- Gお台場しおかぜコース
- コース 踏破記
- 今日は港区で最後の「Gお台場しおかぜコース」を歩きます。ゆりかもめ線お台場海浜公園駅をスタート地点として、レインボーブリッジを往復し、砂浜が美しい海浜公園を巡ります。最初に歩いたのは年末の2021年12月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年8月に改めて歩きました。なので、冬と夏の写真が入り交じっています。
Gお台場しおかぜコース
「Gお台場しおかぜコース」の歩行距離は約2.7km、歩行時間は約35分、消費カロリーは約100Kcalです。
注記:コースアラカルトとして、レインボーブリッジの遊歩道を往復するオプションが設定されています。これを含めますと、歩行距離は約4.8km、歩行時間は約60分、消費カロリーは約180Kcalとなります。
スタート地点:お台場海浜公園駅出入口2A
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- ポイント 1 台場公園
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復元された砲台があります。
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- ポイント 2 お台場レインボー公園
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- ポイント 3 お台場海浜公園
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- フジテレビ
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お台場名所ともいえる建物です。
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- 自由の女神
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お台場のシンボルです。
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ゴール地点:潮風公園
コースアラカルト レインボーブリッジを歩く
レインボーブリッジは、芝浦側入口から台場入口まで遊歩道を歩きます。レインボーブリッジは二重構造の複合交通施設のつり橋で、下層は遊歩道・臨港道路・新交通ゆりかもめの軌道が走り、上層は首都高速11号台場線が通っています。
スタート地点:お台場側遊歩道入口
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- 南側遊歩道(サウスルート)
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- 芝浦アンカレイジ
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- 北側遊歩道(ノースルート)
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ゴール地点:お台場側遊歩道入口
スタート地点のゆりかもめ線お台場海浜公園駅から台場公園に向かって歩き始めます。
- ポイント1 台場公園
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江戸時代末期に艦隊を率いて鎖国をしていた日本へ来航し、開港の交渉を要求したペリー提督が退帆後、幕府はすぐさま江戸湾の海防強化の検討に入り、江川太郎左衛門英龍(坦庵)らによる江戸湾巡視の結果、内海防備のため東京湾上に御台場を築造する計画を立てました。築造計画は全部で11基の台場を造るというものでしたが、第三台場を作るまでに総勢約5、000人もの労働者と、当時の価値で約700億円の資金が投入され、第七台場以降は未着手のまま終わりました。その後、東京湾に浮かぶ6つの台場は2つを残して埋め立てや撤去が行われ姿を消していきました。残された台場のひとつの第三台場は嘉永六年(1853年)に造られ、陣屋や弾薬庫の痕跡がよく残されているとして、無人島と化している第六台場と共に大正十五年(1926年)10月20日に「品川台場」として国の史跡に指定されました。台場公園は、第三台場跡を利用して1928年7月7日に開園した都立の都市公園(歴史公園)です。
〜国指定史跡〜 台場公園(第三台場)
1853年、ペリーで知られる黒船の来航に備えて江戸幕府が品川沖に築いた砲台跡地です。1926年には「品川台場」として国の史跡に指定されました。公園内は青々とした芝生が茂っており、レインボーブリッジを最も近くで見ることができる穴場スポット。春は桜の名所となります。お台場に遊びに来た際には、歴史に触れあえる「台場公園」へぜひ足を運んでみて下さい。
- National Historic Site - "Daiba Park" (No.3 Battery)
It was a gun battery built by Edo shogunate in 1853 off the shore of Shinagawa in preparation for the arrival of Black Ships known by Commodore Matthew Perry. It was designated a national historic site as "Shinagawa Daiba" in 1926. It is the closest place where you can see the Rainbow Bridge. Grass is beautifully green in the park where is well-known for cherry blooms in spring. When you come to "Odaiba", visit the historical site "Daiba Park".
台場公園は、お台場海浜公園と地続きになって東京湾に突き出ています。地続きになっているところには遊歩道が整備されています。遊歩道の入口付近に東京都港湾局が設置した石碑が置かれています。
東京は、関東大震災及び第二次世界大戦末期の空襲により甚大な犠牲を被った。二度の被災により隅田川河口近くに位置したここ旧防波堤にも、漂着した犠牲者が数多くみられたという。これら諸霊に対し、故富川栄氏の呼びかけに共鳴した地元の心ある人々により、長い歳月に亘りたゆみなき供養が続けられてきた。いま、当地周辺は未来都市に発展すべくまちづくりがすすめられている。そしてここお台場海浜公園も新たな海上公園として再整備することとなった。これを受け平成五年九月二十七日当地での最後の慰霊祭が行われ、その後は都の施設にて慰霊が続けられることになった。この事実を後世に伝えるべここに記録する。
第三台場の周囲は石垣で囲まれ、一辺が160メートルの正方形の形状をしています。推測ですが、第三台場の北側に石組みの船着場跡がありますので、第三台場が築造された当時は地続きではなく、孤立した島だったと思われます。
都立台場公園のあらまし
台場公園(第三台場)
「お台場」の名で知られる品川台場は、江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた砲台跡です。設計者は伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍で、ペリーが浦賀に来航した翌月の嘉永六年(1853年)八月に着工、一年三ヶ月の間に六基が完成しました。現在は大正十五年(1926年)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されています。このうち第三台場は、昭和三年東京市(都)によって整備され、台場公園として解放されています。周囲には、海面から五〜七メートルの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられています。また内側の平坦なくぼ地には、陣屋、弾薬庫跡などがあります。
土手の上には遊歩道が設けられ、ベンチも備え付けられています。
海岸沿いの高台には二基の砲台跡が残されています。砲身の土台には木目が見えます。木製なんですね。
台場公園の砲台
嘉永六年(1853年)のペリー来航に危機を感じた江戸幕府は6つの台場(砲台)を築造しました。現在に至る過程で第三台場と第六台場が残され、第三台場は公園に、第六台場は自然豊かで学術的にも貴重な史跡として海上に保全されています。
土手に囲まれた内部は掘り下げられ(というか、海面を埋め立てて周囲に土手を築いたと思われる)、芝生広場になっています。
広場の中央には陣屋跡があり、土台となった礎石が並んで残されています。土手の内側には、玉薬(銃砲弾を発射するのに用いる火薬)置所と思われる横穴の入口があります。
台場公園は、レインボーブリッジの足元にあるので、公園から間近に眺めることができます。公園は終日無料で解放されているため、夕日の時間帯や夜の夜景スポットとしても人気があり、台場公園からのレインボーブリッジの夜景はとても魅力的です。また、北側の土手からは、正面に第六台場が眺められます。
台場公園から「お台場レインボー公園」に向かいます。
- ポイント2 お台場レインボー公園
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お台場レインボー公園は、レインボーブリッジのお台場入口手前にあり、1996年に開園しました。長方形をした芝生広場と三角形をした遊具広場が花のアーチを備えた通路の左右に位置し、面積は約11、000uあります。
遊具広場には、シーソーやブランコ・砂場や鉄棒・幼児用の滑り台から大きな滑り台まで沢山の遊具がありますので、小さな子供から小学生まで楽しく遊べます。
広々とした芝生広場では、かけっこやボール遊びをしたりして思いきり遊べます。目を遠くにやると、公園の奥にレインボーブリッジを見ることもできます。
公園と歩道の境にある休憩場所は花棚になっていて、4月にはカロライナジャスミンが咲き乱れ、黄色くて可愛らしい花々が道ゆく人々を癒してくれます。カロライナジャスミンは常緑蔓性の低木で、サウスカロライナ州の州花になっています。また、夏場の暑さ対策として、ミストを活用したクールスポットも設置されています。
お台場レインボー公園から「お台場海浜公園」に向かいます。
- ポイント3 お台場海浜公園
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お台場海浜公園は、台場公園(第三台場)と一体となって入り江を囲んで砂浜や磯が広がる公園です。四季を問わず楽しいひと時を過ごすことができ、特にお台場海浜公園から見る夕暮れ(サンセット)や夜景はとても優雅で美しく、あらゆる人の心を癒します。砂浜や芝生からのんびり眺めるのもよいですし、展望デッキやスカイウォークから眺めるのもお勧めです。
お台場公園では、桜並木の植樹が進められています。
桜のネックレス形成事業
本事業は、お台場海浜公園に、季節の移り変わりを感じさせる桜を東京都と民間との協働により植栽し、海上バスや屋形船などからも、花見が楽しめるような名所をつくっていくもので、平成十六年度より開始しています。なお、事業名は、お台場海浜公園の水域(面)を取り込み桜がネックレス状に咲いている様をイメージし、名付けたものです。
お台場海浜公園は2020東京オリンピックの会場にもなりました。大腸菌による水質問題もありましたが、2024パリオリンピックのセーヌ川よりかはマシだったみたいです。
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会
お台場海浜公園
マラソンスイミング トライアスロン
2021.8.4−5 2021.7.26−27、31
東京2020オリンピック水泳競技のマラソンスイミングの男子・女子10kmの2種目、トライアスロン競技の男子・女子個人、混合リレーの3種目が実施されました。マラソンスイミングには、31か国・地域から51名の選手が、トライアスロンには、37か国・地域から109名の選手が参加し、熱戦を繰り広げました。
Olympic and Paralympic Games Tokyo 2020
Odaiba Marine Park
Marathon Swimming Triathlon
2021.8.4-5 2021.7.26-27,31
During the Olympic Games Tokyo 2020, two marathon swimming events (men's and women's 10km); and three triathlon events (men's and women's individual, and mixed relay)
were held. Exciting matches were held in the marathon swimming events by the 51 athletes participating from 31 countries and regions; and in the triathlon events by the 109 athletes participating from 37 countries and regions.
東京2020パラリンピックでは、トライアスロン競技が行われました。
パラトライアスロン
2021.8.28−29
東京2020パラリンピックトライアスロン競技の8種目が実施されました。本競技には、19か国・地域から102名(うちガイド22名)の選手が参加し、熱戦を繰り広げました。
Para Triathlon
2021.8.28-29
During the Tokyo 2020 Paralympic Games, eight triathlon events were held. Exciting
matches were held by the 102 athletes (of which 22 were guides) participating from 19
countries and regions.
大会期間中は、巨大なシンボルが設置されました。
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の記憶
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会時、この都立お台場海浜公園水域には、巨大なシンボルが設置され、大会の盛り上げに貢献しました。この銘板の支柱のデザインは、オリンピックシンボルの5色とパラリンピックシンボルの3色をイメージしており、素材にオリンピックシンボルの一部を使用しています。
Memories of the Olympic and Paralympic Games Tokyo 2020
During the Olympic Games Tokyo 2020 and the Tokyo 2020 Paralympic Games, their huge symbols were set up in the waters of Odaiba Marine Park, adding to the excitement of the Games. The design of this plaque' s posts was inspired by the image of the five colors of the Olympic symbol and the three colors of the Paralympic symbol, and a part of the Olympic symbol was used as its material.
お台場海浜公園には、海上バスの船着き場が設置されています。お台場海浜公園からは、日の出桟橋や浅草行きの便を運航しています。お台場海浜公園から見る夕暮れや夜景はとても美しく、レインボーブリッジや東京タワーなどの東京港の景観を360°一望でき、特別で優雅な時間を過ごせます。
船着き場は防災機能も持っています。
東京港防災船着場
お台場海浜公園
東京港防災船着場は、災害時において、傷病者や医療従事者、帰宅困難者の人員輸送や医療・緊急物資といった物資輸送など、東京湾における水上輸送の拠点となる施設です。
船着き場から後ろを振り返ると、「フジテレビ」の特徴ある建物が聳えています。
- フジテレビ
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未来的なデザインのフジテレビ本社ビル(正式名称は、エフシージービル)は、お台場のランドマークとして知られています。フジテレビジョンのほかBSフジを始めとするフジサンケイグループの企業が本社やスタジオなどを置いています。「世界のタンゲ」といわれた日本を代表する建築家の丹下健三が手掛けた巨大プロジェクトの中で最後に直接指揮をとった建築物です。日本の放送局の本社社屋の中で最も大きな建物であり、日本の民間放送局として最大級のスタジオ床面積(300坪)を持っています。建物は縦横の比率をハイビジョンテレビの画面の縦横の比率と同じ16:9としています。建物の低層部には公開スペースを1階に設け、主なスタジオを3階に設置するという構造になっています。高層部は「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟からなり、この両棟を12階・18階・24階の3フロアーの階にあるコリドール(渡り廊下)で連結する構造となっています。2棟のビルの間にそびえる球体は直径32メートルあり、外装は腐食の心配がないチタンで作られています。2007年6月のリニューアルの際に「はちたま」という愛称が与えられました。地上100mに位置する「はちたま」は、レインボーブリッジなどの臨海副都心を270度見渡せる展望室となっています。
SKYWALKを通って「自由の女神」像に向かいます。展望台からはレインボーブリッジの全景を眺めることができます。
- 自由の女神
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自由の女神像といえば、ニューヨークのリバティ島にある自由の女神像が有名です。リバティ島の自由の女神像は、高さ(台座から右手のトーチまで)が46.05mで、台座まで含めると93mもあります。一方、お台場の自由の女神像は、高さが11.5mで、台座を含めても17.4mしかありません。ですが、お台場の自由の女神像はスケールこそ小さいですが、重量は9トンもあり、かなり本格的な作りをしています。お台場の自由の女神像は二代目で、初代の像は「日本におけるフランス年」事業の一環として1998年4月29日から1999年5月9日まで設置されていました。初代の像は、パリのセーヌ川のシーニュ島に1889年に作られた本家「自由の女神像」を、設置から109年目にして初めてパリを離れ、はるばる海を渡ってお台場海浜公園に設置したものです。この事業では、フランス大統領のジャック・シラクと内閣総理大臣の橋本龍太郎が参加して、1998年4月28日に点火式が行われました。記念公開後はフランスに帰る予定の自由の女神像でしたが、レインボーブリッジを背景としてお台場に立つ優美な姿は日仏友好のシンボルとして多くの人々に愛され、像のフランスへの帰国が近づくにつれてお台場にも新たな像の建設を望む声が強まりました。そうした背景のもと、オリジナル像からの完全復刻像製作案が立ち上がり、オリジナル像所有者であるパリ市に申請し、日本におけるフランス年実行委員会や駐日フランス大使館の協力を得て、1999年3月にパリ市からの正式許可を受け、フランスに帰った「自由の女神像」から型を取ったレプリカ制作が開始されました。そして2000年12月22日、フランスのクーベルタン鋳造所にて製作され、運ばれたお台場の自由の女神像(二代目)が序幕されました。このフランス政府公認のレプリカは「台場の女神」という別名で呼ばれることもあります。ちなみに、ニューヨークの自由の女神像は、1886年にフランス政府からアメリカ独立100周年を記念して贈られたもので、パリの自由の女神はそのお返しとしてフランス革命100周年を記念してパリに住むアメリカ人達から寄贈されたものです。
自由の女神像
原題:世界を照らす自由の女神像
1998−1999「日本におけるフランス年」を記念し、パリ市セーヌ川の中州シーニュ(白鳥)島に1889年に設置された「自由の女神像」が1998年4月より1999年1月までの間、ここお台場海浜公園のこの台座上に移築されました。シーニュ島設置から109年目パリを離れて海を渡った世界初の海外公開でした。レインボーブリッジを背景にお台場に立つ優美な姿は日仏友好のシンボルとして多くの人々に愛され、フランスへの帰国が近づくにともない復刻像の再建を望む声が強まりました。そうした背景のもと、フジテレビと臨海副都心まちづくり協議会・二つの自由の像設置委員会が中心となり、オリジナル像からの完全復刻像制作案をまとめ、オリジナル像所有者であるパリ市に申請。日本におけるフランス年実行委員会、駐日フランス大使館の協力を得て、1999年3月パリ市からの正式許可を受けフランスに帰った「自由の女神像」の型取りが開始されました。
- 1999年9月
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パリ近郊、クーベルタン城内「クーベルタン鋳造工房」(Foundry of Coubertin)で、オリジナル像と同じブロンズ鋳造製法で制作を開始。
- 2000年10月
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完全復像が完成。
- 2000年12月22日
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新世紀に世界を照らす、台場の自由の女神像が除幕されました。
自由の女神の歴史
1876年フランス政府は、アメリカ建国100周年を祝して特別なプレゼントをニューヨーク市に贈りました。このプレゼントこそが、あの有名なニューヨーク港にそびえ立つ「自由の女神像」。考案者はフランス人彫刻家フレデリック=オーギュスト・バルトルディ(1834年〜1904年)です。そして、その返礼として、パリ在住のアメリカ人達による組織「アメリカ・パリ会」からフランス革命100周年を記念してフランス政府に寄贈されたのが、パリの「自由の女神像」です。原題「世界を照らす自由の女神像」−「自由こそが異なる民を結びつける重要な要因」−の理念の元に、1889年11月5日、作者バルトルディ臨席のもとパリ・セーヌ川に浮かぶ中洲シーニュ(白鳥)島に於いて公式に除幕されました。
STATUE OF LIBERTY (STATUE DE LA LIBERTE)
Statue originally named: Liberty Enlightening the World
To commemorate the "Year of France in Japan" (1998 - 1999), the "Statue of Liberty" installed on the Ile aux Cygnes (Isle of the Swans) in the middle of the River Seine in Paris in 1889 was relocated to this pedestal in Odaiba Marine Park from April 1998 to January of the following year. In its 109th year installed on the Ile aux Cygnes, the statue departed Paris, crossing the ocean to be displayed overseas for the first time. The graceful form of the statue located on the island of Odaiba with Rainbow Bridge in the background was adored by many as a symbol of friendship between Japan and France, and calls for a replica of the statue to be erected grew stronger as its return to France drew near. As a result of such developments, mainly through the efforts of Fuji Television and the Tokyo Waterfront City Association's committee
for the installation of two statues representing liberty, plans were drawn up to create an exact replica of the original statue, and a request was submitted to the City of Paris, the owner of the statue. With the cooperation of the "Year of France in Japan" Executive Committee and the French Embassy in Japan, the committee obtained
formal permission from the City of Paris in March 1999, and started work to obtain a mold of the "Statue of Liberty."
- September 1999
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Creation of the replica commenced using the same bronze casting method as the original statue at Fonderie de Coubertin (Foundry of Coubertin) on the grounds of Chateau de Coubertin located on the outskirts of Paris.
- October 2000
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Exact replica completed
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- December 22, 2000
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Odaiba's Statue of Liberty, enlightening the world in a new century, unveiled
History of the Statue of Liberty
In 1876, the French government gave a special present to New York City in celebration of the centennial of the founding of the United States of America. That present is the world famous "Statue of Liberty," which stands at the entrance to New York Harbor.
It was designed by French sculptor Frederic Auguste Bartholdi (1834-1904). In return, an organization made up of American expatriates residing in Paris gave France the "Statue of Liberty" replica, which stands in Paris, to mark the centennial of the French Revolution. Under the concepts of "Liberty Enlightening the World," the statue's original title, and "liberty is an ideal crucial to bringing different
people of the world together," the statue was officially unveiled on the Ile aux Cygnes (Isle of the Swans) in the River Seine in Paris with the artist Bartholdi in attendance on November 5, 1889.
ゴール地点の潮風公園に着きました。潮風公園1974年6月1日に開園した都立公園で、面積は約15.5haあり、開園当時の名称は「十三号地公園」でした。東京は東京湾の埋め立てで広がってきました。埋め立て事業は江戸時代から始まりましたが、現在のように計画的に埋め立てが行われるようになったのは明治三十年代だといわれています。埋立地は番号化され、1号地は中央区の月島、2号地は中央区勝どきの一部などで、現在は15号埋立地から中央防波堤などに移っています。「十三号地」(現在の「台場地区」・「青海地区」)の埋立ては昭和三十六年(1961年)に始まり、昭和五十四年(1979年)に完成しました。その「十三号地」の跡地の一部に造られたのが潮風公園です。
公園の入口に、「お台場と虹の景」と題した案内板が立っています。
お台場と虹の景
お台場は、東京港埋立第13号地として、昭和五十四年(1979年)に完成しました。お台場の名は幕末の時代、目前の海に江戸幕府によって築かれた6つの砲台(御台場)に由来しています。御台場の多くは都市の発展とともに陸地の一部となりましたが、第三台場(台場公園として開放されています)、第六台場にその姿を留めています。また手前に見える鳥の島は、昭和五年(1930年)につくられた当時の東京港の防波堤で、東京港の発展の記憶を今に残しています。お台場と東京の街を結ぶレインボーブリッジは、夜になるとライトアップされ、屋形船や背景に広がる街並み、東京タワー・東京スカイツリーの灯りと相まって煌びやかな光景を描き出します。
View of Odaiba and the Rainbow Bridge
This area, Odaiba, was completed in 1979 as the 13th piece of reclaimed land in Port of Tokyo. The name Odaiba comes from the mid-1800s, when it served as the Tokugawa
shogunate's sixth fort (Daiba) along the coastline in front of you. The third fort (Daiba 3, which is now open to the public as Daiba Park) and the sixth fort still preserve this history. Tori-no-shima Is. you see in front of you was made as a breakwater for Port of Tokyo in 1930. It remains today as a symbol of the development of the bay. Rainbow Bridge, which connects Odaiba to the city of Tokyo, is lit up at night to illuminate the gorgeous views of yakatabune boats, the backdrop of the city skyline.
公園内には様々な樹木が植えられています。
ハナミズキ
種名 ハナミズキ
学名 Cornus florida L.
科 ミズキ科
別名 アメリカヤマボウシ
北米東部原産の白い花が美しい木で、葉が出る前に大きな美しい花が枝一面に咲きます。日本における植栽は、明治の終わり頃、当時の東京市がアメリカのワシントンD.C.に贈ったサクラの返礼として、大正四年に渡来したものが最初で、日比谷公園や小石川植物園等に植えられました。花だけでなく、秋に熟す赤い実と紅葉も美しく、人家や公園、街路にと広く植えられています。花は白色が基本種ですが、淡紅色の花が咲く変種(ベニバナハナミズキ)もあります。
Flowering dogwood
A lovely, white-flowered tree originating in North America. Before the leaves emerge,
the branches are covered with large, beautiful blossoms. It was first brought to Japan in 1915, as a return gift from Washington D.C., USA, to thank the city of Tokyo for its gift of cherry trees. Flowering dogwoods were planted in Hibiya Park and Koishikawa Botanical Garden. In addition to its flowers, its red berries and foliage are beautiful in autumn, and it is widely planted at private homes, in parks, and along roads.
照葉樹の森もあります。
照葉樹の森
ここから周りを見渡すと、冬でも青々と茂る木々が見えます。これらはタブノキやクスノキ、スダジイなど照葉樹と呼ばれる木です。この照葉樹を中心とした森を照葉樹林と言い、国内では本州から沖縄にかけて見ることができます。シイやカシの仲間に覆われた林の中に、ヤブツバキやアオキ、シダの仲間など常緑で日陰に強い植物が多く見られることが特徴です。国内では面積としては照葉樹林は減っているものの、鎮守の森などの社寺林として、都内にも多く残されています。
Laurel Forest
If you look around you, you can see trees that will remain green and lush even in winter. These are called laurel trees, and they include the machilus, the camphor, and the chinquapin. The Laurel Forest gets its name because it is mainly made up of laurel trees that can be seen across Japan. In forests populated with relatives of the birch and the evergreen oak, it's characteristic to see many evergreen plants that can tolerate shade, such as the camellia japonica, the Japanese laurel, and the fern.
In Japan, factors such as artificial disturbances to the environment have significantly reduced the surface area of laurel forests, but many of these trees can still be found in the city, where they make up the forests of local deities in temple and shrine groves.
照葉樹の森には、「潮風公園」に改名する前の園名である「十三号地公園」の歴史を記念した円形の「十三号地公園記念碑」があります。
夕陽の塔は、日時計として作られたモニュメントです。「春分の日」と「秋分の日」の年2回、搭中心の隙間に太陽が落ちる神秘的な光景を見ることができます。夕陽を背景にしたシルエットも印象的です。
太陽の広場は、広さ約1haの円形の広大で開放的な芝生広場となっていて、ピクニックや遠足、休日にはイベントの開催などに幅広く利用されています。海と対岸の天王洲アイルが見えるためロケーションが良く、更にフジテレビから近いこともあって、テレビ番組や写真の撮影場所として使用されることも多いようです。
公園中央には東京湾岸道路(国道357号・首都高速湾岸線)が通り、公園を南北に分けています。この道路は途中で海底へ潜って東京港トンネルへ抜けます。海底へ潜ったところに湾岸線の換気塔が大きくそびえ立っています。
「水と緑のプロムナード」は、南中央口と噴水広場を結ぶワシントンヤシ並木の園路です。園路中央の噴水から噴水広場をつなぐ長さ約130mのカスケードの流水もあり、エキゾチックな雰囲気を演出しています。春には一転して桜並木になります。
船の科学館は、昭和四十九年(1974年)7月に竣工・開館しました。開館当時は現在の東京臨海副都心地区最初の建築物といえる建物でした。本館は、英国のクルーズ客船「クイーン・エリザベスU号」をモチーフにした大型客船の形をしていて、展示内容も実物の船の構造にあわせ、1階が機関関連展示及び船の歴史、6階がブリッジを模した構造の操舵室関連展示になっていました。1階の中心に設置された巨大な船舶用ディーゼルエンジンは実物で、館建設の過程で搬入設置したものでした。船の煙突・マストに相当する部分は展望台になっていて、航海訓練所の練習船や南極観測船の出港に際して展望台への信号旗掲揚と汽笛吹鳴での見送りが行われていました。船の科学館は開館後37年が経過して施設建屋・展示内容共に老朽化が著しく、2011年10月に本館展示を休止し、青函連絡船「羊蹄丸」の展示保存も終了しました。現在は、南極観測船「宗谷」の展示公開と屋外展示場での収蔵物展示を中心に博物館として営業していて、体験教室など各種イベントを継続して実施しています。本館は2024年1月28日をもって閉館し、現在は解体工事が進んでいます。
引き続いて、コースアラカルトのレインボーブリッジを歩きます。最初に、お台場側遊歩道(レインボープロムナード)入口から南側遊歩道(サウスルート)を歩きます。東京湾に架かるレインボーブリッジは平成五年に開通し、橋の長さは798mで、歩いて渡れるレインボープロムナード(1.7km)があり、その夜景は人気の観光スポットとなっています。入口には警備員のおじさん(おじいさん)が立っていて、来場者への声かけとゲートの開閉(4月〜10月は9:00〜21:00、11月〜3月は10:00〜18:00に通行可能)を行っています。
レインボープロムナードの入口に案内板が立っています。
レインボープロムナードご案内
■レインボープロムナード ルート案内
レインボープロムナードは、サウスルートとノースルートの二つに分かれています。サウスルートは、史跡のお台場や大井コンテナターミナルなどの港湾施設、遠くに富士山が望めます。また、ノースルートは東京タワーをはじめ大都市の高層ビル群が一望にでき、国際都市Tokyoを海上から眺めることが出来ます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください。
GUIDE TO THE RAINBOW PROMENADE
■Rainbow Promenade Route Guide
The Rainbow Promenade is divided into the North Route and the South Route. On the South Route, you can see the historical monument of Odaiba and port facilities such as the Oh-i Container Terminal, with Mount Fuji in the distance. On the North Route, you can see the Tokyo Tower and the city skyscrapers, giving you a view of International Tokyo from the sea. Please take your time and enjoy the scenery.
最初に、サウスルートから歩きます。
- 南側遊歩道(サウスルート)
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ルートの途中で引き返したくなったら、橋脚に付属している横断通路を通って反対側に出れば出発点の入口に戻れます。
サウスルートでは、お台場や大井コンテナターミナルなどの港湾施設を眺めることができます。
第六台場付近にお台場側のP24主塔部が聳えています。見上げるような高さです。
サウスルート P24主塔部 海抜52m
吊橋の大きさ
レインボーブリッジは、東京港の主要航路を横断しています。海上は、船舶往来の安全のため、幅500m、高さ52.4mが必要となります。空は、羽田空港に発着する飛行機が飛んでいるため、高さが約150mに制限されます。その上で、吊橋自体の安全性も考え、アンカレイジの大きさやケーブルの太さなど、細かく計算し設計されました。
二層構造
レインボーブリッジは、上下の2層構造になっており、3つの交通機能をあわせ持っています。上層には往復4車線の首都高速12号線が通っています。下層には、中央に新交通システムの「ゆりかもめ」が無人運転で走り、その両側に臨港道路とみなさんの立っているレインボープロムナードが設けられています。
SOUTH ROUTE P24 Main Tower Height above sea level 52m
Size of the suspension bridge
The Rainbow Bridge crosses one of the main navigation channels of the Port of Tokyo.
A clearance of at least 500 meters wide and 52.4 meters high is required to ensure the safety of shipping. Since aircraft landing and taking off from Haneda Airport pass overhead, the height of the tower is limited to about 150 meters. Within these limitations, anchorage sizes and cable thicknesses were calculated very carefully to ensure the safety of the suspension bridge.
Double-deck construction
The Rainbow Bridge is constructed with upper and lower decks, with three transport
arteries passing over it. The top deck carries route 12 of the Metropolitan Expressway, with four carriageways in all. The lower deck carries the new transit system 'Yurikamome' which is operated driverless, with, on either side of this, the lanes of the port road, as well as the Rainbow Promenade, where you are standing now.
下層階の中央には、新交通システムの「ゆりかもめ」が爆速で走っています。
芝浦側入口の手前に芝浦側のP23主塔部が聳えています。
サウスルート P23主塔部 海抜52m
■東京港の歴史
- 長録元年(1457年)
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太田道灌江戸城築城、江戸前島の平川河口に江戸湊を開く
- 嘉永六年(1853年)
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ぺリー浦賀に来航(6月)
幕府品川台場の築造に着手(8月)
- 安政五年(1858年)
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日米修好通商条約締結、神奈川など5港の開港と江戸・大阪の開市が決まる
- 大正十二年(1923年)
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関東大震災
陸上交通網の崩壊により東京港の重要性が認識される
- 昭和十六年(1941年)
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開港(5月20日)
- 昭和四十二年(1967年)
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品川重量物ふ頭完成 フルコンテナ第1船ハワイアン・プランター号が入港 北米西岸コンテナ定期航路開設
- 昭和四十九年(1974年)
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13号地外貿定期ふ頭完成 フェリーふ頭3バース完成、本格的フェリー輸送の開始
- 昭和五十年(1975年)
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大井コンテナふ頭8バース完成
- 平成 三年(1991年)
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東京港開港50周年記念式典・記念イベント挙行
東京港の前身である江戸奏は、江戸庶民の消費物資の流通拠点として重要な役割を果たしました。徳川幕府末期、神奈川をはじめ国内5港が外国貿易港として開港されましたが、江戸は国防上の理由で開港することなく、近代貿易港としての発展の機会を失われました。大正十二年、関東大震災を契機に本格的なふ頭の建設が実施され、大正十四年、東京港最初の本船接岸施設日の出ふ頭が完成しました。以後、芝浦ふ頭、竹芝ふ頭が相次いで完成し、東京港はようやく近代港として歩みはじめ、昭和十六年(1941年)5月20日には念願の外国貿易港として開港が実現しました。昭和四十年代に入ると世界的なコンテナ輸送革命が起こり、東京港はいち早くコンテナ化への対応に取り組みました。昭和四十二年(1967年)、日本で始めてのフルコンテナ船が品川ふ頭に入港し、東京港はこの時から外国定期航路を有する国際貿易港として大きく飛躍することになりました。
■東京港の役割
東京港は、東京に入ってくる貨物量の三分の一を取り扱う重要な物資流通の拠点として東京都民のくらしと密接につながっています。食料品をはじめ木材、石油製品などさまざまな物資が東京港に入ってきます。また首都圏や北関東、南東北など広大な背後圏で生産される工業製品なども東京港から海外、国内各港へ向けて積み出されます。東京港の埋立地には、港の施設ばかりでなく、住宅、公園、廃棄物処理場、市場など、東京の都市問題を解決するための多くの施設がつくられています。
SOUTH ROUTE P23 Main Tower Height above sea level 52m
■HISTORY OF THE PORT OF TOKYO
- 1457 Choroku T
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Dokan Ota built Edo Castle. Edo Port was Opened at the mouth of the Hirakawa river at Edomaejima
- 1853 Kioi 6
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Commodore Perry came to Uraga in June. The shogunate began constructing the Shinagawa batteries in August
- 1858 Ansel 5
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The US-Japan Amity and Commerce Treaty arranged the opening of five ports and two cities, Edo and Osaka, to foreign countries.
- 1923 Taisho 12
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The Great Kanto Earthquake ocoourred. With the land traffic network collapsed, the importance of construction of the modern Port of Tokyo was recognized.
- 1941 Showa 16
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The Port of Tokyo opened as an international port on May 20.
- 1967 Showa 42
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Shinagawa Container Terminal was completed, and the "Hawaian Planter, a full container
ship arrived there as the first ship of the kind. Regular container route opened to North America West Coast.
- 1974 Showa 49
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The Foreign Trade Liner Terminal at Land Lot No. 13 was completed. With three berths
completed at the Ferry Terminal, ferry transportation commenc on a full scale.
- 1975 Showa 50
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Eight container berths were all completed at the Oh-i Terminal.
- 1991 Heisei 3
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The ceremony and the commemorative events of the 50th anniversary of the Port
openning were held.
The Port of Tokyo has its origins in Edo Port, which played an important role as a distribution base for the goods consumed by the citizens of Edo. At the end of the Tokugawa Shogunate, five ports including Kanagawa were opened to foreign trade, but Edo Port was not one of these for reasons of national security, and it thus missed an opportunity to develop as a modern trading port. The Great Kanto Earthquake in 1923 prompted the construction of a completely equipped wharf, and in 1925, the Hinode Terminal was completed as the first facilities at the Port of Tokyo to accommodate
ships alongside. This was followed by the Shibaura and Takeshiba Terminals, and the Port of Tokyo started along the road to becoming a modern port, finally opening to internatinal trade on May 20th 1941. A revolution in container transport was taking place by the mid-1960s, and the Port of Tokyo responded quickly to containerization. In 1967, the first full container ship in Japan docked at Shinagawa Terminal, and from that point on, the Port of Tokyo made great advances as an international trading port with regular overseas lines.
■The role of the Port of Tokyo
The Port of Tokyo is a major distribution center handling one-third of the cargoes entering Tokyo, and thus has close links with the life of the city. Various products come into Tokyo through this port, including foodstuffs, timber, oil products etc. Goods manufactured in a vast hinterland covering the metropolitan region, the northern Kanto and southern Tohoku regions are shipped from here to other ports in Japan and
overseas. The reclaimed land in the Port of Tokyo is being used not only for port facilities, but also for housing, parks, refuse disposal, markets and other facilities needed by the city.
芝浦アンカレイジに着きました。7階からエレベータで1階に下り、北側遊歩道(ノースルート)に向かいます。
1階には休息スペースと展示室があります。レインボーブリッジと横浜ベイブリッジの比較図があります。横浜ベイブリッジにもスカイウォークという歩道が併設されているようですが、土・日・祝日のみオープンしていることと、レインボーブリッジと違って橋の反対側までは行けないことが難点です。
芝浦アンカレイジの周辺は殺風景で、見所はありません。強いて言えば、レインボーブリッジの橋桁を下から見上げられることでしょうか。なかなかに迫力がありますよ。
引き続いて、北側遊歩道(ノースルート)を歩きます。
- 北側遊歩道(ノースルート)
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ノースルートからは都心のビル群が眺められます。左の写真の中層の建物が密集したところは東京2020オリンピックの選手村だった晴海フラッグです。右の写真の正面の建物群は豊洲市場です。豊洲市場脇から晴海地区に渡る橋は環状二号線です。どれも曰く付きの施設ですね。
レインンボーブリッジから夜の都心を眺める機会は殆どありませんが、昼間に撮った写真と一緒に夜間に撮った写真のパネルも掲示されています。東京タワーをほぼ同じ方向で昼と夜で見ると随分と印象が違いますね。
お台場側の主塔を過ぎて、P27橋脚までやってきました。何故か、浜離宮恩賜庭園の解説があります。
ノースルート P27橋脚 海抜41m
浜離宮庭園
今から300数年前、甲府宰相松平綱重(3代将軍家光の子)が海岸を埋め立て、甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。ほぼ現在の庭園が出来上がったのは、11代将軍家斉のころです。明治維新後は、皇室の所有になり浜離宮と改められました。現在は、特別名勝に指定される貴重な文化財として、東京都が管理しています。
NORTH ROUTE P27 Bridge piers Height above sea level 41m
The Hama-Rikyu Garden
About 300 years ago, the Chief Minister of Kofu, Matsudaira Tsunashige who was the
son of the 3rd Shogun lemitsu filled in land by the sea in Tokyo Bay and built a mansion which was known as the Kofu-Hama Yashiki. The present garden dates mostly from the time of the 11th Shogun lenari, at the end of the 18th century. After the Meiji Restoration, the mansion and garden became the property of the Imperial family, and were renamed the Hama-Rikyu. It has now been designated an important cultural property as a place of scenic beauty, and is administered by the Tokyo Metropolitan Government.
レインボーブリッジはお台場側が彎曲しているので、ノースルートのお台場側の橋上から全景を見るのがお勧めです。
ゴール地点のお台場側遊歩道入口に戻ってきました。
ということで、港区で最後の「Gお台場しおかぜコース」を歩き終えました。港区のお散歩コースは今回で終了し、次は品川区で最初の「01.運河と天王洲アイルコース」を歩きます。
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