N新小岩・高砂エリア  

コース 踏破記  

今日は葛飾区の「N新小岩・高砂エリア」を歩きます。総武本線新小岩駅をスタート地点として、たつみ橋交差点から西井堀緑道を進み、環七を越えて新中川を三和橋で渡り、東用水せせらぎ通りを経て、京成本線の京成高砂駅でゴールします。大半が緑道の気持ちの良いコースです。

N新小岩・高砂エリア

「N新小岩・高砂エリア」の歩行距離は約4.7km(約6、710歩)、歩行時間は約1時間10分、消費カロリーは約210Kcalです。

スタート地点:新小岩駅北口
ポイント1 巽橋跡
ポイント2 西井堀せせらぎパーク
水路を埋め立てた約500mの親水公園。「たつみ」橋にちなみ、あちらこちらに龍が出没。
ポイント3 西井堀緑道
ポイント4 北沼公園
交通遊具の貸し出しのほか、月面歩行気分を味わえるムーンウォーカー(小中学生対象)や恐竜の形の遊具などがあるユニークな交通公園。
ポイント5 三和橋
ポイント6 東用水せせらぎ通り
かっての用水路を整備した、緑あふれる涼しげな小路。

ゴール地点:京成高砂駅南口2


スタート地点の新小岩駅北口から歩き始めます。



ポイント1 巽橋跡

平和橋通りと蔵前通りの交差点に、西井堀に架かっていた巽橋の親柱と欄干が遺されています。巽橋の名前の由来ですが、「巽」というのは東南の方角を指します。江戸深川の芸者衆を巽(辰巳)芸者と呼ぶのも「江戸の東南の芸者」からきています。新小岩の巽橋は何を中心にして「巽」なのかといいますと、明治二年(1869年)に成立した小菅県の県庁が置かれた小菅御殿(現在の小菅拘置所の敷地)から見た方角をいっているのだそうです。小菅県は明治四年に品川県とともに東京府に合併して短い間存在した県です。その小菅県を地域の中心として橋の名前に残っているのです。



ポイント2 西井堀せせらぎパーク

たつみ橋交差点の北側から西井堀せせらぎパークが延びています。西井堀せせらぎパークは、かってこの辺りを流れていた西井堀という灌漑用水を埋め立てて緑道にした約500メートルの親水公園です。じゃぶじゃぶ池があり、水遊びができるので、夏場には子供たちの元気な声が聞こえてきます。駅からも近く、公園の下には駐輪場も設けられています。南側の入口には立派なモニュメントが建っています。



公園は、南側入口広場・水遊びの広場・竜骨のアーチ・ふれあい広場・中央広場・柳のトンネル・せせらぎ広場・北側入口広場と幾つかの区画に分かれています。



南側入口広場には小さな噴水(?)が設置されています。夏には水遊びができるのでしょうか?



公園内には沢山の「タツノオトシゴ」のモニュメントが置かれています。「タツノオトシゴ」は「竜の落とし子」ともいいますが、古くから「空に昇っていく竜である“登り竜”が産み落とした子」とも言われ、幸運のシンボルとして愛されている生き物で、不思議な姿や変わった子育ての方法など多くの特徴を持っています。カラフルでかわいらしい見た目から、水族館でも人気の生き物です。ちなみに、干支の「辰」年に割り当てられる動物は「龍」(たつ・りゅう)です。たつみ橋の「辰」が「龍」になり、龍は想像上の動物ですが形が似ていることから「タツノオトシゴ」をモニュメントとして選んだのではないかと思われます。



西井堀の由来を記した案内板が立っています。

西井堀の由来

かつて「農業葛飾」といわれた葛飾区には、葛西用水や、上下之割用水など、多くのかんがい用水が発達していました。西井堀は、大用水とも呼ばれた上下之割用水の分流であり、その水源は水元の小合溜から発します。利根川の旧河道であった小合溜は、享保十四年(1729年)幕府の治水事業の一つとしてつくられ、その下流にあたる東葛西領(現在の葛飾・江戸川地域)のかんがい用水として利用されました。用水は岩槻橋を経て南流し、新宿に至ると東に小岩用水路を分かち、幹流は高砂・細田方面に入ります。さらに分流して東井堀、中井堀、西井堀となり、西井堀は新小岩から小松川方面に流れます。しかし、近年、農地の宅地化と産業の工業化によって、かんがい用水の機能は急速に失われ、雑排水路として存続してきました。そして、下水道の整備にともない排水路としての必要性もなくなりました。現在の西井堀は、水路を埋め、緑ゆたかな道や、水とふれあい親しめる公園として生まれ変わっています。




地下に続く施設でしょうか、工事中のようで何に使われるのか分かりません。駐輪場かな?



タイル壁には、イルカみたいなレリーフが彫られています。この他にも、古代生物のようなレリーフもあります。



ポイント3 西井堀緑道

西井堀せせらぎパークの北端からは西井堀緑道が続いています。



西井堀緑道に面して「東京天然温泉古代の湯」があります。都内にある温泉施設の中ではとても広く充実した施設と約8、650平方メートルの広さを活かし、開放的でゆったりとした空間になっています。地下1、720メートルから湧き出ている天然温泉で、多彩な10種類の風呂と露天風呂が有名です。女性は神殿造り、男性は東屋風の情緒溢れる湯殿となり、2種類の貸切湯もあります。敷地内には、ゴルフ練習場・ボーリング場・自動車学校もあります。



ポイント4 北沼公園

奥戸街道と環七が交差する奥戸陸橋を潜り、環七沿いに北方向に進んだ先に北沼公園があります。北沼公園は、自転車・補助付き自転車・足踏み式ゴーカート・三輪車・豆自動車の無料貸し出しがある交通公園です。



科学と宇宙をテーマに、月面歩行を体験できる珍しい「ムーンウォーカー」という設備もあります。ムーンウォーカーとは、月面歩行を体験できる機械です。アメリカのカンサス州にある航空宇宙博物館が子ども用に設計したもので、これに乗れば1/6の重力を体験できるそうです。公園の真ん中にある建物内で体験が可能となっています。

月面歩行にチャレンジ!!(ムーンウォーカー)

月面での重力は、地球の1/6であるため体が大変軽く感じますが、宇宙服・生命維持装置などを装備しての行動はバランスをとるのが難しく、事前に充分な訓練が必要となります。ムーンウォーカーは、アメリ力の「アストロ・キャンプ」にある宇宙飛行士訓練機のなかのひとつで、NASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙飛行士の歩行訓練用として開発されたものです。本機は、アメリカ・カンサス州航空宇宙博物館が子供用のミニサイズに設計したもので、バネの調節により1/6の重力を疑似体験しながら、月面での作業や動き方を訓練するものです。




遊具コーナーには、ローラー滑り台・吊り橋や滑り台のある大型複合遊具が揃い、星座をイメージした水遊び場や砂場もあって子供たちに人気です。



大きくて迫力のある恐竜を模したモニュメントもあります。ティラノサウルスはロープの網を伝って上まで登れるみたいですが、囲いがしてある上に「利用禁止」の貼り紙があります。トリケラトプスは、補助が付いていませんので、触れたり眺めたりするだけのようです。



北沼公園の一画には、「カンタンの里」があります。西亀有せせらぎ公園にもありましたね。

「鳴く虫の女王」
カンタンの里

ここはカンタンの生息地です。
「カンタン」は8月中旬から11月下旬まで鳴き、その鳴き声は高く澄んでおり、「ルルルル・・・」と人間の耳に快く聞こえるため、「鳴く虫の女王」と呼ばれます。カンタンは、ススキ、ヨモギ、フヨウ等の背の高い草むらが好きです。

《その他の昆虫の鳴き声》
・エンマコオロギ   「コロコロ・・・リー」(美しい声)
・ツヅレサセコオロギ 「リィ・リィ・リィ」 (寂しげな声)
・ミツカドコオロギ  「チッ・チッ・・・」 (たたくように)
・アオマツムシ    「リィー、リィー」  (非常に賑やか)
・クビキリギス    「ジィーン」     (鋭い声で連続して鳴く)
・カネタタキ     「チン・チン・」   (鐘をたたくように)
・キリギリス     「チョン・ギース」




日時計もあります。

アナレンマ式時計
(かげぼうし日時計)

人の影が時刻を教えてくれる日時計です。時間の調べ方は、まず中央の月日が記されている長方形の表示板のきようの日(月)の位置に立って下さい。周りに半円に並んでいる丸い数字は時計の文字板です。そして立った人の「かげぼうし」が時計の針になって時刻を示してくれます。




ポイント5 三和橋

新中川を三和橋で渡ります。新中川は昭和十三年(1938年)の大水害により戦前から放水路として計画されていましたが、昭和二十二年(1947年)のカスリーン台風や昭和二十四年(1949年)のキティ台風によって増水した水をうまく下流に逃がすことができなかったことから防げなかった足立区・葛飾区・江戸川区の大水害を受け、14年の歳月をかけて昭和三十八年(1963年)に開通した人工の河川です。江戸川区域の工事が遅れたため、三和橋が架けられたのは新中川の開通より早く、昭和三十六年(1961年)のことでした。中川放水路の開削によって奥戸・高砂・細田の流域の住民はコミュニティーが分断されることを危惧し、放水路が出来た後に架かる橋に、三つの地域が融和するコミュニティが形成されるようにとの願いを込めて「三和橋」と名付けたといわれています。



最初の三和橋が架けられてから40年近くたった平成十二年(2000年)に「三和橋橋づくり協議会」が発足し、橋の架け替えプロジェクトが発足し、平成十五年(2003年)から平成二十四年(2012年)まで工事が行われ、現在の二代目三和橋が完成しました。橋の袂には、初代三和橋の写真を付した記念碑が建っています。

三和橋
「会話が弾む、笑顔がこぼれるふれあいの橋」

この整備コンセプトは、周辺地域の自治町会長、商店会長、小中学校PTA会長及び一般公募の方々て構成された「三和橋橋づくり協議会」で決定し、平成十三年3月に葛飾区へ提言したものです。

三和橋の歴史
昭和三十六年に架橋された三和橋車道橋は、中川放水路(新中川)の開削によって分断された細田、高砂、奥戸の三つの地域の中心に位置することから、地域融合のシンボルとなり、コミュニティー形成の拠点となってほしいという願いを込め、「三和橋」と名付けられました。架橋から40年以沚が経過して、老朽化が進み、耐震性の問題もあったため、平成十二年の架替え計画段階から三和橋橋づくり協議会と葛飾区が協働で検討を進め、平成十五年に架替え工事に着手しました。この記念碑に埋め込んだレリーフは、旧三和橋人道橋の高欄に設置していたものであり、旧橋の記憶を未来に継承するシンボルとして生まれ変わりました。

橋梁概要
橋長:   119m
幅員:    18m (車道9m、歩道4.5mx2)
上部工:  3径間連続プレビー厶合成桁橋
下部工:  張出式橋脚、逆T式橋台
基礎工:  鋼管矢板基礎(橋脚)
      杭基礎(橋台)
完成年月: 平成二十四年6月




新金貨物線を渡った先に細田神社があります。細田神社は、元禄年間(1688年〜1704年)頃に創建されました。元禄の頃に曲金村から分村した細田村の鎮守であり、東覚寺が別当寺でした。境内社として水神社と北野神社があります。現在の社殿は、昭和四年(1929年)に修復されました。



境内に「土地改良[区画整理]記念碑」が建っています。

土地改良[区画整理]記念碑

新中川沿岸第二土地改良区の地区は、葛飾区細田町・諏訪町及び奥戸新町・鎌倉町の一部、並びに江戸川区上一色町の五ケ町にて、江東三区の中央に位置し、東京港北方約六粁の地域に拡がる農耕地125ヘクタールであって、都下有数の農耕地帯であったが、昭和二十三年新中川放水路が本地域の中央を南北に貫流することが計画されたため、本地域内の排水幹線および道路は完全に分断されることになったため、各地元の有志が相計り土地改良事業による区画整理の施行を発起して、昭和二十九年三月土地改良区の設立が実現した。ここにおいて直ちに大事業である工事に着手し、昭和三十五年に所期する全工事を整然と竣工することが出来た。工事完了後は多様な権利義務関係の調整等幾多の困難もあったが、組合員の協力を得てこれを克服し、換地計画並びに登記を完了させて昭和四十六年三月この大事業を完成した。事績は移り変る社会情勢の中にあって、農業経営の合理化はもとより、市街地との調和を果たしながら、郷土史の一頁を飾り、永く後世に残されて行くことを念願し、この記念碑を建立したものである。




この辺りは、かってキャベツの生産地として知られていました。

江戸・東京の農業 中野甘藍

キャベツ(和名・甘藍)が野菜として日本に入ってきたのは明治の初年、涼しい気候を好む野菜なので秋に収穫されていました。明治十五年頃、西洋野菜の将来性に注目していた細田の篤農家・中野藤助は、苦心してキャベツの品種を集め、10数年間にわたり栽培研究に没頭しました。明治三十年頃になると、藤助の予想通り、キャベツの需要が急増してきましたが、初夏には貯蔵キャベツも無くなるため、秋にタネをまいて春どりすることができないものかと、輸入種の中から優れた品種をみつけて改良を続け、ついに秋にタネをまき春収穫できる品種の育成に成功しました。明治三十五年、藤助は東京府立農事試験場金町分場や国の農事試験場にも試作を依頼し、優秀であると絶賛され「中野甘藍」と命名し不動のものとしました。明治四十四年には近隣の農家に栽培が広がり、南葛飾郡内の栽培面積は45ヘクタールに達し、特に中野甘藍は暖地に適した品種なので、以後、大正の初期にかけて九州や四国を始め全国に広まるなど、日本でのキャベツ栽培の基礎を築きました。

THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO
Nakano Cabbage

Cabbage was introduced into Japan around 1868. Being a crop for cool climate, it was usually grown and harvested in autumn. Around 1882, Tosuke Nakano, an outstanding farmer of Okudo, had a promising outlook on the future of European vegetables and devoted himself over ten years in the researches on the cultivation of a number of cabbage varieties he collected from various parts of the world. As he expected, demand for cabbage increased toward 1897 and, then, he finally succeeded in developing a new variety which could be sown in autumn and harvested in spring just before the ordinary cabbage was gone toward early summer. Since the Nakano cabbage was compatible with warmer climate, it was rapidly extended over to other districts including Kyushu and Shikoku toward the beginning of Taisho Era and, thus, greatly promoted cabbage production in Japan.




ポイント6 東用水せせらぎ通り

細田神社から「東用水せせらぎ通り」を進みます。小岩用水・東井堀・中井堀・西井堀は、いずれも葛飾区水元の小合溜井を水源として江戸時代に整備された用水路で、農業用水や物資の輸送路として利用されてきました。東用水というのは東井堀の別名です。用水路としての役目を終えた東井堀は、ほとんどが道路になりました。細田一丁目22から高砂二丁目19までの間は「東用水せせらぎ通り」として、歩道・緑・花・小さなせせらぎが整備されています。



高砂天祖神社の創建年代は不明ですが、葛西御厨の成立(1165年)以降に創建されたと推測されます。創建当時の社名は神明社あるいは明神社とされ、後に三社明神、江戸時代には三社大明神と呼ばれるようになり、さらに明治六年(1873年)に天祖神社と改称されました。社宝のひとつに天保十年(1839年)に奉納された雨乞いの模様を描写した絵馬である「板絵着色雨乞図絵馬額」があり、これまでに何回か修復が行われ、最近では令和元年(2019年)に修復が実施されました。

高砂天祖神社

一、御祭神
主祭神 天照大神(お伊勢さま)
相殿神 武甕槌命(鹿島さま)
    経津主命(香取さま)

一、由緒
当神社は、鎌倉時代に当時の領主葛西清重氏の勧請により、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮から分霊を受け創建し、古くは「三社明神」と称したと伝えられます。社蔵の棟札には、「寛永十年(1633年)九月遷宮下総国葛飾郡葛飾荘曲金郷(現、高砂)・新宿村・細田村・曼荼羅村(現、鎌倉)惣氏子百姓中云々」とあり、附近の郷の総鎮守として崇められていた事が記されています。現在の社殿は二十年に一度建て替えられる伊勢神宮の式年遷宮の材を頂き、昭和三十六年(1961年)に再建され、その後も氏子の皆様からのご賛同を頂き、平成二十八年(2016年)に「御社殿造営五十五年」・「社務所新築二十五年」の記念として、社殿と渡殿の屋根銅板総葺替及び壁面の洗いが施され、御造営当時を思わせる荘厳な社殿に甦り、現在に至ります。

一、境内社
@天祖神社 A八雲神社 B稲荷神社 C道祖神 D招魂社 E水神四社(水神宮 厳嶋神社 青龍大権現 日枝神社) F熊野社




現在の社殿は昭和三十六年(1961年)に再建され、平成二十八年(2016年)に社殿と渡殿の屋根銅板総葺替と壁面の洗いが施され、造営当時を思わせる荘厳な姿に甦りました。

@天祖神社(氏神さま)

ご祭神  天照大御神
相殿神  建甕槌命(鹿島さま)
     経津主命(香取さま)

天照大御神と言えば、八百万の神様の中でも太陽を司る最高神、伊勢神宮のご祭神で皇室祖神、そして天岩戸神話などでもご存知かも知れません。ここでは、神社参拝について考えて行きます。天照大御神は、孫神に当たる邇邇芸命に地上の国を統治するようにと命じ、三種の神器の一つとして八咫鏡を「この鏡を我が御魂として斎き奉れ」と授け、高天原から地上に降臨させました。多くの神社に神様が宿られる依代として御鏡が祀られているのはこれに由来します。鏡の解釈の一つに、鏡から我を取ると神になるというのが有ります。御鏡は自身の姿を写し心を映します。御鏡を通して神様と向き合い自分の心中にある神を誠実で素直な心で見つめ直す。神社参拝とは、日々の生活を振り返り、知らず知らずのうちに触れた罪や穢れに気づき、本来の自分自神を取り戻す行為とも言えそうです。毎月1日、15日は社殿正面の扉を開けております。月詣りを始めて、清々しい気持ちでご参拝されてみてはいかがでしょうか?




境内社の八雲神社です。

A八雲神社(天王さま)

ご祭神  素盞雄命

ご祭神の素盞雄命は、天照大御神の弟神です。八俣大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣、後の三種の神器の一つ「草薙の剣」を取り出し、天照大御神に献上した勇敢な神様です。八俣大蛇から助けた櫛名田比売命と結ばれて多くの御子神をもうけ、幸せな家庭を築いた神としても知られています。スサノオの「スサ」には「荒ぶる・清浄」の二重の意味があり、罪・穢れ・災い等、身に降り掛かる悪しき諸々を荒々しい程の強い力で祓い清める「災厄除けの神」と言われています。八雲神社の名の由来は、素盞雄命が櫛名田比売命と住む新天地を探して出雲の地を訪れた際に詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」に因みます。神明造りの社殿は、昭和十八年六月に現在の八雲公園から移され、天祖神社の境内に合祀されました。毎年六月十五日に、神社の役員・総代参列の上「八雲祭」が執り行われます。




境内社の稲荷神社です。

B稲荷神社(お稲荷さま)

ご祭神 宇迦之御魂神

昔の人々は、神様は春になると山から降りてきて「田畑の神」となり、秋になって五穀豊穣をもたらして収穫が終わると山に帰って「山の神」になると考えていたそうです。同じ様に春になると山から人里に下りてきて田畑を荒らす鼠などを捕まえて、そして秋になって収穫が終わると見かけなくなる狐の行動や狐の尾の形や色が実った稲穂に似ている事から「狐は神様の使い」と言われる様になったとの事です。稲荷神社は、農業に携わる「農民の神社」として全国津々浦々で信仰されてきましたが、その後、江戸時代になって商業や工業が盛んになると「庶民の神社」として商売繁盛・開運出世・家内安全の神様としても祀られる様になりました。また狐のお産が軽く、安産である事から安産祈願もされている様です。毎年、旧暦の初午の日に、沢山の赤いのぼりを立てて初午講による「稲荷祭」が執り行われます。




ゴール地点の京成高砂駅に着きました。



ということで、葛飾区で十五番目のコースである「N新小岩・高砂エリア」を歩き終えました。次は葛飾区で十六番目のコースである「O細田・新小岩エリア」を歩きます。




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