- L潤いあふれる憩いの場。都会のオアシス散策コース
- コース 踏破記
- 今日は墨田区の「L潤いあふれる憩いの場。都会のオアシス散策コース」を歩きます。すみだトリフォニーホールから大横川親水公園に入り、真っ直ぐに北上してスカイツリーに至る短いコースです。最初に歩いたのは2022年の3月でしたが、記憶が薄れてきましたので2025年6月に改めて歩きました。
L潤いあふれる憩いの場。都会のオアシス散策コース
自然を感じながら、ゆったりと歩くことができます。公園の樹々の合間からのぞく東京スカイツリーも見どころです。
「L潤いあふれる憩いの場。都会のオアシス散策コース」の歩行距離は約1.8km(約2、600歩)、歩行時間は約30分、消費カロリーは約90Kcalです。
スタート地点:すみだトリフォニーホール
↓
- ポイント1 大横川親水公園
-
大横川に沿って約1.8kmにわたって広がる公園。桜、紅葉など四季折々の景色が見事。休憩スポットもたくさんあります。
↓
ゴール地点:東武スカイツリー線とうきょうスカイツリー駅正面改札口
北斎通りに面したスタート地点のすみだトリフォニーホールから歩き始めます。すみだトリフォニーホールの「トリ(tri)」は「3」、「フォニー(phony)」は音を表し、合成して「トリフォニー(triphony)」は「3つの音が響くこと」を意味し、アーティスト・ホール・観客が三位一体となって音楽を創造していこうという意味が込められています。墨田区の案内板には次のように書かれています。
すみだトリフォニーホール
音楽都市すみだの拠点となる本格的コンサートホール。アコースティックな音楽を聴くのに最適な大ホールと、アーティスト体験の場として幅広く利用できる小ホールがあります。新日本フィルハーモニー交響楽団の活動拠点でもあります。
Sumida Triphony Hall
This well-designed concert facility is the home base for the New Japan Philharmonic orchestra and hosts many other musical events that promote Sumida's reputation as a city of music and culture. It houses two halls. The larger hall with fine acoustics is dedicated to musical performances including occasional pop concerts. The smaller one, besides' various musical recitals, also hosts lectures and workshops.
すみだトリフォニーホールは、大ホールと小ホールの他に3室の練習室を備えたコンサートホールで、平成九年(1997年)に開業しました。開業当初から新日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズ演奏会場になっています。大ホールは定員1、801名(オーケストラピット使用時は1、601名)で、ドイツのドレスデンにあるイェームリッヒ社製の壮大なパイプオルガン(4、735本のパイプと66個のストップで構成)が設置されています。
すみだトリフォニーホールのはす向かいに、津軽稲荷神社があります。江戸時代、この場所には「本所に過ぎたるものがふたつあり、津軽大名と炭屋塩原」で有名な弘前藩津軽家の中屋敷がありました。中屋敷とは郷土の産物を保管したりする大名の私邸のことで、津軽藩は墨田区内にいくつかの中屋敷を持っていました。明治時代に屋敷を撤収した後は陸軍が兵士の食料を保管する糧秣廠を設置し、この稲荷社だけが残されました。当時、屋敷には守護神として屋敷神(稲荷)が必ず祀られましたが、屋敷神は土着性が強く、明治時代の廃藩置県で弘前藩関係者が去った跡も他に移動せず、この場所に残されたのです。津軽稲荷神社の前を走る道路には、かつて南割下水と呼ばれる堀割が流れていました。ここは区内にいくつか推定される「おいてけ堀」推定地のひとつでもあります。境内社として弁財天社が祀られています。墨田区の案内板には次のように書かれています。
津軽稲荷神社
「本所に過ぎたるもの二つあり、津軽大名、炭や塩原」と言われた弘前藩津軽家の中屋敷の跡。明治時代、屋敷内に祀られていた屋敷神(稲荷)だけを残し、屋敷は撤収されました。
Tsugaru-inari-jinja Shrine
Inari, originally an agricultural deity of harvests, has come to be worshipped here as the guardian of the area. The shrine used to protect the residence of the Tsugaru samurai family of the Hirosaki domain (now
Aomori) before the building was taken over by the neighborhood association when the rest of the estate was dispersed during the Meiji period (before 1912).
北斎通りが大横川と交差する地点には、長崎橋が架かっていました。
長崎橋の由来
ここにあった長崎橋は、元禄十年(1697年)当時の本所奉行鈴木浜九郎、鳥屋久五郎、両名によって、墨田区亀沢四丁目より同錦糸一丁目に架けられました。最初は長さ10間(18.0m)、幅2間半(4.5m)の木橋でしたが、その後何回となく架け替えられ、昭和四年6月には、鋼橋(トラス)になりました。この橋は、大横川親水河川整備事業によりその役目を終えて撤去しました。なお、橋の名前は、当時西側に隣接した本所長崎町の地名にちなんで長崎橋と名付られ、永い間、親しまれた本橋の面影を慕い橋名板を残して、その歩みを記します。
- ポイント1 大横川親水公園
-
大横川親水公園に入ります。墨田区の案内板には次のように書かれています。
大横川親水公園
大横川を整備した総延長1、800mの親水公園です。錦糸町と押上、業平を結び、橋などを境としてエリアごとに人工のせせらぎや釣堀、広場など特徴ある施設が設けられています。
Oyokogawa-shinsui Park
Oyokogawa-shinsui Park is a water park with the well-maintained Oyokogawa River of a total length of 1,800 meters. The park connects Kinshicho,
Oshiage, and Narihira. Within each area divided by a bridge or other borders, you will find unique facilities such as an artificial brook, a fishing hole, and an open space.
大横川親水公園の案内板が立っています。
大横川親水公園案内図
施設の概要
この公園は、大横川の一部を埋め立ててできた親水公園です。公園の大きさは、幅30〜40m、長さ1.85km、面積約63,000平方メートルで、墨田区の中心を流れる北十間川との分流地点から、墨田区の南側を流れる堅川との合流地点までの区間となっており、平成五年(1993年)4月1日に開園しました。園内は北から5つのゾーンに区分され、それぞれ色彩豊かな花の広場と釣堀(釣川原ゾーン)、子供たちがじゃぶじゃぶと遊べる水路(河童川原ゾーン)、緑豊かな渓谷と多様な生き物が生息するビオトープ(花紅葉ゾーン)、開放感のあるイベント広場(パレットプラザゾーン)、様々なスポーツが楽しめる広場(ブルーテラスゾーン)の特徴を持っており、公園利用者へ貴重な憩いの空間を提供しています。
歴史と沿革
大横川の歴史は、明暦三年(1657年)の江戸最大の火災といわれる大火から始まりました。江戸幕府は、復興の際、火除地等の確保のため、家屋の転移を図り、河川を掘り開き橋を架け、土地の整備を行いました。このとき掘られた河川の一つが大横川で、本所地域を南北に貫通しており、近年まで舟運・材木の貯留など産業経済の発展に貢献してきました。しかし、道路・鉄道の整備や経済環境の変化によってかつての機能は失われ、昭和五十六年(1981年)から大横川の埋め立てが進められました。その後、緑と清流を復活させ、豊かな自然を楽しめる憩いの空間づくりを基本に公園整備を行い、平成五年(1993年)に完成しました。横川という名前の由来は、江戸城に対して横の方向に流れていることからきています。その後、昭和四十年(1965年)施行の河川法により水系を一にしていた大島川とつなげて、大横川と呼ばれるようになりました。
遊歩道の脇に、架け替え前の清平橋の鋼材がモニュメントとして展示されています。
清平橋の由来
大横川親水公園をまたぐ清平橋は、関東大震災の復興事業により昭和四年に架けられました。かつては川の西側が清水町、東側が太平町と呼ばれていたことから、両町名から一文字ずつ取って清平橋と名づけられました。架橋時は長さ38.97mの鋼橋(3径間ゲルバー橋)でしたが、老朽化が進行したため、架橋から82年が経過した平成二十三年に、長さ10.00mのコンクリート橋(プレテンション方式PC単純床版橋)に架け替えました。架け替えを記念して、旧橋の橋名板と鋼材の一部を遺してその歩みを記します。
現在の清平橋です。水は流れていませんので、陸橋になっています。
報恩寺橋は蔵前通りが通っています。橋名は近くにある報恩寺に由来しています。報恩寺は太田道灌が長禄二年(1458年)に江戸城を築くにあたり、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(江戸城平川口)に建立・開基しました。その後、神田柳原・谷中清水町と移転した後、元禄八年(1695年)に現在地に移りましたが、当時は塔頭20ヵ寺・末寺11ヵ寺を擁する大寺院でした。清平橋と報恩寺橋の上流に架かる紅葉橋の間は花紅葉ゾーンになっていて、大きな自然石を組み合わせた水路を清流が流れ、渓谷を思わせる緑豊かな空間を演出しています。万華池は多様な生き物が生息する貴重なビオトープ空間として子どもたちの環境学習や遊びの場となっています。
紅葉橋は、今は大横川に架かっている橋ですが、昔は紅葉川という小さな流れがあったことに由来しているそうです。公園の中を流れる水路の上には小さな吊り橋が架かっています。
紅葉橋の東詰には緑に覆われた小山のような物体があります。建物なのか高台なのか判断できません。橋の袂に、鬼平犯科帳の立て札があります。
鬼平情景 出村の桜屋敷
平蔵と左馬之助が青春を刻んだ高杉道場の北側には、田坂直右衛門の広大な屋敷があり、七十過ぎの当主が奉公人と孫娘のおふさと暮らしていました。ここから道を隔てて斜向い辺りで、春には庭の山桜の花片が、門弟が稽古に汗を流している道場へ舞い込んできたものでした。時にそのおふさが、打ったばかりの蕎麦切と冷酒を下女に持たせ、祖父から申しつかったと道場に現れました。その初々しい乙女のような姿に、平蔵、左馬之助ならずともに顔を赤らめ、はにかみ、師匠に揶揄されたものです。おふさが日本橋の呉服問屋近江屋へ嫁ぐ日、横川を立派な嫁入り道具を載せた舟に囲まれ、白無垢姿でゆったりと行く様を道場の門外から両名が万感の思いで見送る場面は心に残ります。それから二十余年後の展開には愕然とさせられます。
大横川親水公園に面して、幅広い階段の上に「すみだパークギャラリーささや」があります。平成二十五年(2013年)にオープンし、「野菜を楽しもう!」がコンセプトのオーガニックカフェで、メニューは動物性のものを一切使わないヴィーガンフードが中心です。飲み物やマフィン・スコーンなどの軽食から、カレーやサンドイッチといった食事も提供しています。「ささやカフェ」がある「すみだパークプレイス」の街区は、水飴製造業の「ささや」の工場跡地です。敷地内には劇場や芝居・ダンスの稽古場・ギャラリーなども設けられていて、カフェにもイベントスペースが併設されています。「すみだパーク」の名前は、これらの施設を含んだ街区全体の愛称でもあります。カフェとなっているのは昭和四十年代に建てられた倉庫をリノベーションした建物で、背の高い切妻屋根が2棟連結した建物が印象的です。天明二年(1782年)に日本橋で創業した「ささや」がこの地に移転し、戦後倉庫業に転換してから貸し倉庫として使用されていました。カフェの名前にはこのような歴史も受け継がれています。倉庫からカフェに改装するに際し、大横川親水公園は公園であると共に法律上は河川扱いとなっているため、一定以上の高さの堤防を設けなければならず、しかも公園に出入口を設けるなど通常では認められない状態でした。そんな折りにスカイツリーが開業し、公園を通る回遊者の増加が見込まれていましたので、行政もカフェの存在が公園の魅力向上につながるいう認識で一致し、店内のトイレを公園利用者に開放することなどを条件に、カフェが「公園の一部」として認められることになったということです。
公園の壁に奇妙な壁画が描かれています。本所七不思議について描かれているようで、文字も絵もおどろおどろしい感じです。
本所七不思議
本所七不思議は、墨田区の本所に江戸時代ころから伝承される奇談・怪談です。江戸時代の典型的な都市伝説の一つであり、古くから落語など噺のネタとして庶民の好奇心をくすぐり親しまれてきました。いわゆる「七不思議」の一種です。
- 送り拍子木(おくりひょうしぎ)
- 入江町の時の鐘は、大横川沿い北辻橋近くにありましたが、この鐘近くで夜回りをしていると、どこからともなく拍子木のカチカチという音が聞こえてきた。
- 足洗邸(あしあらいやしき)
- 両国のあたりに「足洗い屋敷」という大きな屋敷がありました。 その屋敷では、深夜になると突然「足をあらえ〜」 といって大きな血まみれの足が天井から降りてきました。 屋敷中の下女が集まってきれいに足を洗ってやると、 そのまま天井裏へ帰っていくのです。 ところが、そのまま足を洗わずにいると、 夜が明けるまで屋敷中を暴れ回ったということです。
- 燈無蕎麦(あかりなしそば)(別名:消えずの行灯(あんどん))
- 南割下水のあたりに毎夜出る二八そば屋のあんどんは、一晩中ともり、消えたのを見た者がないということです。
- 狸囃子(別名:馬鹿囃子)
- 夜半に耳をすますと、遠く、あるいは近くお囃子が聞こえてきますが、どこで奏でているのか確かめられなかったそうです。
- 送り提灯(ちょうちん)
- 夜道で前方にチラチラとちょうちんの明かりがみえ、近寄るとパッと消えてはまた前方に現れる無気味なちょうちんです。
- 片葉の葦(あし)
- 両国橋近くにあった入堀に生える葦は、不思議なことにどれも片側しか葉がでなかったそうです。
- 置行堀(置いてけ堀)
- 一説に錦糸町駅付近にあったといわれ、夕方釣り上げた魚を持って立ち去ろうとすると、堀の中から「置いてけ、置いてけ」と怪しげな声が聞こえたそうです。
七不思議ですが、伝承によって登場する物語が一部異なっていることから8種類以上のエピソードが存在します。
- 落葉なき椎(しい)
- 隅田川べりの松浦家の椎の木はよく繁っているのに、どんな時にも落葉したことがないといいます。
- 津軽の太鼓
- 大名屋敷の火の見やぐらでは、板木を打つならいでしたが、南割下水近くの津軽家に限って太鼓を打つことが許されていました。
春日通りが通る横川橋から平川橋までの間は、河童河原ゾーンになっています。せせらぎや滝のある流れの遊びの場や芝草の広場があり、水遊びや広場遊び、ゲートボールなどの多様な利用ができます。自然な流れを生かして、いきいきとした水景を演出しています。
吊り橋も架かっています。
平川橋の手前には、暑い季節になると子供連れで賑わうじゃぶじゃぶ池があります。水深は浅いですが、小さな子供達にはちょうど良い遊び場です。夏は子供達で溢れるのですが、今は新緑の季節で閑散としています。
大横川親水公園じゃぶじゃぶ池
北はスカイツリーのふもと付近から始まり、南のJR錦糸町駅付近まで約1.8kmにわたって伸びる「大横川親水公園」。水遊びを楽しめるのは、北の入口から300mほど歩いたエリアです。流れも楽しめる小川はゆったりとした幅があり、水量もたっぷり。地面は歩きやすく水深が浅い場所もあるので、きょうだい一緒に楽しめますよ。1年を通じて水が流れていて、夏にはシャワーも使えます。
昔、渋谷の公園通りに面したところに「たばこと塩の博物館」があり、中を見学したことがあります。その後閉館となりましたが、現在は大横川親水公園の脇で新たに施設が造られ再開しています。入館料が格安なので(2022年3月に訪れた時は大人100円でしたが、2025年に再訪した時は300円に値上がりしていました。)、見学がてらちょっと休みたくなる衝動にかられます。
たばこと塩の博物館
昭和五十三年(1978年)、日本専売公社(当時)によって、タバコと塩に関する資料の収集や調査を行うことを目的に、渋谷区神南の渋谷公園通り沿いに開設されました。開設は日本専売公社のタバコ製造販売70周年を記念する事業の一環であり、戦前から収集されていた様々なタバコや喫煙や喫煙具、世界中の岩塩など多くの資料が展示されました。建物の老朽化や、収集資料の増加により手狭になったことなどを理由に、渋谷の博物館は平成二十五年(2013年)9月1日に閉鎖されました。これに代わる博物館が墨田区横川の日本たばこ産業の敷地にある倉庫を改装し、平成二十七年(2015年)4月25日に開館しました。博物館は現在、約30,000点の資料を収蔵しているほか、刊行物なども発行しています。また、肉筆浮世絵83点、浮世絵版画1550点余、版本300点なども所蔵しています。
入り口の前に古びた門柱が保存されています。村井兄弟商会芝工場の門柱とのことです。村井吉兵衛(1864年〜1926年)は、たばこが専売制になる明治三十七年(1904年)以前に国内最大手だったたばこ業者です。京都のたばこ商の家に生まれた吉兵衛は、将来有望と見込んだ人物を引き入れて「村井兄弟商会」を設立し、アメリカの技術を学んでシガレット(紙巻きたばこ)の製造に乗り出します。明治二十四年(1891年)に「サンライス」、明治二十七年(1894年)には「ヒーロー」を発売し、同じく大手たばこ業者だった岩谷松平や千葉松兵衛と「明治たばこ宣伝合戦」を繰り広げました。さらに明治三十二年(1899年)には葉たばこ産地のアメリカで勢力を増していたアメリカン・タバコ社と資本提携を結ぶなど、その斬新で大胆な経営は日本の産業界に大きな影響を与えました。たばこ専売制の施行によってたばこ業から撤退した後は、銀行を足がかりに鉱業や農場経営など様々な事業に着手し、政財界に幅広い人脈を築きました。当時の実業界では、渋沢栄一や岩崎弥太郎に匹敵する人物として評価されていましたが、今日ではその名を知る人は多くなく、隠れた偉人といえます。
村井兄弟商会芝工場の門柱
この門柱は、元は、明治のたばこ商、村井兄弟商会の芝工場(現在の港区田町二丁目)の正面入り口にあったものです。当時は、2mを超す立派な柱で、中間部分にはレンガが積まれていました。上部の石にはたばこの葉の浮き彫りが施され、明治期の近代工場の風格を伝える貴重な資料です。村井兄弟商会の工場は、明治三十七年(1904年)の専売制度導入以降、大蔵省専売局の工場となり、昭和十四年(1939年)に火災で焼失するまで稼働していました。
Murai Bros. Co. LTD Factory Entrance Gatepost
In the late 19th century, this stone gatepost was located at the front
entrance of a Murai Bros. Co. factory in an area of Tokyo previously called
Shiba Ward (modern Minato-ku Tamachi 2-chome, Tokyo). At the time, the
gatepost towered to over 2m in height with brick stacked as its middle part.
In the stone upper portion of the gatepost is a relief of a tobacco leaf. The gatepost serves as a valuable record expressing the character of modern
factories in Japan of the late 19th century. The Murai Bros. Co. factory was
transferred to the Monopoly Bureau in 1904 with the introduction of the
monopoly system. The factory remained in operation until 1939, when it
burned down in a fire.
親水公園の上空に陸橋が架かっています。
その脇に、かって大横川に架かっていた平川橋のトラスと嬌名板が保存されています。
平川橋落橋記念碑
ここにあった平川橋は、長さ28.17m、幅13.37mの鋼橋(鋼単純ワーレントラス橋)で、関東大震災の復興事業により昭和四年に架けられました。太平洋戦争時には、金属供出のため高欄が撤去されましたが、戦後の昭和二十七年には復旧されました。その後も定期的に補修を続けてきましたが、老朽化が進行したため架橋後82年が経過した平成二十三年にその役目を終えて撤去し、新たに道路として整備しました。永い間、親しまれた本橋の面影を慕い、橋名板とトラスの一部を遺してその歩みを記します。
大横川親水公園魚釣場は、昭和五十七年にヘラブナ釣りが楽しめる親水公園の主要施設として設置されました。延長約130m・幅8m・水面面積約1、040uで、墨田区では隅田公園魚釣場(円周約80m・水面面積約240u)と共に貴重な区営の釣場となっています。しかし、利用者の低迷や区外利用者の増加によって現状の見直しが行なわれ、令和八年度に全面リニューアルが予定されています。令和九年度からは現在の1/2から1/3程度の規模に縮小され、かつ有料施設として運営されることになりました。尚、隅田公園魚釣場は令和八年度末をもって閉鎖され、墨田区の魚釣場は大横川親水公園に集約されます。
業平橋付近には、打ち上げ花火をイメージした花の広場があり、親水公園の入口を華やかに演出しています。
業平橋の北側には、接岸しているような格好をした船首のような形の建物があります。観光案内所を併設した公園の管理事務所なのだそうです。
屋上から長いローラースライダーが地面に延びていて、子供たちには大人気だそうです
管理事務所の建物の先には巨大な円形の鏡が据え付けられています。鏡の前に立って自撮りをすると、後ろの鏡にスカイツリーの全景が写り、スカイツリーとコラボした記念写真が撮れるという観光客に人気のスポットです。
大横川親水公園を上がって業平橋に出ます。
鬼平犯科帳 業平橋
最初の橋は、本所開拓で開削された横川に、寛文二年(1662年)に架けられました。長さ七間、幅二間の板橋です。橋名は、すぐ西にあった南蔵院境内に「伊勢物語」の悲運の主人公、在原業平の作とされる衣冠の木座像をご神体とする業平天神社があったことによります。「東下り」に因み舟形の業平の塚もあっ
たとされています。南蔵院は大岡裁きの「しばられ地蔵」で有名ですが、現在は
葛飾区東水元に移転しています。鬼平犯科帳では、「敵」に登場します。五郎蔵が人気のない業平橋を渡った時、人につけられていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立へ飛びこんで提灯の明かりを消し、後ろを伺う場面があります。江戸の頃はこの辺りで採れた業平蜆(シジミ)が美味で特産品とされ、作品にもたびたび出てきます。
ゴール地点の東武スカイツリー線とうきょうスカイツリー駅に着きました。2022年3月にはスカイツリー駅には正面口がありましたが、2025年5月には正面口は廃止され、代わりに右手奥に東口が新設されていました。
ということで、すみだウォーキングマップ2017〜2018合冊版で最後のコースである「L潤いあふれる憩いの場。都会のオアシス散策コース」を歩き終えました。次はすみだウォーキングマップ2020年版で最初のコースである「@鬼平や忠臣蔵などすみだの歴史スポットを訪ねる」を歩きます。
戻る