12.さいかち坂と立会道路コース  

コース 踏破記  

今日は品川区の「12.さいかち坂と立会道路コース」を歩きます。大田区にほど近い旗の台の住宅地にあるふたつの坂と2000年に廃止(現在は東急目黒線と改称)された東急目蒲線の地上跡地に造られた緑道を巡ります。最初に歩いたのは2022年1月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年9月に改めて歩きました。なので、冬と夏の写真が入り交じっています。

12.さいかち坂と立会道路コース

「12.さいかち坂と立会道路コース」の歩行距離は約3.4km(約4,250歩)、歩行時間は約1時間3分、消費カロリーは約284Kcalです。

スタート地点:旗の台駅東口
ポイント1 さいかち坂
名前の由来は、坂の両側に「さいかちの木」があったから、といわれています。大正時代までは、樹木や雑草が茂っていました。
ポイント2 延山通り
春には白とピンクのハナミズキが通りを彩ります。かっては通りの途中に立会川が流れており、延山橋がありました。
ポイント3 立会道路
中原街道から西小山駅までの立会道路には、道の両側に桜が植えられており、桜のトンネルが楽しめます。
ポイント4 小山八幡神社
「池の谷八幡」「妙見八幡」ともいわれた、歴史ある神社です。地域全体が小高い丘であり、「小山」の地名の由来とされています。

ゴール地点:西小山駅

こぼれ話
さいかち坂にある三光教会には、品川区の保存樹である「さいかちの木」があります。


スタート地点の旗の台駅東口から歩き始めます。



昭和大学通りの商店街の先には、巨大な昭和大学附属病院の建物が聳えています。昭和大学には八つの附属病院が設置されていますが、旗の台にあるこの病院は本院です。中原街道に面した入院棟には815の病床があり、地上17階・地下3階・高さ77mの規模で、1980年に竣工しました。昭和大学は昭和三年(1928年)に昭和医学専門学校として創立されました。医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の他、それぞれの学部に大学院が設置されています。旗の台キャンパスには大学本部と医・歯・薬の2年次以降の学生が在籍しています(歯学部と保健医療学部は年次によって洗足と横浜のキャンパスも使用しています)。特色ある制度といえば、各学部の1年次の学生は山梨県の富士吉田キャンパスに在籍し、4人部屋での全寮制となっている点です。これならみっちりと勉学に励めそうですね。



中原街道の旗の台交差点付近から西南西に向かって左に弧を描きながら長い坂が上がっています。



ポイント1 さいかち坂

皀莢坂は長さが約400mほどの緩やかな坂です。皀莢はマメ科の落葉高木で、「さいかち」と読みます。皀莢は日本の固有種で、本州・四国・九州の山野や川原に自生します。皀莢の幹には大型の棘があり、果実の莢(さや)にはサポニンが含まれて石鹸の代りに使われました。棘と種子は腫れ物の解毒薬となり、中国では皀角子と呼んで去痰などに用いられました。坂名の由来は、坂の右手に皀莢原があったからとも、両側に皀莢の木があったからともいわれています。坂下の旗の台交差点の脇に東京都が設置した半楕円形の金属製の案内板が建っています。殆ど読み取れませんが。。。

皀莢坂

坂名の由来は、坂の右手に「さいかち原」があったからとも、両側にさいかちの木があったからともいわれる。さいかちは豆科の落葉高木で、以前はこのあたりの山野に自生していたものである。清水山あたりには昭和三十年代まで巨木が残っていた。中延(このあたりは江戸時代は中延村といった)の古い麦打唄に「お前さんとならばどこまでも、さいかち原の中までも、親を捨てこの世がやみになるとも」というのがある。




坂の中ほどには、品川区が設置した案内柱が建っています。こちらは新しくて文字もはっきりと読み取れます。

さいかち坂

さいかち坂の名称の由来は、昔この坂の両側に「さいかちの木」があったからと伝えている。また、中延の麦打唄の中に、「さいかち原の中までも・・・」とあるように、坂の右手に「さいかち原」があったからだとも伝えられている。大正時代までは、樹木や雑草のしげる昼なお暗い坂であったという。

Saikachi-Slope

This slope knowns as "Saikachi-Zaka". It named after "Saikachi-Trees" once on both sides of this slope, or "Saikachi-Field" once on the right side of it, according to our tradition.




坂の途中の右手に香蘭女学校があります。香蘭女学校中等科・高等科は、完全中高一貫教育のキリスト教日本聖公会系(アングリカン・チャーチ)のミッションスクールです。英国国教会から派遣された英国聖公会の第二代日本主教エドワード・ビカステスにより、明治二十一年(1888年)4月に麻布区永坂1番地に開校しました。生徒数の増加により、昭和十六年(1941年)3月に現在の地に移転し、平成二十年(2008年)4月に現在の校名に改称されました。校名に「女学校」を冠する現在では数少ない学校です。大正九年(1920年)に日本女子補導団東京第一組が創設され、日本におけるガールスカウト発祥の地となっています。香蘭女学校の「香蘭」は、「孔子家語」六本の「芝蘭の交わり」の節が由来とされています。

「与善人居 如入芝蘭之室 久而不聞其香 即与之化」

芝蘭とは、霊芝と(ふじばかま)(蘭)のことであり、めでたい草と香りの良い草を意味しますが、優れたものや人の喩えにもされます。これは、芳香の漂う芝蘭を飾る部屋に入ると、いつの間にかその良い香りが染みつくのと同じように、校名には、よい人と共に過ごすことで良い影響を受け、その立ち振る舞いや価値観などを香りが立つごとくその身にまとって欲しい、という願いが込められているとのことです。料理研究家の辰巳浜子・ジャーナリストの兼高かおる・タレントの黒柳徹子・歌手のカルメンマキなど、多彩な卒業生を輩出しています。



香蘭女学校に隣接して三光教会があります。三光教会は、世界165か国以上に広がるアングリカン・コミュニオンの一員である日本聖公会東京教区に属する教会です。三光教会は、大正元年(1912年)11月2日に芝白金三光町の地に於いて、聖ステパノ教会・聖十字教会・喜望教会の三つの教会が統合され、ひとつの教会として誕生しました。「三光」という名前は、「白金三光町で生まれた教会」という意味に加え、三つの教会を統合した教会ということにも由来しています。昭和十五年(1940年)に現在の品川区旗の台に移った直後に戦火によって礼拝堂が焼失しましたが、昭和二十九年(1954年)に再建を果たしました。平成二十二年(2010年)に入口部分を残して建て替えが行われ、三廊式の礼拝堂として献堂されました。香蘭女学校は日本聖公会と深い関わりを持っているため、三光教会とは親戚のような関係です。敷地内に「さいかちの木」が植わっているそうですが、気が付きませんでした。



東急大井町線が中原街道と交差する地点で右折し、さいかち坂を後にして「延山通り」に向かいます。この辺りは品川区と目黒区の境界になっていて、東急目黒線の洗足駅が近くにあります。町名の「洗足」は、かつての田園都市株式会社(現在の東急電鉄の前身)が耕地整理を行った上で土地を分譲した際、「洗足住宅地」と命名し、最寄り駅名を洗足と定めたことに加え、この地に本社を移転させた際に、正式には荏原郡碑衾村大字碑文谷字南原であった地名を東京市外洗足町と自称するなどして定着したものが、昭和七年(1932年)にこの地が東京市に編入されるに際して、東京市目黒区洗足として正式町名となったという由来があります。洗足住宅地は単なる住宅の集まりではなく、「理想的田園都市」を会社と居住者で作っていこうという理念を持っていました。それを実現するために委員会が設置され、委員長には洗足住宅地購入者の一人でもある海軍大将の経歴を持つ山屋他人氏が推挙されました。委員会は洗足田園都市株式会社に居住者の要望事項を提出するなど、積極的に街づくりに動き出しました。このようにして山屋他人氏は洗足田園都市の初期に大いなる功績を残しました。それを称えてか、居住地の一角に「山屋坂」という石柱が建っています。



ポイント2 延山通り

小山七丁目交差点で右折し、延山通りに入ります。延山通りは、小山から中延へと続く閑静な住宅街を通る道で、むかしこの通りの途中の立会川に架っていた橋を延山橋と呼んでいたことと、通りに面して第二延山小学校があることに因んで延山通りという愛称名になりました。



延山通りが立会道路に突き当たる手前に、第二延山小学校があります。第二延山小学校は、1928年に第二延山尋常小学校として開校しました。地方の府県知事の経験者や内務官僚の人達の住宅地の地域にあるため、その人達の信頼に値する小学校をとのことで、東京府学務課が特に配慮して建設されました。昔は、地域の人に城南の「学習院」と呼ばれていたそうで、現在この地域の不動産の売り込みでは、第二延山小学校の学区であることがウリにされることがあるそうです。卒業生に、第八十代内閣総理大臣を務めた羽田孜や渡辺プロダクション創業者の渡辺晋がいます。



結局、延山橋がどこにあったのか見付けられませんでした。ウオーキングマップには、「延山通りの途中に立会川が流れており。。。」と書いてありますが、立会川は暗渠化されて現在は立会道路の地下を流れていて、延山通りの途中では交差していません。また、地形的にも川が流れるような谷地はありませんので、橋が架かるような場所も見当たりません。ネットには立会道路上の荏原南公園の辺りに延山橋跡の記載がありますが、延山通りとはかなりずれた場所です。本当のところはどうなんでしょうか?

延山通りから「立会道路」に向かいます。



ポイント3 立会道路

立会道路は、立会川に蓋を掛けて下水道として整備されていた川の上に道路や花と緑の親しめる緑道を整備したもので、立会川の名称をとって立会道路と呼ばれています。立会川は、目黒区および品川区を流れて東京湾に注ぐ、全長7.4kmの二級河川です。昭和二十年代までは魚やザリガニが棲むきれいな小川であり、子供たちの絶好の遊び場でしたが、現在では大部分が暗渠となり、道路(立会道路)や、緑の豊富な遊歩道、公園などになっています。立会川は、目黒区にある碑文谷池と清水池に源を発し、南東方向へ流れて品川区の西小山駅・荏原町駅・西大井駅・大井町駅・立会川駅付近を通り、東京湾の勝島運河に注いでいます。昭和後期には水量の減少と生活廃水等により汚れた川となり、1996年には生物化学的酸素要求量が都内の中小河川で最悪となっていました。しかし2002年7月からJR東日本が馬喰町駅〜東京駅間の総武線トンネル内に湧き出る地下水の下水費用(年間約3億円)対策と立会川の水量増加および水質改善を兼ねて敷設した12kmの配水管によって立会川への送水を開始しました。このことにより水質が大幅に改善し、2003年には海で孵化したボラの稚魚が大群で現れて話題になりました。立会川の名称の由来には次のような幾つかの説があります。
  • その昔、川を挟んで小競り合いがあったことから「太刀会川」とした。
  • 鈴ヶ森刑場へ送られる罪人の親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所であることから「立会川」となった。
  • 中延の滝間(たきあい)という地を流れていたので滝間川(たきあいがわ)と呼ばれ、それが現在の立会川に変わった。

立会道路の両側には桜並木が続き、春には桜のトンネルが出現します。



立会道路の右手に、荏原南公園があります。どうということもない普通の公園ですが、この地下には小学校の25mプール50杯分もの雨水を貯めることができる調整池が設置されているそうです。1時間に50mmを超える激しい雨が降った際に、下水道から水があふれ出るのを防ぐために、流れ込んできた水を一時的に調整池に貯める施設です。この施設のおかげで、この地域ではここ20年間大雨による浸水被害は出ていないのだそうです。

荏原雨水調整池

荏原雨水調整池は、下水道管内の水位が上昇し、雨水があふれそうになった時、この施設に雨水を導き、一時溜めることにより浸水被害を軽減します。なお、この一時貯めた雨水は晴天時に下水道管に排水いたします。




立会道路から「小山八幡神社」に向かいます。小山八幡神社の参道脇に摩耶寺があります。紫色に彩色された本堂が印象的です。



仏母山摩耶寺は寛文年間(1661年〜1673年)に開山した日蓮宗のお寺です。山号が示すように、お釈迦様の母摩耶夫人をお祀りしています。延宝六年(1678年)に造られた「木造摩耶夫人立像」は、精巧な彫刻で極彩色に塗られた高さ36.9cmの人形形式で、通常は本堂左側の釈迦堂(摩耶堂)(天保年間【1831年〜1845年】に建立)に安置され非公開となっています。区の文化財に指定されていて、11月の文化財ウィークに本堂で公開されます。毎年5月に行われる「摩耶寺の花まつり」には多くの参拝客が訪れます。荏原七福神の寿老人をお祀りし、お正月には甘酒が配られます。

品川区指定有形文化財
木造摩耶夫人立像

摩耶夫人とは、釈迦の生母のことである。本像は、高さ36.9センチメートルの小型のもので、誕生仏を前に配し、飛雲の台座にのる立像である。極彩色を施し、頭に冠をいただく人形様式の極めて精巧な彫刻で、製作年代は像内の墨書から延宝六年(1678年)であり、製作主は本寺の日明と推定される。本像は、高さ61センチの厨子に納められており、摩耶堂に安置されている。保存状態は極めて良好で、江戸時代初期の人形彫刻の古い遺例として貴重なものである。摩耶寺は日蓮宗の寺で仏母山と号し、建立は寛文七年(1667年)、開山は立法院日了といわれている。




ポイント4 小山八幡神社

長い参道(ただの道路?)の先に「しながわ百景」にも選ばれている小山八幡神社が鎮座しています。本殿に向かう石段の先にまた石段があり、「小山」の上に社殿が建っているような感じです。実はこの小山八幡神社は品川区内随一の高台にあり、標高は35mにもなります。この地域一帯の土地の名前はこの「小高い山」に因んで「小山」となりました。名前の由来だけではなく、品川区内にはこのような地域一帯を見渡せる場所はなかなかありません。そのため、魅力ある品川区の風景として「しながわ百景」にも選ばれています。



2024年9月現在、神社の本殿などの神社建物は大規模な改修工事中(2024年12月末に完了予定)で、大鳥居から中の境内には入れないようになっています。その代わりに、鳥居の前にプレハブ造の仮宮が建てられていて、荏原七福神の一神である大黒天(財福・五穀豊穣・出世開運・縁結びなどにご利益があるとされる神様)がお祀りされています。



以下は2022年1月に訪問した際の写真を基に書き出しました。小山八幡神社は旧荏原郡小山村の鎮守で、長元三年(1030年)頃に源頼信が此の地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであるといわれています。後に妙見菩薩も誉田別尊と並んで祀られましたので、妙見八幡とも、此の地の旧名から池の谷八幡とも呼ばれていました。妙見菩薩は明治時代の神仏分離令により、隣接した摩耶寺に移されました。



境内の奥には甲子神社があり、大黒天が祀られています。提灯にも「甲子大國天」の文字が記されています。ちなみに、大黒天と大國天は同じ神様です。



境内には椎の木の大木があり、この椎の木は品川区指定文化財になっています。2023年5月に東急不動産を事業主として、この区指定天然記念物である樹齢約200年の椎の木を始めとした境内の樹木の殆どを伐採し、敷地に低層マンションを建設する計画が報道されました。その後の経緯は分かりませんが、神社の景観はどうなるのでしょうか?

品川区指定天然記念物
小山八幡神社のシイ(2)

本樹は境内の西北隅にあり、当社ではシイ(1)に次ぐ大木である。目通り(目の高さ)幹囲り2.9メートル、樹高16メートル、推定樹齢約百五十年である。樹勢は旺盛で樹姿も整っており、貴重な樹木である。シイはわが国中部以南の暖地に生じ、よく繁茂する常緑高木であり、庭木として広く生育している。都心や本区でも大木が多く見られたが、今は少ない。




小山八幡神社から西小山駅に向かいます。神社の北側に、東急目黒線(現在は地下化されています)に向かって坂が上がっています。八幡坂は長さが約180mほどのやや急坂で、坂上で江戸見坂の坂上に重なっています。坂名の由来は、八幡坂の直ぐ南側に鎮座する小山八幡神社に因んでいるといわれています。



西小山緑道は、東急目黒線の地下化に伴って、地下線路の上に児童遊園を整備したものです。通路の片側が砂地になっていて、自転車やオートバイでの通行ができないスペースになっていますので、子ども達が安心して過ごせます。



緑道の両側には色とりどりの花が植栽されていて、サルスベリ・ハナミズキ・アジサイなど年間を通してきれいな景観を楽しむことができます。歩いて楽しむことを目的とした緑道なので、家族揃って軽いウォーキングに励む場所にもぴったりです。



西小山駅前の広場に面して、2015年9月30日にオープンした「つけめん 舎鈴(しゃりん) 西小山店」があります。舍鈴は、六厘舎で有名な松富士食品のサブブランドで、都内限定で少数しか出店していない六厘舎とは対照的に、舎鈴は都内だけでなく埼玉や千葉など多くの地域に出店しています。お店の前には、最近駅などでも見かける冷凍食品の自販機が設置されていて、六厘舎ブランドの餃子やつけめんが販売されています。パッと見、冷凍のつけ麺を食べさせるお店かと思いましたよ。六厘舎は2005年4月に大崎の住宅地の路地裏で創業しましたが、私も1度行ったことがあります。普段は住民から苦情も出た入店待ちの長い行列がとぐろを巻いていますが、その日は「スープ不出来につき本日は休業」の紙が貼られていました。そんなにスープに拘りのあるお店は初めてだったので吃驚した記憶があります。



ゴール地点の西小山駅に着きました。



ということで、品川区で十二番目の「12.さいかち坂と立会道路コース」を歩き終えました。次は品川区で十三番目の「13.中延・荏原の商店街コース」を歩きます。




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