- 丸子川コース
- コース 踏破記
- 六郷用水は一度歩いてみたいと思っているのですが、上流と下流の大部分が埋め立てられているので全体の流路がよく分かりません。そこで、現在六郷用水の中流で開渠区間として残っている丸子川を歩いてみたいと思います。六郷用水は上流が埋め立てられていますので、現在の丸子川の源流は六郷用水からの流れでない筈です。よく分からないので先ずはネットで情報を収集します。
丸子川
丸子川は、世田谷区及び大田区を流れる一級河川です。かつての六郷用水の中流部分が整備され、名称を変えて残っている川です。世田谷区岡本の仙川との接点が上流端であり、大蔵住宅と東名高速道路下の湧水が水源になっています。東名高速道路下の湧水は、岡本三丁目25番地にあります。湧水の量は豊富であり、東名高速道路沿いに細い側溝を流れるのを見ることができます。仙川にぶつかる手前でほぼ直角に曲がり、仙川護岸沿いに蓋付きの細い側溝を流れます。15mぐらいすると仙川護岸沿いにコンクリート蓋の暗渠になり、仙川の西谷戸橋付近からは開渠となって、水神橋付近で仙川から離れます。もう一つの水源は大蔵公園(大蔵住宅)の中にある池であり、池からは整備された小川が流れ(一部暗渠)、祠のある辺りで分流します。配管を通って仙川に落ちる流れと、丸子川に繋がる流れに分かれます。丸子川へはしばらく小川を流れてから仙川沿いの暗渠になり、上記の「コンクリート蓋の暗渠がはじまる辺り」で合流します。仙川の西谷戸橋付近から岡本公園付近は整備された丸子川親水公園として南東へ流れ、静嘉堂文庫の東側で谷戸川を合わせます。丸子川親水公園付近から先は、基本的に終端の田園調布まで国分寺崖線のふもとを進みます。さらに南東へ流れて二子玉川市街地の北を過ぎ、世田谷区野毛付近で北から流れてくる谷沢川に突き当たります。かつての六郷用水は谷沢川の上を横断していましたが、現在の丸子川はここで谷沢川に合流して、いったん途絶えます。この合流地点よりも下流の丸子川には、谷沢川から人工的に汲み上げた水を流しています。世田谷区玉堤・尾山台を通過した先の大田区田園調布五丁目には、用水の余水を多摩川に流す分水堰である「お鷹の圦(いり)堰」がありました。現在もこの場所には多摩川への分水路の水門が設置されています。さらにその下流の田園調布一丁目の多摩川浅間神社付近で多摩川に合流します。丸子川はここで終わりますが、六郷用水は現在の大田区の東部まで続いていました。
なるほど、世田谷区岡本三丁目の東名高速道路下の湧水と大蔵住宅内の池から流れる小川が源流だったんですか。今回、大蔵住宅からの流れは割愛して、岡本三丁目を始点として歩くことにします。岡本三丁目の西端は東名高速道路に接しています。ただ、その境界線には歩道がありません。そんな訳で岡本三丁目の地名が貼り付けてある電柱近くを源泉としたのですが、これは間違っていたようです。岡本3丁目の高台は、崖の斜面に住宅やマンションが建ち並んでいて、恐らくは国分寺崖線(ハケ)の一部なのでしょうけど、東名高速道路下の湧水を流すには地形的に無理があります。ということは後で分かったので、とりあえず急な坂を下ります。
急坂の下から仙川に向けて道路が一直線に延びており、ところどころにマンホールの蓋が見えます。仙川に突き当たって上流側を見ますと、東名高速道路の方から仙川沿いに暗渠のような歩道が続いています。ひょっとしたら、こちらが東名高速下からの湧水の流れかもしれません。
======2020年11月17日修正======
岡本三丁目の湧水の流路と大蔵住宅からの小川の流れを確かめるべく、再度歩いてみました。
先ず、岡本三丁目の湧水の流路ですが、当初独断で決めた急坂の上の場所は誤りだったことが分かりました。東名高速道路の方から新打越橋に向って仙川沿いに延びてくるコンクリート蓋の暗渠が湧水の流路だったのです。新打越橋から直ぐの東名高速道路の土手下に行ってみますと、そこで暗渠は途切れ、代わりに直角に曲がった右手の側溝から水が流れてきています。つまり、国分寺崖線(ハケ)に沿って走る東名高速道路の土手から流れ出した湧水が側溝を伝って仙川にぶつかり、その手前で左直角に向きを変えて新打越橋の暗渠に繋がっていたわけです。側溝を覗いてみますと、ちゃんと水が流れています。
再々度歩いてみましたら、東名高速道路の土手からだけでなく、高架下の細い水路からも水が流れ込んでいることが分かりました。これも丸子川の水源のひとつでしょうか?
次に、大蔵住宅からの小川の流れです。大蔵住宅は都営住宅の中でも比較的大規模な団地です。築60年近くになり、現在は全面建て替えの工事が始まっています。ネットで調べた結果、小川の源は大蔵住宅の中にある大蔵三丁目公園内の池と分かりました。さきほど歩いた東名高速道路の土手下から更に仙川の上流に向って歩いて行きます。右手には長く続く崖面が仙川と平行するように延びています。崖の中腹に古びた神社の鳥居が見えます。暫く進むと工事用の鋼板で囲まれた一画があります。コーシャハイム大蔵・・・という看板が見えます。工事用の鋼板で囲まれた敷地には入れませんが、鋼板に沿って少し先まで行くと、鋼板の内側から地下を抜けて小さな小川が流れ出しています。ひょっとしてこれが大蔵住宅の中の池から流れてきた小川か!と心がはやります。でも、鋼板で囲まれた敷地内は見えませんので仙川まで戻って工事をやっている区画の反対側に行ってみます。そこから先は未だ建て替えの工事は始まっておらず、古びた5階建ての建物が並んでいます。団地の中をぐるりと見て回りましたが、どこにも公園らしき広場はありません。地図を片手に途方に暮れていましたら、小学生くらいの男の子が声をかけてくれました。藁をもすがる気持ちで「大蔵三丁目公園って知ってる?」と聞きますと、しばし考えて「あれかも」と工事用の鋼板で囲まれた一画を指さします。「でも、なんでそんなところを探しているの?」と逆に聞き返されます。「いやぁ、実は丸子川の・・・」と言いかけると、「???」という感じで去っていきました。結局、公園は見つからないのか・・・と諦めて帰ろうとしたら、さっきの男の子が駆け寄ってきて、「公園は取り壊されて、今はない」と言います。どうやら、誰かに訊いてそれを教えるために戻ってきてくれたようです。「ありがとね」とお礼を言うと、また男の子は駆けだして行きました。ということで、大蔵住宅からの小川の源流は工事が終わるまで見ることはできないようです。工事後にまた見れるようになってくれればいいのですが。
工事現場から地下を通って流れ出た小川は、さきほど見た神社方向に流れています。
神社の小さな祠の先の暗渠の入口で小川は二手に分かれます。一方は仙川に流れ出しているとのことですが、もう一方は細い通路の地下に流れ込んでいます。通路は真っ直ぐに仙川の方角に延びています。
地下を流れた小川の水は仙川の手前で左直角に折れ、東名高速道路の高架脇、つまり岡本三丁目からの流路に接続しています。ということで、結論としては、丸子川の水源は、東名高速道路の高架脇と高架下から流れ出る湧水と、大蔵住宅の湧き水が合わさったものと考えるのが妥当でしょう。
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仙川には新打越橋が架かっています。仙川は下流に向って流れていますが、丸子川はここから暗渠になって仙川と平行して流れています。丸子川が明確に認識できる場所はこの橋のところです。
新打越橋の横に仙川の浄化施設があります。浄化された水は谷戸川や谷沢川にも送られているんですね。
仙川の浄化施設
施設の目的
この浄化施設は「傑間接触酸化法」という方法により、水中の石についた微生物の働きを利用して河川の水をきれいにするものです。浄化後の水を使って、仙川の水質をよくするとともに、 地下導水管で谷戸川と谷沢川におくり、これらの河川もきれいにします。特に谷沢川の下流部には景観美で名高い等々力渓谷があり、当施設がうるおいのある川づくりに役立っています。
施設の特徴
●傑間接触酸化法のための石を河床の下につめて、土地を有効活用しています。
●仙川の水量に応じてゴム堰の高さを調節するなど、施設の運転を自動化しています。
●浄化施設の情報を光ケーブル等で世田谷区砧総合支所に送り、人間による施設の監視もしています。
仙川沿いの暗渠の上に遊歩道があり、やがてコンクリートの蓋が被さった水路になって真っ直ぐに延びています。
丸子川は仙川に架かる西谷戸橋の横から開渠区間となり、水神橋付近で左にカーブして仙川の流れと分かれます。仙川はこの先で野川に合流します。一説によると、六郷用水は狛江市元和泉の多摩川から取水し、この水神橋付近で現在の丸子川に合流していたみたいです。六郷用水の中流部を整備して丸子川になったのか、あるいは元々あった丸子川の流路を利用して六郷用水の水路に造り替えたのか、どっちなのでしょうか?私は東名高速道路下の湧水と大蔵住宅内の池から流れる小川が丸子川の源流であるということからすると、後者の方が正しそうな気がするのですが。それはいいとして丸子川の歩きを続けます。
水神橋付近で仙川と分かれた丸子川は親水公園の中を小川となって緩やかに流れていきます。
左手に樹木に覆われた森のような公園があります。岡本公園です。公園内には、江戸時代に建てられた建物を展示した民家園があり、旧長崎家住宅主屋と旧浦野家土蔵、それに旧横尾家住宅椀木門を復元し、江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現しています。近隣には岡本静嘉堂緑地もあり、緑豊かな地域になっています。
ついでなので、民家園に立ち寄ってみました。よく手入れされた茅葺きの母屋には立ち入りませんでしたが、障子張りの内廊下は昔懐かしいものがあります。
民家園と同じ敷地に岡本隧道の跡が残っています。
世田谷の誇る歴史遺産 岡本隧道
この案内板から右50m先、 民家園の左奥に石垣囲いの蒲鉾型の扉があり、「岡本隧道」という字が刻まれています。隧道とはトンネルのことで、扉の中は、高さ2m、幅2.5mのトンネルになっていて、そこには直径80cmもある送水管が通っていて、その長さは120mにも及びます。大正10年(1921年)、当時の豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区)では、多摩川の水を町に引き込もうと、大規模な水道工事を始めました。粘下浄水場で取水・浄化した水は駒沢給水所・三軒茶屋を経て渋谷に至り、地下の送水管は南西から北東へ直線的に世田谷を跨いでいます。水は、駒沢給水所までは揚水ポンプの力で高く持ち上げられ、給水所から渋谷までは自然の重力で送水されました。砧下浄水場を出てすぐに、この岡本の台地を横断しますが、揚水ポンプの負荷を少なくする工夫として送水管専用のトンネルが利用されました。これらは、大正12年(1923年)に竣工した近代水道の建造物であり、今でも珍しい施設で、極めて貴重な歴史遺産です。
公園の隣には岡本静嘉堂緑地があります。谷戸川を歩いた際に立ち寄った緑地です。
岡本静嘉堂緑地
岡本静嘉堂緑地は、国分寺崖線の一画にあり、もとは岩崎家の所有する庭園であったものです。40余年もの間、人の出入りもなく、ほぼ自然状態のままにあったので貴重な自然が残っています。この緑地は、この貴重な自然空間を保全するとともに、さらに新たな自然空間を造成しています。地域の貴重な財産として未永くこの緑地を残し、人々が身近に自然にふれあう場となることをめざしています。
丸子川は緑地の縁に沿って流れています。ここは丸子川親水公園になっていて、遊歩道も整備されています。丸子川の緑地側の石垣には所々から水がしみ出しています。崖線から湧き出しているのでしょうか?
緑地の端っこには谷戸川からの流れが合流しています。先日見たばかりですが、既に懐かしく感じます。丸子川は谷戸川の水量を合わせて住宅地の中をひっそりと流れていきます。
下山橋の袂に「きしべの路」の標識があります。きしべの路は、国分寺崖線に沿って残る豊かなみどりや水辺の風景をたどりながら、かつてのくらしと文化を訪ね歩く路です。閑静な住宅が広がる成城学園前駅を出発し、現代的な高層ビルの立ち並ぶ二子玉川駅までの、8.7キロメートルの散歩道が設定されています。野川や丸子川沿いを歩くコース上には、23区では珍しい自生したゲンジボタルが見られる神明の森みつ池や江戸時代の古民家が移築されている次大夫堀公園民家園など、自然や歴史を感じさせるポイントがいくつもあります。旧三菱財閥の故岩崎弥之助・小弥太氏によって収集された古美術が収蔵されている静嘉堂文庫美術館や、かつて東急砧線が走っていた砧線跡地歩道などの文化遺産にも触れることができます。
きしべの路
ここから西約900mにある仙川の水神橋際にはじまる丸子川は、国分寺崖線に沿って大田区へと流れています。丸子川は、江戸時代初期に小泉次大夫と多くの農民の手により開削された六郷用水の一部で、世田谷では俗に「次大夫堀」とも呼ばれてきました。丸子川親水公園は、親木橋からここ下山橋までの区間で、水辺の遊歩道に沿って岡本民家園や静嘉堂緑地が続きます。
更に丸子川に沿って進んで行きますと、治大夫橋があります。六郷用水を開削した小泉次大夫に因んで名づけられたのでしょう。
橋の袂に案内板がありました。ここには大山道が通っていたんですね。
治大夫橋・治大夫堀の上を渡る大山道
大山道
大山道とは、大山詣りの道のことで、大山は神奈川県伊勢原市にあります。世田谷を通る大山道は、江戸赤坂御門を起点とし、二子玉川で多摩川を経て、伊勢原から大山まで続いています。二子玉川には、ここ治大夫橋を渡る大山道と、行善寺の東側を通る大山道があります。
次大夫堀
慶長年間、徳川家康が主として下流の六郷地方の米の増収をはかるため、代官小泉次大夫吉次に命じて切り開いた灌漑用水で、世田谷地方の人々は「次大夫堀」(同・六郷用水、現・丸子川)と呼んでいました。
そのまま丸子川に沿って進んでいきますと、前方に国道246号線の土手にぶつかります。国道246号線には階段を上がって行けそうですが、国道246号線の土手下に掘られたトンネルに流れ込んでいる水路に辿り着けるかどうか分かりません。
土手の左手を見ますと、土手下を貫くトンネルが見えます。こちらから反対側に抜けられそうです。瀬田アートトンネルという名前の付いた珍しいトンネルです。トンネルの内壁には現代的な装飾が描かれ、何ともお洒落です。こういう絵が描かれていると落書きがされないという話を聞きましたが、全くその通りです。さすが世田谷!
国道246号線の下をトンネルで抜けると、丸子川は二子玉川の北部を回りこむように南下します。両岸にはマンションが建ち並び、閑静な住宅街になっています。
直ぐに東急田園都市線の高架に突き当たります。丸子川は高架下のトンネルを流れて行きますが、歩道はありませんので迂回します。
東急田園都市線の高架下を抜けて再び丸子川の側道に戻ります。道路の端には「南大山道道標」と書かれた石柱と、江戸時代のものと思われる墓石のような道標が置かれていました。ここは、かって多摩川を渡る際に使われた「二子の渡し」への入口になっていたようです。道標の下半分が白っぽいのは修復した跡なのでしょうか?
更に丸子川沿いに進んで行きますと、第三京浜道路の高架が見えてきます。新多摩川橋が近いためか、かなり高いところを通っています。
道路の脇に「おもいはせの路」と書かれた案内板があります。副題に国分寺崖線散歩道と添えられています。「おもいはせ」とは、「思いを馳せさせる」という意味です。世田谷区のHPには、「季節や時の流れとともに表情を変える、古代から現代までの様々な顔が見える路です。歴史におもいをはせるということから名付けられました。貴重な文化遺産を有する九品仏浄真寺から始まるルート上には、御岳山古墳や玉川野毛町公園内の野毛大塚古墳など古代からの遺跡が点在し、宇佐神社や善養寺、行善寺などの歴史ある寺社や祠が多く存在しています。また、23区唯一の渓谷である等々力渓谷や上野毛自然公園には、都会であることを忘れさせてくれる程の自然が残されています。最後は現代的な高層ビルの立ち並ぶ二子玉川駅まで歩く、6.7キロメートルのコースです。」と紹介されています。案内板の文章がかなり凝っていますね。
おもいはせの路 多摩川を望む
大地が静かに回転し続けるのとは対照的に、時には激しく、時には穏やかに川は流れ続ける。広い河岸に立って多摩川を望むと、大きく広がる空とともに変化する時の流れを実感する。
多摩堤通りと平行して流れてきた丸子川は、野毛一丁目で等々力渓谷から流れてきた谷沢川と直交します。丸子川はその直前でトンネルに急角度で流れ込みます。ここは何度ネットの解説を読んでも理解しづらいところですが、岡本三丁目から流れてきた丸子川はここで矢沢川に吸収されて一旦終わり、この先は合流した谷沢川から汲み上げた水を下流部に流しているのだそうです。水には変わりはないので、見た目には丸子川が上流からそのまま流れているよう感じます。
川が直交するというのは、多分に人工的な要因がからんでいます。六郷用水(丸子川)が谷沢川を横切るように掘削されたからです(ということは、やはり丸子川は自然の川ではなかった?)。谷沢川からポンプで汲み上げられた水は、岩の間から流れ出して丸子川の下流に排水されます。左側のフェンスで仕切られたのが谷沢川です。昔は、合流地点に池があり、それで分かれていたそうです。六郷用水の時代には、合流地点の池の前で二手に分かれ、一方は多摩川へ流れ込み、もう一方は丸子川の下流に流れていましたが、そこでは谷沢川の上に「掛樋」を利用して水を流していたとのこと。六郷用水を設計する時は、どう交差させるか悩んだんでしょうね。
丸子川に石を組んだ護岸が現れました。何となく六郷用水を掘削した時の名残のように思えます。手前に六郷用水の案内板がありました。
六郷用水の由来
六郷用水は、徳川家康が家臣小泉次太夫に命じて、六郷領(大田区の大半)農村の灌漑を目的として、開拓された農業用水である。徳川氏は、江戸支配の基礎作りの一つとして、多摩川の治水を行い、中流より分水して農業用水を引き、江戸南郊農村の生産性の向上をはかった。この時、川崎側の川崎・稲毛領のための「二ヶ領用水」も同時に工事が進められ完成している。六郷用水は、和泉村(現在の狛江市和泉)を取水口とし、慶長二年(1597年)に測量を始め、難工事の末、同十四年に主要水路完成し、その二年後、各村の分水工事も終わり、全事業が完了した。この結果、世田谷領の一部と六郷領を合わせて約五十カ村が恩恵をうけることになり、以後、近代まで農民の命の綱として利用された。時代とともに、用水流域の様子も水田から畑に、また農地から宅地に変わり、昭和の初めごろには用水としての使命を終え、現在ではそのほとんどが埋めたてられ緑道などになっている。
田園調布五丁目にある照善寺の前に「お鷹の圦(いり)堰」があるのですが、調査不足で見逃してしまいました。ここに造られた堰から丸子川の余水を多摩川へ流しているのだそうです。
======2020年11月17日加筆======
お鷹の圦堰を確かめるべく、再度歩いてみました。
田園調布五丁目に鎮座する八幡神社の少し先の下流にお鷹の圦堰がありました。先日歩いた時はこの辺が工事中だったので、そちらに気を取られていたのかもしれません。脇の橋から見ると紛れもなく圦堰(水門の一種)が見えます。道路の反対側を見ますと、溜め池のようなところに濁った水が溜まっています。この水はどこに流れるのでしょうか?
よくよく見ますと、溜め池には出口となる水路があるみたいです。水路の両側には側道はありませんので、回り道をして水の流れる方向に歩いて行きますと、多摩堤通り手前の歩道に出ます。そこからさきほどの流路と思われるところに行きますと、そこも工事中となっていて、お鷹の圦堰からの流路の様子は確認できません。
多摩堤通りを越えて多摩川の河川敷に下りますと、そこは広い運動場というか草地になっています。多摩川の縁まで行って振り返ると、何かの水利施設が見えます。恐らく、お鷹の圦堰で分流された丸子川の水は工事中だった箇所を通って多摩川の河川敷地下に流れ、多摩川に放流されているものと思います。なにはともあれ、これでお鷹の圦堰も確認でき、丸子川の歩きも完結しました。
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やがて丸子川は多摩堤通りの脇を流れるようになります。フェンスで遮られていますので、知らないとただの側溝のように見えます。
丸子川の水路の左手には小高い丘があり、丘全体が多摩川台公園になっています。ここには亀甲山古墳があり、古代の人達は川魚を獲って食料の糧にしていたのかもしれません。
河口が近づいてきました。多摩川の対岸にはムサコ(昔はムサコといえば武蔵小山を指していたのですが、今では武蔵小杉の略称になっています。武蔵小金井もありますが。)のタワマン(何でも略すな!)が遠望できます。東急東横線の高架下を抜けた先の多摩堤道路下に丸子川の水を多摩川に流すためのトンネルがあります。手前から見ると、何故か流入口がふたつ並んでいます。丸い口は何でしょうかね?
多摩堤道路を横断して反対側の土手からから見ますと、トンネルの出口が見えます。ゲートはないので、水門にはなっていないようです。
トンネルから流れ出た丸子川の水は導水路を通って多摩川に流れ込んでいます。ここが丸子川の河口となります。
岡本三丁目から歩いてきましたが、心残りが3つあります。
- 大蔵住宅内の湧水から丸子川までの水路を歩かなかったこと。(2020年11月4日達成)
- 岡本三丁目の水路を確認できなかったこと。(2020年11月4日確認)
- お鷹の圦堰を見逃したこと。(2020年11月17日達成)
ま、また機会があったら再訪しましょう。
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