- 08.戸越銀座と3神社コース
- コース 踏破記
- 今日は品川区の「08.戸越銀座と3神社コース」を歩きます。大崎駅から大崎と戸越町域の3神社を巡り、賑やかな戸越銀座商店街でグルメ店を探索します。最初に歩いたのは2022年1月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年9月に改めて歩きました。なので、冬と夏の写真が入り交じっています。
08.戸越銀座と3神社コース
「08.戸越銀座と3神社コース」の歩行距離は約2.6km(約3,250歩)、歩行時間は約54分、消費カロリーは約244Kcalです。
スタート地点:大崎駅南改札口
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- ポイント1 居木神社
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江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために遷座された大崎の鎮守です。古くは今の居木橋付近にありました。
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- ポイント2 貴船神社
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創建は和銅二年(709年)で、貴布裲大明神と称されていました。享和三年(1803年)に貴船神社へ改められたといわれています。
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- ポイント3 戸越銀座商店街
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全長約1.3km、約400の店舗が軒を連ねる商店街です。日本で初めて「銀座」という名前を譲り受けました。
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- ポイント4 戸越八幡神社
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大永六年(1526年)創立と伝えられている旧戸越村の村社です。現在の本殿と拝殿は、安政二年(1855年)に再建されました。
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ゴール地点:戸越銀座駅(蒲田方面改札口)
こぼれ話
三ツ木公園には、地元で「みつくん」と親しまれている子どものブロンズ象があります。
スタート地点の大崎駅南改札口から歩き始めます。ウオーキングマップには新西口と書いてありますが、駅の表示は「南改札口」となっています。
南改札口から東西方向に自由通路が延びていて、西方向に進むと2棟の巨大なビルが建っています。ThinkPark(シンクパーク)は、明電舎工場跡地を再開発して建てられた超高層ビルを中核とする複合施設で、平成十九年(2007年)10月25日にオープンしました。中核となる「ThinkPark Tower」は、地下2階・地上30階建てのタワーで、2階にオフィスエントランスホールを置き、大崎駅とはペデストリアンデッキ(品川夢さん橋)で直結しています。タワー正面に整備された各種イベントやフットサルなどのスポーツに利用できる多目的広場「ThinkPark Arena」は、地域に根ざした賑わいの場を目指しています。ThinkParkの南側には、ソニーの技術開発部門を統合する研究開発型オフィス「NBF大崎ビル(旧ソニーシティ大崎)」が建っています。地上25階・高さ140mのビルの各階は、研究開発型オフィスに相応しい室内に柱のない3、000uの空間となっていて、その周囲には非常時の避難動線となるバルコニーが設けられています。このバルコニーの手摺には、ヒートアイランド現象を抑制する効果が期待できるテラコッタルーバー(バイオスキン)が設置されています。多孔質な陶器製の管でつくられたこのルーバーには、屋上で集められた雨水が通され、その気化熱により周辺空気を冷やすという機能を持ち、現代版の「すだれ」の役割を果たしています。
ThinkParkの北西角から居木神社に向かいます。2022年1月に訪れた時は道路の左手には古民家が密集していましたが、2024年9月に再訪した時にはその一画が更地になって高層マンションが建設中でした。
左が2022年1月当時の家並み、右が2024年9月現在の様子です。
- ポイント1 居木神社
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細い参道を進んだ奥に石段があり、段上に大鳥居が聳えています。鳥居の横に居木橋貝塚の案内板が立っています。
居木橋遺跡
居木橋遺跡は、居木神社の南方に位置する台地上にあり、縄文時代前期(約六千年〜五千年前)の貝塚を伴う遺跡で、竪穴住居跡も多数確認されています。貝塚は、食用にした貝の殻や鳥・魚・獣の骨のほか、土器片などが堆積したもので、当時の生活を知る重要な手がかりを現在の私たちに提供してくれています。これまでの調査から、多くの縄文土器、石器などが出土していますが、貝類では、海でとれるものの他に、陸でとれるヒダリマキマイマイ(かたつむり)も発見され注目されました。
(居木橋遺跡の出土品の一部は、品川歴史館で展示しています)
拝殿の横に居木神社の由緒書が立っています。居木神社は、元々は目黒川に架かる居木橋の辺りに鎮座していたのです。
御由緒略記
居木神社の御創建年代は明らかでないが、古い記録によると往古鎮座の地は、武蔵国荏原郡居木橋村(現在の居木橋付近)に位置し、「雉子ノ宮」と称され、境内に「ゆるぎの松」と呼ばれる大木が有ったと伝えられている。江戸の初期、目黒川洪水の難を避け、現在の社地に御動座された。其の折、村内に鎮座の貴船明神・春日明神・子権現・稲荷明神の四社を配祀「五社明神」と称されていた。「元禄郷帳」に居木橋村の石高は、二百三十石余、七十二戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽をよく催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く御社頭は大変賑わったと云う。明治五年、御社号を「居木神社」と改め、翌六年、村社に列格、続いて二十九年・四十二年には、村内鎮座の稲荷神社・川上神社・本部神社の三社六座が合祀されている。昭和五年には氏子の崇敬熱意により御社殿の改築にかかり、同八年九月に竣工されたが、その荘厳を極めた御社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上、以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み昭和五十二年五月五日着工、同五十三年三月三日上棟、同六月十日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、ときわなる居木の森の高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至った。境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政四年(1792年)に、石灯籠は弘化二年(1845年)に奉納されたものである。境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されている。また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されている。
富士塚は鳥居前の石段の横にあります。よくよく見ると登山道のように石が並べられていますね。
境内末社に厳島神社と稲荷神社があります。裏門近くにふたつの神社が並んで祀られています。
品川区指定有形文化財
居木神社末社厳島神社
(旧・松原家屋敷神)
この厳島神社は居木神社の末社であるが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていた。後に、居木神社が引き取り、末社としたものである。小型の神社建築であるが、質のよい彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が認められるが、彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されている。これは、概ね天明期ころまで通例とされた様式であるが、欅と思われる素木を使った部分も多い。十九世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは襷を用いている。これらのことや、おおむね和釘を使っていることなどをあわせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されるが、保存状態も良好である。彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものである。
都内各地の神社には、JA東京グループが設置したかっての地元農産物の由来を記した案内板が立っています。
江戸・東京の農業 居留木橋カボチャ
居木神社を中心とした、桐ヶ谷から居木橋一帯の旧荏原郡大崎村(現在の品川区大崎)は、江戸時代以前から農業の盛んな地域でした。居留木橋カボチャは、江戸時代の始めに沢庵和尚が上方から種を取り寄せ、当地の名主・松原庄左衛門に栽培させたのが始まりという伝承があります。海岸に近く気候温暖で、適地であったため、甘味のある良質のカボチャが早い時期からとれたことから有名になり、地名としては居木橋ですが、居留木橋カボチャと呼ばれて親しまれました。果実の大きさは中型で、別名を縮緬(ちりめん)カボチャといわれたように、カボチャには15本ほどの浅い溝があり、全面をごつごつとしたこぶで覆われていました。外観に似ず中は黄色く味は美味しく、当時わが国を代表するカボチャでした。江戸時代から明治の中頃まで、この地方の特産品として長く名声を博し、後世の新種改良の親となりましたが、黒皮早生カボチャの出現や、当地域が宅地化するに及んで、しだいに栽培は減少していきました。
THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO
Irukibashi Squash
The area around this shrine from Kirigaya toward Irukibashi was a prospering farming zone since Edo Era. The origin of Irukibashi squash dates back to 1638, when the famous Buddhist Takuan obtained its seed from Kyoto and let it grown by Shouemon Matsubara, the head of a villge in this locality. Favored with mild and warm climate near the sea shore, they produced a sweet good quality squash which acquired a high reputation. The squash was named after the locality and became familiar among the Edoites.
居木神社から「貴船神社」に向かいます。JR山手線が大崎駅の南西で横須賀線・東海道新幹線と交差する手前の交差点から西に向かう道路は、通称「百反通り」と呼ばれています。通りに面して小さな地中海料理のお店があります。恵比寿の「アヴィラン」に似ていますね。「ボンジョルミ」は、トマトの美しさと美味しさを活かした沢山のトマト料理や、ギリシャ料理のムスカ、スペイン料理のパエリア、タパスの盛合せ、イタリアワインなど、沢山の多国籍地中海料理、ワインなどが楽しめます。お焦げまで美味しいパエリアは、量が多いので、数名でシェアして頂くのがお勧めです。大振りのリンゴとオレンジが入っている自家製サングリアも甘くて飲みやすいと評判です。
- ポイント2 貴船神社
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百反通りから左折して住宅地の路地に入った先に貴船神社があります。貴船神社は和同二年(709年)に藤原伊勢人の勧請により創建されました。御祭神は、高(おかみ)大神(たかおかみのおおかみ)と素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。かつては貴布裲大明神と号し、古来より水神として崇められてきました。八幡太郎源義家も奥州へ向かう際に参拝したと伝わっています。
由緒
當社は元明天皇の御代和銅二年九月藤原伊勢人の勧請に依り創建せられ、當地方最古のお宮であります。御神威は古来より誠に廣く深く品川(旧三ツ木村)の鎮守として氏子の崇敬厚く昔から信仰の中心として永く栄えて参リました。御社殿は昭和廿年五月戦災を蒙りましたが、西品川氏子六地區の崇敬奉賛の熱意により再建せられました。
境内には居木村代々の名主であった松原氏が造立した「文政十一年銘道標」があります。高さ1メートルほどの角柱型の道標で、居木橋村と品川宿枝郷三ツ木との境にあったものです。
品川区指定史跡
文政十一年銘道標
本道標は、もとは居木橋村と品川宿の枝郷三ツ木との境に建てられたものが、現在地に移転保存されたものである。高さ1.05メートル、石質は安山岩で、正面に「西めくろ(目黒)」左右に「左北品川 右南品川」背面に「文政十一子年三月松原氏」とある。正面上部に梵字の種子で(サ)字が刻まれていることからみて、観世音菩薩供養道標であることがわかる。居木橋村の名主は、代々松原氏が務めており、道標背面に見られる松原氏は、名主であり、観音信仰と交通の便を兼ねて文政十一年(1828年)本道標を造立したものと思われる。
鳥居の横にはふくよかな容姿と笑顔の大きな布袋尊像が立っています。
貴船神社布袋像縁起
布袋尊は中国後梁の禅僧で名は契批、号は長汀子(〜917年)福々しい容姿で常にお腹をあらわし、布袋を背負い喜捨を求めて歩き、世人から弥勒の化身として尊ばれました。布袋和尚とも呼ばれ、円満の神で七福神のひとりとして神格化されたといわれております。この布袋像は、国際自動車椛n始者の故波多野元二氏が若年の頃より尊崇の念篤く、巧成り社屋を建設するに際し社運の礎として建立したものであります。平成二十年、社屋移転にあたりこの地に根差した像を転化するにしのびず、地域の氏神である貴船神社境内の一郭に遷座されたものであります。慈来地域社会の鎮護として人々を見守っております。
貴船神社から住宅地の中の坂を下って「戸越銀座商店街」の東端に出ます。戸越銀座商店街は谷地にあるのか、商店街の南北方向に坂が上がっています。特に南側には幾つかの坂が上がっています。入口に、赤と白に塗られたアーチが建てられた坂があります。平和坂は長さが約90mほどのやや急な坂です。平和坂は大正時代に改修され、当時上野で開催されていた平和博覧会の名をとって坂名が付けられたとのことです。アーチの脇に案内柱が立っています。個人名が記されていますが、どういう経緯でこの案内柱が建てられたのでしょうか?
平和坂
大正時代、この地は東京府荏原郡品川町大字北品川の三ツ木耕地と言う地名であった。当時はこの坂から上の道は有隣社通りと言われていた。戦後二十三年有志総意で平和坂通り商店会を結成し、この時平和坂と名称された。
- ポイント3 戸越銀座商店街
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戸越銀座商店街が立地する場所は、大正十二年(1923年)に発生した関東大震災で大きな被害を受けた後、低地であったため冠水に苦しみ、道路は雨のたびに泥濘になる有様でした。同じように関東大震災で被災した銀座は、東京が国から援助を受けて大規模な復旧に乗り出した際に道路舗装に使用していたレンガを撤去してアスファルト化することとなり、大量の煉瓦が瓦礫となりました。そこで当時の戸越は、不要になった銀座の煉瓦を貰い受けて道路に敷き詰め、排水や下水工事に活用しました。戸越が震災からいち早く復旧できたのは、銀座から貰い受けた煉瓦によるところが大きかったため、この縁から戸越で商店会を設立する際に「戸越銀座商店街」と命名されました。昭和二年(1927年)には、池上電気鉄道(現在の東急池上線)が開通し、商店街の玄関口となる戸越銀座駅が設けられました。戸越銀座商店街は、品川区豊町・戸越・平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った全長約1.3キロメートルに及ぶ関東有数の長さの商店街で、戸越銀座商栄会商店街(商栄会)・戸越銀座商店街(中央街)・戸越銀座銀六商店街(銀六会)の3つの商店街からなり、店舗数は約400店です。一番長いのが中央街、次いで商栄会、銀六会となっています。商店街ごとにアーチや街路灯のデザインが異なります。「遊びにおいでよ 戸越銀座」がキャッチコピーで、全国各地に300以上あるといわれる「○○銀座」の第一号でもあります。マスコットキャラクターとして戸越銀次郎(通称、銀ちゃん)がいます。2006年度から品川区と商店街連合会によって無電柱化事業が進められ、2016年4月に完成しました。
アーチのデザインは銀六会、街路灯に吊されている旗のキャラクターは「銀ちゃん」です。
こちらが中央街です。アーチのデザインも異なっています。
戸越銀座商店街では食べ歩きも人気です。
戸越銀座商店街から「戸越八幡神社」に向かいます。後藤蒲鉾店の手前の銀六会と中央街の境目の交差点から南方向に坂が上がっています。
八幡坂は長さが約120mほどのやや急な坂です。坂上に戸越八幡神社があり、坂名はそれに因んでいます。
八幡坂
この坂は、戸越銀座通りから戸越八幡神社脇を抜ける坂である。そのために八幡神社にちなんでこの名称がつけられたものである。
Hachiman Slope
The slope leads to the Hachiman Shrine from the Togoshi-ginza dori street. The name of the slope is named after the shrine.
- ポイント4 戸越八幡神社
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戸越八幡神社は旧戸越村の鎮守で、大永六年(1526年)に行永法師という諸国を行脚していた僧が村内の藪清水池水源地に誉田別命(応神天皇・八幡神)の神体が出現したのを見つけて草庵を作り、そこに京都の石清水八幡宮から分霊を勧請して共に祀ったのが始まりといわれています。人々が祈願するとたちまちに願いが叶うといわれ、成就庵と呼ばれました。文禄元年(1593年)に別当寺だった行慶寺の念誉によって成就庵のところに八幡神社を建立し、ご神体を阿弥陀如来と共に祀ったといわれています。元禄元年に現在地に移転しました。
戸越総鎮守 戸越八幡神社 御由緒
由緒沿革
当社は、後柏原天皇の御世、大永六年(1526年)八月十五日、村内藪清水の池中より出現した御神像を、行永法師が草庵に奉安して、山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請して倶に祀ったのが創立の起源と伝えられている。又、古歌に
「江戸越えて 清水の上の成就庵
ねがひの糸のとけぬ日はなし」
とあり、これが戸越の地名のはじまりとも伝えられている。
【八幡宮出現由来記】(寛永年間刊行の木版本)によれば、この「成就庵は、昔、俗称一本杉の字名のある藪清水の池を控えた庵であった。大永年間に行永法師が諸国行脚をした時にこの庵に立ち寄り、折からの十五夜の月を眺め、時を移しうたた寝した時、夢の中で輝く光が藪清水の池から放たれているのを見たことから、池の中を探し、誉田別命(応神天皇・八幡大神)の御神体の出現を見たので、慎み戴いて草庵に安置奉った。すると近隣の人々はもとより、往来の諸人も諸祈願を乞い願う者が多くなり、『一つとして成就せずと云うことなし』と云われる程になったことから、この草庵を清水の上の成就庵という。」と記されている。元禄元年十二月十五日に、宮居を村内の高台にあたる現在の地に遷し、末社に、春日社、稲荷社を建立した。以来、氏子地域(旧戸越村)現在の小山台二丁目町会・小山台一丁目東町会・小山台一丁目町会・小山一丁目町会・小山二丁目東部町会 ・小山二丁目西部町会・親友会・荏原一丁目町会・荏原二丁目町会・中原共和町会・平塚三丁目町会・平塚二丁目町会・平塚一丁目町会・平塚一丁目南部町会・戸越銀座町会・戸越三丁目町会・戸越四丁目町会・戸越二丁目町会・戸越一丁目町会・豊町一丁目町会・豊町二丁目町会・西品川の一部(地名変更前の戸越村の若番地順に掲載)の産土神として、居住された幾代もの人々の守り神として、また、我国文教の祖・殖産の守護神として遍く崇められている。そして厄除け開運の御神慮と供に「こころの故郷」としても親しまれている。境内の樹木は品川区の保存樹林に指定され、特にケンポナシの木は指定天然記念物とされている。
現社殿は欅造入母屋造銅版葺屋根で安政二年(1855年)に創建され、震災、戦災にも免れ、都内でも古い木造の建物である。又、社宝の奉納絵馬二十四面と石造狛犬は品川区認定文化財に指定されている。御本社宮神輿は平成の御大典記念として、氏子諸氏の奉賛により新調され、御神幸祭には【敬神崇祖】の精神にて御祭神並びに我々祖先の御霊を奉安して氏子内を渡御いたします。
戸越八幡神社は、しながわ百景に選定されています。
境内には、「戸越の地名の起り」と題した石版が置かれています。
戸越の地名の起り
古歌 八幡宮出現由来記 寛永廿未年刊行
江戸越えて
清水の上の成就庵
ねがいの糸の
とけぬ日はなし
とあり、江戸を越える村というのでこの名が生まれ、トゴエと呼びました。
戸越八幡神社をうたった二首の歌
狂歌 江都名所図会 安政三年刊行
疱瘡を 守る戸越の 八まんに
神子は笹湯を あふる御祭
疱瘡の 守りにせんと 諸人が
戸越の宮に ひろふ軽いし
神子の湯立神事に笹湯を浴び、或はお宮の小石をひろって帰るのは、天然痘に効があるという信仰があったのをうたったものです。
社殿は170年近く前に建てられたとのことですが、素晴らしい造りですね。
神輿庫には、立派な大神輿が鎮座しています。神楽殿の奥には、大神輿を曳いた祭礼の行列を描いたと思われる幟が掛けられています。、
社殿の入口に狛犬が睨みを利かせています
品川区指定有形文化財
戸越八幡神社 石造狛犬
この狛犬は、延享三年(1746年)に、戸越村の村民がお金を出し合って当社に奉納したもので、区内では最も古いものである。この頃、各村落には庚申講が結成されていたらしく、本村や平塚の庚申講が中心となって狛犬の造立が進められたことが銘文によってわかる。また、左右の台石の各三面に刻まれた二百七名の人名によって、当時の戸越村を構成していた村民のほとんどの氏名が把握でき、大変貴重なものである。
社殿内には多くの絵馬が掛けられているそうです。
品川区指定有形文化財
戸越八幡神社奉納絵馬
絵馬は、人々の願いや感謝のしるしとして寺や神社に奉納されるものであるが、民間信仰の広がりや人々の知恵を知る上で貴重な資料でもある。当神社には、社殿内の長押に多くの絵馬が懸け並べられている。年代のはっきりしているものが二十一面あり、最も古いのは安政四年(1857年)、最も新しいのは大正五年(1916年)のものである。奉納者のほとんどは戸越村の村民で、描かれた図柄は当神社の祭神である神功皇后を題材とするものが多い。最も大きなものは安政五年(1858年)の「社殿上棟図」で、社殿の建築年代を明確にするものとして資料価値が高い。当神社の絵馬は、大型・中型のものが数多く、しかも良好な状態で残っている例は少なく、大変貴重である。
社殿の入口に、「福分け猿と夢叶うさぎの由来」の案内板が立っています。
戸越八幡神社
福分け猿と夢叶うさぎの由来
当社のご神体は大永六年(1526年)戸越村の内にある藪清水の水源地より出現したと伝えられています。その泉に大層賢く優しい猿と仲良しの可愛らしいうさぎが住み着いていたそうです。猿は、自ら山から採って来た大切な木の実や果物を水汲みにきた村の人々に分け与えてくれるのです。村人達はその猿を神様の化身ではあるまいかと話しておりました。そして猿の近くにはいつも可愛らしいうさぎがいるのです。そのうさぎを見た人は皆とても美しい笑顔になってしまうのです。人々の笑顔は、夢と希望に繋がり人々はその可愛らしいうさぎの事を「夢叶うさぎ」と名付け、大切にしておりました。
お猿さんは左側の灯籠の前、兎さんは右側の灯籠の前で参拝者に福と夢を授けておいでです。
戸越八幡神社のご神木はケンポナシだそうです。
ケンポナシの木は境内の奥に聳えています。
品川区指定天然記念物
戸越八幡神社のケンポナシ
ケンポナシはクロウメモドキ科に属する落葉の高木で、夏に淡い黄色の小さい花をたくさんつける。実は球形で、九月から十月に紫黒色に熟し、甘味があって食べられる。本樹の幹の囲りは約2.5メートル、高さは18メートルあり、推定の樹齢は二百五十年から三百年である。もと、幹は二本立であったが、右側が枯れてなくなり、現在は一本立である。近年、ケンポナシは都区内ではほとんど見られなくなった木で、本樹の存在は貴重である。
戸越八幡神社のケンポナシは、日本樹木遺産の認定第一号だそうです。
日本樹木遺産 認定樹木第一号
戸越八幡神社内「ケンポナシ」の樹
日本樹木遺産実行委員会は、国連下部組織DEVNETJAPANの推薦を受け、樹木を守る活動を通して人々と自然を大切にする社会活動を行なっています。巨樹・古木を守りたい樹木の所有者様・自治体等と、樹木を守る事で地域の繋がりを強め、自然を慈しむ豊かな心を育むCSR活動を行いたい企業様を結びつけていきます。
根元の洞には、ニホンミツバチが巣を作っているそうです。
貴重な日本在来種
ニホンミツバチが巣を作っています
ケンポナシの根元の洞(うろ)に日本在来種であるニホンミツバチが巣を作っております。専門家のご意見や、ニホンミツバチの生態につ(い)て詳しく紹介されているサイトなどによると、ニホンミツバチは攻撃性が低くほとんど人を襲うことがない(△注意)大変おとなしい蜂という
ことが分かりました。日本にしかいない固有の在来種であるのですが、さまざまな理由により近年その数は減少の一途をたどっており、希少性の高い種であるとされています。野生のハチたちをはじめ花粉媒体生物による授粉によって私たち人間の食は多大なる恩恵を受けて支えられています。また、樹木医さんのお話しによると木の洞にハチが巣を作ることで、蜂蜜のもたらす抗菌作用が腐朽菌などから木を守ってくれるという側面もあるとのことでした。ケンポナシとニホンミツバチのこれからを是非あたたかく見守っていただけますと幸いです。自然の恵みとはたらきに生かされていることを忘れず、一人ひとりが感謝の心を育んでいくことが自然を守り、自然と調和・共存してゆける道を照らしてゆくのかもしれません。
ゴール地点の戸越銀座駅に着きました。
駅前に、戸越銀座のウンチクを記した案内板が立っています。
東京一長い商店街って!?
3つの商店街を合わせて全長1.3km、約400件の店舗が軒を連ねる戸越銀座商店街は東京で一番長い商店街です。1923年の関東大震災の被災者が集まり、その後開業した東急池上線「戸越銀座駅」を中心に徐々に大きくなってきました。近年3つの商店街が協力して電線類地中化や参道の石畳をイメージした舗装、鳥居をモチーフとしたゲートを設けることでひとつの商店街としてまとまり、平日でも1万人近い人で賑わっています。
無添加・高品質・真心の商店街オリジナルブランド
1999年の純米酒から始まった、戸越銀座でしか買えない戸越銀座商店街のためのオリジナルブランド「とごしぎんざブランド」。他の商店街に先駆けた商店街ブランドであり、一店逸品運動の先駆的な試みでもありますが、目的は産品づくりではなく地域のブランドづくりであること。商品には統一したロゴマークをあしらい、「戸越銀座ブランド開発委員会」が自信をもってお届けしています。
コロッケが自慢!食べ歩きの街
戸越銀座では、ご近所の立正大学との産学連携プロジェクトによって、お店毎の味を追求したオリジナルコロッケが街の名物になっています。20店舗以上のコロッケをぜひ食べ比べてみてください。そんなお昼から食べ歩きができる街・戸越銀座では2011年からフードイベント「酔う喰う(ヨク)バルin戸越銀座」が開催され、夜営業する飲食店もお得に楽しむことができます。チケットを購入し、1枚で参加店舗自慢の1プレート+1ドリンクが楽しめ、購入したチケットの枚数分のお店をハシゴできます。ぜひ参加してみてください。
戸越銀座のアイドル 銀ちゃん
ぎんちゃんこと戸越銀次郎は、近所を散歩中にスカウトされて戸越銀座商店街のマスコットキャラクターになったノラ猫です。デビューは2004年「第6回とごしぎんざまつり」でした。商店街のイベントなどのお手伝いをしています。街で見かけたら気軽に声をかけてね!
なんで銀座なの!? 戸越銀座の歴史
戸越の名の由来ははっきりとはわかっていません。江戸時代、現在の戸越を越えると相模の国(現在の神奈川に相当)に入ることから、“江戸越えの村”と呼ばれ、やがて戸越になったという説があります。戸越エリアは周辺に坂が多く、現在商店街のある通りは、谷底を東西に伸びるかたちで位置していたため、非常に水はけが悪く、ぬかるみや浸水に長い間悩まされてきました。そんな折商店主達は、1923年の関東大震災によって銀座のレンガ造りの町並みが破壊的な被害を受け、大量のレンガ瓦礫処理に困っているという話を聞きつけ、レンガを通りに敷き詰め歩きやすくしようと考えたのです。そして、銀座のレンガを譲り受けたことに加え、当時日本一の商業地であった銀座の賑わいにもあやかりたいという思いから、“戸越”と“銀座”を合わせた戸越銀座と名乗ったのが始まりとされています。全国に300以上あると言われている“○○銀座”の元祖といわれていますが、本家銀座との縁によって生まれた由緒正しき“あやかり銀座”なのです。商店街にはそんな歴史にちなんでレンガ記念碑が設置されています。レンガを敷き詰めたかつての谷底には、水田があり、川が流れていましたが、宅地化の際にそのほとんどは暗渠化されました。ふと入った路地裏の細道が元水路ということも。戸越銀座の散歩は、足元にも思いを馳せてみてください。
街の新たなシンボル誕生!
1927年、地下鉄銀座駅よりも早く“銀座”の名を冠した駅として誕生した東急池上線「戸越銀座駅」。住所に由来する平塚駅や戸越駅という名前が候補にあったものの、当時すでに使われており、地元住民からの要望もあっていまの駅名となりました。2016年9月より東京都の木・多摩産の木を使った「木になるリニューアル」と題した駅改良工事を開始。地域の皆さまとベンチ製作ワークショップなどを経て、2016年12月11日にさらに木のぬくもりのあふれる駅に生まれかわりました。リニューアルにあわせて、街の情報発信基地として機能するよう東急線では初めてとなる駅のシンボルマークもつくり、暖簾も設置されました。街の顔として、愛される駅でありたいと思っています。
ということで、品川区で八番目の「08.戸越銀座と3神社コース」を歩き終えました。次は品川区で九番目の「09.戸越の公園めぐりコース」を歩きます。
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