18.さくら街道から上小岩親水緑道  

さくら街道から上小岩親水緑道

親水さくら街道は、江戸時代には「佐倉街道」と呼ばれ、千住から小岩を経て千葉・佐倉に至る参勤交代の道筋として、江戸末期には成田詣りの道として利用されてきました。また、明治時代になると長年水不足に苦しんでいた農民のために、石井善兵衛氏が中心となり、江戸川の水を取り入れ、灌漑用水路を完成させました。その後、農業用水路から排水路となり、下水道整備によって役目を終えた後、歴史的に由緒ある水路を活かしつつ、桜並木の美しい散策路として、昭和六十三年に総延長500メートルの緑道として整備されました。

北小岩地域を中央に流れていた北小岩川は、明治十一年に農業用水路として開削された後、市街化が進む中で家庭からの排水が流れ込む排水路となりましたが、蓋をかけて歩行者用通路として地域の方々に利用されてきました。その後、下水道整備によりその役割は終えましたが、その跡地を利用して四季を感じさせる樹木を植え、小川のせせらぎを演出した上で、総延長950メートルの小岩親水緑道が平成二年に整備されました。また、この辺りは弥生時代後期から古墳時代にかけての史跡(上小岩遺跡群)が見つかっていて、上小岩遺跡のモニュメントや土器が描かれたマンホールが設置されています。

コース 踏破記  

今日は江戸川区の「18.さくら街道から上小岩親水緑道」を歩きます。北小岩八丁目11番1号をスタート地点として、親水さくら街道を進み、都道451号江戸川堤防線の手前で南方向に直角に向きを変え、上小岩親水緑道を京成本線の京成小岩駅と江戸川駅の中間地点の線路際に位置する北小岩五丁目13番地16号まで歩きます。

スタート地点:北小岩八丁目・11番1号

ゴール地点:北小岩五丁目・13番16号


スタート地点の北小岩八丁目・11番1号から歩き始めます。



住宅地の中の緑道を進みます。緑道というより、歩道みたいですね。



佐倉街道には、葛飾区新宿(にいじゅく)と佐倉を結ぶ「水戸佐倉道」、寒川湊(現在の千葉港)と佐倉を結ぶ「千葉佐倉道」の2つのルートが存在します。通常、佐倉街道といえば「水戸佐倉道」を指します。江戸時代初期、徳川譜代の土井利勝が佐倉藩主となってから江戸と佐倉間の街道が整備され、参勤交代にも利用される程の重要な道となりました(ちなみに、武家諸法度に参勤交代を組み込んだのは土井利勝です)。当時、佐倉藩をはじめ房総方面の大名あわせて十数藩が佐倉街道を往還したと云われています。佐倉街道の起点は水戸街道から分岐する新宿追分とされていますが、広義に解釈した場合には、水戸佐倉道が日光街道から分岐する千住とも云えます。あるいは、日光街道と水戸街道の起点である日本橋とする考え方もあります。それぞれによって距離は違いますが、新宿追分から佐倉までであれば約36km、千住から佐倉までであれば約42km、日本橋から佐倉までであれば約51kmの距離となります。宿場は、市川宿・八幡宿・船橋宿・大和田宿の4ケ所に置かれました(佐倉市の臼井宿を除く)。文化年間(1804年〜)の頃から佐倉街道を経由して成田山新勝寺へ向かう成田参詣が隆盛するに従い、佐倉街道は「成田道」あるいは「成田街道」という愛称で呼ばれるようになりました。佐倉から成田までは約16kmありますので、新宿追分から成田までは約52kmとなります。通常、佐倉街道は成田街道の一部として扱われることが多いようです。

旧佐倉街道

佐倉街道は、かつて江戸から佐倉に通じる街道として栄えていました。日本橋から葛飾区の新宿までは水戸街道と共通路線を通り、江戸川を渡しで越え、下総の村々を経て佐倉に達していました。東海道等の五街道に匹敵する程の重要な道でありました。当時、この佐倉街道を通行した大名は下総佐倉藩の堀田氏をはじめ、房総方面の大名あわせて十数藩に及んだといいます。なお、この街道は江戸中期以降、江戸から成田山や千葉寺に参詣する大勢の旅人があったので、成田千葉寺道(なりたちばでらみち)とも呼ばれていました。現在は柴又七福神めぐりのコースとしても利用され、また防災避難広場である江戸川河川敷へのルートに指定もされています。




親水さくら街道は柴又七福神めぐりのコースになっているためか、寶舟がレリーフされています。



親水さくら街道の案内板が立っています。

親水さくらかいどう

この道は、江戸時代「佐倉街道」と呼ばれ、千住より小岩を経て千葉、佐倉に至る参勤交代の道筋として江戸末期には成田詣りの道として利用されて来ました。また、水路は明治に入り永年水不足に苦しんでいた農民の願いを、石井善兵衛氏が中心となって、江戸川の水を取り入れたものです。その後農業用水路から排水路として利用され、下水道の整備によりその使命を終えました。このように歴史的由緒ある水路は、魚の泳ぐせせらぎと桜並木の散策路として生まれかわりました。




当時の水路に架かっていた橋の親柱が残されています。



ところどころで水路が顔を出します。殆ど流れはありませんが。



「水神」と書かれた巨大な石碑が建っています。石碑は元々は旧水門のあった場所に建てられましたが、江戸川の改修に伴い、昭和四十二年(1967年)に現在地に移設されました(案内板は、上小岩親水緑道に入った先の地蔵堂の前に立っています)。石碑の前から水路に水が流れ出しています。

史跡 善兵衛樋と水神碑

江戸時代からこの附近の水田は小合溜から用水を引いていた。しかし流水にあたり水量も少なく特に旱天がつづくと目の前に江戸川の豊富な流れを見ながら水不足で苦しんでいた。明治十年には大かんばつがあり収穫は皆無に近かった。小岩田村の石井善兵衛を中心に附近の村民が力をあわせて江戸川から堀割をつくり、水を引き、一帯の水田に給水する工事をおこし翌十一年五月に完成した。はじめ共和圦樋と命名された が時の東京府知事が巡視して石井善兵衛等の功績を賞し改めて善兵衛樋と命名されたものである。水神碑は石井善兵衛の遺功碑で、その功績を記し功労者四十名の名が刻まれている。




都道451号江戸川堤防線の手前で親水さくら街道は終点となります。といっても、用水は江戸川から取水していた訳ですから、この場所が起点といってもいいでしょう。



親水さくら街道から南方向に、上小岩親水緑道が延びています。



上小岩親水緑道は、江戸川区北小岩地区に整備された緑道です。明治十一年に農業用水路として開削された後、市街化で家庭から流れる排水路として使用され、現在では用水跡を歩行者用通路として利用されています。緑道が開通したのは平成二年で、延べ延長950mにもなる緑道は、平成十二年度に「健康の道」として改めて整備されました。緑道は、周囲の住宅地の喧騒を忘れさせてくれる豊かな緑と水路の水音が心地よい空間になっています。木々によってたくさんの日影が作られ、地域の人に人気のお散歩スポットです。京都の小道のように風情溢れる空間を感じながら散策が楽しめます。


マップの左が北方向で、右が南方向になります。


江戸川から取水されたのでしょうか、水が勢いよく吹き出しています。



緑道の脇に地蔵堂が建っています。堂内には、左から弘化二年(1845年)銘の馬頭観世音と刻まれた石塔、地蔵菩薩像、右端に正徳三年(1713年)銘の地蔵菩薩像が陽刻された供養塔が祀られています。右端の供養塔は「慈恩寺道の道標」になっていて、塔身の右面には「是より右岩附慈恩寺道岩附迄七里」とあるように、 慈恩寺への道(慈恩寺道)の道標として岩槻街道の辻に建てられたものです。慈恩寺は、現在の埼玉県さいたま市岩槻区にある天台宗の古刹で、平安時代初期に慈覚大師(円仁)が創建したものと伝えられています。岩槻街道は、慈恩寺道とも呼ばれていたことから、専ら札所巡りに利用された道であったと共に、行徳で製塩された塩を岩槻へ運ぶための「塩の道」としても利用されました。



地蔵堂の前に案内板が立っています。

江戸川区登録有形文化財
慈恩寺道の道標

この地蔵菩薩立像を刻んだ道標は、区内で最も古いものといわれ、霊場参詣者の信仰によって建てられたもので、埼玉県の慈恩寺に行く旅人によって、大事な道しるべであった。銘文からみると、正徳三年(1713年)に建立されたもので、岩附(いわつき)・千住の二方向と、そこまでの距離が示されている。

     銘文
正面   地蔵菩薩立像
右脇   奉供養西国坂東秩父百箇所
     諸願成就所
左脇   正徳三癸巳天七月廿四日
     愛宕山 法林寺
右面   是より右岩附慈恩寺道岩附迄七里
     これより左千手道 新宿迄壱里
     千手迄弐里半




歩道も兼ねた緑道にはゴミひとつ落ちてなく、日頃の手入れの良さが見て取れます。



緑道の脇に「エコへの創造」と題した作品が置かれています。副題に「エコ それは人間や生物が生きていけるよい環境」と書かれています。江戸川区立小岩第三中学校美術部の部員が共同で制作されたようです。形状の意味が抽象的でよく分かりませんね。



緑道はまだまだ続きます。



戦後まもなく、小岩第三中学校の生徒さんが用水路から土器片を見つけ、上小岩遺跡の存在が明らかになりました。、

上小岩遺跡

上小岩遺跡は、上小岩小学校あたりを中心に、北小岩六・七丁目付近に広がっています。昭和二十七年に、小岩第三中学校の生徒が自宅裏の用水路から土器片を発見し、同校の中村進教諭に知らせたことから、その存在が知られるようになりました。その後、多くの人びとにより発掘調査が進められ、古墳時代の前期(今から約1600年前)を中心とする遺跡であることがわかりました。出土品は、弥生中期から古墳時代前期の土器類が主で、東海地方との交流のあったことを示す土器も出土しています。また、漁労に用いた土錘(土製のおもり)も少なくないことから、半農半漁の生活をしていたこともうかがえます。この地の黎明期の様子を伝える遺跡です。




上小岩遺跡を解説したパネルも設置されています。緑道のマンホールの蓋にも土器の絵が描かれています。



緑道は一般道と交差しながら更に延びています。



住宅の間では簡易舗装の箇所もあります。



緑道は京成本線の線路際で終点となります。


マップの左が南方向で、右が北方向になります。


ゴール地点の北小岩五丁目・13番16号に着きました。



ということで、江戸川区で十八番目のコースである「18.さくら街道から上小岩親水緑道」を歩き終えました。次は江戸川区で十九番目のコースである「19.下小岩親水緑道」を歩きます。




戻る