- 27.善福寺・西荻北編 西荻窪・吉祥寺コース
- コース 踏破記
- 今日は杉並区の「27.善福寺・西荻北編 西荻窪・吉祥寺コース」を歩きます。西荻窪駅をスタート地点として、お洒落な骨董通りを抜け善福寺公園の東側を散策し、最後は吉祥寺の賑やかなサンロード商店街を巡ります。
「27.善福寺・西荻北編 西荻窪・吉祥寺コース」の歩行距離は5.2km、歩行時間は1時間50分です。
スタート地点:西荻窪駅北口
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- 1.骨董通り
- 西荻窪駅周辺には60店あまりの骨董店やアンティークショップが集まり、この付近は通称「骨董通り」と呼ばれています。
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- 2.井荻会館
- 昭和七年に井荻町町長はじめ地域の人々が建てた集会施設で、現在も種々のイベントに使われています。
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- 3.善福寺池へ続く桜並木
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- 4.はだしのオアシス
- 触覚をテーマにしたオブジェがあります。素材の違う柱に触れたりはだしで歩いて足裏を刺激したり、種々の触感を楽しめます。
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- 5.善福寺池下の池
- 池の半分近くがアシやスイレンに覆われ湿原の雰囲気があり、周囲の樹木もうっそうとして、上の池よりも野趣に富んでいます。
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- 6.在来生物保護区
- 杉並に自生していた植物をボランティアが育てており、関東・水と緑のネットワーク拠点百選に選ばれています。(中には入れません)
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- 7.区画整理のまちなみ
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- 8.善福寺
- 善福寺池の池畔にあった善福寺は大地震により崩壊したと伝えられます。現在の善福寺は無量山福寿庵が昭和十七年に改称したものです。
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- 9.大和市 (おおわし) 神社
- 大正十四年に仕留められた鷲があまりに大きかったため、ご神体にして社を建てました。11月の酉の日に祭礼が行われます。
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ゴール地点:吉祥寺駅北口
スタート地点の西荻窪駅北口から歩き始めます。西荻窪駅は、大正十一年(1922年)に鉄道省の駅として開業し、現在は杉並区およびJRにおける東京23区最西端の駅となっています。西荻窪駅周辺は狭い道が入り組んでいますが、そのことが西荻窪の独特な街の空気を醸し出しています。また、西荻窪にはアンティークショップや古書店が多いことでも知られています。
西荻窪駅の北口からは、北西に向かって名門の東京女子大への「西荻一番街女子大通り」が延びています。朝夕、東女の学生さんの通学風景は見られるのでしょうか?
西荻一番街女子大通りが北東に向きを変えた先に、見所ポイント1の「骨董通り」が続いています。広小路親栄会という小さな商店街になっていて、五十年以上の歴史があります。商店街には精肉店はありませんが、鮮魚店と青果店があります。商店構成で際立っているのは、骨董・リサイクル・中古着物などのアンティークな店が7店舗あることです。これが「骨董通り」と呼ばれる所以のようです。お洒落な西荻らしく、美容室や理容室は6店舗もあります。商店街全体の売り出しセールなどはありませんが、夏のイベントの「広小路祭」が近所の人々に親しまれています。11月に行われる「バス通300m巨大キャンバス」は歩行天国と化したバス通をチョークで落書きするイベントで、親子合わせて約600名の描き手が参加し、町の風物詩にもなっています。「ギャラリー寿庵」は、骨董の店「伊勢屋美術」の隣地下に開設されたお茶室のある展示空間です。今日は夏期休業中で扉は閉まっています。創業35年の「道具屋 慈光」は、西荻窪で言わずと知れたアンティーク家具の老舗です。慈光の魅力は、なんといってもその大きな敷地に所せましと並ぶたくさんの家具たちです。和風・東洋風・西洋風・・・、お部屋に合ういろんな好みの家具がたくさん揃っています。見たこともないような変わった家具も多く、店内は見て回るだけでも楽しめるつくりになっています。販売している家具はアフターケアや下取りの保証つきなので、安心して購入することができます。
女子大通りの地蔵坂交差点近くにある木造2階建ての見所ポイント2の「井荻会館」は、明治末期から昭和初期にかけて旧井荻村(町)長を務めた内田秀五郎の発案によって建てられたと言われています。完成したのは昭和七年(1932年)といいますから、築90年の歴史と由緒と風格を備えた建造物です。それだけに梁も廊下も天井も階段も実に味わい深いつくりで、一歩敷地に足を踏み入れるだけで何ともいえないあったかい空気に浸れます。井荻會館で毎月第4日曜日に開かれている「手しごと市」は活気が溢れ、手作りアクセサリーから包丁研ぎ、青果の販売まであります。お昼にはお弁当も買えますので、一日ここで過ごせる理想のバザールといった雰囲気です。
さくら児童遊園の周辺には、見所ポイント3の「善福寺池へ続く桜並木」が続いています。あまり整然とはしていませんが、桜の季節にはお家の前でお花見ができることでしょう。
善福寺さくら公園には、杉並区が制定した「知る区ロード」のルートにある4つのオアシスのひとつである見所ポイント4の「はだしのオアシス」があります。杉並区内には、善福寺川緑地や神田川沿いの遊歩道、それに歴史をたどる史跡めぐりなど、さまざまな散歩コースがありますが、そのひとつが「知る区ロード」です。昭和六十三年(1988年)にルートが設定され、全長約36kmの東西の輪が重なるようにしてつながる散策路になっていて、杉並区内の主な名所・旧跡や大きな公園、区の施設などを巡ることができます。このルートには、「はだしのオアシス」の他に「はなのオアシス」・「ときのオアシス」・「みみのオアシス」という、人間の五感をテーマにした休憩所があります。東京武道館や東京藝術大学大学美術館を設計した東京藝術大学名誉教授で建築家の六角鬼丈氏が設計を担当しました。出入り口には扉があり、大きな足形や親子の手型など、普通の公園にはないオブジェが見られます。
「はだしのオアシス」は徹底的に足にこだわり、子供が素足で遊べば足の裏が刺激され、感覚が鍛えられます。「ふれあい小径」は足の裏でいろいろな刺激を感じられるデコボコ道になっていて、善福寺さくら公園は子供と一緒のお散歩に立寄りたい公園です。
ふれあい小径
足の裏を自分の体重で刺激する小径です
いろいろな素材の感触が楽しめます
足元をたしかめながら
ゆっくり歩いてみてください
善福寺公園は昭和三十六年(1961年)6月16日に開園し、善福寺池を中心にして遊具や遊歩道が整備された広大な都立公園です。善福寺池は湧水量が多く、善福寺川の水源になっているだけでなく、東京都水道局杉並浄水所の水源にもなっています(23区内の水道局管轄の水道で井戸を水源としているのはここだけです)。北と南にふたつの池があり、井の頭池(井の頭恩賜公園)・三宝寺池(石神井公園)と並んで、武蔵野三大湧水池として知られています。近辺には武蔵野の雑木林を思わせる木々も多くあり、野鳥や草花も豊富で、都内でも数少ない自然豊かな公園になっています。善福寺の名前の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来していますが、その善福寺は江戸時代に廃寺となっています。ややこしいことに、現在も近くに「善福寺」という名前のお寺がありますが、これは福寿庵という元々違う名前だったお寺が後年になって善福寺に改名したものであり、池の名前の由来にはなっていません。経緯を知っている人はあまりいないとは思いますが(この後訪れる善福寺の案内板に経緯の説明があります)。
都立善福寺公園
ZENPUKUJI PARK
善福寺公園
善福寺池を中心にした公園。池は、かつては神田上水の補助水源として利用されたほど澄んだ水で、湧水量も多く、武蔵野三大湧水池のひとつとして知られていました。池の名称は、昔、この付近にあった寺の名からとったと伝えられています。上池、下池と別れ、両方で約3万7千u、公園全体の47%を占めます。昭和五年10月「善福寺風致地区」に指定されると、その4年後に地元関係者が「風致協会」を設立して保存がはかられてきましたが、昭和三十六年6月に都立公園として開園され、現在に至っております。池にはカモ、カイツブリ、バンなどの水鳥がやってきます。
遅の井
善福寺池の湧水のひとつ。その起源は古く、言い伝えによると約800年前の文治五年(1189年)、源頼朝が奥州征伐の途次、この地で飲料水を求めるために掘ったもの。折からの干ばつでなかなか水が出ず、自ら弓の「はず」で土を掘ること7度にしてようやく水が湧き出たといわれます。水の出を「今や遅し」と待ったから「遅の井」と命名されたというわけです。現在は、泉が涸れてしまったので、井戸を掘りポンプで汲みあげ、遅の井の滝として復元しています。
水辺の彩り
上池は二つの中島をもった広々とした池。大きい島には、弁財天がまつられています。その他約100株のスイレンがあります。ボート遊びで傷つけられないように杭で囲ってあり、6月から7月にかけて赤、白の花を咲かせます。また上池の周辺にはアジサイが植えられていて、同じころ青紫色の花をつけます。下池の周囲の樹林もうっそうとして、上池にくらべて野趣に富んでいます。
見所ポイント5の「善福寺池下の池」は、池の半分近くがアシやスイレンに覆われ湿原の雰囲気があり、周囲の樹木もうっそうとして、上の池よりも野趣に富んでいます。
公園の端を流れる遅野井川に沿って、見所ポイント6の「在来生物保護区」が設けられています。生き物の休み場所のため、人間は近寄らないようにという案内板が立っています。吸血のヒルもいるそうですからご注意(人間の血は吸わないとは書いてありますが)。ちなみに、昔は沼地に素足で入るとヒルが沢山足に吸い付いてきました。吸着力が強くて、剥がすのが大変なんですよね。それに、剥がした後は皮膚が血だらけになります。近寄らないにこしたことはないですね。
国が管理する一級河川の善福寺川は、下の池から水が流れ出る美濃山橋から始まります。下の池の脇を流れる遅野井川は、法律上の「河川」ではなく、善福寺池の一部でもなく、杉並区が管理している親水施設の「水路」なのです。
遅野井川とは
遅野井の湧水を源としていた善福寺川は、かつて「遅野井川」と呼ばれていました。また、善福寺公園の上の池と下の池を結ぶこの水路では、地元の有志によるヘイケボタルの放流が行われ、「ホタル水路」の愛称で長く親しまれてきました。その後、平成二十六年(2014年)に井荻小学校の子どもたちから「水に親しめるもっと身近な水辺にしてほしい」との要望を受け、区は「みんなの夢水路整備事業」として再整備を進め、平成三十年(2018年)に整備が完了しました。整備完了を機に、かつては子どもたちの遊び場として小川だった頃の往時をしのび、区民の憩いと安らぎの場として親しまれるよう、「遅野井川」と呼ぶこととしました。
下の池と上の池は道路で分断されています。そこにも善福寺公園の案内板が立っています。
善福寺公園の生い立ち
この公園は、多摩川が東京湾に流入して形づくられた隆起扇状地で、武蔵野台地の一部をしめております。標高約50メートル、西側はほぼ平坦な台地で東側は、石神井川・妙正寺川並びに神田川などが流れ、起伏に富んだ丘陵になっています。また善福寺池は、三宝寺池・妙正寺池並びに井の頭池と共に武蔵野台地の東側にあって、地底や水辺からの湧水によってできた池である点が、共通の大きな特徴となっています。なお善福寺の名称の起源については、昔丘の西側に善福寺・万福寺の二寺があり、その一つが池の名となって残ったともいわれています。ここは、交通の便にめぐまれなかったため、自然の景観がよく保存されていました。その後、周囲の住宅化や近代施設の設置などによって、この風致を保存するために、昭和五年十月都市計画法によって風致地区に指定してこの区域では、建築物その他工作物の築造、土地の形質変更、樹木等・土石の採取、あるいは風致維持に影響ある行為を制限することにしました。その後昭和三十二年に東京都市計画公園として決定され、その一部が昭和三十六年六月東京都善福寺(公園)として開園し現在に至っています。
上の池の辺に善福寺川の案内板が立っています。
善福寺川
善福寺川は善福寺池を源とし、杉並区の中央を蛇行して流れ、中野区に入って神田川に合流する区内最長の川で、区内での延長は約十キロメートルです。この川の流域には、区内における最大級の複合遺跡として知られる松ノ木遺跡(先土器時代〜奈良・平安時代)を始めとして、光明院南遺跡・川南遺跡・谷戸遺跡・大宮遺跡・済美台遺跡などがあり、こうした遺跡や包蔵地の所在は、かつての水量豊かな善福寺川の流れを古くから人々が活用していたことをうかがわせます。徳川家康は天正十八年(1590年)江戸に入国すると、ただちに善福寺川・神田川・妙正寺川を給水源とする最初の上水といわれる小石川上水(のちの神田上水)をつくり江戸に給水しました。そして明治三十四年、飲料水給水を廃止するまで、善福寺川は東京における最古の水道源のひとつとして人々を潤わせてきたのです。善福寺川は、かんがい用水としてもひろく利用され、流域の農村・農民にとって農耕上・生活上重要な価値を持っていました。また、子供達の水遊びやつりの場でもありました。善福寺池西側には、源頼朝ゆかりといわれた噴泉があり、かつては盛んに湧水していました。今日、池を中心とした周辺は区内有数の公園として親しまれ、区民の憩いの場となっています。私たちは、このような歴史ある河川を一層大切に守りつづけたいものです。
善福寺公園の東側は整然とした街路の住宅地になっています。見た目も美しい、見所ポイント7の「区画整理のまちなみ」です。
見所ポイント8の「善福寺」です。案内板には、昔から「福寿庵」に「善福寺」が冠していたことから、現在の善福寺が廃寺となったかっての善福寺と関係ないということもなさそうです。昭和十七年に改名した際の経緯がわかりませんので、何ともいえませんが。
善福寺
当寺院は、福寿山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像です。開創は詳らかではありませんが、開山は御堂阿闍梨と伝えられ、中興開山は月山機法です。古くは、無量山福寿庵と称する浄土系の小庵でした。享和年間(1801年〜1804年)以前(一説には宝永六年【1709年】)には観泉寺(今川2−16−1)持になっていたと考えられています。「善福寺」と改称したのは、昭和十七年(1942年)のことです。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代末期の作といわれ、流れるような衣文が美しい優雅な像です。その他、境内には浄土系寺院時代の歴代住職の墓石や、建武元年(1334年)銘板碑、享保十二年(1727年)銘地蔵石像などがあります。文政十一年(1828年)に成立した「新編武蔵風土記稿」には、「往古は善福寺・万福寺とて二ヶ寺ありしが、いつの頃か廃絶して今はその跡さえも知れず。・・・此善福寺の廃せしは、先年大に地震せしとき池水溢れいで、堂宇これが為に破壊に及びしが遂に再修に及ばず、其名空くただ池の称のみ残れりと。思うに、此時、寺をば何へか引移せしものならん」とあり、往古、池畔には「善福寺」という寺院があったとの記載がみられます。この「善福寺」と当寺院との直接の関係について、明らかな資料はありませんが、小庵の頃から引きついでいる机に「文化十二年・・・無量山善福寺福寿庵」とあるところから、「善福寺」という名が伝わっていたと考えられています。
見所ポイント9の「大和市 (おおわし) 神社」ですが、「大和市」って読みづらいなぁと思っていましたら、「大鷲(おおわし)」に掛けたんですね。
大和市神社
大和市神社の御神体は剥製の大鷲です。この大鷲は、大正十四年(1925年)秋、練馬区関町との境にあった一本松に留っているところを、散弾銃で撃たれたといわれています。大鷲は、弾が当たって松から落ちながらも向ってきたため、さらに撃たれて仕留められたそうです。鷲は、あまりの大きさであったことから、剥製として保存されました。翌十五年(1926年)には、村中の人々が話し合い、この鷲を御神体とするお社を建ててまつり、大和市神社としました。地域や近郷の人々は、大和市神社の講をつくり、現在も、毎年十一月の酉の日に、井草八幡宮の神主を招いて祭礼が行われ、神社の前で熊手も売られています。以前は、お社のまわりが空いていたので、祭礼時は様々な屋台が出て、芝居や神楽なども行なわれました。とくに、芝居小屋が建つと、どこからこんなに集まったのかと思うほどの人で賑わったそうです。昔は娯楽が少なく、近郷近在の人たちにとっては、とても大きな楽しみだったのでしょう。大和市神社のほかに、大鷲の剥製を御神体とする区内のお社として、下井草一丁目の大鷲神社があります。
畏れ多いこととは存じますが、祠の中を覗いてみました。でも、ご神体の大鷲はよく見えませんでした。
大法禅寺(大法寺)は、武蔵野吉祥七福神の福禄寿を祀っています。江戸幕府が開設されてからわずか30年後の寛永十年(1633年)2月に仁曳義貞禅師によって江戸城下阿佐布の地に創建されたといわれています。江戸の町が整ってくるに従い、帰依する人々が増え、特に阿部・松平・細川・堀田・内藤・青山・井伊・亀井・中川・酒井・毛利・有馬・米津・その他多くの諸大名や各藩家中の帰依を受け、また藤原卿や源氏・平家などを祖とする著名な武将や家臣の後裔が数多くこの大法寺を菩提寺とするようになりました。その後300年に及んだ都心での歴史に幕を閉じ、昭和七年(1932年)10月に吉祥寺に移転してきました。
静かな境内には吉祥観音像やお徳地蔵様の像が建っています。吉祥寺の名前の由来となったものではありませんが。
吉祥寺サンロード商店街は、吉祥寺駅北口ロータリーから北北東方向にまっすぐ延び、途中で本町新道と交差し、五日市街道に至る長さ約300mのアーケード商店街です。サンロードから更に西にいくつもの商店街が伸びていて、吉祥寺のメインストリートとしての機能を持っています。「サンロード」の名前は「太陽の道」を意味し、商店街のコンセプトは「一店逸品街」となっています。サンロードのアーケードは開閉式で、昼間は太陽光をふんだんに取り入れ、夜間はスクリーンに映像や色彩などが映し出し、買い物客らを楽しませています。
商店街の入口近くには私が足繁く通ったシェーキーズのお店があります。平日・休日共にランチバイキングが開催され、いろんな種類のピザをお腹いっぱい食べられます。ワインの飲み放題が付いていれば言うことなしですが。
吉祥寺駅は、明治三十二年(1899年)12月30日に甲武鉄道の駅として開業しました。昭和九年(1934年)には帝都電鉄(現在の京王電鉄井の頭線)が開業し、駅舎内で接続しています。昭和四十四年(1969年)には、駅の北口に吉祥寺ステーションビル「吉祥寺ロンロン」が開業しました(平成二十二年【2010年】に「アトレ吉祥寺」に改称)。魚力・ニュークイック・澤光青果(なくなったのかな?)は私の定番のお店です。
ということで、「27.善福寺・西荻北編 西荻窪・吉祥寺コース」を歩き終えました。善福寺公園は次回も訪れます。吉祥寺といえば、ダイヤ街で常に行列が出来ている「さとう」の伝説の丸メンチカツを買わないといけませんね。松阪牛が使われていると思っていたのですが、黒毛和牛の但馬牛を使っているとのことです。5個以上買うと、一個240円が200円になりますので、勿論5個買います。さすがに、一食で食べきるのはキツイですが。
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