けられているので回り道をするロスがありません。



野川とその周辺は自然が豊かです。そんな訳で、野鳥(ヒヨドリ・ムクドリ・メジロ・シジュウカラ・カルガモ・コガモ・スズメ・カワセミ・コサキ・ハクセキレイ・マガモ・ツグミ・ダイサギ)とか川魚(コイ・ギンブナ・モツゴ・アユ・オイカワ・メダカ・ドジョウ)とかが保護を受けつつ生息しています。緑地にはさまざまな種類の昆虫も繁殖していて、都心には珍しくも貴重な生態系が維持されています。

武蔵野の路: 野川コースの概要

三鷹市にある野川公園から世田谷区二子玉川緑地運動場までの野川沿いの平坦な11.7kmのコースで、緑豊かな散策路として、また快適なサイクリングロードとしても楽しめます。周辺には、緑の多い大小の公遊園等が点在し、菊野台三丁目緑地もそのなかのひとつとなっています。




野川には多くの支流が流れ込んでいます。また、暗渠化された昔の小川や用水もそうです。ふと見ると、住宅地に川の流路を想わせる緩やかにカーブした路地が延びています。その反対側には、野川に注ぎ込む排水口が見られます。野川には三鷹市を源流とする入間川が流れ込んでいますが、この道路は暗渠化された入間川でしょうか?



今日はお彼岸ということもありますが、河原に一輪彼岸花が咲いていました。花の形状と色が独特で、広い河川敷でも一目でそれと分かります。橋を越えると調布市となります。



御塔坂橋から始まったサイクリングロードはここ谷戸橋で終点となります。でも、これ以外の区間でサイクリングができないかというと、そんなことはありません。谷戸橋から先にもラバーで舗装された快適な遊歩道が続いています。



谷戸橋を境にして、鞍尾根橋から引き継がれてきた河川管理が東京都北多摩南部建設事務所から世田谷区砧総合支所に変わります。



遊歩道の奥の緑地に、オレンジ色の屋根が目立つ建物とビジターセンターと書かれた案内板が立っていました。自然的環境と歴史的遺産の保全を進めるトラスト活動やまちづくりの情報発信とボランティア活動の拠点として設置されているのだそうです。来週から来年の3月まで休館予定とかで、展示を見てみようかなと思ったのですが、今回は遠慮しました。

世田谷・みどりのフィールドミュージアム

ビジターセンター: 区民と連携して環境共生・地域共生のまちづくりを進める(一般財団法人)世田谷トラストまちづくりのビジターセンターです。館内には、国分寺崖線の自然などの展示コーナーやライブラリーがあり、トラストボランティア団体の活動拠点となっています。




ビジターセンターと野川を挟んだ反対側に、コンクリートの建物の上に造成された広大な緑地が見えました。きたみふれあい広場と言うらしく、平成9年に小田急線の電車基地の屋上部分に整備されたのだそうです。下水処理場の上を緑地化するというのはよく聞きますが、車両基地の上に緑地を造ったのは国内でも初めてではないでしょうか?



野川に架かる橋のうちの3ケ所に「きしべの路」という、独特の形状をした案内塔が立っていました。左側に解説板、右側に地図、下部に橋の名前があります。

きしべの路

ネット上の解説:きしべの路は、国分寺崖線に沿って残る豊かなみどりや水辺の風景をたどりながら、かつてのくらしと文化を訪ね歩く路です。閑静な住宅が広がる成城学園前駅を出発し、現代的な高層ビルの立ち並ぶ二子玉川駅までの、8.7キロメートルの散歩道が設定されています。野川や丸子川沿いを歩くコース上には、23区では珍しい自生したゲンジボタルが見られる神明の森みつ池や江戸時代の古民家が移築されている次大夫堀公園民家園など、自然や歴史を感じさせるポイントがいくつもあります。旧三菱財閥の故岩崎弥之助・小弥太氏によって収集された古美術が収蔵されている静嘉堂文庫美術館や、かつて東急砧線が走っていた砧線跡地歩道などの文化遺産にも触れることができます。

野川の動植物(解説板)
国分寺崖線のはけに生きる動植物、昆虫は野川沿いの湧水と緑によって生態系を保っています。春にはツバメが飛来し、ヒバリが声高くさえずります。ヨシは背をぐんぐんと伸ばし、藪には青大将(ギョッっつ!)。住宅地を抜けると、水辺の自然があります。




対岸に大きな口を開けた排水口らしきものが見えます。出口は塞がれているようにも見えますし、覆いが掛けられているようにも見えます。排水口が結構大きいので、それなりの河川かもしれません。



荒玉水道道路を歩いた時に、野川と荒玉水道道路が交差する地点で外環道と接続予定の東名ジャンクション工事が行なわれていて迂回を余儀なくされました。野川の遊歩道も通行止めになっているのかなと思っていたのですが、仮設通路も含めて川沿いを歩くことができました。多摩堤通りを大廻りする必要がなくラッキーでした。



遊歩道を歩けたおかげで、次大夫堀について概要を知ることができました。

次大夫堀公園

次大夫堀公園の名の由来ともなっている「次大夫堀」とは、稲毛・川崎領(現神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年(1597年)から15年の歳月をかけて開発された農業用水です。正式には六郷用水といい、多摩川の水を取り入れ、世田谷領(現狛江市の一部・世田谷区・大田区の一部)・六郷領(現大田区)を流れるものでした(全長23.2km)。世田谷領内を流れる六郷用水は江戸時代、沿岸の14ケ村の水田で利用され、土地の人からは次大夫堀と呼ばれていました。以降も昭和に至るまで350年余の間、周辺住民の農業・生活用水として欠かせない存在だったのです。現在、区内の六郷用水(次大夫堀)は、丸子川として一部分のみ残っています。この公園では、かっての流路600mを復元しました。尚、管理棟では小泉次大夫と次大夫堀についての展示を行なっています。


ということは、さっき見た排水口は復元された次大夫堀に野川の水を取り込むための取水口だったのでしょうか?



野川に流れ込む最大の河川は仙川ではないでしょうか?石神井川の源泉近くの小金井市貫井北町辺りが源泉とされ、世田谷区鎌田で野川に合流します。現在は仙川に架かる鎌田橋の架替工事中で合流地点はよく見えませんが、これより下流は野川の水量がグンと増えています。



二子橋公園の広大なグランドが見えると、多摩川本流との合流地点はもうすぐです。左手には二子玉川の高層ビルと高島屋SCが望めます。ちなみに、「SC」とはショッピングセンターの略だそうです。初めて知りました。



野川の遊歩道はここで終わり、これから先は狭くて渋滞する多摩堤通りの歩道を歩きます。ガードが設置されていても車が体に触れそうでヒヤヒヤします。道路は土手から一段低くなっているので、野川の流れは見えません。



二子玉川駅の手前で細い通路を通って河川敷に出ます。野川に架かる兵庫橋から上流と下流の流れを確認すると、この地点ではまだ野川は多摩川とは合流していません。休日のためか、浅い流れの野川には大勢の子供達が水遊びをしています。


左の写真は上流を、右の写真は下流を撮ったものです


ついでに兵庫島に渡ってみます。小高くなった島の中程に牧水碑が立っていました。奥の石碑には牧水の歌碑が刻まれています。「多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし」



昭和59年(1984年)4月に選定された「多摩川八景」には、「奥多摩湖」・「御岳渓谷」・「秋川渓谷」・「玉川上水」・「多摩大橋付近の河原」・「多摩川台公園」・「多摩川の河口」と並んで「二子玉川兵庫島」が選ばれています。兵庫島という名前には何か由来がありそうです。案内板には次のように由来の説明がされています。

兵庫島の由来

正平十三年(一三五八年)に新田義貞の子義興(よしおき)が足利基氏(もとうじ)を討ち、新田家再興をめざして従者十三人と上野(こうずけ)(群馬)より兵を進めた。ところが、多摩川稲城矢口の渡しで敵の策略とは知らずにさし向けられた船に乗ってしまう。この時、渡し守りはかねて仕掛けられた船底の栓(せん)を抜き逃げ去った。同時に両岸からは、数百の軍勢が時の声をあげて矢を射かけた。兜(かぶと)、よろいの武士たちは身動きがとれない。もはやこれまでと義興は自害してしまうが、従者たちの中には、対岸まで泳ぎつき、群がる敵兵と戦い自害して果てる者もあった。その中の一人でもある由良兵庫助が流れついたのが兵庫島の名の起こりという。村人たちはわざわいが起こらないよう供養し、それ以降、不思議なことにこの中州はどんな洪水の時でも流されることがなかったと伝えられる。




兵庫島の先端部は田園都市線の高架のホーム下まで延びています。二子橋の途中まで行ってホーム下を覗いてみましたら、野川の流れは何本かの筋に分かれ、右岸から流れ出た水は多摩川本流に合流しています。ということは、野川の右岸の終端部は田園都市線のホーム下ということになります。一方、左岸の流れは未だ多摩川本流とは合流していないようです。田園都市線のホーム下を通って多摩川の河川敷を進みます。



河川敷には遊歩道や広場がありますが、川の境には背の高い灌木が生い茂っていて野川の流れがよく見通せません。灌木の途切れたところで合流地点を探しながら進みます。なんだか野川の水量が急に増えたような。。。どんどん進んでいたら、第三京浜の新多摩川橋の手前までやってきました。灌木の間から覗きますと、どうも中州の先端部分でふたつの流れが合流しているように思えます。ここが野川の左岸の先端かと思い、野川の歩きを終えます。



やれやれ長かった野川の歩きもやっと終わったと安堵しながら、帰りは河川敷でなく、土手の上の遊歩道を歩いて二子玉川駅に向います。そういえば、昔二子玉川園なる遊園地があって「いぬたま・ねこたま」なんてあったような。その遊園地は35年前に閉園し、今は二子玉川ライズというおしゃれな街に変身しています。更に高台には二子玉川公園が造成され、多摩川が一望できます。ついでにと公園に立ち寄って多摩川を眺めてみます。と、と、私が野川と多摩川の合流地点だと断定したところの遙か手前で二つの川が合流しているのです。道理で途中から急に野川(と思っていた)の水量が増えたわけです。仕方がない、実際の合流地点と思われるところまで行って、再度野川の歩きを終えます。お天気が回復したこともあって、近くのレストランは入場待ちのグループもいて大混雑かつ超密状態です。駅から遠いのに、よくこんなところまで食べにくるなぁと呆れてしまいます。皆さん、自粛疲れなんでしょうね。



帰宅する途中、FOODSHOWでワインのおつまみでも買おうと渋谷に立ち寄りました。渋谷スクランブル交差点はすっかりコロナ渦以前の状態に戻ったような感じで、何ヶ月も見なかったような混雑でした。東急東横店は数週間前に行ったら一部が営業していたのですが、9月14日で全面的に営業終了になったとの告知が貼ってあり、お店の陰も形もありませんでした。地下にあった東急FOODSHOWも閉鎖になり、売場は板塀で完全に囲われています。お店はどうなったのかというと、渋谷マークシティの地下に統合されたとのこと。渋谷マークシティの地下には元々食品の売場がありましたが、どう再編したのか分かりませんが、今やゆったりしていた売場スペースはぎゅうぎゅう詰めになり、調理スペースがなくなったお店もあります。私の好きなローゼンハイムのミートローフも売場からなくなりました。何でも、今回の移転はFOODSHOWの大改装に伴う仮店舗での営業とかで、来年の初夏には再び元の場所に戻るんだそうです。ミートローフも復活してくれると嬉しいな。




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