- G代々木コース
- コース 踏破記
- 今日は渋谷区の代々木コースを歩きます。代々木駅を起点として、旧代々木川や春の小川のモデルになったとされる河骨川(こうほねがわ)、そして玉川上水と、水を求めて代々木全域を周回し、終点の新宿駅を目指します。
代々木コース
代々木コースの歩行距離は約3.8km(約5,430歩)、歩行時間は57分、消費カロリーは約171kcalです。
スタート地点:代々木駅
↓ (約0.5km:約 7.5分)
@旧代々木川【渋谷川に注ぐ暗渠、この付近は北側にも暗渠】
↓ (約1.2km:約18.0分)
A参宮橋公園【急坂上のビュースポット、芝生+初台の高層ビル】
↓ (約0.3km:約 4.5分)
B春の小川道【河骨川=唱歌「春の小川」、昭和40年頃に暗渠化】
↓ (約0.9km:約13.5分)
C玉川上水旧水路代々木緑道【一部は京王線の旧線路、明治30年頃までは用水路】
↓ (約0.3km:約 4.5分)
D玉川上水モニュメント【新宿駅地下の暗渠が題材、一部に当時の煉瓦を使用】
↓ (約0.6km:約 9.0分)
ゴール地点:新宿駅
スタート地点の代々木駅西口から歩き始めます。代々木駅の西口周辺は雑多な飲食店や専門学校などが建並んでいますが、東口には高島屋タイムズスクエアとか紀伊國屋・東急ハンズなどの大型店があり、駅の東側と西側で対照的な街の雰囲気となっています。そんな中で東口駅前に建つNTTドコモ代々木ビル(通称ドコモタワー)は、その外観と高さで異彩を放っています。旧国鉄の新宿貨物駅の跡地に立地し、高さ240mの超高層ビルで、都内ではミッドタウンタワー・虎ノ門ヒルズ・東京都庁第一本庁舎に次いで4番目の高さを誇っています。外観はエンパイアステートビルなど、1930年代に建てられたニューヨークの摩天楼を思わせるデザインで、「新宿のエンパイアステートビル」と呼ばれています。建物自体は通常のビルでいえば地上50階ほどの高さに相当しますが、ビルとしての構造を持つのは全体のうち下半分程度(地上25階)までで、14階までがオフィススペース、15階から25階までは通信設備などが設置されている機械室になっています。残りの上層部はマイクロ波アンテナを設置するための尖塔になっていて、鉄骨に外壁が貼られているだけの屋根のない空洞です。いつも気になるのですが、頂上付近に工事用のようなタワークレーンが設置されています。普通は建物筐体の工事が終わったらクレーンは解体されるのですが、何故残されたままになっているのでしょうか?実は、このクレーンはデリックと呼ばれ、高さが32mあって、アンテナの方向などの修正や下階層からの機材の吊り上げに使われているのだそうです。ビルにデリック部分を含めると高さが272mとなり、東京スカイツリーと東京タワーに次いで都内で3番目に高い建築物となります。
代々木駅は明治神宮の北参道口に当ります。この石碑は昭和四十八年(1973年)11月に建立されましたが、当時の明治神宮北参道への最寄り駅が代々木駅でしたので、駅前のこの場所に設置されました。
代々木コースの最初の見所は旧代々木川の跡です。代々木川なんて聞いたこともなかったのですが、まだまだ江戸郊外の田園地帯だった代々木には田畑を潤す代々木川が流れていたんですね。でも、今の世の中に代々木川の痕跡は残っているのでしょうか?コース図を見ますと、代々木駅から山手線の高架土手に沿って明治神宮の北参道口方向に歩き、北参道入口前の交差点手前で路地に入るようです。どの路地かよくわかりませんが、コース図に記されていた郵便局手前の路地に入ります。路地の先は首都高4号新宿線の高架下に続いています。路地を出ますと、車が行き交うわりと交通量の多い道路の脇に一段低くなった遊歩道が延びています。
どうやら、この遊歩道が旧代々木川の水路の跡のようです。「東京の河川を歩く」で培われた水路跡を見つける感覚が蘇ってきました。ちなみに、旧代々木川の水路は、ここから山手線の高架土手に沿って流れ、少し先で山手線を越えて明治通り方向に延びていたようです。更にその先を辿ると「E原宿〜千駄ヶ谷コース」で歩いた穏田キャットストリートに重なります。旧代々木川は渋谷川の支流だったので、この区間のどこかで合流していたのでしょう。階段を下りて遊歩道を進みます。住宅に挟まれた遊歩道は緩やかにうねっており、川の流路跡を思わせます。
遊歩道は一定の幅を保ち、行く手を遮るような障害物はありません。所々で住宅地の道路と交差しますが、特に橋の跡を思わせるような遺構は残っていません。旧代々木川は戦前には既に暗渠化が始まっていたそうですから、護岸とか橋とかの痕跡はすっかり消えてしまったのでしょう。
遊歩道は、代々木駅西口から西に延びる道路とぶつかり、正面にはビルで行く手を阻まれます。コースはここで左折し、小田急の陸橋の下をくぐります。
妙智會舘というビルの前に「高野辰之住居跡」の案内柱が立っています。「春の小川」を作詞した高野辰之が住んだ住居跡のようです。春の小川のモデルとなったのは旧代々木川と同じく、渋谷川の支流だった河骨川とされています。河骨川というと、人骨が川を流れていくというオドロオドロしい光景が目に浮かびますが、「河骨」とは、浅い池や沼に自生し、春から夏期にかけて黄色の小さな花をつけるスイレン科の水生植物のことです。別名センコツ(川骨)とも呼ばれています。何でこんな可憐な花に「骨」という無骨(!)な名前を付けたのでしょうか?一説には、川辺に生え、ワサビ状の白い地下茎が白骨のように見えることから、「河の骨」の意でこの名がついたとされています。かなり偏った見方をする人がこういう不気味な名前を付けたのでしょう。「春の河骨川」なんてタイトルにしたら、童謡にはなりませんね。
高野辰之住居跡
国文学者高野辰之は、明治九年(1876年)長野県に生まれ、明治四十一年(1908年)からここに住み、この付近の風景を愛してうたったといわれる唱歌「春の小川」や「おぼろ月夜」などを次々と作詞しました。論文「日本歌謡史」により東京帝国大学より文学博士の学位を授与され、帝国学士院賞も受賞されています。
その先の代々木三丁目交差点を左折し、小田急線に架かる参宮橋に向います。道路の右手に草木に覆われた古い民家があります。入口はアルミ製のフェンスで閉じられていますが、敷地の中に相当に年季の入った大山道の道標が立っています。石柱の上部には恐ろしい人面がふたつ彫り込まれています。庚申塔ならまだしも、道しるべには相応しくないですね。道標の文字は読み取れませんが、何て書いてあるんでしょうか?
参宮橋の先に東京乗馬倶楽部の看板が見えます。看板の青色と新緑の植え込みが美しいコントラストをしています。東京乗馬倶楽部は大正十年(1921年)創設の老舗の乗馬クラブで、日本の馬術発展を支えてきた存在といえます。会員制で、正会員ともなれば入会金は200万円もしますが、格式を考えればゴルフ会員権よりは安いといえます。コロナ禍で優雅に馬場を闊歩する様子はあまり見られませんが、お馬さんは今どうしているのでしょうか?
東京乗馬倶楽部に隣接している代々木ポニー公園では、児童向けの引き馬乗馬など、ポニーと気軽に触れ合う経験も楽しめるようになっています。施設は渋谷区の管理のようです。ポニーは子馬と思っている方も多いと思いますが、大人になったときの背の高さが147センチメートル以下の馬が「ポニー」と呼ばれています。なので、大人になって体高が147cmを越えるような馬は子馬であってもポニーとは呼びません。でも、どうして147センチで区切るのでしょうかね?
参宮橋を戻って、小田急の参宮橋駅に続く坂道を下ります。駅の前で右側の坂道を上りますと、坂の上に開けた参宮橋公園が拡がっています。公園はそこそこの広さで、一面が芝生広場になっています。かなりの部分が地面がむき出しになった草地のような感じで、本当に芝生なのかどうか分りませんが。ここのセールスポイントは芝生広場ではなく、周囲からは高台になっていますので眺望が抜群ということです。新宿の外れなので超高層ビルが林立しているという風景ではありませんが、それだけに初台の東京オペラシティの建物はその高さが際立って見えます。青空に映えますが、雲のない日には富士山も見えるのかな?
参宮橋公園から戻り、駅前の坂道を下って行きますと、郵便局手前で路地と交差します。そこを右手に入りますと、春の小川の流路跡になります。電柱には「春の小川 この通り」と大書きされた地番表示のプレートが貼り付けられています。その先の電柱にも同じプレートが貼付けられています。この標識を辿っていけば、春の小川の源流まで行けそうです。
代々木第四公園の脇から春の小川の流路はクランク状に折れ、その先の電柱の標識に「水源この先」と書いてあって、矢印が左に曲っています。
遂に春の小川の源流を見つけた!かと思いきや、左に入った道路の両側にはマンションが建ち並び水源のスも見当たりません。行きつ戻りつ何か痕跡はないかと探したのですが、それらしきものは何も見当たりません。諦めて突き当たりの階段を上って高台から今来た道を眺めてみます。何も見えませんね。と、今写真を拡大してよくよく眺めてみましたら、道路を曲ったすぐ先の電柱に「・・・」と何やら書いてあって、矢印が右に曲っています。ということは、左に曲って直ぐ先でもう一回右に曲る必要があったのです。恐らく、右に曲った先に春の小川の水源を示す何らかの案内板は標識があるのではないかと思います。残念!思うに、昔の春の小川は直線的に流れていたのでしょうけど、埋め立てた(暗渠化?)後で宅地を造成する際、マス型の道路ができたのではないかと思います。クランク状の水路って人工的にしか造れませんもんね。
ところで、突き当たりの階段を上がった先は玉川上水緑道になっています。ここは何回も通ったのですが、春の小川の水源がこんなところにあったとは夢にも思いませんでした。ネットの情報によりますと、春の小川の水源のひとつに玉川上水からの分水が含まれていたとも言われています。
この辺りの玉川上水緑道は幅が広く、特に代々木区間は植樹が多くてよく整備されています。お昼時には近所のサラリーマン諸氏がベンチに腰を下ろしてお弁当を食べています。今日のような快晴の気持ちの良い日にはさぞや美味しく頂けることでしょう。緑道の一画に案内板が立っています。
玉川上水跡
ここには、かつて神田上水とともに江戸のニ大上水と呼ばれた玉川上水が流れていました。現在は暗渠となり、当時の面影を偲ぶことはできませんが、各所に残る橋の欄干は玉川上水の名残です。江戸時代初期、江戸の住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、江戸市中の発展につれ水不足をきたしました。そこで、承応元年(1652年)に玉川上水開設の計画が立てられたのです。同二年正月、幕府は庄右衛門・清右衛門兄弟に工事請負を命じました。ここに老中松平伊豆守信綱を惣奉行とする、玉川上水開設の計画はスタートしたのです。信綱の臣安松金右衛門の設計に従い、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約四十三キロの開削水路を通し、そこから先は地下に配管(石樋・木樋)を敷設するという、当時としては非常に画期的な工法がとられました。このほかに玉川上水は、江戸市民の飲料水供給にとどまらず、瀧概用水や新田開発など武蔵野台地の発展にも計り知れない恩恵を授けたのです。
緑道は甲州街道に出て、歩道となって新宿駅の方向に延びています。ここには文化服装学院のキャンパスが拡がっています。ファッション関係の学校なので、出入りする学生さんはセンスある服を着ていますね。
文化服装学院の前の歩道に女神の銅像が置かれています。女神像は文化服装学院の理事長が寄贈(?)したようですが、女子学生さんのお手本になるようにとの願いが込められているのでしょうか?
叡知と慈愛の女神像
この立像は、ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り継がれているクニグンデ皇后像で、左手に抱く書物は叡知を右手で差し出す硬貨は慈愛を象徴しています。
皇后クニグンデは、「神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒII世(在位1014年〜1024年)」の皇后で、その慈悲深さ、誠実さなどの善行により聖人として高く評価され、この地方の守護神として祭られました。この立像は、世界遺産にも登録されているバイエルン地方の一都市、大聖堂で有名なバンベルク市の中心、マックス広場の一角にある文化財ですが、本学ドイツ姉妹校ヴュルツブルグの専門大学(University of Applied Sciences Wurzburg−Schweinfurt)のご協力により複製が許可され、ここに安置することができました。
Statue of the Saint of Wisdom and Charity
This is a statue of the Holy Roman Empress Saint Cunigunde, whose memory is still hallowed in the German State of Bavaria. The book she holds in her left hand is a symbol of wisdom, the coin held out in her right hand a symbol of charity.
Saint Cunigunde was the Empress Consort of the Holy Roman Emperor Henry II (r. 1014-1024). She was held in high esteem for her great compassion, sincerity and other virtues, and was venerated as a patron saint of Bavaria. This statue is a cultural treasure that stands in Maximiliansplatz in the center of Bamberg, a Bavarian city registered as a UNESCO World Heritage Site and famous for its cathedral. A reproduction was permitted with the cooperation of the University of Applied Sciences Wurzburg Schweinfurt, our German sister institution, as a result of which we were able to erect it here.
女神像の先に半円形のモニュメントが置かれています。大人がすっぽり入る位の大きさです。これほどの大きさの暗渠道が明治時代に造られていたとは驚きです。既に導水路から余水路に役割が変わっていたとはいえ、その巨大さには驚かされます。
玉川上水の記
かつてこの地には、玉川上水が流れていました。玉川上水は、江戸城下の急激な発展に伴う水不足を解消するため、江戸幕府により承応三年(1654年)に、開削された人工の水路です。全長は、多摩川上流の羽村取水口から四谷大木戸に至る約43キロメートルです。この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的のほか、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水・かんがい用水・水車の動力等に幅広く利用されました。明治三十一年、東京の近代水道創設に伴い、杉並区和泉町から淀橋浄水場の間に新水路が開削されたため、和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としての役割を終え、余水路として使用されることとなりました。その後大部分が暗渠化され、現在では公園や道路として使われています。東京都水道局では、このゆかりの地にモニュメントを建立し、玉川上水に携わった先人の偉業を末永く後世に伝えるものです。
このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。
玉川上水の水路跡が見て取れるのは新宿駅手前のあおい通りまでです。ここで緑道は途絶え、玉川上水は新宿駅の地下に潜っていきます。その最後の橋が葵橋となります。
私は気が付かなかったのですが、葵橋の向かいの東京南新宿ビルディングという建物の通路の壁に東京都水道局による「葵橋の記」の案内板がかけられているのだそうです。
葵橋の記
かつて、この地を玉川上水が流れ、このビルの前に葵橋があった。この橋の名前は、この辺りに紀州徳川家の下屋敷があったことに由来する。この付近は、明治十八年の新宿駅開設や、大正後期から昭和初期にかけての京王線・小田急線の開通などにより、多くの学者や画家・文人達が閑静な環境を慕って住んでいた。葵橋は、玉川上水の織りなす四季の景観の中にとけ込み、多くの人々の心を和ませるとともに親しまれていた。しかし、この景観も時の流れとともに進む周辺の都市化に伴って変容した。昭和四十年淀橋浄水場の移転により、玉川上水がその使命を終え、次第に暗渠化されるに伴い、玉川上水に架けられた葵橋もその役目を終え、その姿を消した。いまここに「葵橋」の由来を記し、記念とするものである。
さて、ゴール地点の新宿駅に着きました。代々木コースは渋谷区のウォーキングコースですから、ゴール地点が新宿駅というのは不自然です。でもジョーダイビ!ゴール地点に設定されている新宿駅南口は意外にも住所が渋谷区千駄ヶ谷五丁目になっているのです。甲州街道を挟んで北側が新宿区、南側が渋谷区なんですね。ちっとも知らなかった。バスタ新宿もバスタ渋谷と名前を変えた方がいいかも。
ということで代々木コースを歩き終えました。代々木川や春の小川のことをもっと知っていれば、「東京の河川を歩く」でもコースのひとつとして選んでいたのでしょうけど、残念!
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