C馬事公苑界わいコース・上町駅→馬事公苑  

コース 踏破記  

今日は世田谷区の「馬事公苑界わいコース・上町駅→馬事公苑」を歩きます。東急世田谷線の上町駅をスタート地点として、路線バスが行き交う世田谷通りを歩き、馬事公苑までを巡ります。  

「馬事公苑界わいコース・上町駅→馬事公苑」の歩行距離は約1.6km(約2,290歩)、歩行時間は約24分、消費カロリーは約72kcalです。

スタート地点:東急世田谷線上町駅

ゴール地点:馬事公苑けやき広場


スタート地点の東急世田谷線上町駅から歩き始めます。



上町駅前で東急世田谷線と城山通りが交差しています。城山通りは、赤堤通りや希望丘通りなどと並んで世田谷区の幹線道路として位置付けられています。城山通り沿いには世田谷区内唯一の歴史公園である世田谷城阯公園があります。世田谷城阯公園は昭和十五年に開園し、東京都の指定文化財にもなっています。公園内には昔の世田谷城の面影を残す土塁や丘・谷があり、樹木に覆われた自然豊かな公園になっています。世田谷百景にも選ばれていて、さぎ草の伝説の主人公「常盤姫」もここに住んでいました。世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃に関東管領の足利基氏から戦の手柄により武蔵国世田谷領を与えられて築城したのが始まりであると言われています。以後、吉良氏八代の二百数十年の間居城として栄え、吉良御所あるいは世田谷御所と呼ばれました。天正十八年(1590年)に豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼした際、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたために廃城となりました。

ちなみに、世田谷区の花は「鷺草(さぎそう)」ですが、これには世田谷城に住んだ常盤姫にまつわる「さぎ草の伝説」が深く関わっています。田園都市線の九品仏駅の北側に駅名の由来となった「浄真寺」があります。三棟の三仏堂に阿弥陀如来像がそれぞれ3体、合計で9体安置されていることから浄真寺は「九品仏」とも呼ばれています。浄真寺の境内の一画に鷺草公園があり、夏にはきれいな花を咲かせます。かつて浄真寺の場所には、世田谷吉良氏の家臣の中でも最も優れたといわれている大平出羽守の城である「奥沢城」がありました。大平出羽守には「常盤姫」という美しい娘がいました。世田谷城主の吉良頼康は常盤姫を側室にし、才色兼備の常盤姫を深く寵愛していました。そして常盤姫が子供を身ごもったことに他の12人の側室が妬み、常盤が頼康の家臣である内海掃部と密通しているという嘘の訴えを頼康に伝えたのです。頼康は内海家を討ち、常盤を城から追い出しました。頼康の信頼を失って城から追い出された常磐姫は命を絶ちましたが、その際に常盤姫は遺書を書いて大切に育てた白鷺の足元に付けて父のいる奥沢城へと放ちました。しかし、たまたま奥沢城付近で狩りをしていた頼康がその白鷺を打ち落とし、手紙を見て側室の訴えが嘘であり、常盤姫が潔白であることを知った頼康は急いで常盤姫のいるところへ向かいましたがすでに常盤姫は息絶えていました。傍には胎児の遺体があり、その胎児をまとっていた膜に吉良家の紋章が浮かび上がったといいます。白鷺が落ちた場所からは一本の草が生え、鷺に似た可憐な花をつけたのです。鷺草が世田谷区の花となったのは、この常盤伝説に由来しているのです。



世田谷通りを進みます。世田谷通りは、国道246号線(玉川通り)の三軒茶屋交差点を起点とし、狛江市東和泉の神奈川県境に至る延長9kmの概ね往復2車線の都道です。世田谷区内では沿道に世田谷区役所や東京農業大学・NHK放送技術研究所・国立成育医療研究センター・日本大学商学部などがあり、狛江市内では小田急小田原線の喜多見駅・狛江駅・和泉多摩川駅の付近を通ります。世田谷通りは川崎市に入ると津久井道という通称に変わり、町田市に入ると鶴川街道という通称名になって、概ね小田急小田原線に併行しています。道路としての歴史は古く、甲州街道の裏街道として、また絹や川魚や川崎特産の禅寺丸柿や黒川炭などを江戸へ運搬するための生活や商業の道路として活用されてきました。元々制度的に作られた道路ではなく、正式に路線認定されたのは昭和三十年(1955年)のことでした。世田谷区の区間は1964年に開催された東京オリンピックに合わせて整備されました。都会的雰囲気と田舎の風景を併せ持った道路です。



ゴール地点の馬事公苑に着きました。



世田谷通りの沿道には名所・旧跡は見かけませんでしたが、緑濃い街路樹が続き、またレストランなども多くありますので、散策にはちょうどいいですね。次回は「馬事公苑界わいコース 桜新町駅→馬事公苑(その1)」を歩きます。




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