| 年号 | 西暦 | 出来事 |
| 江戸期 元禄九年 | 1696年 | 千川上水は、徳川五代将軍綱吉の命により掘られ、小石川白山御殿(現、小石川植物園)・上野寛永寺・浅草寺御殿・湯島聖堂への給水を第一の目的とした。 |
| 元禄十五年 | 1702年 | 六義園へは元禄十五年の造営時から、千川上水が引き込まれた。 |
| 天明六年 | 1786年 | 江戸市民の飲料水として、また、農業用水として利用され、使用の中止と復活をくりかえし、給水事業は天明六年に廃止された。以後、農業用水のみに利用されて明治期を迎える。 |
| 明治期 | 明治になって、千川上水に工業用水という役割が課せられた。 | |
| 明治十三年 | 1880年 | 岩崎弥太郎(三菱の創始者)が発起人となり、千川水道(株)が設立される。本郷・小石川・下谷・神田方面に給水を開始する。 |
| 明治十三年 | 1880年 | 六義園には明治十三年からは千川水道(株)によって再び上水の水が引かれた。 |
| 明治期 | 千川上水公園は、かつて東京市内へ給水する水を一時溜めておく沈殿池があった場所である。そのころの沈殿池の位置は、現在の淑徳高校付近と思われる。 千川上水が千川水道(株)によって再興されたときは、この先から中山道の下を暗渠にして通水させた。 |
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| 昭和十五年 | 1940年 | 千川上水公園開園(豊島区では初めての公園) |
| 昭和十六年 | 1941年 | 六義園へは千川上水公園内で水量を調節された上、送水されている。 |
| 戦後 | 戦後になっても、その水は六義園をはじめ、都水道局、大蔵省印刷局抄紙部、王子製紙などに引かれていた。 | |
| 昭和四十三年 | 1968年 | 地下鉄(都営三田線)工事が開始されたため、六義園への給水がストップした。 |
| 昭和四十五年 | 1970年 | 水道局が取水を中止。 |
| 昭和四十六年 | 1971年 | 大蔵省印刷局も工業用水に切り替えて、千川上水の利用の歴史は幕を閉じた。 |