C馬事公苑界わいコース・経堂四丁目さくら広場→馬事公苑  

コース 踏破記  

今日は世田谷区の「馬事公苑界わいコース・経堂四丁目さくら広場→馬事公苑」を歩きます。小田急線千歳船橋駅近くの経堂四丁目さくら広場をスタート地点として、商店街から稲荷森稲荷神社のイチョウの大木と夥しく落下した銀杏の実を眺めつつ、馬事公苑けやき広場に至ります。千歳船橋から馬事公苑へは、千歳船橋駅付近で2通りのルートが設定されています。今回は、経堂四丁目さくら広場から千歳船橋参商会商店街を抜け、笹原小学校東交差点に出て千歳通りを馬事公苑に向かうルートとなります。



尚、ウォーキングマップが英語版しか入手できませんでしたので、一部表記は英語になっています。  

「馬事公苑界わいコース・経堂四丁目さくら広場→馬事公苑」の歩行距離は約1.6km(約2,290歩)、歩行時間は約24分、消費カロリーは約72kcalです。

スタート地点:経堂四丁目さくら広場
KStone wall and avenue of cherry trees
The combination of this avenue of cherry trees and stone wall built with round stones whose collection is now prohibited results in rare scenery exuding a sense of history as well as of the local geography.

ゴール地点:馬事公苑けやき広場


スタート地点の経堂四丁目さくら広場から歩き始めます。

経堂四丁目さくら広場
Kyodo 4−chome Sakura Open Space

この小広場は、良好な住まいと環境づくりを目的にスタートした「桜丘2丁目西地区まちづくり協議会」の提案により、東京都住宅供給公社と公社団地自治会の協力を得て、整備されました。




「千歳船橋参商会商店街」は、千歳船橋駅の南側一帯を中心に、駅の北側の一部分にも広がる広いエリアの商店街です。賑やかな商店街入口を進むと、古き良き昭和の風景にタイムスリップします。曲がりくねった路地沿いや住宅地へ続く道すがらに昔ながらの生鮮の店や物販店、情緒たっぷりの飲み屋など、これぞ商店街といった商店もまだ健在です。加えて個性豊かなイマドキの店もちらほらあり、その風景にしっくりなじんでいます。毎日のお買い物が楽しめる貴重な商店街です。「参商会」って、どういう意味でしょうか?



商店街の中ほどに、稲荷森(とうかもり)稲荷神社があります。稲荷森稲荷神社の創建年代は不明ですが、境内に残されている庚申塔に「延宝(1673年〜1681年)」の銘が入っていることから、それ以前と推測されます。奥州に落ちた源義経を追って来た静御前が神社で一夜を明かしたという伝説も残されています。戦前までは鎮守の森で鬱蒼としていて、「稲荷森(とうかんもり)」と呼ばれていたことが神社の名称の由来となっています。



境内の中央には、ご神木の大銀杏の木が聳えています。季節柄、根元には大量の銀杏の実が散乱しています。誰も拾わないのでしょうか?



笹原小学校東交差点を左折して千歳通りに入ります。ここから先は「馬事公苑界わいコース・千歳船橋駅→馬事公苑」と同じルートとなります。



千歳通りの両側は少し高台になっていて、石垣には玉石が使われています。見所ポイントKの「玉石垣」は、品川用水の石積み護岸をそのまま残した遺構です。



品川用水は戦後全て埋め立てられましたが、一部では水路のモニュメントが造られています。

旧品川用水の由来について

この前にある千歳通りは、旧品川用水の水路跡です。品川用水は、熊本藩主細川越中守綱利の弟若狭守利重が将軍から賜わった品川領戸越・蛇窪両村にまたがる抱屋敷(別荘)の池に使うための用水として、寛文三年〜四年(1663年〜1664年)玉川上水から分水した戸越上水が前身です。戸越上水は寛文六年に一旦廃止されましたが、翌七年に品川領の村人が幕府に使用を出願し許可されて、品川用水がはじまりました。旧戸越上水は細流だったので、寛文九年幕府の費用で江戸の商人達に請負わせて拡張工事をしました。そのとき、用水の通る彦根藩世田谷領では、潰地の地代年貢をとるかわりに「用水何ヶ所にても御望次第永代差上可申候事」の書き付けをとって、世田谷村1ヶ所・用賀村2ヶ所・弦巻村1ヶ所の分水口を設けました。しかし、元禄二年(1689年)品川領9ヶ村の村は「世田谷領御領・私領之村村に水引取、品川領に水届不申故」と、上流の世田谷領内の調査を勘定奉行に嘆願しました。分水停止を前提にした勘定奉行の現地調査に対し、世田谷領の3ヶ村は先の書き付けを楯に猛然と反対しましたが、幕府権力の前には書き付けは一片の空文となり、分水口は閉鎖されました。品川用水は、その後元禄四年に幕府の工事として、第2次拡張工事が行なわれ、昭和初年まで豊富な水が流れていましたが、昭和七年用水組合が解散され、昭和二十五年〜昭和二十七年(1950年〜1952年)、おもにゴミなどで埋立てられて、289年の歴史を閉じました。




ゴール地点のけやき広場に着きました。



千歳船橋駅の北口は小田急の沿線らしくちょっとお洒落な雰囲気があるのですが、南口の商店街は昭和の面影を色濃く残しています。次回は「馬事公苑界わいコース」上には含まれなかった馬事公苑界わいの見所ポイントを巡ります。




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