- C馬事公苑界わいコース・千歳船橋駅→馬事公苑
- コース 踏破記
- 今日は世田谷区の「馬事公苑界わいコース・千歳船橋駅→馬事公苑」を歩きます。小田急線千歳船橋駅をスタート地点として、千歳通りを南下し、品川用水の遺構と桜並木の景観を眺めながら馬事公苑けやき広場に至ります。千歳船橋から馬事公苑へは、千歳船橋駅付近で2通りのルートが設定されています。今回は、城山通りを駅南口から線路沿いに祖師谷大蔵駅方向に進み、NTTドコモの前の交差点で左折して千歳通りを馬事公苑に向かうルートとなります。尚、ウォーキングマップが英語版しか入手できませんでしたので、一部表記は英語になっています。
「馬事公苑界わいコース・千歳船橋駅→馬事公苑」の歩行距離は約1.5km(約2,140歩)、歩行時間は約23分、消費カロリーは約69kcalです。
スタート地点:小田急線千歳船橋駅南口
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- KStone wall and avenue of cherry trees
- The combination of this avenue of cherry trees and stone wall built with round stones whose collection is now prohibited results in rare scenery exuding a sense of history as well as of the local geography.
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ゴール地点:馬事公苑けやき広場
スタート地点の小田急線千歳船橋駅南口から歩き始めます。
千歳通りの両側には桜並木が続き、春にはお花見の名所となります。歩道の脇には、今では採掘が禁止されている玉石で造られた石垣が続いています。見所ポイントKの「玉石垣と桜並木」の組み合わせは、歴史や地形が感じられる貴重な風景となっています。
T字路の歩道に橋の親柱が向かい合っています。親柱にはプレートが貼ってあり、挿絵には「旧品川用水」と書いてあります。挿絵は傷みが激しくてよく見えませんが、水路に掛けられた橋の上を桶に乗った人が通っているように見えます。そんなことってあり???
玉石垣の上の植え込みの中に品川用水の案内板が立っています。玉石垣は品川用水の石積み護岸をそのまま残した遺構だったんですね。
旧品川用水の由来について
この前にある千歳通りは、旧品川用水の水路跡です。品川用水は、熊本藩主細川越中守綱利の弟若狭守利重が将軍から賜わった品川領戸越・蛇窪両村にまたがる抱屋敷(別荘)の池に使うための用水として、寛文三年〜四年(1663年〜1664年)玉川上水から分水した戸越上水が前身です。戸越上水は寛文六年に一旦廃止されましたが、翌七年に品川領の村人が幕府に使用を出願し許可されて、品川用水がはじまりました。旧戸越上水は細流だったので、寛文九年幕府の費用で江戸の商人達に請負わせて拡張工事をしました。そのとき、用水の通る彦根藩世田谷領では、潰地の地代年貢をとるかわりに「用水何ヶ所にても御望次第永代差上可申候事」の書き付けをとって、世田谷村1ヶ所・用賀村2ヶ所・弦巻村1ヶ所の分水口を設けました。しかし、元禄二年(1689年)品川領9ヶ村の村は「世田谷領御領・私領之村村に水引取、品川領に水届不申故」と、上流の世田谷領内の調査を勘定奉行に嘆願しました。分水停止を前提にした勘定奉行の現地調査に対し、世田谷領の3ヶ村は先の書き付けを楯に猛然と反対しましたが、幕府権力の前には書き付けは一片の空文となり、分水口は閉鎖されました。品川用水は、その後元禄四年に幕府の工事として、第2次拡張工事が行なわれ、昭和初年まで豊富な水が流れていましたが、昭和七年用水組合が解散され、昭和二十五年〜昭和二十七年(1950年〜1952年)、おもにゴミなどで埋立てられて、289年の歴史を閉じました。
こちらの親柱は比較的保存状態が良いようです。
ゴール地点のけやき広場に着きました。
品川用水は「東京の河川を歩く」では取り上げませんでした。こんなに歴史のある川なのに、その存在を知らなかったとはいえ、今となっては惜しいことです。次回は「馬事公苑界わいコース 経堂四丁目さくら広場→馬事公苑」を歩きます。
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