18.杉並区 荻窪南編 西コース 高井戸駅〜荻窪駅  

コース 踏破記  

今日は杉並区の「18.杉並区 荻窪南編 西コース 高井戸駅〜荻窪駅」を歩きます。高井戸駅をスタート地点として、杉並清掃工場、松林寺、鬱蒼とした樹木が茂る豪邸や生け垣など杉並区の新たな景色を楽しみます。  

「18.杉並区 荻窪南編 西コース 高井戸駅〜荻窪駅」の歩行距離は2.4km、歩行時間は50分です。

スタート地点:高井戸駅
↓ 
 1.高井戸東遺跡
清掃工場を中心に3万4千年前の石器類が発掘された、国内有数の旧石器時代の遺跡です。
 2.松林寺
かつては周辺に松が多かったと言われています。今は山門前に4本の大イチョウがあります。
 3.杉並「まち」デザイン賞 荻窪の生垣
生垣をはじめ、杉並区の貴重木や保護樹林のある屋敷林です。近くに農地も残されています。
 4.金太郎の車止め
かつて多くあった水路を暗渠にした遊歩道です。金太郎の描かれた車止めは今では少なくなりました。

ゴール地点:荻窪一周合流点(西田端橋バス停)


スタート地点の高井戸駅から歩き始めます。高井戸駅は、昭和八年(1933年)8月1日に帝都電鉄の駅として開業しました。帝都電鉄の前身は東京山手急行電鉄で、かつて東京外周に約50kmにわたる環状路線を建設しようとした鉄道事業者ですが、計画は世界恐慌の影響で頓挫し、後に帝都電鉄と改称して現在の井の頭線を建設しました。昭和二十三年(1948年)6月1日、京王帝都電鉄が発足し、高井戸駅は京王井の頭線の駅となりました。高井戸駅は昭和四十七年(1972年)の環状八号線の供用開始に伴い、それまでの築堤上の駅から井の頭線では数少ない高架駅となり、環八通りの上に位置しています。平成十八年(2006年)に駅高架下の京王クラウン街のリニューアル工事が完了し、駅舍と一体化した京王リトナード高井戸が開業しました。



高井戸駅のすぐ横手には杉並清掃工場の煙突が聳えています。かつて美濃部都政時代に東京ゴミ戦争のきっかけとなりましたが、現在は周辺の高級マンションと清掃工場が共存し、ゴミを燃やした際の廃熱を利用した温水プールが地元民に利用されています。



杉並清掃工場内にはその歴史を伝える「東京ごみ戦争歴史みらい館」が設置されています。また、敷地内には高井戸市民センターも開設されています。「区民」センターでないところがミソですね。案内板に書かれている「法的二重決定」って何だろうといろいろ調べてみましたが、よく分かりませんでした。

高井戸市民センター誕生

昭和三十五年頃の日本は高度経済成長で、大量生産・大量消費の使い捨ての時代でありました。当然のこととしてごみが大量に発生し、更に工場排煙や自動車の排ガスによる大気汚染がひどくなり、杉並区内でも光化学スモッグによる被害が続出しました。この様なとき昭和四十一年十一月、清掃工場を高井戸のこの地域に建設することが発表されました。しかし、この計画には公害不安、法的二重決定、立地条件など多くの問題があったため、地元周辺住民は一致して計画の取消しを求めて、東京地裁に提訴いたしました。原告は周辺住民約五千三百人と地主団十七人、被告は東京都で、東京ごみ戦争へと拡大されました。その後、東京地裁の和解勧告により、双方が「和解条項」を合意することで、十年にわたる東京ごみ戦争は終結しました。この和解条項の内容は非常に画期的で、その後の清掃工場の建設や運営にあたっては住民参加を尊重することが基本となっております。和解条件の一つとして、工場余熱を利用した利便施設を地元住民に提供することで、温水プール・健康増進施設・図書室・集会室などを工場敷地の一角に建設したものであります。この頃、杉並区では長期計画を策定し、区民センターを七ヵ所建設する計画がありましたので、区としてはこの利便施設を是非、区民センター・老人福祉センター(現在の高齢者活動支援センター)・温水プールなどの総合施設として管理運営権を譲って欲しいとの申出がありました。原告団は協議の結果、「和解条項」を尊重することを前提に同意いたしましたので、高井戸市民センターが誕生することになったものです。ここに開設二十周年を記念し記します。




西荻南・久我山編の西荻窪・富士見ヶ丘コースを歩いた際に、久我山小学校の脇に、「東原遺跡」の案内板がありましたが、高井戸東遺跡はお隣さんだったようです。神田川が古代人にもたらした恩恵は大変なものですね。

高井戸東遺跡

この遺跡は、杉並区高井戸東三丁目七番の高井戸市民センター及び清掃工場を中心とし、神田川北岸の台地上に東西に広がりをもつ旧石器時代から縄文時代・古墳時代・江戸時代に至る複合遺跡です。本遺跡の推定範囲は西側が区立高井戸小学校付近、東側が清掃工場東端付近であろうと考えられます。本遺跡は、昭和五十一年に清掃工場建設に伴う区道付け替えの ために発掘調査されたもので、関東ローム層第\層中から出土した局部磨製石斧は今から約二万八千年前の石器であるとされ、出土した石器類の一部は区立郷土博物館に常設展示されています。発掘調査によって出土した遺物としては、局部磨製石斧の他にナイフ形石器・スクレイバー(掻器)等、遺構としては縄文時代早期(約八千年前)の炉穴(屋外炉)、後期(約三千年前)の石棒が埋納されていたフラスコ状ピット(墓)、古墳時代では七世紀頃の住居跡、中世(室町時代頃)では地下式横穴墓、近世では下駄・桶等の木器が出土した深さ六メートルの井戸跡等が発見されています。高井戸東遺跡は、神田川のような小河川流域にありながら都区内部では最大級の旧石器時代遺跡として全国的にも知られ、武蔵野台地上では標式的な遺跡とも言え、杉並区における旧石器時代遺跡発掘調査の出発点となった、とも言える遺跡です。




井ノ頭通りと人見街道に挟まれた一画に、土塀に囲まれた松林寺があります。もともとは「正林寺」という寺名だったそうですが、お寺の周辺に松の木が多かったために「松林寺」と改名したそうです。今は松の木は見られませんが、代わりに山門横に大きな銀杏の木が立っています。杉並区には昔から松の木が多かったんですね。

松林寺

柏邑山松林寺は、曹洞宗の寺で、千手観音像を本尊とし、閻魔王像も安置されています。文禄二年(1593年)、中野成願寺五世葉山宗朔によって開創され、開基正林寿慶庵主の名に因んで「正林寺」と称していました。しかし、正徳三年(1713年)、四世竜光の代に寺名を「松林寺」と改めています。その頃は、当寺の周辺に松がとくに多かったからだといわれます。また、開創時の当寺は、小字堂の上・堂の下・寺前と称された辺り(現堂ノ下橋北側)にありましたが、程なく現在地(旧小字正用)に移ったと伝えられています。文化財としては、室町中期の板碑をはじめ江戸初・中期の庚申塔・地蔵石像・観音石像など多くが保存されています。なお、当寺は、大正三年田端(現成田西三丁目)にあった同宗の全福寺を合併しています。




境内の一画に六地蔵と板碑・石碑・庚申塔などが集められています。整然と並べられていますので、近在にあったものをまとめてここに保存しているのでしょう。寺名が書かれた石碑は塀の外に置かれていて寂しそうですが。



杉並区には、屋敷林を所有する豪邸があちこちに見られますが、このお宅は生け垣で有名だそうです。それにしても見事に手入れされていますね。維持費用だけでも大変な金額になると思うのですが。フェンスや塀などの代わりに植物を列植して作る「生け垣」にはどんなメリットがあるのでしょうか?最も大きいメリットは、道路や隣地からの目隠しです。頑強なコンリートやレンガなどを用いると圧迫感があって無機質な印象になりがちで、壁によって風通しが悪くなり、酷暑の夏には熱をため込んで周囲に熱気を放ちます。これに対し、生け垣は季節感が楽しめるほか、適度な風通しを保ってくれるので快適です。また、防風・防音の効果とか、景観の向上にもメリットがあります。このように立派な邸宅であれば、防犯にも役立つかも。



この生け垣は、「杉並「まち」デザイン賞 荻窪の生垣」に認定され、杉並区によって保護されているみたいです。さすがにこれほど立派な生け垣は杉並区内でも数少ないことでしょう。



生け垣の先には階段があります。ここは武蔵野台地に位置していて、善福寺川に向かって落ち込んでいく崖線のようです。



路地の入口に「金太郎車止め」が置かれ、乗り物の進入を阻んでいます。昭和四十年代から区内の河川や水路に蓋をする暗渠化が始まり、その上が遊歩道になった所に車の進入を防ぐための車止めが設置されました。このうち、子供が遊んだりよく通ったりする遊歩道には、昔話を知るきっかけにと金太郎のパネル付きのものが採用されたのです。金太郎が初めて登場したのは昭和五十年(1975年)の頃で、当時の杉並区広報には「悪質ドライバー阻止に金太郎さんの車止がお目みえ」という写真が掲載されています。金太郎車止めは今や杉並区の隠れキャラクターとなっていて、テレビや雑誌で紹介されるようにもなっています。この標識は年月の経過と共に腐食が進み、今では塗料も剥げかけています。当時の車止めは鉄製で雨水などにより経年劣化しやすかったために、平成以降は順次ステンレス製に置き換えられています。この流れを受けて、かつて身近に見られたという金太郎も次第に姿を消し、現在では50個程度が残っているそうです。路地の先は行き止まりになっていますが、ここには川が流れていたのでしょうか?



西コースのゴールは駅でなく、一周コースで通った関東バスの西田端橋バス停付近の十字路になっています。ちなみに、西田端橋はバス停の直ぐ東側にある善福寺川に架かる橋です。



ということで、短いコースでしたが「18.杉並区 荻窪南編 西コース 高井戸駅〜荻窪駅」を歩き終えました。高井戸駅から北上するルートは初めて歩きましたが、荻窪にも面白いところがあるんですね。生け垣の立派さには感動しました。「東京ごみ戦争歴史みらい館」には興味があったのですが、地元民でないので立寄りませんでした。残念!




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