- 入間川コース
- コース 踏破記
- 天気予報では、長かった秋雨の季節も今日で終わりと言っていました。何でも、記録によると9月8日から20日間も連続して雨が降ったのだそうです。確かに、9月は雨に祟られて満足なお散歩はできなかったような気がします。体重が激増したのも秋雨のせいか!と八つ当たりします。明日はスッキリと秋晴れになるとの予報ですが、体が歩きたくてウズウズしています。午後は晴れ間も見えるだろうと檜山さんは言っていましたが、早朝の空模様は今にも雨粒が落ちてきそうな雨雲に覆われています。日曜日は、午前9時からBS4Kで「麒麟がくる」を観てからお散歩に出るのがルーチンなのですが、それをスキップして出掛けることにします。先日の野川の歩きで判然としなかった入間川と野川の合流点を確認したいということもあって、今日は入間川を歩いてみたいと思います。入間市といえば埼玉県ですね。同じ名前の入間川も当然埼玉県を流れています。今日歩く入間川は三鷹市が源泉とのことです。三鷹はあまり詳しくないので早速ネットで調べてみます。
入間川
入間川(いるまがわ)は、東京都の主に調布市を流れる多摩川水系野川支流の一級河川です。上流部は中仙川(なかせんがわ)と呼ばれています。上流は大部分が暗渠で、三鷹市内では「中仙川」と呼ばれ、暗渠の上に「中仙川遊歩道」が整備されています。下流の開渠部分もとても細く、住宅街の中を流れています。概ね南へ流れ、調布市入間町と狛江市との境界で野川に合流します。江戸時代の六郷用水(俗称は次太夫堀で多摩川を水源としていた用水路)の開削以前は、野川が現在より西の狛江市中心部を流れていて、当時現在の野川との合流点より下流の入間川は現在の野川の流路とほぼ同じ流路をとって、世田谷区玉川付近で直接多摩川に合流していたと考えられます。しかし六郷用水の開削により、野川や入間川の水はほぼ全てが用水に取り入れられるようになりました。しかも、旧入間川の流路の内、世田谷区喜多見付近はほとんどの区間が用水の水路に転用されたと考えられています。そして、現在の世田谷区大蔵付近で用水の水を旧入間川下流に一部放流し、その放水路(現在の世田谷区大蔵付近〜同区玉川付近)部分をも野川と称しました。昭和になって六郷用水は川の流路を失わない範囲で大部分が埋め立てられ、野川の流路を東に寄らせる改修が行われました。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削されました。それより下流の野川も入間川との合流点をつくり、さらに下流の現在の小田急電鉄喜多見車両基地付近では、旧入間川より数百メートル程東に野川が開削され、さらに下流でも次太夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられました。しかし、この開削した川も全区間野川と称したため、現在では「入間川」とは野川支流の短い河川のみを指す名となってしまいました。
実際に歩いてみた結果、幾つか補足しておきたいと思います。入間川は、上流部(調布市)では大川、中流部(三鷹市の旧中仙川村の地域)では中仙川、下流部(甲州街道以南の調布市)では入間川と呼ばれています。埼玉県を流れるのは入間川(いるまがわ)ですが、東京都を流れるのは入間川(いりまがわ)です。2009年以前は東京都を流れる川も埼玉県の入間川と同様に「いるまがわ」と呼称されていましたが、それ以降は公式名称として「いりまがわ」に統一されたのだそうです。地元では昔から町名と同じ読み方の「いりま」と呼ばれていたので、それに合わせたみたいです。それと、ネットでは源泉は三鷹市とする説も見受けられますが、実際は調布市の深大寺東町八丁目です。ということで、三鷹駅から入間川の源泉とされる深大寺東町八丁目の最寄りの停留所の航空研前までバスで向います。
航空研とは、宇宙航空研究開発機構(JAXA:Japan Aerospace Exploration Agency)の略称です。何故JAEAでないかというと、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構の略称がJAEAなので、重ならないようにしたのではないかと推測します。それはさておき、三鷹通りを渡って都営住宅の2つ先の道路のT字路に入間川の源泉を示した案内柱が立っていました。案内柱の正面には、地元での呼び名である「大川」源流地跡と大きく書いてありました。左右の細い柱面には入間川の歴史が書いてありました。結構小さな文字なので、近づいてみないと読み取れません。
入間川(大川)源流地跡(左側面)
かつて入間川は、中世の頃まで世田谷区砧二丁目付近で仙川と合流し、多摩川にそそいでいた。慶長十六年(一六一一年)六郷用水が完成するや、世田谷区喜多見でこれと合流した。また入間川源流地帯は、安政二年(一八五五年)の大地震で水涸れがおこった。その対策として明治四年(一八七一年)深大寺用水が開設されるや、その東掘はこの地で川をはさんで二つに分かれて南下し、一部は野ヶ谷団地の南で入間川に合流するようになった。昭和四十二年(一九六七年)野川の流路変更工事により、この川は入間町二丁目付近で野川と合流するにいたった。
入間川(大川)源流地跡(右側面)
入間川は、一名大川ともよばれ、調布市深大寺東町(旧諏訪久保)を源流地とし、野ヶ谷団地および三鷹市中原町を経て、東つつじヶ丘と若葉町の境を南に流れ、入間町で野川に合流する。総延長約五キロメートルにわたり、石器時代の昔から現代にいたるまで、人びとの生活に欠かせない重要な役割を果たしてきた。この源流地は今でこそ道路や住宅地のため元の面影はみられないが、かつて昭和のはじめ頃までは各所にお釜とよばれる湧水地があり、豊富な清水を湧き出していた。
案内柱は野ケ谷通りに面して立っています。恐らく、入間川はここから現在の野ケ谷通りに沿って流路を形成していたのではないかと思います。ただ、今では流路の跡は住宅地の道路となっていて、微妙にカーブした道筋以外にそれと感じさせるものはありません。
野ケ谷通りは原山交差点で原山通りに突き当たります。すると、今まで何の痕跡もなかった入間川が突然交差点の先に姿を現します。といっても、この地点では上部にコンクリートの板を被せた暗渠としてですが。暗渠道の傍らには柿の木がたわわに実をつけています。もうそんな季節になったんですね。
暗渠道は住宅の裏手を通ったり、道路脇の歩道となったりして中央自動車道の高架下まで延びています。
中央自動車道の高架下には道路が通っていて、道路の左手には雑草で覆われた入間川が見えます。水は殆どというか、全く流れていませんね(ここでよく見れば、高架の先で流路が左に曲がっているのがわかるのですが、それは後のまつり)。
高架を抜けると、入間川の流路が見えなくなります。周囲をウロウロ探しますと、右手(西の方向)に細い下水溝のようなものが見えます。坂を上っているような勾配ですね。水が重力に逆らう筈はなく、また入間川にしては幅が狭すぎるなとの疑問はあったのですが、回り道をして溝の先を探します。畑の点在する住宅地の中を探しますが、どこにも川の気配はありません。
諦めて、今度は東の方を探します。こちらも路地の入り組んだ住宅地です。ぐるぐる回って中央自動車道の高架の近くに辿り着きましたら、ナント高架沿いに入間川が流れているではありませんか!ということは、さっきの高架下で入間川は直角に曲がり、高架に沿って東方向に流れを変えていたんですね。危うく入間川の歩きをここで諦めかけるところでした。
川の両岸には側道がありませんので、再び路地を巡って流れの先を探します。途中に小さな児童遊園があり、案内板に「中仙川・・・」という名前が書かれていました。ナルホド、ここからは三鷹市中原地区になって、中仙川と呼ばれるようになるんですね。
この辺りにはまだまだ農地が多く残っていて、中仙川は住宅や農地の間を縫うように流れています。川の両岸は草ボウボウでとても近づけません。
住宅と畑の間に待望の中仙川遊歩道の標識がありました。道路面はブロックで舗装されていて、いかにも遊歩道といった感じです。遊歩道の両側にはよく手入れされた植栽が続いていて、彩りを添えています。
中仙川遊歩道の標識には幾つか種類があります。丸太型と矢印型が多いようです。
遊歩道のところどころには、暗渠化される前に架かっていた橋の銘板とか親柱が残されています。
休息スペースも設けられていますね。
遊歩道は滝坂下交差点で甲州街道にぶつかる直前で左斜め方向に向きを変えます。華屋与兵衛の脇を通って甲州街道に出ますが、その先はどこに繋がっているのか見当がつきません。
甲州街道を渡って反対側を探します。甲州街道は滝坂下交差点から仙川方向に国分寺崖線の一部をなす急な坂になっています。ちなみに、滝坂とは大雨が降ると滝のように雨水が流れたという伝承に基づいて名づけられたそうです。その坂の入口に入間橋が架けられていました。どうやら、入間川は甲州街道の下を通って、この橋から開渠部となっているようです。標識に、「いりまがわ 上流端」と書かれています。ここから「いりまがわ」が始まるという意味なのか、単に河川管理上の境界を意味するのかは分かりません。とにかく、ここから先は紛れもなく名実ともに入間川となります。
入間川には遊歩道も側道も殆ど設けられていません。両岸は住宅が迫っているか、木々で覆われているかですので、川沿いには歩けないのです。
川と付かず離れずで路地を迂回しながら下流を目指します。京王線の土手に突き当たり、回り道をして線路の反対側に出ます。再び入間川の流れが顔を出します。
コンクリートで固められた川底には細い窪みがつけられ、大して流量のない水が流れています。両岸にはスレスレまで住宅が迫っていますが、大雨で増水したら恐怖でしょうね。
道路脇に、「武者小路実篤記念館」の案内板が立っていました。晩年に過ごした邸宅の隣接地に建てられたとのことで、入間川のすぐ近くにあります。昭和60年に開館したそうで、様々な展示がされているそうです。
記念館のところで入間川はほぼ直角に向きを変えて住宅の間を流れていきます。こういうことがあるので、橋を見つけたら必ずそこまで行って流れの向う方向を確認しないといけません。
調布市の地図に入間川の流路が示されていました。今いる場所は調布市の若葉町で、その先は入間町です。野川との合流地点も近い筈です。
入間町に入っても入間川の遊歩道や側道はありません。おまけに、この辺りは起伏が激しくて路地巡りも足が疲れます。ようやっと野川に架かる小足立橋の袂にやってきました。入間川と野川の合流点はどこかと反対側に渡って探しますと、工事中の場所の真ん中に大きな出口が見えました。先日野川を歩いた際に入間川の出口だと誤認した場所とは全く違います。合流地点では入間川は開渠しているのに、なんで気が付かなかったのでしょうか?野川の工事に気を取られていたのかな?ま、何はともあれ、合流地点の確認ができ、入間川を歩いた甲斐があったというものです。
電車で帰宅するに際して、京王線に出るか小田急線に出るか迷います。どちらも歩けば結構時間がかかります。ところが、谷戸橋(「たにとばし」でなく、「やとばし」と詠みます)傍の東野川広場の入口にバスの折り返し所があって、つつじヶ丘駅と喜多見駅行きのバスが出ているのです。これはラッキー!今日は早く帰宅できそうです。
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