中の堀川コース  

コース 踏破記  

仙台堀川に引き続き、中の堀川を歩きます。私は中の堀川の名前を聞いたこともなく、その存在は全く知りませんでした。仙台堀川を歩いている時に見た「水辺の散歩道案内看板」の中に、大横川西支流に繋がるL字型の閉じた水路があるのに気が付きました。単なる貯水池かなと思ったのですが、仙台掘川を終えた帰りに、清澄排水機場近くでそれらしき流路があるか探してみました。すると、佐賀二丁目8番地付近で運河らしきものを見つけたのです。それが中の堀川でした。私のお散歩情報収集のバイブルであるWikipediaにも記載がないくらいのマイナーな川です。それもその筈、全長300mにも満たない川で、私が今まで歩いた東京の河川の中では最短の川です。とりあえず、帰宅してから後付けで調べた情報をまとめてみます。  

中の堀川

中の堀川は、現在はL字型のただの池になっていますが、明治時代には行き止まりとなっている地点から西へ水路が伸び、隅田川に合流していました。つまり、隅田川と大島川西支川を結ぶ運河としての役割を担っていたのです。この付近で隅田川につながっていた掘り割りの川は全部で3本あり、一番上が仙台堀川、次が中之堀川、一番下が油堀川でした。一番上流側の仙台堀川は上之堀、下流側の油堀川は下之堀、その間にあった川は中之堀と名付けられました。同じように川の口に架かる橋も隅田川に対して上・中・下が付けられ、仙台堀川には上之橋、中之堀川には中之橋、油堀川には下之堀橋が架けられていました。江戸時代、中之堀川の周辺は元木場と呼ばれる町でした。町の名のもとになった「木場」というのは、材木の揚げ場としてつくられた木置場に由来しています。寛永18年(1641年)、大火により江戸市中に積んでいた材木が類焼したことをきっかけとして、神田や日本橋の35ヶ町の材木問屋たちが幕府に願い出て、はじめてこの地に木場が造られました。そして元禄12年(1699年)に木場が猿江へ移転して跡地が町場として造成されると、深川一帯の水上交通路の大規模な整備が行われました。深津八郎右衛門が普請奉行となって油堀川を開削するとともに、周辺の水路を整理しました。その一環として油堀川及び仙台堀川に通じる大島川西支川を開削し、同時に中之堀川を掘り広げるとともに、L字の形に整えたのです。こうして水運の環境が整備され、地域はこれを利用する様々な業種の問屋や店が軒を連ねるようになりました。




佐賀二丁目8番地に来ました。道路沿いに金網が張られています。金網越しに結構幅の広い川が見えます。両岸は草で覆われ、側道はありません。川は100mほど先で左方向に直角に曲がっています。後で分かったことですが、正面奥に見える高架は、油堀川を埋め立てて、その上に造られた首都高9号深川線です。中の堀川の起点から直角に向きを変える地点までは側道がないので、回り道をして川が直角に曲がっている地点に向います。



回り道をして中の堀川を見ますと、200mほど先で川の方角が直角に曲がっているのが分かります。



金網の後ろに立て看板がありました。曰く、「この河川には、下記のように埋設物があります。埋設物の種類: 地下鉄11号線地下トンネル・・・」。昔よく利用した半蔵門線がこの地下を通っているとは!地図を見ますと、確かに中の堀川が直角に曲がる手前で半蔵門線がその地下を横切るように通っています。ナント、地下のトンネルの上は川だったんですね。



川は道路に突き当たって行き止まりになっていますので、中の堀川は起点も終点も閉ざされた貯水池のようなものです。よく見ると、道路の下の方に2本の排水口が口を開けています。起点が塞がれていますので、水が流入する筈はなく、この排水口は接続する大島川西支流との間で川の水を行き来する役割を果たしているようです。



道路を横断しますと、大島川西支流との間に小さな公園があります。中の堀川児童遊園という看板が立っています。公園の先に水門らしき施設が見えます。



近づいてみますと、大島川西支川右岸に設置された「中の堀川樋門」と書かれたプレートがはめ込んであります。樋門とは、堤防の中にコンクリートの水路を通し、そこにゲートを設置する構造物です。樋管とも呼ばれますが、樋門と樋管に明確な区別はありません。一般的には、堤防の下をくぐる部分の構造が丸い管の場合で規模の比較的小さなものを樋管、箱形等の構造の場合で規模の大きなものは樋門と呼ばれます。



この地点の中の堀川には昔は豊島橋が架かっていました。その豊島橋を撤去し、川を埋め立てて児童公園にして、地下に樋管を通したのです。公園の隅には、豊島橋の親柱と案内板が置かれています。



豊島橋の歴史というタイトルの案内板には、昭和初期と昭和後期の橋の様子を撮った写真が添えられています。昭和後期と平成22年では周囲の様相が一変していますね。最後の空撮写真を見ると、L字型の流路がはっきりと見て取れます。写真の流路から想像すると、中の堀川は隅田川に合流していたのではなく、仙台掘川に繋がっていたとする方が自然な気がします。でも、それは改修された後の話で、改修前は今と異なる流路だったのでしょう。





ということで、超短い歩きを終えました。後で思ったのですが、東京の河川を歩くのポリシーからすると、起点は佐賀二丁目8番地でなく、かっての隅田川との合流地点とすべきでした。ちょっと後悔。。。






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