@中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)(1)  

コース 踏破記  

今日は中野区の中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)を歩きます。中野駅北口をスタート地点として、中野区の北半分を巡ります。コースの大半のルートが「@中野駅〜哲学堂公園周遊コース(中野通り経由)」と重なっていますが、こちらのコースを先に歩いたので、内容的には重複する見所でも多少詳しく紹介しています。  

中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)

中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)の歩行距離は約7.0km(約10,000歩)、歩行時間は1時間45分、消費カロリーは約315kcalです。

スタート地点:中野駅北口
↓ (約1.0km:約15.0分)
@新井薬師梅窓院
↓ (約1.3km:約20.0分)
A哲学堂公園
↓ (約1.2km:約18.0分)
B山崎記念中野区立歴史民俗資料館
↓ (約1.0km:約15.0分)
C沼袋氷川神社
↓ (約2.5km:約38.0分)
ゴール地点:中野駅北口


スタート地点の中野駅北口から歩き始めます。



駅前広場の先に中野サンモールのアーケードが約224mにわたって延びています。アーケードの両側には約110もの多様なお店が軒を連ねています。個人や中小企業が営業する商店や飲食店のほか、西友などの大型店やチェーン店、診療所や整体など医療・健康関連施設もあります。猫カフェまであります。アーケードの奥は中野ブロードウェイに繋がり、そこを経て早稲田通りや梅照院新井薬師へと続く通り道にもなっています。そのために、近隣住民や中野駅利用者に加えて、買い物客・飲食客・訪日外国人を含む観光客などが多く訪れ、一日の通行人は平均で約5万人にも達します。「サンモール」という名称は、1975年にアーケードを改装した際に公募で選ばれました。現在のアーケードは1998年に改装されたもので、太陽をモチーフとした統一看板とガラスアーチ型の船底をイメージした波型デザインの天井を採用しています。これにより、アーケード全体に自然光を取り入れた明るい商店街になっています。明日は端午の節句なので、天井からつり下げられた鯉も元気に泳いでいます。というか、風が通らないために日干し状態になっていますが。



中野ブロードウェイの正式名称は、コープ・ブロードウェイ・センターといい、地下を含む低層階はショッピングセンター、中・高層階は集合住宅(マンション)となっています。中野ブロードウェイが現在建つ敷地は、かって木造家屋が密集する地域でした。当時、中野駅北口から続く商店街がそこで行き止まりになってしまっていたため、ここをまとめて買収してビルを建て、1階に裏の早稲田通りに抜ける広い通路を貫通させようという計画が地元有志の発案により持ち上がりました。「ブロードウェイ」という名称は、この「広い通路」に由来します。しかし、この計画は早稲田通りに面した家具店の用地買収に失敗したために実現しませんでした。また、事業費が当時としては破格の60億円と大変高額だったために、この費用を早期に回収する必要がありました。そのために、床面積を大幅に増やすように設計の変更が行われました。廊下等の共用スペースは最小限に抑えられ、メインストリート以外の廊下は自分の居場所がわからなくなるくらいに不自然に折れ曲がり、エレベーターは数が少ない上にわかりにくい場所に追いやられ、階数を稼ぐ代わりに天井高は低く抑えられ、エスカレーターは上りしかなく中途半端なところまでしか行かないといったように、目的達成の裏でモダニズム思想に基づいた当初の設計思想やその背景にある利便性が犠牲となりました。中野ブロードウエイは、「サブカルチャーの聖地」であることも知られています。JR中央線の沿線は「中央線文化」と称されるように、アニメ制作会社や大学・学校・若者といったマニア向け商品の顧客層が多い土地柄でした。中野にはお笑いを中心とした芸人、高円寺にはミュージシャンが多く住むと言われ、住人層や街の雰囲気は中野ブロードウエイが「サブカルの殿堂化」する前から、オタク・サブカル文化とは親和性が高かったのです。1980年になって、このビルでわずか2坪の、漫画古本専門店「まんだらけ」が開業しました。その後「まんだらけ」は館内で空き区画が出る度に店舗を広げ、売り上げを伸ばしていきました。それに伴い、「まんだらけ」に集まる客を狙ったマニア向け専門店が次々に開業し、そのうちに「サブカルチャーの聖地」と呼ばれるほどになったのです。今では国内のみならず国外からも大勢の客を集めて賑わっています。中野ブロードウエイは、「時計の聖地」としても知られています。約6,750平方メートルの中に13もの腕時計販売店舗が密集し、世界的にも希少な場所という事もあって、外国人観光客が時計目当てに訪れています。中でも最古参の老舗並行輸入時計販売店の「ジャックロード」は1987年に営業を開始し、在庫数は5千点以上ともいわれていて、「買える時計博物館」と呼ばれています。住宅階には、1960年代後半より1970年代にかけて、青島幸男・沢田研二・岸部一徳など数多くの有名人が自宅を構えました。中野ブロードウエイは、混沌とした雰囲気から「オタクビル」・「魔の巣窟」・「日本の九龍城」(ヒドイ!)などの異名を持っていますが、建物自体が1981年5月以前の旧耐震基準で設計・施行されていることや、完成後40年を経て老朽化が進んでいることで、改装・耐震工事の必要性が指摘されてきました。東京都が2018年3月29日に公表した、震度6強の地震で倒壊する危険性が「ある」物件に中野ブロードウェイも含まれています。しかし、細かく区分所有されているために、大規模な耐震改修や建て替えに向けた意見集約が難しく、将来は見通せていません。



中野ブロードウエイの地下には多くの食品店が入っています。特色のあるお店が多いのですが、勝田商店は別格です。狭い店内には発泡スチロール製の箱が積み上げられ、足の踏み場もありません。お魚は通路に面したケースと壁沿いに置かれたケースに入れられて販売されています。何しろケースが小さいのと買い物客が多いので、常にケースの前は人で「密」の状態になっています。その間隙をぬってお魚を選ぶのですが結構テクニックが必要です。このお店には駕篭がなく、お客さんは商品を手に持ってウロウロと歩き回らなければなりません。全般的に価格は安いとは言えませんが、何しろお魚・貝類が超新鮮です。目利きの腕がいいのか、品物の質もいいですね。仲卸し的な面もあるようで、業者さんも買いにきています。万円札が無造作に受け渡される光景は市場そのものです。鮪が幅を利かせていますが、鯛がお買い得です。今は控えていますが、一時は鯛の昆布締めに嵌まっていました。あと、レジ袋が無料なのも嬉しいですね。支払いは現金のみで、レシートも出ません。昔の魚屋さんって、こんな感じでしたよね。



ウォーキングガイドに載っている「手作り天心 また明日。」も常に買い物客が列をなしています。中でも肉まんが名物なのだとか。

手作り天心 また明日。

肉まん
餡に和豚もち豚を使用し、美味しさ・ボリューム・安さと三拍子そろった肉まんは、300個が昼過ぎには売り切れることがあるほどの人気。

電話 03−3389−6502
中野区中野5−52−15
中野ブロードウェイB1階
営業時間 11時〜19時(無くなり次第終了)
休業日 日曜日




中野ブロードウエイの隣りに、平行して200mほどの区間に飲食店の密集した昭和新道商店街があります。中華そば青葉は、昭和新道商店街に本店を構えるラーメン・つけ麺のチェーン店で、平成八年(1996年)に創業しました。青葉系ラーメンの火付け役として一世を風靡し、中野周辺の山の手地区を中心に暖簾分けを進め、首都圏で19ヶ所の支店を構えるまでに成長しました。さらに、その存在は客のみならず、多くのラーメン店に大きな影響を与え、その後数多くの「青葉インスパイア系」ラーメン店が登場しました。サブカルオタクにはラーメン好きの人が多いようですので、中野ブロードウエイの帰りに立ち寄る若者も多いのかも。



中野ブロードウエイから早稲田通りを挟んだ先に、新井薬師参道があります。今は「薬師あいロード」という愛称も付いていて、門前町のような雰囲気です。でも、定番の団子屋さんとかお土産物屋さんとかはあまり見かけず、普通の商店街といったところです。



ウォーキングガイドにも掲載されているのですが、とあるビルの地下(といっても階段で地上と繋がっていますが)に大怪獣サロンというお店があります。今は未だ開店前ですが、怪獣キャラと戯れながらソフトドリンクが頂けるようです。「怪獣喫茶」といった感じですかね。

大怪獣サロン

アイドル怪獣「ムーチョ」がお出迎え。懐かしい玩具がつまった店内では、ベッコスメロンソーダや大怪獣カレーなど楽しいメニューがいっぱい。

電話 03−5942−7382
中野区新井1−14−16
ライオンズマンション中野第5
営業時間 15時〜23時(土・日曜・祝日は13時)
休業日 無休




パパブブレというキャンデー店もウォーキングガイドに掲載されています。ここで販売されている飴は金太郎タイプに近いようですが、他にも種類があるそうです。お店を「日本で一番面白いお菓子屋さん」と言わしめているのが、客の目の前であめを作り、味見もしてもらうという実演型の販売方法です。実は、パパブブレは本店であるバルセロナ店のフランチャイズ店になります。あめ作りの技術や販売方法・デザイナーによるスタイリッシュな店舗・簡素なシルバーのパッケージなどは本店から受け継いだものなのです。ただ、日本向けにアレンジしたところもあって、飴のサイズを小型化したり、パッケージの容量も少なめにして、味も日本人向けに変えたのだそうです。

papabubble 中野店

アート・キャンディ
デザインの面白さと美しさ、そしてカリッとした層と空気を含ませホ口っとほどける食感が楽しいキャンディを体験。

電話 03−5343−1286
中野区新井1−15−13
営業時間 10時30分〜21時(月・日曜、祝日は〜19時)
休業日 火曜




薬師あいロード商店街は、昭和三十九年(1964年)に組織化されました。それ以前の商店街は古くから新井薬師の門前町として賑わっていました。現在最も歴史の古いお店は大正初期の開店で、その当時は既に数十軒の商店があったそうです。戦前は、お薬師様の縁日などに向いのお店に行くのも大変なほどの人通りだったと伝えられています。当時新井薬師は都内でも「東の浅草寺、西の新井薬師」」といわれるほど参詣寺として人々の信仰を集めていました。また、門前にはつきものの三業地(料理屋・芸者置屋・待合の三種の営業が許可されている区域の俗称)も栄え、その需要を賄うために商店街も潤っていました。今は中野区内最大級の約120軒のお店が建ち並んでいますが、そういったお店は見かけませんね。



Sakurayama果房もウォーキングガイドに掲載されています。コンフィチュールはフランス語で、「コンフィット:砂糖や酢、あるいは油などに漬けた」という意味が語源になっています。従って、食材の状態や形状のことではなく、「食材を保存すること」を目的としています。よく混同される「ジャム」は、「ぎっしり詰め込む」という意味合いがあります。例えば、交通渋滞のことを英語では「トラフィックジャム」といいますが、ぎゅうぎゅう詰めの意味合いがあります。ジャムはコンフィチュールと違って、凝固した形状であることがひとつの条件になっています。コンポートは、果物を水や薄い砂糖水で煮て作るヨーロッパの伝統的な果物の保存方法です。ジャムに比べ、果実自体の食感や風味が残っており糖度も低いため、そのまま食べたり、ヨーグルトやアイスクリームやスポンジケーキなどに添えられます。基本的にジャムにできるフルーツはコンポートにも応用できます。果実そのものに甘みが少なくて美味しく食べられないときなどにコンポートにすることが多いようです。

Sakurayama果房

国産果実の手作りコンフィチュール/コンポート
こだわりの国産果物をコンフィチュールとコンポートに仕立てます。すべて手作りの商品は、通年で約100種類のバリエーション。

電話 03−5942−5013
中野区新井1−30−6
営業時間 11時30分〜19時
休業日 月曜




薬師あいロードが途切れる辺りに、新井薬師の正門があります。一般には新井薬師と呼ばれていますが、お寺の正式な名前は梅照院です。御本尊は薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏で、鎌倉時代の代表的な武将である新田家代々の守護仏でした。鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱の最中に御尊像は消えてしまいますが、天正十四年(1586年)に梅の木の穴から発見されました。それを安置するために新たに建立されたのがこの寺院だとされています。



境内にある新井薬師再建供養塔は、新井薬師の再建に尽くした住職の運樹の業績と信徒の信仰心に応えるため、安永八年(1779年)に後継者の英俊によって高野山延命院の引導地蔵尊を模して建立されたものです。梅照院は、徳川二代将軍秀忠の子の和子の方が失明した時に薬師如来に祈願して治癒したことから、治眼薬師とも呼ばれています。毎月8の付く日には縁日が開かれ、賑わいを見せています。御府内八十八ケ所霊場第71番札所ともなっています。そういえば、15年以上前に9日間かけて「御府内八十八(実際は八十六)ケ所霊場」巡りをしましたね。新井薬師にも立ち寄ったのですが、今では記憶の彼方に消え去っています。

本堂再建供養塔(中野区登録有形文化財)

この塔は、梅照院(新井薬師)の再建に尽くした住職である運樹の業績と信徒の信仰心にこたえるため、安永八年(1779年)後継者の英俊が高野山延命院の引導地蔵尊を模して建立したものです。塔の碑文によると、梅照院は、天正十四年(1586年)行春が建てたことに始まります。住職が薬師仏の夢のお告げでつくった小児用の妙薬(夢想丸)は、どんな難病にも効能があると評判でした。延享元年(1744年)に運樹が住職に迎えられると、さらに寺院は栄えました。しかし、時の流れとともに興隆と退廃を繰り返し、明和元年(1764年)に火災で焼失してしまいます。老僧になった運樹は、直ちに仮の仏殿などを造りました。さらに、本堂再建の大願をたて、趣意書を示して広く寄付を募りましたが、明和四年(1767年)本堂の建立をまたず七十五歳で亡くなりました。あとを継いだ英俊は、十年以上もの苦労の末、安永八年(1779年)の春、ついに本堂の落成に至りました。




ウォーキングガイドには、お肉屋さんも掲載されています。月に1度だけ販売されるレアなメンチカツが評判なんだそうです。松阪牛をたっぷりと使った厚みのあるメンチカツで、ご飯のおかずとしても、岩塩やワサビと一緒にビールのツマミとしても最高なのだとか。吉祥寺で行列のできるお馴染みの「さとう」の丸メンチカツとどっちが美味しいかな?

ミートプラザニシジマ

いるまポークの焼豚
一頭買いした豚肩ロースを使った「いるまポークの焼豚」の柔らかさと甘みを永年継ぎ足したタレが引き立てます。

電話 03−3386−2980
中野区新井5−16−2
営業時間 10時〜19時
休業日 金曜




私的には、メンチカツや焼豚よりも店頭に置かれたメニュー板に書いてあるオードブルセットの方が魅力あるんですけど。



新井薬師前駅はその名の通り、新井薬師の最寄り駅になります。この付近は急カーブが連続していて、ホームの乗客や電車の運転士からの見通しが非常に悪くなっています。そのために、駅に近づくと電車の警笛音を鳴らす必要があり、改善が要望されていました。現在、西武新宿線の中井〜野方間の連続立体交差事業が進められていて、新井薬師前駅は令和八年(2026年)に地下化工事が完了する予定となっています。地下化によって警笛音も鳴らす必要がなくなり、駅の周辺はより静かになることでしょう。



ウォーキングガイドには、ラーメン屋さんも掲載されています。「薬師の大番」は新井薬師前駅の広場の外側の道路に面した背脂豚骨のラーメン店です。開業35年のちょっと草臥れた感じの小さいお店ですが、中野区のふるさと納税の返礼品に指定れている人気のお店です。「コテ丸」ですかぁ、私は豚と共食いになるのでちょっと。

薬師の大番

ラーメン コテ丸
新井薬師前駅の前に開店して33年。一番人気はラーメン「コテ丸」。背脂は濃厚なのに後味スッキリ!中細麺の美味しい一杯を提供しています。

電話 03−3385−1193
中野区上高田3−41−3
営業時間 11時30分〜21時(曜日により異なる)
休業日 日曜




哲学堂通りを進んで、四村橋南交差点に着きます。左手には、妙正寺川を挟んで妙正寺川公園と哲学堂公園が隣り合っています。妙正寺川公園の真ん中に中野区と新宿区の区境が通っているので、妙正寺川公園は23区でも珍しい新宿区立・中野区立となっています。



哲学堂公園は、新宿区と中野区の区境を流れる妙正寺川をはさんで、河川調整池と運動場のある妙正寺川公園と隣接しており、この隣接部分に、「哲学の庭」と名付けられた11体の銅像が展示されています。今回は哲学の庭には立ち寄りません。妙正寺川第一調節池は、妙正寺川の治水安全度を早期に向上させるために、妙正寺川中流部において昭和五十八年から昭和六十一年にかけて整備された妙正寺川調節池群のひとつです。調節池は堀込式で、取水堰からの流入部には中間貯留部を設け、これが満水になった場合に本体部に貯留する二段階貯留方式となっています。調節池の上部は妙正寺川公園(中野区・新宿区の共有公園)と調節池の上部のURの住宅として利用されています。多目的な用途をもった調節池としては全国初の事例となっています。



交差点の横の四村橋口から哲学堂公園の中に入ります、ここでコースを一旦中断し、「A哲学堂公園周遊コース」のスタート地点に移動します。戻ってきました。「@中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)」を再開します。哲学堂公園に沿って哲学堂通りを進みますと、哲学堂公園の正門口に着きます。そこに哲学堂公園の由来を記した案内板が立っています。

哲学堂公園の由来

哲学堂は、東洋大学の創立者である故井上圓了先生が国家社会の恩に報いるために、護国愛理の理想に基づき国民道徳の普及を目的として、明治三十九年以来私財を投じ、自ら堂主となって独力経営された精神修養的公園であります。園地は、先生が唱えられた実践哲学の理想を表わす多くの施設と特異な造園手法とを加えて、都下の名所として人々に親しまれてきました。大正八年六月、先生は大陸巡遊の途中大連の宿舎でなくなられましたので、嗣子故井上玄一氏は、その志を継いで本園を経営することニ十余年に及びましたが、昭和十九年三月、公益優先の趣旨に則り、この園地一切を挙げて東京都に寄付されました。東京都では、故人の遺志を尊重し管理することになり、全国にもまれな文化修養公園として公開してきました。昭和五十年四月一日、中野区は東京都から移管を受け、歴史性の深い文化財公園、又区民の緑のオアシスとして公開しております。




コースには含まれませんが、せっかくなので井上円了のお墓がある蓮華寺に立ち寄ることにします。井上円了のお墓は山門のない簡素な入口を入った直ぐ先の囲いの中にあります。



最近は四角い形だけでなく、現代風にデザインされた墓石が見かけられます。井上円了は百年前に亡くなりましたが、墓石の形はとても哲学的です。「円」は丸い石で表わされていると思うのですが、それを支える井桁にはどんな意味があるのでしょうか?

井上円了の墓所

ここは、哲学堂を創った井上円了の墓所です。円了は、安政五年(1858年)現在の新潟県三島郡越路町に生まれ、哲学者であり、また教育者として、明治の中頃から大正にかけて多彩な活動をくりひろげました。とくに、西洋哲学による仏教の新しい解釈にもとづいた既成仏教の革新、キリスト教の批判や迷信打破の運動は、わが国の文化史上特筆されるものといわれています。また、哲学館(後の東洋大学)と哲学堂を創立したのは、円了が提唱する「護国愛理」をもとに学校教育と社会教育の振興をはかるためでした。こうして、国民道徳の普及と向上「考える人」の養成をめざし国家への報恩を願ったといわれています。円了は大正八年(1919年)巡回講演の旅行中、中国大連市(現 旅大市)で病死し、東洋大学関係者の縁故で当寺に葬られました。井桁の上に円形の石をおいて井上円了の名前を表現した墓石のデザインは円了の生前の発意といわれています。




蓮華寺の向かいに「水の塔公園」があります。背の高い木々に囲まれているので、周囲からは天辺のドームしか見えません。でも、近づくと巨大な円筒形の建物なのです。

旧野方配水塔

野方配水塔は、荒玉水道の給水場につくられた塔でした。荒玉水道は大正十二年(1923年)の関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応じるため、当時の豊多摩・北豊島両郡にある十三の町々が連合して設立しました。配水塔は、ドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」中島鋭治博士(1858年〜1925年)の設計です。着工は昭和二年(1927年)で竣工は同四年です。高さは33.6メートル、基部の直径約18メートルの鉄筋コンクリート造りです。世田谷区の喜多見で多摩川から引水し、60万人の二時間分の貯水が可能といわれ、昭和四十一年(1966年)まで使われていました。その後、解体計画もありましたが、平成二十二年(2010年)に国登録文化財となり大切に保存されています。ドーム型の屋根が地域の特徴ある景観をかたちづくり、江古田の水道タンク・みずの塔・給水塔などと親しまれてきた東京近郊都市化のシンボルです。




配水塔には、太平洋戦争中の空襲の際に被弾した跡が残っているとのことです。よ〜〜〜く目をこらして見ましたが、それらしき弾痕の跡は確認できませんでした。iPhoneの望遠レンズでも捉えられなかったですね。残念!

野方配水塔

空襲時の弾丸の傷跡が残されている配水塔です。関東大震災後、都市化による水の需要に応えるため、この地にあった給水場に、配水塔がつくられました。この配水塔は昭和四十一年(1966年)に配水を止め、その後、災害用給水槽として使われてきました。



右の写真はみずのとう幼稚園側から見た弾丸の跡です。拡大してもよく分りません。


<<写真多数のため、@中野駅〜哲学堂公園周遊コース(薬師あいロード経由)(2)に続きます。>>




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