- 16.しながわ花海道コース
- コース 踏破記
- 今日は品川区の「16.しながわ花海道コース」を歩きます。鮫洲といえば運転免許試験場の最寄り駅ですが、今日は勝島運河を周回し、地元の方々が世話をされている花壇と桜を愛でます。最初に歩いたのは2022年1月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年10月に改めて歩きました。なので、冬と秋の写真が入り交じっています。
16.しながわ花海道コース
「16.しながわ花海道コース」の歩行距離は約3.6km(約4,500歩)、歩行時間は1時間約6分、消費カロリーは約298Kcalです。
スタート地点:京浜急行鮫洲駅
↓
- ポイント1 八幡神社
-
創建の年代は不明ですが、寛文時代(1661年〜1673年)には祀られていたと伝えられています。旧御林町の鎮守です。
↓
- ポイント2 しながわ花海道
-
勝島運河の土手は、地元の人びとによって花畑として彩られています。春は桜と菜の花、秋にはコスモスが咲き誇ります。
↓
- ポイント3 鮫洲入江広場
-
東京都下水道局の雨水貯留池の上に作られた公園です。芝生の広場には、下水道や鮫洲に関する案内板があります。
↓
ゴール地点:京浜急行鮫洲駅
こぼれ話
「幕末の四賢侯」のひとり・山内豊信(容堂)の墓所は、かって下総山と呼ばれた場所です。
スタート地点の京浜急行鮫洲駅から歩き始めます。鮫洲駅前広場から代書屋さんの脇の小道を抜けた先に鮫洲八幡神社があります。
- ポイント1 八幡神社
-
此の地は古くは御林町(おはやしまち)と呼ばれた漁師町で、江戸時代に北隣の品川浦と共に将軍家へ鮮魚を納める「御菜肴八ヶ浦」のひとつとして栄えました。八ヶ浦とは、本芝・芝金浦・品川浦・御林・羽田・生麦・神奈川・新宿の各猟師町のことで、御菜肴八ヶ浦は新鮮な魚介類を将軍家に献上する義務を持たされ、江戸湾44ヶ浦の漁業上の元締めとなって優先的な特権を持っていました。八幡神社の創建年代は不明ですが、御林町の総鎮守であったと推測され、「御林八幡宮」とか「鮫洲明神」と呼ばれていました。境内には、猟師の寄進した嘉永二年(1849年)造立の狛犬や、安政三年(1856年)造立の灯篭があります。また、境内を囲む古い石垣も猟師の寄進したものです。現在の社殿は昭和四十七年(1972年)に造営されました。
狛犬の前に、歴史的な経緯について解説した案内板が建っています。
鮫洲の地名のおこり
鮫洲はサミズともいわれ、地名の起こりは、
- (1)
- 「サミズ」は砂水と書き、海岸が干潟になった時、砂の中から清水が出てくることから、この名になったという。
- (2)
-
海晏寺伝に「建長三年品川の海上に大鮫が死んで浮きでたのを漁師が腹を裂いたところ、腹中から木造の観音像が出現し、人々に不思議な恩をさずけた」ということから門前を鮫洲と呼んだという。
- (3)
-
この浜辺に鮫があがったことがあるので鮫洲となったという。
などの説があります。
御林浦(猟師町)
江戸時代、東京湾を臨む品川には、品川浦と御林浦の二つの漁村があり、江戸城御用の鮮魚を納める御菜肴八ヶ浦の一つとして発展しました。この御林浦は、南品川と北浜川の間(東大井一丁目、二丁目の一部)の漁村をいいました。ここでの漁獲物の多くは、芝金杉や本芝(港区)の魚問屋で売りさばかれていました。また、海苔の養殖採取も盛んでした。海岸の埋め立てが進み昭和三十七年(1962年)の漁業補償協定の成立で江戸前漁業の終わりをむかえました。
八幡神社
旧御林町(のち大井鮫洲町、現在は東大井一丁目、同二丁目の一部、同四丁目)の総鎮守です。創立の年代はさだかではないが、寛文の頃(1661年〜1672年)には、すでにあったとされています。境内には漁師町の鎮守らしく漁業関係者が寄進した灯籠や狛犬があります。祭神には、誉田別尊、気長足姫尊、並びに昭和四年八月十四日に合祀した白山神社の伊弉諾尊、伊弉冉尊が祀られています。また、境内には稲荷神社(通称:出世稲荷社 御祭神 宇迦之御魂命)、厳島神社(通称:弁天社 御祭神 市杵島姫命 鮫祠)、漁呉玉神社(通称:水神社 御祭神 綿津見神)の末社も鎮座しています。
境内末社として、出世稲荷神社・厳島神社(通称:弁天社)・漁呉玉(なごたま)神社(通称:水神社)が祀られています。
神輿庫もあります。
大神輿由緒解説
此の神輿は傳へる所によれば、文化十年の頃(今から百五十一年前)山崎音次郎によって奉製せられ、彫刻は天野吉正の手に成ったものと言はれ、姿影尊麗八幡様の大神輿として永く崇(称)されて参りました。新編武蔵風土記稿にも當神社祭禮に神輿渡しの行ばれる旨記されて居り、其の渡御は古くより行はれて参ったもので、別けても海中祭には海上安全豊漁並びに船中守護を祈願して海上渡御が行はれる習はしでありました。誠に一郷の尊崇をあつめて行はれた傳統美はしき神輿祭の行事は一幅の繪巻物を偲ばしめるものでありましたが、近年海面埋立の事有り、又陸上に於ても交通事情等の関係より、昭和三十四年八月十五日の御出ましを最後として取止めることになりました。明治十七年大正元年修繕の記録有り、越えて昭和三十六年十月神輿鳳輦製造元宮本卯之助商店に依囑し、爾来十一ヶ月の日子を費し(翌年八月十四日修理成り引取る)、經費總額三十萬圓を以て大修理を施したものであります。
八幡神社からしながわ花海道に向かいます。正面参道から旧東海道に出た先に、小さな八百屋さんがあります。店先に並べられた籠の中に大粒の落花生が入っています。普通、落花生は乾燥させて固くなった実を食べるのですが、今(2024年10月)の時期だけは生の落花生が売られていることがあります。スーパーなどでは殆ど見かけませんが、何故か下町の八百屋さんにだけ期間限定で見かけます。落花生は通常実は小さいのですが、生落花生によっては巨大な実のものもあります。籠に入っている落花生は「おおまさり」と呼ばれ、千葉県が14年がかりで品種改良し、平成十九年に誕生した新しい品種です。最大の特徴はその大きさで、普通の落花生の約2倍の大きさがあります。甘みが強く柔らかいので塩ゆで落花生にすると抜群の美味しさです。大きな実がホクホクとして食べごたえがあり、濃厚まろやかで大変美味です。今までになかった柔らかな食感と見た目のインパクトで、ここ数年人気が急速に高まってきています。収穫時期は9月初旬〜10月末頃で、保存が効かないため基本的におおまさりの生落花生はこの期間にしか手に入りません。ならば買うしかありませんね。せっかくなので2籠持って会計してもらいます。店主のおじさん曰く、「今日だけ1.5倍増量ですぅ!」。2籠分をポリ袋に入れたらずっしりと重たく、量も半端ではありません。一日で食べきれるかなぁ。ちなみに、茹で時間を訊いてみましたら、鍋で30分・圧力釜で5分とのことでした。そうかぁ、圧力釜で茹でるという手もあったのか!晩ご飯で全量を一気に塩茹でして食べましたが、ビールのおつまみに絶品でした。ただ、一日では食べきれず2日がかりになりましたが。
八百屋さんの先の交差点で左折し、しながわ花海道に向かいます。
- ポイント2 しながわ花海道
-
しながわ花海道は、地元の商店街や学校・町会が協力し、勝島運河の土手に花を植え、育てている散策路の名称です。春は菜の花、秋はコスモスが水辺を彩り、品川区の新しい名所となっています。運河の周辺は見晴らしもよく、お散歩に最適です。海岸通りの勝島運河に架かる鮫洲橋の袂にはミニバラ園もあります。
しながわ花海道
この高潮防潮堤は、台風のときの高潮や地震のときの津波によっておこる水害から地域を守るために東京都で整備したものです。区民のみなさまが広く水辺環境に親しめるよう一般開放し、品川区が維持管理を行っています。
しながわ花海道プロジェクト
「勝島運河の土手に花畑を作ろう」を合言葉に、堤防の清掃やはな植えの活動を地域で取り組んでいます。土手沿いのおよそ2キロメートルにある1.5メートル四方の区画約1200枚に春は菜の花、秋にはコスモスの花が一面に咲きます。
勝島運河で見られる鳥や魚
このあたりはかつて漁場となる干潟や藻場が広がっていましたが、埋め立てにより大きく変化し、現在は運河となっています。
ユリカモメ、カワウ、アオサギ、スズキ、マハゼ
しながわ花海道は、しながわ百景に選ばれています。
運河の土手側には、近隣の学校・企業・ボランティアの人達が植栽したコスモスの花が植えられています。
遊歩道の反対側には桜の並木がトンネルを作り、木々や様々な草花が咲き乱れています。
しながわ花海道の花壇は、NPO法人による植栽活動で維持管理されていて、その内容を紹介する看板が立っています。
<しながわ花海道に花と笑顔を!>
令和三年上期NPO法人 しながわ花海道
植栽活動経過報告書
実施日時: 令和三年4月1日 − 9月30日
実施場所: しながわ花海道、立会川河口側道、鮫洲入江広場
主催者: NPO法人 しながわ花海道
実施者: 大井第一町会連合会傘下町会、品川区役所 関連部門、
地域小中学校・保育園、協賛企業各社、ボランティア
はじめに
昨年来のコロナ禍が収束の兆しがみえない令和三年上期でしたが、NPO法人しながわ花海道では、三密を避けつつ、従来からの植栽活動に加え、先般終了した、2020オリンピック・パラリンピックにも呼応し、さまざまな植栽プロジェクトを実施しました。植栽時の状況は、それぞれ報告済ですが、以下、それぞれのプロジェクトについて、開始時から現状まで上期の経過状況をスナップ写真を主体に紹介し、報告に替えます。
以下、活動履歴(略)。
おわりに
NPO法人しながわ花海道では、令和三年上半期、例年開催していた「さくら・菜の花まつり」は開催を見合わせましたが、品川区役所関連部門、大井第一地区所属町会、品川区立浜川中学校、鮫浜小学校、東大井保育園、しながわ花海道協賛企業、個人協賛者、自主ボランティア、ほか多数の方々の協力を得て、勝島運河しながわ花海道護岸、立会川側道、鮫洲入江広場で、ビオラ、デイジー、サルビア、マリーゴールド、アジサイ、コスモス、ユリの育成活動を行いました。活動に関しては、本法人報告書、2021年品川区写真ニュース、しながわすまいるネット、大井第一マイ・タウン21、産経新聞などでも紹介されていますが、今回上期の整理としてまとめました。これからも、関係各位のご支援により、地元活性化につながるような、活気ある充実した活動を行いたいと考えておりますのでご支援ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
立会川が勝島運河に合流する地点は現在工事中で立ち入れません。
遊歩道から出ますと、右手に小さな公園があります。入口の表札に「浜川砲台」と書かれた木組みの門が建っていて、公園の中央に砲台が据え付けられています。時代感がありますね。
この砲台は、幕末の黒船就航の際に土佐藩が設置したもので、坂本龍馬も関わっていました。
浜川砲台の大砲
嘉永六年(1853年)六月、アメリカ合衆国はペリー提督の率いる四艘の艦隊を日本に派遣して、開国を迫った。国書を幕府に渡すと、来春、再来航するとしてベリーは去った。日本側は、次回は戦争になると想定して、江戸湾の防備に力を入れることになる。土佐藩はここに鮫洲抱屋敷を持っていたので、砲台を造ることを幕府に願い出た。嘉永七年(1854年)一月、ペリー艦隊が再来航した時、急遽、土佐藩が造ったのが、浜川砲台である。
六貫目ホーイッスル砲 一門(復元)
一貫目ホーイッスル砲 二門
鉄製五貫目砲 五門
計八門を配備した砲台だった。ここに復元したのは六貫目ホーイッスル砲である。実物のない他藩では丸太を大砲らしく見せた偽物もあった中で土佐藩の装備は江戸っ子の評判も上々で、次のような狂歌も作られている。
品川の固めの出しのよくきくは
下地もうまく なれし土佐武士
[品川の固め場(守備陣地)の良く効果的であったのは、
準備もうまい熟練の土佐のサムライだからだ]
これは土佐の鰹節にかけた狂歌で堅目のダシの良く効くは、料理の下ごしらえも、上手くできる土佐ぶし(鰹節)だからだという意味である。この浜川砲台に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ二十歳の坂本龍馬がいたのである。
一旦、しながわ花海道を離れ、立会川に架かる浜川橋を渡ります。
浜川橋
立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の1600年頃と思われます。現在の橋は、昭和九年(1934年)に架け替えられたものです。
涙橋の由来
慶安四年(1651年)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。
浜川橋から一般道に出て、新浜川橋交差点の手前から再びしながわ花海道に入ります。
しながわ花海道
「しながわ花海道」は、高潮や津波から地域を守る防潮堤の役割を持つ一方、花や緑、水辺に親しめるスポットです。地域の皆さんが行う花植えのボランティア活動により、春には菜の花、秋にはコスモスが一面に咲きます。
Shinagawa Flower Road
"Shinagawa Hana Kaido (Shinagawa Flower Road)" has a role as a seawall that protects the area from storm surges and tsunami, but also a spot where people can enjoy flowers, greenery and waterside. The local residents volunteer to plant flowers, and rape blossoms bloom in the spring and cosmos bloom in the fall.
一株のアジサイが植えられています。東日本大震災で決壊したダムの底に群生していたアジサイを株分けしたものだそうです。
奇跡のアジサイ
福島県須賀川市藤沼湖から
東日本大震災の時、決壊ダムの湖底に群生したアジサイを花海道に株分けしていただいたものです。大事に育てます。
東日本大震災で福島県須賀川市の農業用「藤沼ダム」が決壊し、湖水が鉄砲水となって下流を襲い、8人が死亡・行方不明となった。2年後、地元住民らが空になったダムの底でアジサイを見つけ、全国の人に株分けして育ててもらう「奇跡のあじさい里親事業」を始めた。ダムが再建される来春、持ち寄ってダム堤に植栽し、復興のシンボルにするのが目標だ。同市長沼の深谷武雄さん(70歳)宅のビニールハウスには鉢植えされたアジサイが並ぶ。
海岸通りに架かる鮫洲橋を渡って、しながわ花海道の最後の区間に入ります。
ここもコスモスが満開になっています。鮫洲橋の袂にミニバラ園があるそうですが、気が付きませんでした。
しながわ花海道から隣接する鮫洲入江広場に入ります。
- ポイント3 鮫洲入江広場
-
鮫洲入江広場は、浸水対策と下水道の改善を図るために、鮫洲入江を埋め立てて建設された東京都下水道局鮫洲ポンプ所雨水貯留池の上部を整備し完成した公園(約7、400平方メートル)です。広場の南側はしながわ花海道とつながっていて、春には河津桜、初夏はカラフルなユリの花が楽しめます。
公園の中心には芝生の広場があり、下水道のしくみについて書かれた案内板が設置されています。
環境を守る下水道
水循環を担う下水道
下水道は、都市における水循環の一翼を担っています。
森は貴重な雨水を蓄えています。
私たちが使った水をきれいにして川や海に放流しています。
下水道の仕組みについて解説してあります。
下水道は、主に3つの施設でできています。
★下水を集めて流す「下水道管」
★下水道管が深くなりすぎないように途中で下水をくみ上げる「ポンプ所」
★下水を処理してきれいな水によみがえらせる「水再生センター」
どの施設も正しく働くように日々点検、清掃、補修などを行っています。
鮫洲ポンプ所の役割についても記されています。
鮫洲ポンプ所雨水貯留池の役割
鮫洲ポンプ所には目黒区と品川区の一部から汚水と雨水が流れてきます。この公園の地下には41、000立方メートルの貯留池があり降雨初期の特に汚れた下水を貯め、勝島運河の水が汚れないようにしています。
勝島運河の水質改善
汚れた下水を一時的に貯める鮫洲ポンプ所雨水貯留池をつくり、汚れた下水が勝島運河に流出する量や回数を減らすことで、良好な水環境を創出しています。
鮫洲の地名の由来について案内板が立っています。
鮫洲の由来
「鮫洲」は江戸期から現在の俗称地名。南品川宿南端から北浜川にいたる南北に細長い地域を指します。旧東海道沿いにあり、将軍家に新鮮な魚介類を献上する漁師町でした。冬場の不漁に備え、ソダを立て、イケスを作り魚を飼っていたところ、ソダに海苔がつき、それを採取し加工したのが海苔養殖の始まりと言われています。「鮫洲」の地名の由来は、鎌倉時代、品川沖で漁師の網に大きな鮫がかかり、この鮫の腹を割いてみると、聖観音の木像が出現。この聖観音は鮫洲観音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったといわれています。この観音像は海晏寺の本尊として奉られています。
鮫洲入江広場から都道420号線に出て京急線の手前で旧東海道に入ります。交差点近くに酒屋さんの「飯田屋」があります。鮫洲で有名な角内(立ち飲み屋さん)です。お酒だけでなく、簡単なおつまみや軽食も提供しています。ちなみに、角内とは、もともとは升の角に口を付けて飲むことを意味していました。しかし現在では、酒屋の一角を飲酒スペースとして仕切って立ち飲みすることを指します。さらに、酒屋での立ち呑みに限らず、立ち呑み居酒屋で酒を飲むことを角打ちと呼ぶ場合もあり、広い意味で用いられています。角打ちの由来については諸説ありますが、「四角い形をした升の角から直接酒を飲んだことに因む」という説が有力です。
ゴール地点の京浜急行鮫洲駅に着きました。
ということで、品川区で十六番目の「16.しながわ花海道コース」を歩き終えました。次は品川区で十七番目の「17.しながわ区民公園コース」を歩きます。
戻る