13.中延・荏原の商店街コース  

コース 踏破記  

今日は品川区の「13.中延・荏原の商店街コース」を歩きます。旗の台駅から「なかのぶスキップロード」・「戸越銀座商店街」・「武蔵小山商店街パルム」と、品川区が誇る三大商店街を巡ります。最初に歩いたのは2022年1月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年10月に改めて歩きました。なので、冬と秋の写真が入り交じっています。

13.中延・荏原の商店街コース

「13.中延・荏原の商店街コース」の歩行距離は約3.2km(約4,000歩)、歩行時間は約1時間1分、消費カロリーは約276Kcalです。

スタート地点:荏原町駅正面口
ポイント1 旗岡八幡神社
「旗ヶ岡」「旗の台」の由来に関わる神社です。平忠常の乱を平定すべく下総へ赴く際、源頼信が立ち寄ったことが発祥とされています。
ポイント2 なかのぶスキップロード
荏原中延駅と中延駅を結ぶ約330mのアーケード商店街。朝市やねぶた祭りなど地元密着型のイベントが開かれています。
ポイント3 スクエア荏原
平塚小学校跡にある文化・芸術の交流拠点です。ホールでは演奏会や寄席などが行われ、広場は地域の方々の憩いの場となっています。
ポイント4 武蔵小山商店街パルム
約250の店舗が集う老舗商店街の全長は約800m。アーケードは開閉式で、最初のアーケードは昭和三十一年(1956年)に完成しました。

ゴール地点:武蔵小山駅東口

こぼれ話
荏原の地名は、平安時代に書かれた「続日本記」に登場するほど歴史のあるものです。


スタート地点の東急大井町線の荏原町駅正面口から歩き始めます。



荏原町駅正面口から踏切を渡った左手に法連寺があります。鎌倉時代中期の文永年間(1264年〜1274年)に此の地を治めていた豪族の荏原義宗(源義家の末裔といわれています)が篤く日蓮宗に帰依し、息子である徳次郎を日蓮の高弟・日朗の弟子とさせました。徳次郎は後に朗慶上人となり、荏原氏の居館跡に法蓮寺を開山しました。隣接する旗岡八幡神社と共に、源氏縁の寺として「八幡山」の山号が付けられています。



法連寺は、しながわ百景に選ばれています。



江戸時代、十一代将軍徳川家斉は鷹狩の際に人柄のよい住職を慕ってたびたび寺に立ち寄りました。住職は将軍を相手に勝敗手加減なく相撲を取ったことで気に入られたそうです。

将軍家斉と法蓮寺住職の角力伝承

ここ法蓮寺には、徳川十一代将軍家斉と当時の住職日詮上人が角力を取ったという伝承があります。家斉は品川か目黒筋への鷹狩の途中、中延八幡宮(今の旗岡八幡神社)に立ち寄られたという。そのとき別当寺であったここ法蓮寺の芝庭において、家斉は法蓮寺三十九世住職の日詮と角力を取ったとされ、このとき日詮上人は手加減せずに将軍を負かしたのでかえって賞されたというお話です。江戸幕府が編さんした歴史書「徳川実記」の中には、家斉が寛政から文政年間(江戸時代後期)にかけて幾度か品川周辺で鷹狩を行ったと書かれています。




法蓮寺には、荏原七福神のひとつで、清廉で商売繁盛・福徳をもたらす神様として知られる恵比須様が祀られていて、門を入って左手に恵比寿様の祠があります。畏れ多くも、ご尊顔を拝見しました。



ポイント1 旗岡八幡神社

旗岡八幡神社は、長元三年(1030年)に源頼信が当時下総国(現在の千葉県)で起きた平忠常の乱を平定するために下総国に行く途中に此の地に宿営した際、霊威を感得して八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが発祥とされています。当時此の地に陣を張り、源氏の白旗をなびかせて武威を大いに誇りました。そのことが地名の「旗の台」や「旗岡」の名の由来になっているとされています。その後、鎌倉時代に入って此の地の領主である荏原義宗(源義家の末裔と言われている)によって社殿等が建立され、源氏の守護神のみならず地域の鎮守神としました。荏原義宗は日蓮宗に篤く帰依し、息子を日蓮の高弟の日朗の弟子とさせました。息子は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山しました。この寺院は長く隣接する旗岡八幡神社の別当寺となりました。江戸時代には二代将軍徳川秀忠によって祈願所となり、特に弓術者から篤い信仰を得て、毎年2月15日には近郊の各地から武士が集まって境内で弓術の競射が行われるようになりました。試合後に甘酒が振舞われたことに由来して、現在でも2月になると「甘酒祭」が催されています。

旗岡八幡神社由緒

御祭神 応神天皇 比売大神 神功皇后

当神社は長元三年(1030年)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信公が下総へ赴く際この地に宿営した折、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し、戦勝を祈願したのがその発祥とされています。高台に陣を布き、源氏の白旗を立て、大いに武威を誇ったことから、この地が「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれたのです。鎌倉時代中期に荏原左衛門尉義宗公が当地の領主となり、鎮守として御神徳の発揚に努めたとが当神社発展の基礎となりました。江戸時代には、徳川家を始め武家の崇敬篤く、毎年二月十五日には各地から集まった武士達により弓の競射が行われていました。当神社は創建以来千年の歴史をあゆんでまいりましたが、時移り時代が変わっても常に氏子崇敬者の心の拠り所として親しまれ、敬われて今日に至っております。




第二次世界大戦による戦災で拝殿等が焼失しましたが、昭和三十九年(1964年)に現在の社殿が再建されました。



絵馬堂は戦禍から逃れ、現在も境内の一画に残っています。絵馬堂には巨大な絵馬が掛かっていましたが、現在は社務所に展示されているそうです。

品川区指定有形文化財
旗岡八幡神社大絵馬(一面)

絵馬殿に懸けられていた縦1.46メートル横1.78メートルの庵形の大絵馬である。元治元年(1864年)に中延村の竹屋(野村)吉治郎が奉納したもので、欅の板四枚を横に合わせ、周囲を同じ欅材で縁取っている。白木の生地に猿駒止の図柄を彩色で画面一杯に画いている。この絵は右下の落款によって、今治(愛媛県)出身の画家、沖冠岳(1817年〜1876年)の作品であることがわかる。沖冠岳は、京都で岸派に学んだ後、江戸に移住し、谷文晁等と交流し、画風の幅を広げている。江戸期の大絵馬の現存例は、本区並びに周辺地区では少なく、民間信仰の様相を示す資料として貴重である。大絵馬は現在、ケースに収められ、社務所内に展示されている。




神輿庫には燦然と輝く黄金色の神輿が納められています。この神輿を担ぐには20人〜30人の担ぎ手が必要でしょう。



旗岡八幡神社の前の道路は鎌倉道のひとつで、古来から鎌倉へと通じる道として知られていました。西中延三丁目交差点を右折し、住宅地の中を進んで「なかのぶスキップロード」に向かいます。



ポイント2 なかのぶスキップロード

中延商店街(なかのぶスキップロード)は、東急大井町線・都営浅草線「中延」駅から東急池上線「荏原中延」駅までの約330メートルにわたって続く地域密着のアーケード商店街です。肉・魚・野菜などの生鮮食品から、カフェ・レストラン・パン・精米・衣料品・インテリアショップまで、様々な店が揃い、地元民の日常生活を支えています。



ちなみに、大正時代には現在の中延商店街近辺は一面に竹藪が生い茂り、竹の子の名産地だったそうです。



なかのぶスキップロードの中延駅入口に私好みのお店が2軒並んでいます。一軒は言わずと知れた晩杯屋中延店です。その手前には「肉の伊吾田」のお店があります。揚げ物惣菜中心の品揃えで、名物は「鰺フライ」です。それに、恐らく東京ではこのお店だけだと思うのですが、「鰺のなめろうフライ」なる一品もあります。



なかのぶスキップロードからスクエア荏原に向かいます。荏原中延駅の裏手に、池上線と平行して戸越銀座駅に繋がる裏道が通っています。池上線は、平成元年(1989年)3月に荏原中延駅とその前後の区間が地下化され、地上の旧線路敷は公園などになっています。



東中はなみずき公園の入口に置かれている奇妙なオブジェは、モグラの石像だそうです。



都道420号線を渡った先の短い区間は平塚たけのこ公園です。かって筍の産地だった中延の竹藪を思い起させます。遊歩道上には、地下化される前の池上線の線路跡が残されています。



平塚たけのこ公園は戸越銀座駅の手前までで、その先は戸越銀座商店街に下りる坂道を進みます。戸越銀座商店街は高台に挟まれた谷地に位置しているため、両側には多くの坂道があるのです。池上線が地下化された経緯は分かりませんが、高台の切通しのトンネルを通れば勾配がなく、スムーズに走れますもんね。



「いい街 いい電車 プロジェクト」の一環として、多摩地区で生産された木材(多摩産材)を使用した「木になるリニューアル」が、2016年に第一弾として戸越銀座駅で行われました。「気になるリニューアル」によって、戸越銀座駅の老朽化したホームの屋根は建て替えられ、待合室や駅舎そのものも改修されました。



戸越銀座商店街が立地する場所は、大正十二年(1923年)に発生した関東大震災で大きな被害を受けた後、低地であったため冠水に苦しみ、道路は雨のたびに泥濘になる有様でした。同じように関東大震災で被災した銀座は、東京が国から援助を受けて大規模な復旧に乗り出した際に道路舗装に使用していたレンガを撤去してアスファルト化することとなり、大量の煉瓦が瓦礫となりました。そこで当時の戸越は、不要になった銀座の煉瓦を貰い受けて道路に敷き詰め、排水や下水工事に活用しました。戸越が震災からいち早く復旧できたのは、銀座から貰い受けた煉瓦によるところが大きかったため、この縁から戸越で商店会を設立する際に「戸越銀座商店街」と命名されました。昭和二年(1927年)には、池上電気鉄道(現在の東急池上線)が開通し、商店街の玄関口となる戸越銀座駅が設けられました。戸越銀座商店街は、品川区豊町・戸越・平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った全長約1.3キロメートルに及ぶ関東有数の長さの商店街で、戸越銀座商栄会商店街(商栄会)・戸越銀座商店街(中央街)・戸越銀座銀六商店街(銀六会)の3つの商店街からなり、店舗数は約400店です。一番長いのが中央街、次いで商栄会、銀六会となっています。商店街ごとにアーチや街路灯のデザインが異なります。「遊びにおいでよ 戸越銀座」がキャッチコピーで、全国各地に300以上あるといわれる「○○銀座」の第一号でもあります。マスコットキャラクターとして戸越銀次郎(通称、銀ちゃん)がいます。2006年度から品川区と商店街連合会によって無電柱化事業が進められ、2016年4月に完成しました。



戸越銀座商店街は中原街道の手前で終端となります。

ポイント3 スクエア荏原

中原街道と都道420号線が交差する平塚橋交差点の向かい側に「スクエア荏原」の施設があります。



スクエア荏原(品川区立荏原平塚総合区民会館)は、旧平塚小学校跡に建設された施設で、区民の文化芸術やスポーツ活動交流の拠点として、集い・憩い・出会いの場となる施設です。ワンスロープ型の建物には、音楽から演劇・芸能・講演など、多目的に利用できるひらつかホールを始め、イベントホール・アリーナ・スタジオ・展示室・大中小会議室・和室など様々な設備が設けられています。

平塚国民学校跡

平塚国民学校は、昭和九年(1934年)六月に平塚尋常高等小学校として開校した。昭和十六年(1941年)国民学校令が施行され、平塚国民学校と校名を変更する。昭和二十年(1945年)五月の東京大空襲によって全焼し、その後は後地小学校で授業を行い、翌昭和二十一年三月に廃校となる。現在の平塚小学校は、廃校から五年間の空白を経たが、地域の人たちの熱意がみのり、昭和二十六年(1951年)四月に開校した。この跡地に新校舎が完成し授業を開始したのは同年九月で、その後、現在の発展をみている。




校歌はサトウハチローが作詩したそうです。記念碑には、「品川区立平塚小学校は、昭和二十六年4月に開校し、平成二十二年4月荏原平塚中学校と共に小中一貫校「荏原平塚学園」となり、平成二十二年9月に新校舎へ移転した。ここ旧平塚小学校跡に碑を建てて記念する。」と書かれています。



災害発生時には、防災拠点としての役割も持っています。

この施設は災害発生時、防災拠点となる施設です

かまどベンチ
かまどベンチは、普段は通常のベンチとして使用し、災害時には、かまどとして炊き出しや暖を取るために使用できます。

トイレ(排水管耐震化済)
トイレは、平常時から施設内に入ることなく利用できます。利用時間(9:00〜21:30)

災害対策用浅井戸
井戸は、災害時に生活用水として使用できます。(トイレの排水他)

仮設便槽
便槽は、災害用仮設便所として使用できます。

避難所用防災備蓄倉庫
備蓄倉庫は、スクエア荏原を避難所として使用する場合の最低限の防災備蓄品を保管しています。

その他当施設は、太陽光発電装置・非常用発電機・受水槽を設置しております。




スクエア荏原から武蔵小山商店街パルムに向かいます。いつもは中原街道からパルムに入るのですけど、今日は脇から入ります。



ポイント4 武蔵小山商店街パルム

武蔵小山商店街は、昭和三十一年(1956年)にオープンした日本初の大型アーケード街です。完成時のアーケードは全長470mあり、「東洋一のアーケイド」といわれ、その後も延長拡大を行い、現在は武蔵小山駅から中原街道まで全長約800mの東京で最も長いアーケード商店街になっています。店舗数は約250で、飲食店や雑貨・服飾などバラエティ豊かなお店が立ち並び、雨の日でも傘をささずにショッピングが楽しめます。流氷祭り・納涼祭り・サンバカーニバルなど、年間を通じて様々なイベントを開催しています。

武蔵小山パルム

武蔵小山商店街は、昭和二十二年に組合が結成され、昭和六十年から「パルム」の愛称で呼ばれるようになりました。有名なアーケードの歴史は古く、昭和三十一年にはすでに第一アーケードが完成しています。完成当時は、「東洋一」とも言われ、各地から視察団が訪れました。全長800メートルにも及ぶアーケードは現在でも都内最長を誇り、多くの来客者により賑わっています。




武蔵小山商店街は、商店街独自のクレジットカードやポイントカードを発行するなど、活気あふれる商店街です。都心部では珍しく、収容台数132台の大型駐車場も完備しています。武蔵小山商店街のマスコットキャラクターは、ビーバーのカップルの「パルくん」と「パムちゃん」です。1993年に誕生したものの、名前がつけられたのは2003年になってからでした。商店街のイベントの際に登場し、イベントの盛り上げに活躍しています。



商店街のお店も以前と比べて入れ替わりが見られます。「築地 中島水産 中與商店」は2023年6月23日にオープンし、鮮魚や刺身・お寿司に加え、焼魚やお弁当・惣菜なども販売しています。豊洲市場から1時間以内で店に魚が届く配送体制を敷いていて、鮮度や品質に拘り、購入した鮮魚を捌くサービスや、本マグロの解体即売会などイベントの開催も行っています。当初は「魚河岸」と看板に書いてあったのですが、店内はかっての築地のように個別の魚屋さんが集まったような雰囲気があり、正に魚河岸のような感じです。



近年、再開発により武蔵小山駅前にあった戦後の闇市のような雰囲気の呑兵衛横丁は消滅し、今や高級感溢れる小路に生まれ変っています。晩杯屋もガラス戸の奥にお隠れになり、ちょっと一杯とはいかなくなりました。



ゴール地点の武蔵小山駅東口に着きました。



ということで、品川区で十三番目の「13.中延・荏原の商店街コース」を歩き終えました。次は品川区で十四番目の「14.ぐるっと西大井コース」を歩きます。




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