C馬事公苑界わいコース・用賀駅→馬事公苑(2)  

コース 踏破記  

今日は世田谷区の「馬事公苑界わいコース・用賀駅→馬事公苑(2)」を歩きます。東急田園都市線用賀駅をスタート地点として、用賀北口美術館通りを北上し、馬事公苑の手前で用賀中町通りに合流して馬事公苑のけやき広場に至ります。用賀中町通りに入った先の区間は「馬事公苑界わいコース・用賀駅→馬事公苑(1)」と同じルートを辿ります。  

「馬事公苑界わいコース・用賀駅→馬事公苑(2)」の歩行距離は約1.6km(約2,290歩)、歩行時間は約24分、消費カロリーは約72kcalです。

スタート地点:東急田園都市線用賀駅北口

ゴール地点:馬事公苑けやき広場


スタート地点の東急田園都市線用賀駅北口から歩き始めます。用賀駅には、北口と東口と南口の3ケ所の出入口があり、北口は世田谷ビジネススクエアと用賀駅バスターミナルに、「用賀駅→馬事公苑(1)」で利用した東口は用賀商店街に、南口は平成ビル用賀に繋がっています。世田谷ビジネススクエアには人工の滝もあります。ナイアガラ瀑布に比べれば可愛いもんですけど。



用賀北口美術館通りに入り、北に向かいます。「美術館通り」というくらいですから、沿道に美術館があるかなと思って歩いていたのですが、見当たりません。実は、美術館とは砧公園にある世田谷美術館のことなのです。地図で見ますと、一本道では繋がっていなくて、「いらか道」という遊歩道を経由して環八を横断し、やっと辿り着けるみたいです。正式には、「美術館通り」というのは環八を渡ってから世田谷美術館までの区間を指し、そこに繋がるルートとして「用賀北口美術館通り」という通り名が付いているんですね。でも、この道は「いらか道」を通る訳でもなく、美術館と方向も違うので何故「美術館通り」という名称が付いているのか不思議です。



通りの左側にブロック塀とフェンスで囲まれた広大な屋敷があります。旧玉川村の金子為太郎村長邸なのだそうです。玉川村は明治二十二年(1889年)に用賀・瀬田・野良田・上野毛・下野毛・尾山・等々力・奥沢という江戸時代から続く古い村々が合併して出来た村です。金子村長は明治四十五年から大正十二年まで一番長く村長を務め、村の発展に尽くしました。そして、村長を辞めてからも次の豊田正治村長たちと相談して、村全体の道路を整備していく計画(玉川全円耕地整理事業といいます)の中心的な役割を務めました。現在の街並みが東西南北・碁盤の目のようになっていますが、これは金子村長達の長年の努力の賜です。

玉川全円耕地整理事業というのは、大正末期に計画された玉川地域の耕地整理事業で、将来の玉川村も住宅の町になると見越した宅地造成工事のことです。現在の世田谷区の約4分の1(1、000町歩)を占める玉川村全域を対象としたものであり、我が国の都市計画史上でも特筆に価する事業でした。大正十二年に発生した関東大震災によって東京の下町は焼け野原となり、人々は郊外に住まいを求めていました。大田区の田園調布(当時の調布村)では住宅地の造成が進められ、文化住宅が建ち並んで田園都市が出現していきました。隣接する玉川村でも盛んに土地が売買されましたが、宅地造成がされていなかったので、安値で買い叩かれていました。この状況を憂いた玉川村の村長豊田正治を始め、地元の有志たちは何とかして村の将来のために土地を守り、道路や下水道を造って住み易くしようと考えました。大正十二年1月、村会で村全域の耕地整理を全会一致で決定しました。当時の玉川村は、戸数1、300戸・人口7、000人の村でした。その後、昭和二年に玉川全円耕地整理組合が結成され、村長の豊田氏自らが組合長となってこの大事業を始めました。耕地整理は、組合が土地を買い上げ、整地後に所有者に売り渡すという方法で行われました。当然ながら反対派も多く、その運動は殺気だった中で進められたといいます。賛成・反対の声が渦巻く中で昭和三年6月1日に事業が着工され、諏訪分区(東玉川)、尾山分区(尾山台)、奥沢西分区などの分区が先ず工事に着手しました。工事は途中で第二次世界大戦で中断したり、資金難に陥って村長以下役員などが自分の資財を投じたり、大井町線の敷設を促進したり、用賀地区の土地を帝国競馬協会(現日本中央競馬会)に売買交渉したりして切り抜け、昭和二十九年に用賀中区の耕地整理登記を終え、全面積1、100ヘクタール・30年に及んだ耕地整理事業は完了しました。



用賀北口美術館通りから右折して用賀中町通りに向かう角に用賀本村稲荷があります。昔、この辺りは用賀の本村といわれていました。高台に天神さまの社もありましたので、天神山とも呼ばれていました。天神さまの脇には赤い鳥居のお稲荷さんが祀られていました。明治四十一年になって村内の幾つかの神社をまとめて用賀神社ができた時、この天神さまはその中に一緒に祀られる事になり、ここにはお稲荷さんだけが残りました。そこで、村の人たちはこのお稲荷さんを本村稲荷と名付け、毎年2月の初午の日にはお祭りをしてきました。昭和七年・昭和三十二年・、昭和五十七年(1982年)と、25年毎に大祭も行われました。平成十九年(2007年)はどうだったのでしょうか?



けやき広場に面して、東京農大の「食と農」の博物館附属の展示温室バイオリウムがあります。館内には、マダガスカルを中心とした貴重な動植物コレクション、グリーンイグアナ・キツネザル・リクガメなど、熱帯の動植物がたくさん展示されています。



ゴール地点のけやき広場に着きました。



今回のコースは半分位の区間で「馬事公苑界わいコース 用賀駅→馬事公苑(その1)」と重なっていましたが、前回見落としたところもあって改めて桜新町の魅力を感じました。次回は「馬事公苑界わいコース・千歳船橋駅→馬事公苑(1)」を巡ります。




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