- 三田用水コース(2)
- コース 踏破記
- クリスマス直前ですが、三田用水コースの残りを歩きたいと思います。前回挫折した茶屋坂のモニュメントの前にやってきました。改めて見上げますと、茶屋坂通りの両側は切り立った崖になっています。というか、道路を造るために地面を掘り下げたといった方が正しいでしょう。三田用水が通っていた水道橋が撤去されたのはそんなに昔の話ではないそうなので、私も一度は見たのかも知れませんが記憶には全くありません。三田用水の跡を辿るには、とりあえず崖の上に行ってみるしかないですね。
崖の上から三田用水の上流側を眺めますと、そこそこ新しい集合住宅が並んでいます。恐らくは三田用水の水路跡に建てられた防衛省関係の宿舎なのでしょう。
今度は三田用水の下流側を見てみます。流路跡の痕跡はありませんが、水道橋が架かっていた地点から建物の間に路地が延びています。この路地に沿って流路があったものと思われます。
路地を進んで行きますと、ほどなく特徴的な外観のビルが路地の先に見えてきます。あれはまさしく日の丸自動車の教習所の建物です。やはり、この路地が三田用水の流路跡だったんですね。
路地の先は山手線沿いに目黒駅から恵比寿駅に至る道路にぶつかっています。信号機の横に小さなビストロがあります。
本当に小さなお店ですが、地中海料理のアヴィランです。マスターが一人で切り盛りしているお店ですが、ワインの好きな人にはお薦めです。マスターが接客から料理まで一人でやっているので、多くのお客さんには対応できません。また、早食いの人にも向きません。小皿料理を組み合わせた2種類のコースメニューを選んで、ワインを飲みながらゆったりと会話と料理を楽しみたい人には向いていると思います。ワインは2本目から格安のお値段になりますので、それも魅力です。今はコロナ禍で夜の営業はどうなっているのか分りませんが、自粛解除になったら是非行ってみたいお店です。
道路に面した日の丸自動車教習所の植え込みの中に何度も三田、イヤ見たモニュメントが置かれています。玉川上水の分水地点から歩いてきて、改めて三田用水の果たした役割に想いをはせます。
さて、これからが難関です。ここまで流れてきた三田用水の流路はこの先どのように高輪台まで続いているのでしょうか?これについてはネットにも正確な流路は見つかりません。素人目には、山手線の上に水道橋を渡し、国立自然教育園の中を真っ直ぐに突っ切って、プラチナ通り(外苑西通り)の入口に当る白金台交差点辺りに出るのが自然なように思えます。でも、最近まで三田用水が使われていたという事実からすると、山手線の上に水道橋が渡されていたとか、国立自然教育園の中に流路が存在していたとは聞いたことがありません。してみると、山手線と平行して通る道路を南下し、目黒駅辺りから目黒通り沿いに東方向に流路の向きを変えたという説もあながち間違いではなさそうです。ということで、目黒駅に向います。どうでもいいのですが、駅の手前にあるプリンセスガーデンというホテル横の坂から眺める富士山は絶景です。今日は雲がかかって見えませんが、晴天の日には雄大な山容が拝めます。
どっちみち、国立自然教育園の中を突っ切ることは出来ませんので、目黒通りを進んで上大崎交差点を渡り、自然教育園の前に着きました。
ここから先のルートは全く見当がつきません。仕方がないので目黒通りから適当な脇道に入ります。何となく水路の跡を思わせるゆるやかな道路の曲がり方ですが、本当にこの道でいいのでしょうか?
路地は上大崎の住宅地の中を曲がりくねって延びています。もうどこを歩いているのか見当もつきません。それにしても、この辺りにはお寺が多いですね。何となく道路は高台から低地に向っているようで、坂道が続いています。坂道を下りますと、目の前にNTT東日本関東病院の巨大な建物が見えてきます。その先は東五反田です。やはりルートを間違えたようです。
道を間違えた時は原点に戻れの格言の通り、また坂道を上って目黒通りに出ます。シロガネーゼの顰蹙を買ってザ・ガーデン跡地に開業したドンキのお店の横になります。先ほど間違えて入った脇道のすぐ先になります。方角的にも自然教育園の端っこになりますので、三田用水の流路が真っ直ぐであれば日の丸自動車教習所から延びた線がちょうどドンキ横の路地の入口に重なります。路地を入って歩き直します。
路地を入った先の閑静な住宅街に「芝白金団地」という古びたマンション風の建物4棟からなる昔の住宅公団(現在のUR)の団地があります。分譲タイプらしいですが、築50年以上と思われる集合住宅がゆったりとした敷地に建っています。その団地の外周に沿って進んで行きます。
道路の端っこが下水溝の蓋のようなコンクリートの板で覆われています。途中で植え込みの中に消えていますが、何となく水路の跡のような気がします。その先は階段になっているようです。
階段を下りてみますと、ネットで見た三田用水路の遺構のようです。その脇に案内板が立っています。やはり、三田用水の水路はドンキの横の路地からこの地点に続いていたようです。
三田用水路跡
三田上水は、江戸市街の拡大で増加した水の需要に応じるため、寛文四年(1664年)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。中村八郎右衛門・磯野助六によって開かれたといわれ、代田・代々木・渋谷・目黒を経て現在の白金台・高輪・三田・芝地区に配水されました。享保七年(1772年)に学者室鳩巣の意見で本所(亀有)・青山・千川の各上水とともに廃止され、江戸の街を潤す水道は玉川・神田の両上水だけとなりました。しかし、三田上水は流域の村々の農業用水でもあったので、嘆願して廃止の翌々年から再び水を引くことを許され、三田用水と呼ばれて一宿十三ケ村の用水として使用されました。当時の水道は自然に流れるだけでしたので、この付近では堤状に水路を残して通す工夫をしました。ほとんど失われてしまった三田用水路の貴重な遺構は、特に断面がわかるように残されています。また、水路の通っていた位置を示すための色達いのタイルを地上に並べて記念としています。
遺構は階段下の地面よりも高い位置にあるのですが、昔は階段下のタイルが敷いてあるところも堤になって用水路が通っていたのでしょう。タイル敷の歩道はその先で民家の敷地に吸収され、そこから先は普通の路地になっています。
路地は緩やかに曲がりくねりながら延び、その出口はちょうど高輪台交差点に面しています。
三田上水(用水になる前)は白金猿町(現在の東五反田四丁目付近)で終わり、その先は地下に埋められた木樋で芝まで給水されていたそうです。ということで、三田用水の終点は確認できませんでしたが、一応高輪台交差点とすることにして三田用水の歩きを終えることにします。
といっても、ここから芝まで通されていた三田上水の痕跡は何かしらないかと思い、交差点の先のマンション敷地内の公開通路に行ってみました。ただ、その先は住宅に突き当たり行き止まりになっています。江戸時代に廃止された上水の木樋の跡が残っている筈もなく、これ以上の探索は諦めました。
マンションの敷地内に石を奇妙な形に並べた一画があったのですけど、何を意味しているのでしょうか?ひょっとして、ここが三田用水の終点?
ということで、三田用水の歩きを終えたのですが、同時に「東京の河川を歩く」シリーズもこれが最終回となります。半年間都内各地の河川(跡も含む)を歩き回ったのですが、東京は水の都だったといっても過言ではありませんね。さて、次は「昭和の都電を歩く」シリーズを始めたいと思います。都電は都心の幹線道路(一部専用軌道もありましたが)を走っていましたので、跡を辿るのに河川ほどは苦労しないのではないかと思います。どうかな?
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