Hコース(浅草寿地区健康推進委員おすすめ)一葉記念館ルート  

コース 踏破記  

今日は台東区の「Hコース(浅草寿地区健康推進委員おすすめ)一葉記念館ルート」を歩きます。南部区民事務所から吉原神社に至り、そこから一葉記念館から見返り柳まで歩き、その後は石浜神社まで歩きます。吉原神社から見返り柳区間以外は吉原仲之町通りルートと重なりますので、ここでは吉原神社から見返り柳区間のみを扱います。  

スタート地点:吉原神社
@一葉記念館

ゴール地点:見返り柳


分岐点の吉原神社から歩き始めます。



正宝院は享禄三年(1530年)に開山され、本尊の不動尊は「飛不動」と呼ばれています。これは当時の住職が大和国(現・奈良県)の大峰山で修行するために本尊の不動尊を携えてきたところ、一夜にして正宝院に飛び帰ったことから、このように呼ばれるようになりました。これらの故事により、「航空安全」のご利益があるとされ、航空関係者や飛行機を利用する旅行者の信仰を集めるようになりました。小惑星探査機はやぶさが一時行方不明になった際に、プロジェクトマネージャの川口淳一郎氏は正宝院を参拝し、はやぶさの無事帰還を祈ったそうです。また「航空安全」は「落ちない」に通じることから、合格祈願の受験生の参拝者も多く、また「もっと飛ぶように」ということでゴルフ愛好家らも訪れています。

飛不動

正寶院は、享禄三年(1530年)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。当寺の本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。「飛不動」は本尊の通称だけでなく正寶院の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(1661年〜1673年)の「新板江戸大絵図」には、すでに「飛不動」の名で見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記」や「江戸砂子」などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。

Tobi-fudo

Shobo-in temple is said to be first built in 1530. The name of flying God came from a legend: Once upon a time, the chief priest of this temple went to the Omine Mountain in Nara prefecture to pursue his learning, he braught the principal image of Buddha with him to the mountain from his temple, but the principal image flew back to this place in Edo within one night and gave divine favors to the people. In recent years, many people believe that the God of protection for airplane flights lives in this temple, and these people visit the temple to pray for the safety in air travel. Also, an event of "Kiku(chrysanthemum)Festival" is held in October every year within the grounds of the temple.




正宝院の由緒を記した案内板も立っています。

由緒

当寺は龍光山三高寺正寶院と称し、享禄三年(1530年)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後、滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台系の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に数えられ、特に飛不動と呼ばれている。この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し、修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を検授けられたことより発している。当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の災火の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和四十六年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。また本堂前の石仏は正徳三年作の如意輪観音である。




飛不動は下谷七福神の恵比寿神札所です。恵比寿はもともと漁の神様でした。豊漁は航海安全によってもたらされ、安全航行は商売繁昌につながり繁昌すれば笑顔になり、エビス顔の喜結良縁・敬愛富財の神様として知られるようになりました。縁日は10月10日です。10月(神無月)は、神様達が縁結びの相談のため出雲に出かけます。その留守を預かるのが恵比寿様です。10月10日はすべての願い事をキク「菊恵比寿の日」です。「願い事がよくキクように」と、菊を供えてお参りする日です。



恵比寿神札所の傍らに好々爺のような羅漢像が話に興じています。十六羅漢や五百羅漢は時折見かけますが、二体だけというのは珍しいですね。悟りを開いた者同士で語る話の内容が気になります。

羅漢さま

「羅漢」は「阿羅漢」の略で古代インド語サンスクリットの「アルハット」が語源です。直訳すると「するに値する人」「受ける資格のある人」の意味です。これから発展して「修行を完成し、尊敬するに値する人」「悟りを得た人」という意味になり、究極的真理を得た聖人につけられる名称となりました。

ARHAT

The word "arhat" is derived from an ancient Indian language,Sanskrit. In Japan arhat is called "arakan" or frequently as rakan-san"with a friendly feeling for him. The word originally meant "a qualified or worthful person." Hence it came to refer to "a person deserving respect for having pursued religious learning and training" or "a person who has attained enlightenment," and is thus applied as a title of honor for those blessed persons who have realized the ultimate truth.




見所ポイント@の「一葉博物館」は、昭和三十六年に地元有志が立ち上がり、日本初となる女性作家の単独文化館として台東区が開館しました。その後、一葉が五千円札の肖像に採用されたのを機に改築され、平成十八年11月に新記念館がオープンしました。美しい外観の立派な記念館に、一葉の未定稿や着物など貴重な遺品が数多く展示されています。推敲の跡が窺える「たけくらべ」の未定稿も展示されています。



一葉博物館の真向かいにある一葉記念公園の敷地内には、樋口一葉の代表作である「たけくらべ」の記念碑が建っています。近代文学不朽の名作「たけくらべ」は、樋口一葉が住んでいた当時の竜泉寺町を中心に、吉原界隈が舞台となりました。これを記念して、昭和二十六年11月、地元の一葉記念公園協賛会によって石碑が建てられ、その後台東区に移管されました。碑文は一葉の旧友である歌人の佐佐木信綱作並びに書による二首が刻まれています。あまりに達筆すぎて私には読めませんが、石碑の隣には台東区が設置した案内板が立っていて、碑文について解説してあります。

一葉女史たけくらべ記念碑

近代文学不朽の名作「たけくらべ」は、樋口一葉在住当時の竜泉寺町を中心に、吉原界わいが舞台となった。これを記念して昭和二十六年十一月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の歌二首が刻まれている。

 紫の古りし光にたぐへつべし
 君こゝに住みてそめし 筆のあや

一葉女史たけくらべ記念碑

 そのかみの美登利信知らも この園に
 来あそぶらむか 月しろき夜を

      佐佐木信綱

Monument to Higuchi Ichiyo's Takekurabe

Higuchi Ichiyo's timeless modern classic Takekurabe is set in her once home of the neighborhood of Ryusenji-machi and in the adjoining Yoshiwara red-light district of Tokyo. This monument was built in commemoration of the novel in November of 1951 by the local Ichiyo Memorial Park Association, and was later transferred to the care of Taito-ku. Inscribed on the monument is the following two verses by Ichiyo's friend, the poet Sasaki Nobutsuna. The calligraphy of the inscription is also by Sasaki.

Monument to lehiyo's Takekurabe
It rivals in splendor Murasaki's old tale of Hikaru.
That gem which flowed from your brush when you lived here.

Do they come, Midori and Shinnyo from those pages, to this park,
To play, on nights when the moon is white?

-Sasaki Nobutsuna

["Murasaki" and "tale of Hikaru" refer to Heian-era author Murasaki Shikibu and her novel The Tale of Genji. Midori and Shinnyo are the main characters in Takekurabe.]




樋口一葉記念碑も建っています。

ここは明治文壇の天才樋口一葉舊居の跡なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。

菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和十一年七月のことなりき。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和二十年三月、この辺一帯焼野ヶ原となり、碑も共に溶く。

有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き、作家としての面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな、菊池寛今は亡く、文章を次ぐに由なし。僕代って蕪辞を列ね、その後の事を記す。嗚呼。

      菊池寛撰

   昭和二十四年三月
      小島政二郎補並書




公園には、一葉桜や一葉に因んだ植物が植栽されています。「一葉と樹」と題した案内板があります。

一葉と樹

【桜】 一葉とのつながり
一葉は少女時代の約5年間、文京区本郷にある法真寺前の屋敷で暮らしました。屋敷からは法真寺の大きな桜の木が見えたそうです。晩年、一葉は、この本郷の屋敷を「桜木の宿」と名付け、幸せだった時代を懐かしんでいます。一葉にとって桜は特別な意味を持っていたといえるでしょう。

【梅】 一葉とのつながり
一葉の日記を紐解くと、明治二十五年の春、「萩の舎」の塾生と一緒に梅の名所を巡り、梅の色香を愛でたとあります。当時、一葉が住んでいた本郷菊坂町の家にも梅の木があり、花が咲き乱れる様は見事だったそうです。一葉は梅の花を題材にした和歌を数多く詠んでいますが、小説の中に登場する梅の花も見過ごせません。

【萩】 一葉とのつながり
一葉が歌塾「萩の舎」に入門したのは、明治十九年、14歳の頃でした。中嶋歌子の指導のもと、一葉は和歌や古典文学、千蔭流と呼ばれる書なども熱心に学び、多くの弟子達の中で抜きん出た才能を発揮しました。

【柳】 一葉とのつながり
廻れば大門の見かえり柳いと長けれど・・・」樋口一葉の代表作「たけくらべ」の有名な書き出しです。一葉が下谷龍泉寺町で過ごしたのは十ヶ月あまりですが、龍泉寺町での生活体験が「たけくらべ」をはじめとする数々の作品に大きな影響を与えました。

【葦】 一葉とのつながり
ある日、歌塾の姉弟子三宅花圃から「ペンネームの一葉というのは桐の葉ですか?」と聞(訊?)かれた一葉は「達磨さんの葦の葉ですよ」と答えたといいます。達磨大師が揚子江を一葉の葦に乗って下ったという故事にちなんだ洒落です。一方で、自分のことを浮世の波間にさまよう一葉の舟と意識していたことが和歌や日記から伺(窺?)えます。

【躑躅(つつじ)】 一葉とのつながり
歌塾「萩の舎」では、天気の良い日などには課外授業も行いました。一葉の日記によると、明治二十四年5月、師の中嶋歌子が塾生を引き連れて小石川植物園(文京区)の躑躅を鑑賞したとあります。また、一案は個人的にも根津神社(文京区)の境内の躑躅を観に行っています。




合流点の見返り柳に戻ってきました。






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