A.新しい街並み散策ルート  

コース 踏破記  

今日は荒川区の「A.新しい街並み散策ルート」を歩きます。都立汐入公園の北側を通り、高層住宅の間を巡ります。途中、高層住宅とは相容れないような胡録神社を訪れます。最初に歩いたのは2022年の1月でしたが、記憶が薄れてきましたので2024年11月に改めて歩きました。なので、冬と晩秋の写真が入り交じっています。

A.新しい街並み散策ルート

「A.新しい街並み散策ルート」の歩行距離は約1.9km(約2、714歩)、歩行時間は約29分、消費カロリーは約87Kcalです。

スタート地点:都立汐入公園(汐入公園前バス停)
ポイント1 都立汐入公園
隅田川に隣接した面積12.9ヘクタールの区内最大の公園です。堤防には約30種類250本以上のサクラが植えられています。バーベキュー広場、展望広場、ピクニック広場、複合遊具等があり、災害時には、約12万人が収納可能な避難広場にもなります。
ポイント2 胡録神社
その昔、汐入あたりでは蛎殻を石臼にかけ、胡粉という人形の上塗り塗料を作る生業が盛んであったことが名前の由来にもなっている神社です。
ポイント3 汐入せせらぎ広場
水の流れるせせらぎと様々な樹木や花を楽しむことができ、心癒されるスポットです。地元の方が世話をしている草花がやさしく迎えてくれます。

ゴール地点:都立汐入公園(汐入公園前バス停)


スタート地点の都立汐入公園(汐入公園前バス停)から歩き始めます。



ポイント1 都立汐入公園

平成十八年4月1日に開園した都立汐入公園は、荒川区東端の南千住八丁目付近に位置する白鬚西地区市街地再開発事業によって整備された公園です。



面積は12.9haで、再開発事業地区(面積48.8ha)のほぼ中央及び東側に位置し、隅田川に隣接しています。平常時には広く都民の憩いの場所として、また災害時には近隣の住民を含め約12万人の避難広場として広域避難場所の指定を受けていて、ふたつの性格を有する総合公園です。汐入公園は、「豊かで多様な水辺と緑に彩られた活力と潤いのある川辺のひろば公園」を基本テーマとしています。展望広場、ふれあい広場、ピクニック広場や多目的広場など多様な広場とともに、テニスコートなどのスポーツ施設や野外ステージ、噴水、日時計、複合遊具等を設け、のびのびと楽しめる安全な広場公園となっています。また、地区に隣接する隅田川は、古くから都民に親しまれてきた東京を代表する河川です。公園と隣接する約1kmの区間については、高いコンクリートでできた防潮堤をスーパー堤防化しました。これにより貴重な水辺空間と一体となった公園整備を行い、眺望の開けた、快適で水にも親しみやすい、緑豊かな広大な都市空間を生み出しました。



汐入公園は、災害時の復旧や救援活動の拠点としての機能を確保するため、防災備蓄倉庫、非常用トイレ、非常用照明、非常用放送設備、非常用電源、非常用炊き出し場(バーベキュー広場)、ヘリコプター臨時離発着場(多目的広場)など、さまざまな防災施設を備えています。

災害対策施設について

この公園は、災害時の指定避難場所です。

●ふれあい広場及び多目的広場は災害時に避難スペースとなります。
●大規模災害に備えて、駐車場に災害対応トイレを設置しています。
●バーベキュー広場は災害時の炊き出し場になります。
●管理所と駐車場の間付近には、災害時用の井戸ポンプを備えています。




都立汐入公園から胡録神社に向かいます。汐入公園の北側に沿って「けやき通り」が通っています。汐入地域一帯には草木の名前を冠した、「とちのき通り」・「くすのき通り」・「はなみずき通り」・「さくら堤通り」などの道路名が多くあります。「ドナウ通り」という洋風の道路名もありますが、これは「C.汐入ぐるっとコース」で解説します。



胡録神社は、荒川区立第三中学校の角から「はなみずき通り」を進んで、「汐入中央通り」を渡った右手にあります。



ポイント2 胡録神社

胡録神社は、戦国時代に上杉謙信の家臣だった高田嘉左衛門一党が川中島の合戦で敗れ、高田・竹内・杉本など数名の同志と共にこの汐入の地に落ちのびて土着し、村落生活の安寧を祈願するために守護神として祀った祠が起源とされています。創建は永禄四年(1561年)八月で、かっては神仏習合による大六天を祀る神社でしたが、明治二年の太政官令による神仏分離政策により、武士が矢を支える武具を胡録と称していたことと、当時の汐入で生産が盛んだった胡粉の「胡」と大六天の「六」を「録」にして、「胡録神社」に改称されました。明治の中頃まで人形の上塗り顔料の胡粉(ごふん)の製造が盛んで、昭和二十七年(1952年)に胡録神社に奉納された襖絵には、山と積まれた牡蠣殻が描かれ、往時の面影を偲ぶことができます。

汐入(胡録神社)

汐入の地は、戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏らが、川中島合戦の際に落ちのびて、開発したと伝えるところである。明治以前、「第六天」と呼ばれた胡録神社は、汐入の境である当地を守護するために祀られたという。現在残る本殿は、幕末から明治初期の様式を今に伝えている。明治の中頃まで胡粉の製造が盛んで、今も胡粉の製造に使用した石臼や、それを転用した石灯籠が、当社や第五瑞光小学校に残されている。昭和二十七年、胡録神社に奉納された襖絵には、山と積まれた牡蛎殻が描かれ、往時の面影をしのぶことができる。また、江戸時代、汐入大根(二年子大根)の産地としても知られ、千住の青物市場などに出荷されていたという。

Shioiri (Koroku Shrine)

This area is called Shioiri developed during the Sengoku period by Takada Clan or so who made it out alive from the Battle of Kawanakajima. Koroku Shrine is said to have been built at the border of Shioiri as a tutelary deity. The current main shrine retains the architectural style from the end of the Edo period to the early Meiji period. The production of white pigments called "gofun" thrived until the middle of the Meiji period, and the stone mills used for producing the powder still remain in the precinct of the shrine and in the town. The fusuma paintings (not open to the public) dedicated to Koroku Shrine in 1952 depict piles of oyster shells as material for gofun and what it used to be in the past. In the Edo period, it was also known as the production area of Shioiri radish, which was shipped to the vegetable market in Senju, etc.




山門を入った境内の右手に、胡粉を挽いた古い石臼が奉納されています。汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り出荷する生業が盛んでした。

胡粉を挽いた臼

昔このあたりは地方(じかた)橋場村小字汐入といわれ、今から150年〜300年くらい前、当汐入では胡粉づくりが盛んに行われ「汐入大根」と共に有名でした。汐入産の胡粉は品質極上で、人形、おしろい、絵具の材料、能面仕上げ、元結などに使われ、”かき殻”を焼いて、この石臼で粉にし、水でさらしてから丸め、乾燥して再び微粒子にして出来上ります。大変な重労働でしたが、機械で作られるようになってから衰微し、今では幾つかの挽白か汐入に残っており、これは其の内の一つです。
<これからは胡録神社に保管します。>




拝殿は昭和二年(1927年)に竣工し、第二次世界大戦の戦火は免れましたが、平成十五年(2003年)九月十九日に、汐入地区の再開発に伴って少し前方に遷座しました。

胡録神社御由緒

當社は、永禄四年八月四百余年前、川中島の合戦の折、上杉謙信の家臣高田嘉左エ門となるもの戦に敗れ、計らずも集りたる十二名の同志と関東に厄難をのがれて落ちのび、當地の汐入に竹本、杉本、杉山等数名と永住の地と定めて土着し、村落生活の安寧を祈願するため、守護神として享保四年九月十九日、今より貳百五十余年前、面足尊と惶根尊の両神を一祠に奉齊崇敬されたと傳えられる。當社は古くは大六天と稱したが、明治二年太政官達により神佛分離がされた際、往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事と、また當地汐人の特業として盛んであった胡粉作の胡の字と大六天の六にあやかり御社号と胡録神社と改称された。神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたるものであるが、現在の拝殿の改築並に神楽殿・社務所の新築造営工事は昭和貳年六月に竣工された。明治百年を奉祝いたし、記念碑を建立する。




境内末社に道祖神があります。かっては、旅行安全の神様として汐入の村落の出入口に祀られていましたが、現在では胡録神社の境内に移され祀られています。道祖神は猿田彦命を祀り、人々はこの汐入の村から出る際には航路の安全を願い、入る際には無事を感謝し、常に安全を守護する神様として尊崇し、祈願の折には草履を奉納して参拝をしていました。神代の昔、天孫降臨の折り、道案内を務めた神様という故事により、旅の安全と足の病気平癒の神様として崇められています。なお、近年では道の神様でもあるという事で、交通の安全を祈願する人々にも崇拝されています。また、境の地点では市が多く開かれ、男女交歓の場であったことから、縁結び・子授け・子守りの神様としても崇めらています。

道祖神御由緒

御祭神 猿田彦尊

御由緒

往古は旅行安全祈願の神様として、亦足の神様として、汐入の村落の出入口に祀られていたが、現在では、胡録神社の境内に移され、祀られているのである。神代の昔、天孫降臨の砌(みぎり)、道案内を勤めた神様という故事により、旅の安全、足の病気平斎の神様として崇められ、祈願の折は草鞋、草履を奉納して参拝する。亦耳の病気の折は二個のお椀に穴をあけて奉納するなどの風習は今でも受け継がれ守られており、最近では、道の神様でもあるという事で、交通の安全を祈願する人々もおられる。




二の鳥居の両側には、対の狛犬が岩乗りで置かれています。左側の吽形の狛犬の岩の下に子どもがいますが、右側の阿形の狛犬の岩の下には子どもがいません。一人っ子なのでしょうか?



胡録神社から汐入せせらぎ広場に向かいます。はなみずき通りの終端で左折する角地に、東京メトロの車両基地があります。日比谷線の車両が所属する千住検車区は、昭和三十六年(1961年)に発足し、日比谷線車両の月検査と車両清掃を行なっています。日比谷線南千住駅のすぐ北側に引き込み線があり、そこから入出庫しています。車両基地は周囲より約1mほど高くなっていて、水害(洪水)対策のため、日比谷線建設工事の南千住〜秋葉原間で掘削した土砂を運搬・搬入し盛り土をしたものです。敷地面積は凡そ3万6千uあり、8両編成の電車15本を留置することができます。



そのまま南下していきますと、右手に広大なJR貨物の隅田川駅があります。隅田川駅は、主に東北本線や上越線などのいわゆる北・東方面発着の貨物列車の終着(始発)駅であり、東京貨物ターミナル駅と並ぶ東京の二大貨物駅です。隅田川駅は常磐炭田からの石炭の受け入れを行うために明治二十九年(1896年)に開業し、主に石炭・木材・砂利などの荒荷を取り扱い、隅田川の水運と連絡して東京の市街地への輸送を行っていました。このために水路が隅田川から引き込まれ、構内中央付近には水扱積卸場が存在していました。戦後はこうした荒荷の取り扱いが減少し、さらに水運との連絡も減少したため、水扱積卸場を埋め立てて構内を改良し、コンテナ扱いに対応した整備を進めることで、首都圏の東北・北海道方面との貨物輸送の拠点として使われてきました。首都圏の新聞や出版産業で消費される紙も隅田川駅で取り扱われています。



隅田川駅のトラック出入口の向かい側からくすのき通りに入り、汐入ふれあい館の先の交差点で左折します。屋上にパラボラアンテナが据えられた特徴的な外観の産業技術高専の校舎が聳えています。汐入に荒川キャンパスがある東京都立産業技術高等専門学校は、都立工業高等専門学校と都立航空工業高等専門学校の統合により、平成十八年(2006年)4月に設置されました。都立大学工学部と同じく、府立電機工業学校を源流に持ち、また前身校の工業高等専門学校と航空工業高等専門学校は最初期に設立された14の高専のうちの2つであり、高等専門学校としても長い歴史を持っています。開校と同時に5年制の本科(準学士課程)の上に2年制の専攻科(学士課程)が設置され、本科学生数1、607人、専攻科学生数79人の計1、686人の学生がものづくり教育を受けています。



校内にある科学技術展示館には、都立航空工業高等専門学校から教材として使用されてきた飛行機・ヘリコプター・航空用エンジンなどの実物を始め、人工衛星のミニチュア模型・NHKロボットコンテスト出場ロボットなど、教育的・歴史的に価値がある各種工学機器類を展示・保存しています。航空機関係の展示物においては我が国でも有数のコレクションであり、日本航空協会から”戦後航空再開時の国産航空機群”として重要航空遺産の認定を受けています。展示館の一般公開日は記念日などの特定の日に限られます。今日は閉館のようです。



ポイント3 汐入せせらぎ広場

「汐入せせらぎ広場」は、都立産業技術高等専門学校の敷地に沿って、瑞光橋公園と汐入公園を結ぶグリーンベルトの中間に位置しています。



汐入せせらぎ広場には、水の流れと丘をテーマにした「水の流れゾーン」・「憩いのゾーン」・「やすらぎのゾーン」があります。流れるせせらぎや煉瓦造りの休憩所などが設置されていて、癒しと寛ぎのスポットとなっています。季節ごとに色とりどりの花が咲く花壇は、荒川区の「街なか花壇づくり事業」のひとつで、区民が自主的に維持管理を行っています。休憩所の前の「南千住八丁目街なか花壇」の7.2平方メートルの区画は、高齢者認知症予防講座で知り合った60才以上の園芸グループ「萩’02」が手入れを担当し、草花の植付け・その後の水やり・清掃などを交代で当番をしています。



川のせせらぎの水源は、推測ですが、白鬚西ポンプ所で処理された再生水ではないかと思います。



ゴール地点の都立汐入公園(汐入公園前バス停)に着きました。



ということで、荒川区で最初の「A.新しい街並み散策ルート」を歩き終えました。次は荒川区で二番目のコースである「B.隅田川の川沿い散策ルート(往復)」を歩きます。




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